島原半島の旅は続く……
まだまだ、南島原のランチは遠そうだ。
島原半島半島をぐるっと回って、
南島原を目指す。
1時間もすれば着きそう…
と心躍らせていると、
「あ、原城跡だ!寄ってみよう。」
と洋子ちゃん。
もちろん、運転手の言うことに異論なし。

初めてきた原城跡は、
綺麗な草原に囲まれた桜のある公園という感じで、
血なまぐさい歴史も、
ドロドロした怨念も、
一切感じない穏やかな場所だった。
(霊感も何もない私にとっては)
案内板を見ていると、
男性の方が近づいてきて、
この辺りのことを詳しく説明してくれた。
これは、やばいパターン……
私は歴史に興味がないが、
洋子ちゃんは大好き。
案の定、それから、
二人の“歴史発見の旅”は延々と続いた。

私は二人と離れて、
自分のペースで散策。
音9のテーマは「傾聴」だけれど、
興味にないことは、まあ許して頂こう。

天草四郎の銅像を発見。
天草四郎がここで亡くなったのは、
1638年4月12日(ウキペディア調べ)
娘の誕生日と同じ日だ。
それも15歳で……。
青年というより、
少年という感じの丸顔の銅像は、
故郷の天草を見つめているのだろうか。
海風で錆びた十字架。
「痛ましき 原の古城にきてみれば
ひともと咲けり 白百合の花 」
新村 出
という句が書かれてあったが、
今日は
痛ましき 原の古城にきてみれば
空も桜も 春爛漫
という感じかな。

死んだら天国に行くと信じて
戦ったキリシタンの方々の魂は、
きっと望み通り天国に行けたと思う。
そして今、
幸せな世の中になったことを、
天草四郎も亡くなった方々も喜んでいるだろう。

ただ、両軍が戦って、
たくさんの人がなくなったということなので、
中には、キリシタンを殺したくないけれど
仕方なく戦って自分も死んでしまった
という人もいるだろう。
その人たちは、どうしているのかな。
神を信じている無実の人を
殺さないといけない人の苦しみや悲しみは、
もしかすると殺された方より
深いのではないだろうか。
洋子ちゃんとガイドの方の所に
様子を伺いに行くと、
ちょうど霊が見えた女の子の話をしていた。
三つ子の子供の一人が、
この男性の後ろを指差して、
「このおじさんだあれ。」
って言うので、不思議に思って話を聞いてみたそうだ。
すると、お侍さんのような人が立っているらしい。
そして、そのご両親によると
その子は時々そうやって見える時があるのだとか……。

うちの娘もそう言っていたから、
案外嘘では無いと思う。
見える人にとっては、
見えないことの方が不思議らしい。
みんなに見えないから、
「ああ、この人は生きている人ではないんだ。」
と初めて気がつくくらいで、
ふつうにそこにいるように見えると言っていた。
足もあるらしい。
ただ、池の上に浮いていたら、
それはありえないから、
幽霊なんだと分かると言っていた。
友人の娘さんが小さい時に、
「ねえ、なんでよそのおばあちゃんが
うちの車の上に座ってるの?」
と言って、初めて霊が見えると
みんなが気がついたと言っていた。
それまで、空中を見て笑ったり、
突然泣き出したりしても、
お互いに見える世界が違っていたから、
そのことに気がつかなかったそうだ。

原城も120年ほど
キリシタンが復活することを恐れた幕府が
誰も入らないように閉鎖していたらしい。
そして、120年後にやってきたお坊さんが、
みんなの骨を拾い集めて塚をつくったそうだ。
敵も味方も同じ所に眠っている。
誰が置いたのかわからない3体の石像
天草の海を見ながら、
この世が天国になるように
祈っているように見えた。
天国も地獄も
私たち人間が作るのかもしれない。

そんなことを考えながらも、
容赦なくお腹はすく。
お弁当を美味しそうに食べている家族づれを
羨ましそうに眺めながら、
二人の話が終わるのを
首をながーーーくして、待っていた。
鶏の白石で600円の唐揚げを食べたのは
午後3時!!
それはそれは、感動もののおいしさ。
空腹は、最高のスパイス!

☘️3月26日(月)☘️
K47 青い手・黄色い太陽・音8
人癒し、和ませる「青い手」
小さいことにはこだわらない「黄色い太陽」
人間関係を大切にする「音8」
自分の力を過信しないで、
一歩退いてみる日。
周囲の人や何かに譲歩することで、
本当に人の役立つことに気がつく。
そうすれば、あなたの心はいっそう柔軟になる。
K45〜K48の4日間
十分に力を蓄える時。
じっくりと構え、自分と向き合う時間を持とう。
将来のために、知識・人徳を高め、
物質面も十分に準備しよう。

まだまだ、南島原のランチは遠そうだ。
島原半島半島をぐるっと回って、
南島原を目指す。
1時間もすれば着きそう…
と心躍らせていると、
「あ、原城跡だ!寄ってみよう。」
と洋子ちゃん。
もちろん、運転手の言うことに異論なし。

初めてきた原城跡は、
綺麗な草原に囲まれた桜のある公園という感じで、
血なまぐさい歴史も、
ドロドロした怨念も、
一切感じない穏やかな場所だった。
(霊感も何もない私にとっては)
案内板を見ていると、
男性の方が近づいてきて、
この辺りのことを詳しく説明してくれた。
これは、やばいパターン……
私は歴史に興味がないが、
洋子ちゃんは大好き。
案の定、それから、
二人の“歴史発見の旅”は延々と続いた。

私は二人と離れて、
自分のペースで散策。
音9のテーマは「傾聴」だけれど、
興味にないことは、まあ許して頂こう。

天草四郎の銅像を発見。
天草四郎がここで亡くなったのは、
1638年4月12日(ウキペディア調べ)
娘の誕生日と同じ日だ。
それも15歳で……。
青年というより、
少年という感じの丸顔の銅像は、
故郷の天草を見つめているのだろうか。
海風で錆びた十字架。
「痛ましき 原の古城にきてみれば
ひともと咲けり 白百合の花 」
新村 出
という句が書かれてあったが、
今日は
痛ましき 原の古城にきてみれば
空も桜も 春爛漫
という感じかな。

死んだら天国に行くと信じて
戦ったキリシタンの方々の魂は、
きっと望み通り天国に行けたと思う。
そして今、
幸せな世の中になったことを、
天草四郎も亡くなった方々も喜んでいるだろう。

ただ、両軍が戦って、
たくさんの人がなくなったということなので、
中には、キリシタンを殺したくないけれど
仕方なく戦って自分も死んでしまった
という人もいるだろう。
その人たちは、どうしているのかな。
神を信じている無実の人を
殺さないといけない人の苦しみや悲しみは、
もしかすると殺された方より
深いのではないだろうか。
洋子ちゃんとガイドの方の所に
様子を伺いに行くと、
ちょうど霊が見えた女の子の話をしていた。
三つ子の子供の一人が、
この男性の後ろを指差して、
「このおじさんだあれ。」
って言うので、不思議に思って話を聞いてみたそうだ。
すると、お侍さんのような人が立っているらしい。
そして、そのご両親によると
その子は時々そうやって見える時があるのだとか……。

うちの娘もそう言っていたから、
案外嘘では無いと思う。
見える人にとっては、
見えないことの方が不思議らしい。
みんなに見えないから、
「ああ、この人は生きている人ではないんだ。」
と初めて気がつくくらいで、
ふつうにそこにいるように見えると言っていた。
足もあるらしい。
ただ、池の上に浮いていたら、
それはありえないから、
幽霊なんだと分かると言っていた。
友人の娘さんが小さい時に、
「ねえ、なんでよそのおばあちゃんが
うちの車の上に座ってるの?」
と言って、初めて霊が見えると
みんなが気がついたと言っていた。
それまで、空中を見て笑ったり、
突然泣き出したりしても、
お互いに見える世界が違っていたから、
そのことに気がつかなかったそうだ。

原城も120年ほど
キリシタンが復活することを恐れた幕府が
誰も入らないように閉鎖していたらしい。
そして、120年後にやってきたお坊さんが、
みんなの骨を拾い集めて塚をつくったそうだ。
敵も味方も同じ所に眠っている。
誰が置いたのかわからない3体の石像
天草の海を見ながら、
この世が天国になるように
祈っているように見えた。
天国も地獄も
私たち人間が作るのかもしれない。

そんなことを考えながらも、
容赦なくお腹はすく。
お弁当を美味しそうに食べている家族づれを
羨ましそうに眺めながら、
二人の話が終わるのを
首をながーーーくして、待っていた。
鶏の白石で600円の唐揚げを食べたのは
午後3時!!
それはそれは、感動もののおいしさ。
空腹は、最高のスパイス!

☘️3月26日(月)☘️
K47 青い手・黄色い太陽・音8
人癒し、和ませる「青い手」
小さいことにはこだわらない「黄色い太陽」
人間関係を大切にする「音8」
自分の力を過信しないで、
一歩退いてみる日。
周囲の人や何かに譲歩することで、
本当に人の役立つことに気がつく。
そうすれば、あなたの心はいっそう柔軟になる。
K45〜K48の4日間
十分に力を蓄える時。
じっくりと構え、自分と向き合う時間を持とう。
将来のために、知識・人徳を高め、
物質面も十分に準備しよう。
