高田渡氏の歌に、『値上げ』という歌があります。
「値上げは ぜんぜん考えぬ」に始まって、「なるべく値上げはさけたい」「値上げするかどうかは検討中である」と、歌詞がしだいに変わっていきます。
そして、「値上げの時期は考えたい」「近く 値上げもやむを得ぬ」へと変わり、ついに「値上げにふみきろう」と決断が下されます。
作詞は有馬敲(たかし)さんです。
東京電力福島第一原子力発電所の事故に対する政府、経済産業省の原子力安全・保安院、東京電力の記者会見、さらに原発関連の学者などの予測を聞いていると、『値上げ』の歌詞を思い出してしまいます。
政府、原子力安全・保安院、そして東電からの発表、学者などの話、いずれにも説得力が感じられません。
機械的な言葉遣いや語り方、話す本人のうつろな表情、ぞんざいな態度など、さまざまな要因が重なっていると思います。
当初は、あまり影響がないという話から、しだいに緊迫感が増し、事態は変化してきました。
先日は、福島第一原子力発電所の周辺の海水から、法律で定められた基準値の4385倍に当たる放射性のヨウ素131や高濃度の放射性ヨウ素が検出されました。
ところが、それでも原子力安全・保安院は、「半径20キロの範囲は避難指示が出され、漁業は行われていないうえ、今後、海流で拡散するため、海産物を通して人が摂取するまでに相当薄まると考えられる」と、無表情で発表していました。
これ、一般的な物言いでは、「海水で薄まるから問題ないよ」と解釈できます。
ところが、ついに、福島第一原子力発電所から放射性物質を含む汚染水の海への放出です。東電は「健康には影響はない」、原子力安全・保安院は「大きな危険を回避するため」としています。
この傾向から考えると、深刻、危険、はたまた避難、退去、そして手立てがないと決断されないとは言えないのでしょうか。
じゅうぶんな説明もないまま、政府は「冷静な対応」をと求めるだけです。これでは、火に水ではなく油を注いでいるだけです。
「値上げは ぜんぜん考えぬ」に始まって、「なるべく値上げはさけたい」「値上げするかどうかは検討中である」と、歌詞がしだいに変わっていきます。
そして、「値上げの時期は考えたい」「近く 値上げもやむを得ぬ」へと変わり、ついに「値上げにふみきろう」と決断が下されます。
作詞は有馬敲(たかし)さんです。
東京電力福島第一原子力発電所の事故に対する政府、経済産業省の原子力安全・保安院、東京電力の記者会見、さらに原発関連の学者などの予測を聞いていると、『値上げ』の歌詞を思い出してしまいます。
政府、原子力安全・保安院、そして東電からの発表、学者などの話、いずれにも説得力が感じられません。
機械的な言葉遣いや語り方、話す本人のうつろな表情、ぞんざいな態度など、さまざまな要因が重なっていると思います。
当初は、あまり影響がないという話から、しだいに緊迫感が増し、事態は変化してきました。
先日は、福島第一原子力発電所の周辺の海水から、法律で定められた基準値の4385倍に当たる放射性のヨウ素131や高濃度の放射性ヨウ素が検出されました。
ところが、それでも原子力安全・保安院は、「半径20キロの範囲は避難指示が出され、漁業は行われていないうえ、今後、海流で拡散するため、海産物を通して人が摂取するまでに相当薄まると考えられる」と、無表情で発表していました。
これ、一般的な物言いでは、「海水で薄まるから問題ないよ」と解釈できます。
ところが、ついに、福島第一原子力発電所から放射性物質を含む汚染水の海への放出です。東電は「健康には影響はない」、原子力安全・保安院は「大きな危険を回避するため」としています。
この傾向から考えると、深刻、危険、はたまた避難、退去、そして手立てがないと決断されないとは言えないのでしょうか。
じゅうぶんな説明もないまま、政府は「冷静な対応」をと求めるだけです。これでは、火に水ではなく油を注いでいるだけです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます