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「ボクセルポリゴンな日々」 - UnityでMakersとVRをつなぐ挑戦 -

Unityプログラムで3DCGアセットデータをVRや3Dプリンターで利用可能にする最新技術や関連最新情報を紹介します。

「MMDアバンドール」の立体出力物を直接頒布しないようにお願いします。

2012年12月14日 21時51分16秒 | MMDアバンドール
あにまさ式弱音ハクさんの立体出力作業の端緒についたばかりの状況ですが、
動画のコメントにちょっと気になる事が書かれていたので、ブログで改めて意志表明しておきます。

MMDアバンドール・プロジェクトは、基本的にMMDモデルデータから立体出力までのプロセスを研究し立体物を試作する事を目的としています。
そもそも出来上がるものが試作物クォリティである以上、あるいは使用する3Dプリンターの性能が市販品の立体模型のクォリティに肉薄することが出来ない現状である以上、
出力された物を頒布しようとすると必ずクレームが来ます。

「これは試作品なのです。」

と理解した人の間だとやり取りする事は可能かもしれませんが、世の中の大部分の人間は3Dプリンターによる出力品が色々と残念な品質である事を知りません。

このような情報の未伝達による無用のトラブルを避けるため、

「MMDアバンドール」プロジェクトで作られる全ての立体出力品については頒布しない事を強く推奨します。

頒布については有償であれ無償であれ現状ではお薦め出来ません。ここで作られる物は商品ではなく、商品に近くても商品になれない欠点を数々持っています。


それでは「MMDアバンドール」プロジェクトで作られる立体出力品を入手するにはどうすればよいでしょうか?

それには今後各種アップローダで公開される「立体出力可能な形式に変換された形状データファイル」をダウンロードした上で、
以下の方法により立体出力品を入手します。

(1) もし3Dプリンターを所有している方がいらっしゃるなら3Dプリンターにより直接出力します。

(2) 3Dプリンターを持っていない方は、
  立体出力可能な3DCGデータを受け取り立体出力品を出力するサービスを行なう会社があります。
  そこに依頼して最終出力品を手に入れて下さい。

もし少しでも高品質な立体出力物を手に入れたい場合は(2)の方法をお勧めします。
但し出力コスト代は相応にかかりますが、手間が大幅に省ける上に自分の作業場を汚したり環境に悪い薬品を使わなくても良くなります。

よって「MMDアバンドール」プロジェクトによって作成される立体出力可能な3DCGデータファイルは、
MMDモデルデータと同じくクリエイティブコモンズ「表示-非営利-継承」を宣言して皆が共有できる形にする事を推奨します。


このプロジェクトはまだ始まったばかりであり、出来上がった立体出力品も模型としての評価は微妙です。
今後出力可能なデータが増えてくれば、あるいは出力を望む人が出てくるかも知れませんが、
今のところはまだ予測の域を出ません。



最後にもう一度。
「MMDアバンドール」はクリエイティブコモンズ「表示-非営利-継承」を宣言して運用されるため、一切の営利使用は認めないこととします。
すなわちMMDアバンドールとして作成された形状モデルデータの一部もしくは全部を利用して商業作品に加えたり、或いは立体出力物を一般商業流通に乗せて販売する事を禁止します。



以上、宜しくご承知置きの程お願い致します。

「立体出力可能な形状モデルに作り変え(その1)」 水も漏らさぬ良いモデルデータとは?

2012年12月14日 14時01分19秒 | 立体出力(技術およびサービス)
あにまさ式弱音ハクさんモデルに手を入れる前に、「どうやったら立体出力可能な形状モデルに作り変えれるんだ?」という疑問が読者諸兄の皆さんにはあると思います。
本日は「作り変え」における最低限知っておくべきロジックについて説明していきます。


まずは単純な箱型、いわゆるキューブと言う奴ですが、この形状はそのまま立体出力できます。



これについて不思議に思う人はあまりいないと思います。理由は誰が見てもシンプルな形状だからです。

しかし箱型では人形はおろかハクさんにすら見えません。グラフィグを作るにしてももうちょっと複雑です。
そこで、キューブに切り欠きを作ってみます。



切り欠きを作ると中身が見えてしまいます。

上の画像では両面描画で中が見えているようにしています。これからこの中を水で満たすためです。
左のキューブには水を入れる所がないですが、どこかに穴をあけてちょろちょろとゆっくり水を入れたと仮定して下さい。
すると当然こうなります。



切り欠きを作った方は、切り下記から上は水が漏れて水を入れられなくなります。

実は立体出力もこの原理が働いているのです。

3DCGが形を表現するためには「ポリゴン」という小さな面を組み合わせていることは恐らくご存知のことと思います。
このポリゴンは現実世界では厚みを持ちません。服や紙の場合、非常に薄いですが厚みを持っています。
ポリゴンで厚みを表現するためにはポリゴン同士を組み合わせて外部とは切り離された空間=「閉空間」を作ってやる必要があるのです。

よって先ほどの切り欠きモデルは、切り欠き部分にポリゴンを設定してやることで内部に水を蓄えられ、無事立体出力が可能になります。





しかし、似たような形状でも以下のモデルデータの場合はどうでしょうか?



これは実は立体出力可能です。
一件これは内部と外部がつながっているように見えますが、中の空間は外部に繋がっているものの中のキューブにより「厚み」が設定されています。
このように入れ子構造にすると中空にすることができます。このテクニックは立体出力において出来上がる物体の重さを軽くするために使われます。

但し折角入れ子構造にしても、外のキューブと仲のキューブの間をポリゴンでつないで蓋をしないと、やはり水がダダ漏れで立体出力できない形状になってしまいます。





・・・・・・・・・・

ここまでは立体出力向きに形状モデルを作る基礎的な説明だったのですが、実際のMMDで使われている形状データの場合だとどうでしょう。

以下のモデルデータはv1β公開時点の自作ミクの服とスカートの形状データです。



このように裏から見るとすっかすかになっていました。
何故こうしていたのかと言うと、MMDの機能によって「エッジ太さ」を1以上に設定していると自動的に裏側のポリゴンを発生させて上の様なスカスカな部分を隠してくれるからです。

しかしこの状態では服にもスカートにも厚みが存在しません。当然ながら立体出力不可能な形状と判定されてしまいます。
そこでRev1.0からは以下のようなモデルに変更されています。



このように裏側にもポリゴンが設定され、服やスカートに厚みを持たせています。

但し一意的に厚みを持たせただけでは立体出力する際のサイズによっては3Dプリンターの出力限界を超える薄さになったり出力後に壊れたりする場合があるので、
裏地のポリゴンは表面とは別のマテリアルを設定して、立体出力前にマテリアル単位でポリゴンを選択して縮尺をかけ厚みを変更できるようにしています。

上記はちょっと難しいTipsですが、このように厚みを持たせることで服などのパーツも立体出力可能になります。


次回は上記の要領でハクさんモデルを改造していきます。(^^)

PMDファイルをメタセコイア上に読み込む。

2012年12月13日 11時25分12秒 | MMDアバンドール
今日はMMDアバンドールを作成する上で欠かせない「データ変換」の手順について説明します。
MMDのモデルデータ(PMDファイル)を立体出力可能な形状データファイルに変換するのは最初の関門ではありますが、変換自体はそれほど難しい問題ではありません。

まずは下準備です。
MMDモデルデータ作成に欠かせない「PMDEditor」を起動し、そこに変換する予定のMMDモデルデータを読み込みます。
下の例ではMMD標準添付のあにまさ式弱音ハクさんを読み込んでいます。(あにまささんに了解を得て掲載させて頂いてます)



このままではハクさんはAスタンス(読み込んだ直後の基本姿勢)を取ったままですので、以下の操作でポーズ変形が可能な状態にします。

(1) PMDEditorの「PMDView」を表示する。(PMDEditor起動直後の場合PMDViewは画面に表示されています)
(2) PMDViewウィンドウ内のトップメニュー「表示(V)」を選択し、そのメニューの一番下にある「モデルの変形確認(T)」を選択します。
(3) すると新たにTransformViewウィンドウが開き、ハクさんのポーズを変える事が出来ます。

このTransformViewを使ってハクさんに好きなポーズを取らせてみましょう。
今回は出力後のバランスと指などの細かい部分を足にくっつけて強度を保たせるため、以下のようなポーズにしました。



ここまで出来ればTransformViewウィンドウにある「ファイル(F)」メニューから「現在の形状で保存(S)」すればこのポーズのままファイルに保存されます。
即ち次回このファイルを読み込む時はAスタンスではなく上のポーズになったまま読み込まれます。

※ この保存を行なう前に、PMX編集ウィンドウ内のトップメニュー「情報(I)」を選択し、
  その中の「PMD編集へ切り替え(X)」を選択してPMDEditorをPMD編集状態に切り替えて下さい。
  これをやらないと上の「現在の形状で保存」を選択したらPMXファイルとして保存されてしまいます。


これでポーズが固定されたPMDファイルを作る事が出来ました。今度はこれをMetasequoiaで読み込みます。

以下ではMetasequoiaというシェアウェアの3DCGモデリングツールを使用します。
フリー版のMetasequoiaLEも存在しますが、ここからはシェアウェア版でしか利用できないプラグインを使用しますのでご注意ください。

Metasequoiaを使ってMMDモデルデータ(PMDファイル)を読み込むには、sio29様が開発しご提供されているプラグイン「pmdimpMQ」を使用します。
このプラグインをMetasequoiaに登録すれば、メタセコイアの「開く(O)」メニューでMMDモデルデータ(PMDファイル)が選択できるようになります。
そこでPMDファイルを選択すると以下のような画面になります。



Metasequoiaのウィンドウ内には以下のダイアログが表示されます。



このように沢山のチェックボックスがありますが、以降の編集ではポーズ固定のままモデルを編集するため上記2つのチェックボックスを残して後は全部解除します。
すると、Metasequoiaの画面にハクさんが表示されます。



これでハクさんをポーズ付けしたモデルのポリゴン編集が可能な状態になりました。

ここから先の作業も今後画像付きで説明していきます。(^^)


追記:

・タイトルがしっくりこなかったので「PMDファイルをメタセコイア上に読み込む。」に変更。(^^;)
・メタセコイアと塩肉亭のリンクを追加。(入れ忘れてました。(汗))

3Dプリンターは今・・・。「OMOTE 3D Shasinkan」でのZPrinterの活躍。

2012年12月12日 16時52分14秒 | 立体出力(技術およびサービス)
本日2発目の記事です。

お世話になっている立体出力サービス会社のアイジェットさんから「最近期間限定でこんなサービス始めてます」と教えられたのが表題の「OMOTE 3D Shasinkan」。
表参道の目抜き通りにあるブランドショップひしめくビルの3階で、以下のような展示が展開されていました。



中に入ると、実際の人物を撮影して出来たフィギュアがお出迎えしてくれます。





実際の人物モデルは高さが15cm20cm程度ですが、細部にわたり実によく出来ています。(注:サイズは20cmだそうです。修正しました。)





この自画像ならぬ自フィギュアを作ってもらって喜んでらっしゃる記者さんが書いた記事が以下のサイトに上がっています。

「3D写真館」で制作したフィギュアが届いたッ! 自分にそっくりすぎて自慢したいレベル(ロケットニュース24)

今回「【MMD→立体出力】MMDアバンドール・俺の嫁を画面から取り出すには。」でご紹介しましたミクさんフィギュアモデルも同じ機械を用いて立体化した物です。


もはや夢は現実に近づきつつあります。(^^)


追記:

株式会社アイジェットさんのブログで、OMOTE 3D Shasinkanの立体出力物を詳細にみる事が出来ます。
OMOTE 3D 写真館が大盛況!(3D造形屋 アイジェットの社長ブログ)

自己紹介と言う名のプチ自叙伝。(汗)

2012年12月12日 14時24分59秒 | 日記
このブログを開設したのは1年半と少し前のことになります。

当初の開設目的はWeb上で3DCGモデルを表示する実験サイトの技術公開が目的だったのですが、
その後独自開発のWeb3DCGモジュールがこのブログ上で公開できない事が分かり、しばらく放置状態でした。
しかし時々3DCG関係の情報の備忘録として書き込んでたりしました。
例えば:「PC版3DCGヒストリー(1990年代~95年~2000年)」。
これは昨年電車の中からツイートした文章をまとめた物だったりします。(^^;)

ところが「MMDアバンドール速報」ブログとして復活させた訳ですが、
筆者プロフィールなどを全く載せていなかったため、今回は自己紹介をさせて頂きます。



生年は1963年、すなわち昭和38年。
ということで来年遂に齢50となります。(汗)

大阪府大阪市で生を受け、小・中・高と大阪市立の学校に通いました。
高校は大阪府枚方市にある「大阪市立高校」の出身です。
大阪市立の癖に大阪府枚方市にある変な学校なのですが、同校のみ「大阪市旭区」の飛び地になってました。
大学は大阪工業大学電子工学科に進学。これも大阪市旭区にあり、結局私は学校に関しては大阪市旭区内に収まってました。(汗)

小学校2年の時に1970年大阪万博が直撃し、人生の屋台骨を揺るがす強烈な体験をしました。
この時「コンピュータを勉強しなければ」という思いが既に芽生えており、電子音楽に心を奪われました。



小学校時代にはんだごての使い方を覚えて鉱石ラジオを作ったのがきっかけとなって、
大学では電子工学科を専攻しました。
当時大流行だったシンセサイザーを自作したいという目的で電子の道に分け入ったのですが、その思いは1年目で変貌します。
「コンピュータグラフィックス」を知ってしまったからです。
ある日大学内で経営工学科の先生が「CGの勉強会やるので興味のある学生は集まって下さい」という掲示をしていたがきっかけで、その先生の下で大学時代CGの自主研究をやってきました。
最初は8ビットPCにXYプロッターをつないで絵を描かせる所から始まり、
メインフレームコンピューターの夜間利用に参加したり研究室に眠っていたベクタースキャン端末を使って絵を描かせたり、当時最新鋭の16ビットPCを利用したり、CADCAMシステムのマニュアルを借りて勉強したりと凄く充実した学生生活を送りました。

そして当時一緒に活動していたメンバーと8ビットPC(カシオFP-1100)用の拡張グラフィックカードを自作し、
256×192解像度のモノクロ画像38枚をストアしてリアルタイム表示させるCGアニメーションシステムの開発をやったりしました。
その時の試行錯誤が後の人生に大いに役立ちました。

それらを経て卒業研究は「ソフトウェア研究室」という電子工学科の中でも異色な研究室に入りました。
なぜかというと当時最新鋭だったワークステーション(PCの親玉みたいなコンピュータ)である「Sun-3」を学内で初めて導入したので一も二もなくその研究室に入ったのです。
Sun-3上ではyaccとlexという言語プロセッサ生成ツールの使い方について学び、その傍らCGの研究会でアイデアを温めていた「3DCG人体モデルの構築」に挑みました。
その成果が以下の画像です。



これを作ったのは1986年。当時唯一のCG専門誌「PIXEL」に掲載されたのは1987年2月号でした。
あろうことかこれがPCで作ったポリゴンベースの少女型人体モデルの第1号となったのです。
(メタボールによる人体モデルは同時期既に作られていましたが、PC上でポリゴンベースはこれが唯一でした)

この専門誌掲載が大学に認められて、卒業前に学長表彰を受けました。(汗)



大学を卒業後は東京の大電機会社T社系の関西子会社に入社しCAD部門に配属されるべく東京で研修を受けていましたが、大阪に帰ってほどなくして大阪の大電器会社M社が3DCG関係の人材を募集する旨の広告を出している事を知り、
大学の先生にその話をしたらトントン拍子で入社が決まってそれまでの会社を8カ月で去る事になりました。(汗)

そしてM社内の最先端研究を扱う「無線研究所」に入り、当時各社が開発を競っていた「3DCG並列処理コンピュータ」の開発に加わりました。

1980年代終盤はPCがようやく16ビットに移行し始めた頃であり、まだ現在のPCの100分の1に満たない演算性能しかなかったのです。
そんな中で3DCGのような計算に時間がかかる処理を行なうためには複数のマイクロコンピュータを並列に動かして処理速度を稼ぐ方法が主流でした。
その嚆矢を放ったのが当時大阪大学助教授だった大村皓一先生でした。後に大学の研究室の担当教官が大村先生の直系の弟子だった事を知りました。(汗)

こうして仕事でどっぷり3DCGにはまる傍ら、大学の卒業研究で開発したプログラムをベースにして自宅でもソフトウェア開発を続けていました。
1987年、日本のPCの常識を変えたパソコン「X68000」が発売されたのです。
この当時はPCの同時発色数は16色が最大で色数も4096色中からしか選べなかったのですが、X68000は最初から65535色を選択可能でした。
そしてパソコン単体で低解像度ながらCGアニメーションの再生が出来る能力を有しており、まさに当時願ったりかなったりのPCでした。
それまでPC-9801ベースで開発してきたプログラムをX68000に移植して自主開発を続行したのです。

これに加えて1987年にはX68000をベースにして3DCGアニメーションの普及を推進する団体DoGAも発足し、その立ち上げに加わりました。
(DoGAさんはもちろん今も活動を続けてらっしゃいます。)



そして1990年代を経過した頃、PCは16ビットから32ビットへの移行を始めます。

CPUがMC68000ベースだったために性能の伸びがおもわしくなかったX68000を見限ったのは1993年。当時は国産PC(=PC-9801)全盛期でしたが、既にその互換機を作れなかったメーカーが中心となって「DOS/V」というアメリカIBM社のPC-ATをベースにした「AT互換機」を日本国内で利用できるようにしたPCが徐々に市中に出回り始めた頃でした。
その頃にインテル486DXというCPUを搭載してフルカラー1670万色同時発色可能なSVGAカードを搭載したPCを購入し、X68000で開発した資産を全てPCに移行しました。

その資産を元にAT互換機・PC-9801・FM-TOWNS上で利用できる3DCGツールを開発しフリーウェアとして配布しました。
それが会社を退社して独立事務所を構えるきっかけになったのです。

1994年Windows95の発売を前に前の会社を辞め、大阪で開催されたマルチメディアPC関係のイベントの運営委員を務めました。

その後個人事務所「トイメディアデザイン」を開設し、3DCGアプリケーション開発を中心とした業務を行ないながら現在に至ります。



独立後はWindowsを中心としたシステム開発をこなすかたわら、かつてのPG専門誌「Cマガジン」や各種PC雑誌に3DCG系のテクニカルライターとしても活動していました。
近年は2008年に「ダンジョンゲーム・プログラミング」という本も執筆しています。(ソフトバンク社刊)

参考リンク(流石にもう流通在庫は無いようです)→ 「ダンジョンゲーム・プログラミング」(amazonへのリンク)


3DCGから立体出力の試みは2007年頃から開始しており、既に以下の鉄道模型車両モデルをZPrinterで試作していました。(2007年10月29日撮影)



この電車ヘッドは後に後半の車体が作られて完全な車体となり、
2008年10月21日発売の株式会社ホビージャパン刊「トレインモデリングマニュアル02」中で紹介記事が掲載されています。



その後床下機器も作成しましたが、まだ全部は立体出力するには至っていません。
画像は同じ車体を製造当初のデザインに復元した物と並べてレンダリングしています。(vidro使用)





以上、気がつけば今の事務所で18年、社会人になって24年程、大学時代を入れると30年も3DCGについて活動してきている事になります。

今はMMD(MikuMikuDance)の面白さにどっぷりはまっています。

こんな筆者ですが、今後ともよろしくお付き合いの程を。(^^)