「ボクセルポリゴンな日々」 - UnityでMakersとVRをつなぐ挑戦 -

Unityプログラムで3DCGアセットデータをVRや3Dプリンターで利用可能にする最新技術や関連最新情報を紹介します。

【ブログ】タイトルの小変更につきまして。

2013年01月09日 10時54分37秒 | 日記




本日から日記のタイトルを少し変更してみました。

最近というほどでもないですが、ここしばらくはMakersムーブメントがじわじわ認知されてきています。

ニコニコ動画を視聴されている皆さんは「ニコニコ技術部」というタグがある事を御存じの方が少なからずいらっしゃるのではないかと思いますが、そこに代表されるように「手作りと持ち前の技術&アイデアで世の中を少し驚かせるものづくりをしようよ。」が合言葉のアメリカを中心に活動している団体です。昨年出版されたクリス・アンダーソン氏著の「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」(NHK出版刊)では単に趣味のものづくりだけでなく社会の産業構造をも変革する力になる可能性が示唆されています。

その本の中でも注目されているのが「3Dプリンターによるものづくり」です。
抜粋された本の内容を見ると、3Dプリンターによる多品種少量生産が産業を変えうる力になっていくとの事が書かれているそうです。

また、私が現在読んでいる「Fablifeデジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」」(田中浩也著、オライリー・ジャパン刊)では、最終的に3Dプリンターが自己を含むあらゆるものを生産する世界の実現を”Fablab 4.0”と定義する未来ビジョン「ファブラボの進化構想」が語られています。

これらはあくまで予測であり、現状の工作機械としての3Dプリンターを鑑みると荒唐無稽だと決めつける論調もあります。しかしそれでは夢や理想が無さ過ぎます。それは「ロボットが日常生活に入り込むなど夢のまた夢」と大企業関係者が一笑に付していた数年前の認識と同じです。今ではルンバを始めとする全自動掃除ロボットが普及し電器店の家電コーナーで売られるに至っています。

いつの時代も問題になるのは新技術に対する無理解、というより既存の技術や枠組みを壊されたくないという恐怖心から来る「拒絶」です。

後ろ向きな考え方は何の問題も解決しません。それよりもこんなに発展途上で魅力的な装置が出揃ってきた訳ですから、これを使わない手はありません。


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MMDアバンドールは3Dプリンターを趣味の方向で使い倒す事に意義を見出しています。3Dプリンターを使って自分だけの人形~ボーカロイドやその他魅力的なキャラクターモデルを立体化し保有する事は何と言っても楽しいし、それ自体がオンリーワンの映像ネタになります。

または「作った」「持てた」という情報を公開し共有する事によって新たな人同士のつながりを生む事が出来ます。従来ならば模型を作るためには指先の器用さや細かい工作作業を長時間続けるバイタリティと根気、そして揮発性材料を扱える場所が必要でしたが、3D立体出力サービスを利用して立体物を作成する分にはそれらを一切考えなくて済みます。3Dプリンターを使った場合でも従来の工作よりは環境負荷を減らす事が出来ます。(塗装を行なう場合は別ですが)

しかしこの方向性は、上記で紹介したMakersやFablabの追及する未来や現在行われている活動と合致します。
要するに既に同じ活動を行なっている先人達が存在するのです。ただ私の場合、少しだけ自分の欲望である「MMDのキャラクター達を立体化してみたい」に沿った活動をしている事になります。


しかしながらそれ以上に意義があると思う事は、「モデリング能力のあるなしにかかわらず3Dプリンターで出力可能な3DCGデータを増やす事により様々な人が恩恵を与えられる世界が来る」事であると考えています。

最初は誰でも3DCGでモデルを作る能力を持ってる訳ではありませんが、たまたま自分が扱える3DCGモデルデータが手近にあり、それをもっと自分の好みのものにしたかったからという理由で3DCGモデルに手をわえるための知識としてモデリングと言う行為に手を染めて行くのです。

だから3DCGモデルが手近にあり、3DCGモデルを映像制作や3Dプリンターでの立体出力によって生活が豊かになる事を感じられるという社会の実現が重要なのです。そのモデルデータが自分でも作る事が出来ると知った時に新しいクリエイティブライフが始まるのです。

その活きた実例としてMikuMikuDance(MMD)という3DCGデータ利用環境(映像制作ツール)があります。MMDでは利用される3DCGデータを公開配布することにより3DCGデータを多くの人間にとって身近なものにしてきました。それを改造して映像に利用したり再配布する事により、驚くほどの短期間で世界を席巻する映像用の膨大な3DCGデータベースが構築され、今や日本だけでなく世界中のMMDer(=MikuMikuDance愛好家)さんが利用しているのです。

私はこれを3DCGデータ利用環境の成功例であると捉えています。


こうした経緯を踏まえ、MMDアバンドールではさらに以下の事を考えています。


「ネットに対してモデリングリソースを供給したデザイナーさんやモデラーさんにも恩恵のある世界を作らなければ、3DCGデータによるエコワールドは成り立たない。」


これに対するアイデアや試みを実現し、発表していきたいと思っています。皆と共有できるデータを提供して下さったクリエイターさん達が提供したままで終わってしまうのは残念な事だと思います。
彼等の貴重な活動を支持し支援する意思を伝える手段を用意していかなければ、データリソースは枯渇する運命をたどる事になります。

そのために3Dプリンターによる立体出力が重要なのです。
立体出力する事でデータ作家さんやデザイナーさんを応援する仕組みが実現できるからです。

その実現方法につきましては今後本ブログで筆者の考案した方法や実践状況についてをご報告していきたいと考えています。


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長くなりましたが、
以上の理由で筆者は3Dプリンターに関連するMakersの活動やFablab活動を応援していきたいと考えています。それがこれからのものづくりの未来だと確信するからです。

その活動を支える一端として、「MMDアバンドール」があることをどうかご理解頂きたく思います。

どうか今後とも本ブログを宜しくお願い致します。

自己紹介と言う名のプチ自叙伝。(汗)

2012年12月12日 14時24分59秒 | 日記
このブログを開設したのは1年半と少し前のことになります。

当初の開設目的はWeb上で3DCGモデルを表示する実験サイトの技術公開が目的だったのですが、
その後独自開発のWeb3DCGモジュールがこのブログ上で公開できない事が分かり、しばらく放置状態でした。
しかし時々3DCG関係の情報の備忘録として書き込んでたりしました。
例えば:「PC版3DCGヒストリー(1990年代~95年~2000年)」。
これは昨年電車の中からツイートした文章をまとめた物だったりします。(^^;)

ところが「MMDアバンドール速報」ブログとして復活させた訳ですが、
筆者プロフィールなどを全く載せていなかったため、今回は自己紹介をさせて頂きます。



生年は1963年、すなわち昭和38年。
ということで来年遂に齢50となります。(汗)

大阪府大阪市で生を受け、小・中・高と大阪市立の学校に通いました。
高校は大阪府枚方市にある「大阪市立高校」の出身です。
大阪市立の癖に大阪府枚方市にある変な学校なのですが、同校のみ「大阪市旭区」の飛び地になってました。
大学は大阪工業大学電子工学科に進学。これも大阪市旭区にあり、結局私は学校に関しては大阪市旭区内に収まってました。(汗)

小学校2年の時に1970年大阪万博が直撃し、人生の屋台骨を揺るがす強烈な体験をしました。
この時「コンピュータを勉強しなければ」という思いが既に芽生えており、電子音楽に心を奪われました。



小学校時代にはんだごての使い方を覚えて鉱石ラジオを作ったのがきっかけとなって、
大学では電子工学科を専攻しました。
当時大流行だったシンセサイザーを自作したいという目的で電子の道に分け入ったのですが、その思いは1年目で変貌します。
「コンピュータグラフィックス」を知ってしまったからです。
ある日大学内で経営工学科の先生が「CGの勉強会やるので興味のある学生は集まって下さい」という掲示をしていたがきっかけで、その先生の下で大学時代CGの自主研究をやってきました。
最初は8ビットPCにXYプロッターをつないで絵を描かせる所から始まり、
メインフレームコンピューターの夜間利用に参加したり研究室に眠っていたベクタースキャン端末を使って絵を描かせたり、当時最新鋭の16ビットPCを利用したり、CADCAMシステムのマニュアルを借りて勉強したりと凄く充実した学生生活を送りました。

そして当時一緒に活動していたメンバーと8ビットPC(カシオFP-1100)用の拡張グラフィックカードを自作し、
256×192解像度のモノクロ画像38枚をストアしてリアルタイム表示させるCGアニメーションシステムの開発をやったりしました。
その時の試行錯誤が後の人生に大いに役立ちました。

それらを経て卒業研究は「ソフトウェア研究室」という電子工学科の中でも異色な研究室に入りました。
なぜかというと当時最新鋭だったワークステーション(PCの親玉みたいなコンピュータ)である「Sun-3」を学内で初めて導入したので一も二もなくその研究室に入ったのです。
Sun-3上ではyaccとlexという言語プロセッサ生成ツールの使い方について学び、その傍らCGの研究会でアイデアを温めていた「3DCG人体モデルの構築」に挑みました。
その成果が以下の画像です。



これを作ったのは1986年。当時唯一のCG専門誌「PIXEL」に掲載されたのは1987年2月号でした。
あろうことかこれがPCで作ったポリゴンベースの少女型人体モデルの第1号となったのです。
(メタボールによる人体モデルは同時期既に作られていましたが、PC上でポリゴンベースはこれが唯一でした)

この専門誌掲載が大学に認められて、卒業前に学長表彰を受けました。(汗)



大学を卒業後は東京の大電機会社T社系の関西子会社に入社しCAD部門に配属されるべく東京で研修を受けていましたが、大阪に帰ってほどなくして大阪の大電器会社M社が3DCG関係の人材を募集する旨の広告を出している事を知り、
大学の先生にその話をしたらトントン拍子で入社が決まってそれまでの会社を8カ月で去る事になりました。(汗)

そしてM社内の最先端研究を扱う「無線研究所」に入り、当時各社が開発を競っていた「3DCG並列処理コンピュータ」の開発に加わりました。

1980年代終盤はPCがようやく16ビットに移行し始めた頃であり、まだ現在のPCの100分の1に満たない演算性能しかなかったのです。
そんな中で3DCGのような計算に時間がかかる処理を行なうためには複数のマイクロコンピュータを並列に動かして処理速度を稼ぐ方法が主流でした。
その嚆矢を放ったのが当時大阪大学助教授だった大村皓一先生でした。後に大学の研究室の担当教官が大村先生の直系の弟子だった事を知りました。(汗)

こうして仕事でどっぷり3DCGにはまる傍ら、大学の卒業研究で開発したプログラムをベースにして自宅でもソフトウェア開発を続けていました。
1987年、日本のPCの常識を変えたパソコン「X68000」が発売されたのです。
この当時はPCの同時発色数は16色が最大で色数も4096色中からしか選べなかったのですが、X68000は最初から65535色を選択可能でした。
そしてパソコン単体で低解像度ながらCGアニメーションの再生が出来る能力を有しており、まさに当時願ったりかなったりのPCでした。
それまでPC-9801ベースで開発してきたプログラムをX68000に移植して自主開発を続行したのです。

これに加えて1987年にはX68000をベースにして3DCGアニメーションの普及を推進する団体DoGAも発足し、その立ち上げに加わりました。
(DoGAさんはもちろん今も活動を続けてらっしゃいます。)



そして1990年代を経過した頃、PCは16ビットから32ビットへの移行を始めます。

CPUがMC68000ベースだったために性能の伸びがおもわしくなかったX68000を見限ったのは1993年。当時は国産PC(=PC-9801)全盛期でしたが、既にその互換機を作れなかったメーカーが中心となって「DOS/V」というアメリカIBM社のPC-ATをベースにした「AT互換機」を日本国内で利用できるようにしたPCが徐々に市中に出回り始めた頃でした。
その頃にインテル486DXというCPUを搭載してフルカラー1670万色同時発色可能なSVGAカードを搭載したPCを購入し、X68000で開発した資産を全てPCに移行しました。

その資産を元にAT互換機・PC-9801・FM-TOWNS上で利用できる3DCGツールを開発しフリーウェアとして配布しました。
それが会社を退社して独立事務所を構えるきっかけになったのです。

1994年Windows95の発売を前に前の会社を辞め、大阪で開催されたマルチメディアPC関係のイベントの運営委員を務めました。

その後個人事務所「トイメディアデザイン」を開設し、3DCGアプリケーション開発を中心とした業務を行ないながら現在に至ります。



独立後はWindowsを中心としたシステム開発をこなすかたわら、かつてのPG専門誌「Cマガジン」や各種PC雑誌に3DCG系のテクニカルライターとしても活動していました。
近年は2008年に「ダンジョンゲーム・プログラミング」という本も執筆しています。(ソフトバンク社刊)

参考リンク(流石にもう流通在庫は無いようです)→ 「ダンジョンゲーム・プログラミング」(amazonへのリンク)


3DCGから立体出力の試みは2007年頃から開始しており、既に以下の鉄道模型車両モデルをZPrinterで試作していました。(2007年10月29日撮影)



この電車ヘッドは後に後半の車体が作られて完全な車体となり、
2008年10月21日発売の株式会社ホビージャパン刊「トレインモデリングマニュアル02」中で紹介記事が掲載されています。



その後床下機器も作成しましたが、まだ全部は立体出力するには至っていません。
画像は同じ車体を製造当初のデザインに復元した物と並べてレンダリングしています。(vidro使用)





以上、気がつけば今の事務所で18年、社会人になって24年程、大学時代を入れると30年も3DCGについて活動してきている事になります。

今はMMD(MikuMikuDance)の面白さにどっぷりはまっています。

こんな筆者ですが、今後ともよろしくお付き合いの程を。(^^)