明日からしばし福岡に出張。
会議やイベントに参加し、戻りは20日。
楽しみでもあり、大事な会議、イベントなので、気合いも入る。
、、、
前回の戒めと絡めて。
今、「先生」と呼ばれる職業が危ないと思う。
学校はその最たるもの、他にも医者、政治家、弁護士や会計士、、、等々。
、、、
珍しい職業だと思う。
支えられている人、もっと露骨に言うと、報酬の源泉を提供してくれる人
たちから「先生」と呼ばれ、そして時には、その人たちを怒鳴ったりもする。
そして先生と呼ばれる人は、すべからくその人たちに対して結構な権限も持つ。
法律を決めたり、評価したり、治療方針を決めたり、、、
学校の先生は学生、政治家は有権者、医者は患者さん、に対して。
ホントに奇特な職業だと思う。
、、、
反面、危ない職業だと思いません?
いや、責任が重すぎる職業だと思いません?
、、、
いやいや、本来、やりがいのある職業だと思いません?
だって、お金をもらって「ありがとう」って言われる職業だから。
(何も悪いことしてないのに、つい「すみません」と言ってしまうことも
あるが)
、、、
小生は、学校が専門なので学校のことしか具体的にはわからないが、先生
と呼ばれる何ともいえない心地よさ。
(女子学生たちから「せーんせー」なんて笑顔で言われたら悪い気をする
人はいないだろう。大体こういう場合は、何か結構面倒なことを頼まれたりす
るから要注意だが。)
、、、
小生、学校はサービス業だと考えている。
経済学や経営学を専攻したから尚更そう思う。
ややこのブログのタッチと違ってクールになるが、経済の原則は、消費者が
支払った対価に見合う物やサービスを提供すること。
そしてそこに競争原理が働くと、他者(競争者)と競い合い、より付加価値の
高い物やサービスを提供する。
そう、これが資本主義社会である以上、絶対の原則。逃れられない原則。
そして競争によって、その質が高まり、サービスが発展する(はず、と教科書
には書いてあった、と思う)。
、、、
でもどんな企業も国も、学校も結局は「人」が運営するもの。
先生と呼ばれる人がいる業界(?)は、これ(経済原理)とは違う論理が働い
てきたと思う。
教育は公益性が強いから、ここら辺が難しいところだが。
、、、
でも、いよいよ日本も国立大学が独立行政法人になる時代。
そしてアメリカでは声高に学校のマネジメントやマーケティング、サービスの
必要性、重要性が叫ばれる時代。
もちろん、学生に迎合するということとは本質的に次元が違う。
、、、
以下、感動した本から。
「先生というのはね、自分の受け持っている子供の個性をどうして出して
やるか、この才能をどうして引き出してやるかということが商売なんだ」
(20ページ)、
「子供の才能にふたをする一番良い方法、、、『だめだ』という気持ちを
しっかり植えつける」こと(26ページ)、
「われわれは何回も感動を受けては、心の中の火を大きくして、感動を受け
るたんびに心を変えて、人間を変えていく、そういうことの繰り返しによって、
何か知らんが、その人間の持っておる力が出るのじゃないだろうか。潜んでいる
力が出るのじゃないだろうか。若き日に大きな感動を受けた者は、私は幸せに
なるかなと思う。」(77ページ)
椋鳩十『感動は心の扉をひらく -しらくも君の運命を変えたものは?-』
あすなろ書房、より。
(注:小生アマゾンのアフィリエイトなどはやってません。笑)
、、、
「すみません」、「ごめんなさい」ではなく、「ありがとう」と呼ばれる先生や
職員が溢れる学校にしたい。
いや「先生、超感動した。目からウロコ。一生の財産になったよ。ありがとう。」
例えばこんなことを言われる学校に。
どうせやるなら、そんな学校に。
常に謙虚に。そして自戒しよう。
会議やイベントに参加し、戻りは20日。
楽しみでもあり、大事な会議、イベントなので、気合いも入る。
、、、
前回の戒めと絡めて。
今、「先生」と呼ばれる職業が危ないと思う。
学校はその最たるもの、他にも医者、政治家、弁護士や会計士、、、等々。
、、、
珍しい職業だと思う。
支えられている人、もっと露骨に言うと、報酬の源泉を提供してくれる人
たちから「先生」と呼ばれ、そして時には、その人たちを怒鳴ったりもする。
そして先生と呼ばれる人は、すべからくその人たちに対して結構な権限も持つ。
法律を決めたり、評価したり、治療方針を決めたり、、、
学校の先生は学生、政治家は有権者、医者は患者さん、に対して。
ホントに奇特な職業だと思う。
、、、
反面、危ない職業だと思いません?
いや、責任が重すぎる職業だと思いません?
、、、
いやいや、本来、やりがいのある職業だと思いません?
だって、お金をもらって「ありがとう」って言われる職業だから。
(何も悪いことしてないのに、つい「すみません」と言ってしまうことも
あるが)
、、、
小生は、学校が専門なので学校のことしか具体的にはわからないが、先生
と呼ばれる何ともいえない心地よさ。
(女子学生たちから「せーんせー」なんて笑顔で言われたら悪い気をする
人はいないだろう。大体こういう場合は、何か結構面倒なことを頼まれたりす
るから要注意だが。)
、、、
小生、学校はサービス業だと考えている。
経済学や経営学を専攻したから尚更そう思う。
ややこのブログのタッチと違ってクールになるが、経済の原則は、消費者が
支払った対価に見合う物やサービスを提供すること。
そしてそこに競争原理が働くと、他者(競争者)と競い合い、より付加価値の
高い物やサービスを提供する。
そう、これが資本主義社会である以上、絶対の原則。逃れられない原則。
そして競争によって、その質が高まり、サービスが発展する(はず、と教科書
には書いてあった、と思う)。
、、、
でもどんな企業も国も、学校も結局は「人」が運営するもの。
先生と呼ばれる人がいる業界(?)は、これ(経済原理)とは違う論理が働い
てきたと思う。
教育は公益性が強いから、ここら辺が難しいところだが。
、、、
でも、いよいよ日本も国立大学が独立行政法人になる時代。
そしてアメリカでは声高に学校のマネジメントやマーケティング、サービスの
必要性、重要性が叫ばれる時代。
もちろん、学生に迎合するということとは本質的に次元が違う。
、、、
以下、感動した本から。
「先生というのはね、自分の受け持っている子供の個性をどうして出して
やるか、この才能をどうして引き出してやるかということが商売なんだ」
(20ページ)、
「子供の才能にふたをする一番良い方法、、、『だめだ』という気持ちを
しっかり植えつける」こと(26ページ)、
「われわれは何回も感動を受けては、心の中の火を大きくして、感動を受け
るたんびに心を変えて、人間を変えていく、そういうことの繰り返しによって、
何か知らんが、その人間の持っておる力が出るのじゃないだろうか。潜んでいる
力が出るのじゃないだろうか。若き日に大きな感動を受けた者は、私は幸せに
なるかなと思う。」(77ページ)
椋鳩十『感動は心の扉をひらく -しらくも君の運命を変えたものは?-』
あすなろ書房、より。
(注:小生アマゾンのアフィリエイトなどはやってません。笑)
、、、
「すみません」、「ごめんなさい」ではなく、「ありがとう」と呼ばれる先生や
職員が溢れる学校にしたい。
いや「先生、超感動した。目からウロコ。一生の財産になったよ。ありがとう。」
例えばこんなことを言われる学校に。
どうせやるなら、そんな学校に。
常に謙虚に。そして自戒しよう。
当たり前のように思っていた。
しかし、退職後も教え子たちに会うと「先生」と呼ばれる。
今でも(退職したのに)「先生」と呼ばれるほど彼たちに善い教えをしたであろうかと自分に問いかけながら、照れくさい思いもする。多分、「昔、先生だった人」を略して「先生」と読んでくれているのだろう。
今では教え子たちのがんばる姿に学ぶことが多い。
卒業後も教え子たちに「先生」と呼ばれ、「どうした?」と、胸を張って返事できるような素敵な「先生」に・・・そして、そのような「先生」を育ててほしい!教育に願う私の思いです。