ここ最近、ずっと「ライヴの記事」ばっかでスミマセン。って、なんで謝るのかよく分からないけど(笑)、懲りずに読んでね☆
リキッドルーム恵比寿から引き続き、行ってきました。エレカシの“今をかきならせ”ツアー。
いやぁ、良かった。
リキッドのときに、最新アルバム『町を見下ろす丘』が素晴らしい作品であることを、「確信した」ではなく、「ほぼ確信した」と書いたのは、ひとつだけ気がかりなことがあったからだ。それは、『町を見下ろす丘』を聴いたときと同じ感想で、これをファンじゃない人が観たら(聴いたら)どう思うだろうってこと。「ファンじゃない人を取り込む力があったかどうか」ってことだ。『町を見下ろす丘』も、リキッドでのライヴも、既にエレカシファンである私にとっては、非常に素晴らしく、グッとくるものであったが、果たして、特にファンではない、前知識ゼロの人も引き寄せることができたのか。「ファンじゃない人も取り込む」ということが、良い作品であるための必須条件だと言いたいわけではない。「ファンだからこそ分かる魅力」というのもあるのだろうから。ただ、『町を見下ろす丘』はどうだったのか――。
で、この日のライヴを観て思ったのは、こりゃ、この日私がエレカシを初めて観たんだとしても、そして、特に思い入れもなく前知識もなかったとしても、きっと、好きになっていた!ってこと。それぐらい「人を取り込む力」があったのだ。強烈に。
ひょっとしたら、それが裏目に出て、コアなファンは、「リキッドの方が良かった」なんて思ったかも知れない。私も一ファンとして、その気持ちも分かるつもりだし、濃さでいったら、リキッドの方が、あるいは濃かったのかも知れない。しかし、じゃあ、この日が薄かったのかといえば、決してそうではない。やっぱり、とんでもなく濃かったよ。と同時に、「ファンじゃない人も取り込む力」を持っていた。私はそう感じた。これはやっぱり、「ツアーを回ってきた成果」なんだろうな。無論、会場の広さってのもあるんだろうけど。
『町を見下ろす丘』を聴いて、作品の匂いから、前々作『扉』の延長上にあるようなアルバムだなぁと思った。そこで、『扉』に伴う“パワー・イン・ザ・ワールド”ツアーを思い出してみると、そのときは、『扉』の楽曲が中心のセットリストだったと思う。ぽつぽつ過去の楽曲も演奏されたが、あくまでも『扉』が主役だった。今思えば、そのときのエレカシは、敢えて過去から距離を置いていたように思う。『扉』に収録されている「化ケモノ青年」の一節に<青春の残像がフイをついてやってくる>とあるように、まるで、青春(の残像)から逃げるように……。
それから約2年。この日は、「ファイティングマン」や「デーデ」など、比較的よく演奏する曲から、「男は行く」や「おまえはどこだ」や「遁世」、「今宵の月のように」や「悲しみの果て」、「so many people」や「ガストロンジャー」、そして「化ケモノ青年」と、これは野音ライヴか!?ってほどの、新旧取り混ぜぶり。もちろん、『町を見下ろす丘』からも8曲演奏されたが、“パワー・イン・ザ・ワールド”ツアーのときの『扉』の曲のように、「あくまでもこっちが主役ですからね」というような主張はなく、過去の曲たちの中に、自然と入り込んでいたように思えた。これは、単純に、過去の曲たちが今のエレカシを通して生まれ変わったとか、今の曲たちが過去寄りになったとか、そういうことだけではない気がする。これは、過去から距離を置いたり、青春(の残像)から逃げたりする必要がなくなったということではないだろうか。『扉』と『町を見下ろす丘』の最大の違いはそこにあるのではないか。……ってなことを考えてみたわけですけど、どうなんでしょ?
簡単に言っちゃえば、過去を受け入れた。過去も含めた上で、今をかきならす。そういうことなんじゃないかなぁって。だから、『町を見下ろす丘』には、既視感が散りばめられているんじゃないかって。言うまでもなく、今ってのは、良くも悪くも、過去の上に成り立っている。『町を見下ろす丘』に、今までにない深みが感じられるのは、それら過去も含めて、今がかきならされているからなんじゃないだろうか。そして、そんなことができたのは、今に自信を持てたからなんだと思う。だから、過去(青春の残像)と向き合えたというか受け入れられたというか。過去(青春の残像)に足を引っ張られない今を手に入れたんだよ!
数々の濃ゆ~い曲を演奏しておきながら、そんな過去の曲に足を引っ張られることなく、そしてまた、それから距離を置くのではなく、その濃ゆ~い過去の曲たちをも飲み込むようにして、そして、そこから描き出される“今”。うう~ん。素晴らしいライヴでした。
*** セットリスト (発売年) ***
01. 地元のダンナ (2006)
02. so many people (2000)
03. 悲しみの果て (1996)
04. デーデ (1988)
05. 男は行く (1990)
06. 理想の朝 (2006)
07. すまねえ魂 (2006)
08. 甘き絶望 (2006)
09. おまえはどこだ (1993)
10. 遁生 (1990)
11. 人生の午後に (2006)
12. シグナル (2006)
13. 今をかきならせ (2006)
14. ガストロンジャー (1999)
15. 今宵の月のように (1997)
― アンコール ―
16. てって (1988)
17. 化ケモノ青年 (2004)
18. I don't know たゆまずに (2006)
19. やさしさ (1988)
20. ファイティングマン (1988)
リキッドルーム恵比寿から引き続き、行ってきました。エレカシの“今をかきならせ”ツアー。
いやぁ、良かった。
リキッドのときに、最新アルバム『町を見下ろす丘』が素晴らしい作品であることを、「確信した」ではなく、「ほぼ確信した」と書いたのは、ひとつだけ気がかりなことがあったからだ。それは、『町を見下ろす丘』を聴いたときと同じ感想で、これをファンじゃない人が観たら(聴いたら)どう思うだろうってこと。「ファンじゃない人を取り込む力があったかどうか」ってことだ。『町を見下ろす丘』も、リキッドでのライヴも、既にエレカシファンである私にとっては、非常に素晴らしく、グッとくるものであったが、果たして、特にファンではない、前知識ゼロの人も引き寄せることができたのか。「ファンじゃない人も取り込む」ということが、良い作品であるための必須条件だと言いたいわけではない。「ファンだからこそ分かる魅力」というのもあるのだろうから。ただ、『町を見下ろす丘』はどうだったのか――。
で、この日のライヴを観て思ったのは、こりゃ、この日私がエレカシを初めて観たんだとしても、そして、特に思い入れもなく前知識もなかったとしても、きっと、好きになっていた!ってこと。それぐらい「人を取り込む力」があったのだ。強烈に。
ひょっとしたら、それが裏目に出て、コアなファンは、「リキッドの方が良かった」なんて思ったかも知れない。私も一ファンとして、その気持ちも分かるつもりだし、濃さでいったら、リキッドの方が、あるいは濃かったのかも知れない。しかし、じゃあ、この日が薄かったのかといえば、決してそうではない。やっぱり、とんでもなく濃かったよ。と同時に、「ファンじゃない人も取り込む力」を持っていた。私はそう感じた。これはやっぱり、「ツアーを回ってきた成果」なんだろうな。無論、会場の広さってのもあるんだろうけど。
『町を見下ろす丘』を聴いて、作品の匂いから、前々作『扉』の延長上にあるようなアルバムだなぁと思った。そこで、『扉』に伴う“パワー・イン・ザ・ワールド”ツアーを思い出してみると、そのときは、『扉』の楽曲が中心のセットリストだったと思う。ぽつぽつ過去の楽曲も演奏されたが、あくまでも『扉』が主役だった。今思えば、そのときのエレカシは、敢えて過去から距離を置いていたように思う。『扉』に収録されている「化ケモノ青年」の一節に<青春の残像がフイをついてやってくる>とあるように、まるで、青春(の残像)から逃げるように……。
それから約2年。この日は、「ファイティングマン」や「デーデ」など、比較的よく演奏する曲から、「男は行く」や「おまえはどこだ」や「遁世」、「今宵の月のように」や「悲しみの果て」、「so many people」や「ガストロンジャー」、そして「化ケモノ青年」と、これは野音ライヴか!?ってほどの、新旧取り混ぜぶり。もちろん、『町を見下ろす丘』からも8曲演奏されたが、“パワー・イン・ザ・ワールド”ツアーのときの『扉』の曲のように、「あくまでもこっちが主役ですからね」というような主張はなく、過去の曲たちの中に、自然と入り込んでいたように思えた。これは、単純に、過去の曲たちが今のエレカシを通して生まれ変わったとか、今の曲たちが過去寄りになったとか、そういうことだけではない気がする。これは、過去から距離を置いたり、青春(の残像)から逃げたりする必要がなくなったということではないだろうか。『扉』と『町を見下ろす丘』の最大の違いはそこにあるのではないか。……ってなことを考えてみたわけですけど、どうなんでしょ?
簡単に言っちゃえば、過去を受け入れた。過去も含めた上で、今をかきならす。そういうことなんじゃないかなぁって。だから、『町を見下ろす丘』には、既視感が散りばめられているんじゃないかって。言うまでもなく、今ってのは、良くも悪くも、過去の上に成り立っている。『町を見下ろす丘』に、今までにない深みが感じられるのは、それら過去も含めて、今がかきならされているからなんじゃないだろうか。そして、そんなことができたのは、今に自信を持てたからなんだと思う。だから、過去(青春の残像)と向き合えたというか受け入れられたというか。過去(青春の残像)に足を引っ張られない今を手に入れたんだよ!
数々の濃ゆ~い曲を演奏しておきながら、そんな過去の曲に足を引っ張られることなく、そしてまた、それから距離を置くのではなく、その濃ゆ~い過去の曲たちをも飲み込むようにして、そして、そこから描き出される“今”。うう~ん。素晴らしいライヴでした。
*** セットリスト (発売年) ***
01. 地元のダンナ (2006)
02. so many people (2000)
03. 悲しみの果て (1996)
04. デーデ (1988)
05. 男は行く (1990)
06. 理想の朝 (2006)
07. すまねえ魂 (2006)
08. 甘き絶望 (2006)
09. おまえはどこだ (1993)
10. 遁生 (1990)
11. 人生の午後に (2006)
12. シグナル (2006)
13. 今をかきならせ (2006)
14. ガストロンジャー (1999)
15. 今宵の月のように (1997)
― アンコール ―
16. てって (1988)
17. 化ケモノ青年 (2004)
18. I don't know たゆまずに (2006)
19. やさしさ (1988)
20. ファイティングマン (1988)
ですよね。
過去を受け入れて、今がある。
そうですね。
こうしてみるとエレカシの
過去の曲って結構輝きがあって、
それがあることによって
「町を見下ろす丘」の曲たちが
音作りも歌も「今の」エレカシの
「味」としていっそう輝きを増す
ようになってますよね。
エレカシが駆け抜けた18年と今が
絶妙なバランスでいい公演でした。
翌日のTV生中継のこともあったのかも知れないけど、でも、それだけではないと思いました。
全部ひっくるめてエレカシ!っていう、そういう感じがしました。「今」だけでなく、「過去」もひっくるめて、表現できて、でもやっぱり「今」だ!っていう、良いライヴでした。18年かぁ。