トップページが全部「AYU」カテゴリの記事になってしまった。それもこれも、『(miss)understood』、並びに、『(miss)understood TOUR』が火種なのであって、あゆが私に火をつけたのだ。ここ最近の記事は、つながってないようで、全部つながっている。
とはいうものの、じっくりコトコト煮込み過ぎた感のある記事が続いたんで、今回はなるべく深く考えないで書いてみよう。時間が経ってるので、既にそうとも言えないかも知れないけど。
1回目に続いて、ツアー中盤にあたる「代々木体育館」での公演に行ってきた。
セットリストは埼玉のときと同じだったが、確実にパワーアップしていた! やはり、「(miss)understood」とか未完成な感じがして、生であの感じを出すのは難しいんだろうな~とつくづく実感。が、その未完成さがやけに生々しく、かえって、「(miss)understood」が伝えようとしていることが伝わってきたように思った。こわいくらいの静けさの中から、徐々に核心に迫ってくるあの感じ……。あゆは、自身で作詞しているからか、歌詞のことを語られることが多い気がするが、じゃあ、あゆの魅力は歌詞だけなのか?と聞かれたら、決してそうではないし、やっぱり私は、“音楽として”あゆの音楽を必要としている。だから、歌詞のことだけ取り出して語ることはなるべく避けたいというのがある。でも、でもね、<君は一体何が欲しいの/君は一体何を願うの/君は一体どこを目指すの/そしてそこへは誰と向かうの>なんていうシンプル過ぎる言葉を、こんなにも突き刺さってくるものとして響かせるのは、やっぱり凄いことだと思うんだよ。で、それには、やっぱり、音楽じゃなきゃダメだったんだ。だって、それは言葉じゃなく、音から伝わってくるんだから。言葉よりも、音がそれを語っているのだから。<君が君で生きられるのは/最初で最後この一度だけ/大きな地図を広げた後は/君だけの道を描けばいい>。最後にこんな言葉を、こわいくらいに響かせて、残していく。音楽だから、あゆだから、持てた説得力。やっぱりあゆはカッコ良い!
アレンジが、なんだかカッコ良くなってた! 埼玉のときとは、変わってたと思う。ギターはヨッちゃんだし、ベースはエンリケさんだし、ドラムは江口信夫さんだし、当たり前と言えば当たり前なんだけど、あゆのライヴは、演奏もカッチョ良いんだよなぁ。カッチョ良いって言っても、バック・バンド的なカッチョ良さじゃなくて、ロック・バンド的?、生きもの的?、そんなカッチョ良さ。あゆみたいなソロ・アーティストだと、どうしても「バック・バンド」って感じになっちゃうと思うんだけど、どう考えても「バック・バンド」じゃないんだよなぁ。皆、「アーティスト」だから当然なんだろうけど、それぞれに魅せてて、生き生きしてるの。「ここで俺がやってやるぞ!」って、一人一人が思ってるような、そういう気迫を感じる。そしてまた、そのことに喜びや誇りを感じてるような。鳴らされる音の裏に、共に歩み育んできたものも感じさせるし。愛だよ、愛。それが素晴らしいグルーヴを生み出してるんだよ。そして、それを呼び起こしてるのは、あゆなんだ! とにかく2回目で、アレンジや演奏に色々工夫を凝らしてるのが分かったし(今までもそうだったけど)、これはどんどん突き進めてって欲しい。CDと変えた大胆なアレンジとか、それによって起こる化学反応とか、色々見てみたいなぁ。それはそのまま、あゆの成長にもつながるだろうし、CDにもつながるだろうしね。あゆと色々な景色を見てみたいんだよ!
そして、この日ビビッたのが「Pride」。物凄かった! 「(miss)understood」では、未完成さに生々しさを感じたと書いたけど、こっちは逆に、完成された世界を感じちゃったな。凄いものを見せられちゃった気がした。何なんだこれは……と呆然としているうちに、ライヴは進み、本編ラスト「Bold & Delicious」へ。いやぁ、やっぱりカッコ良い。『CDL』のときは、ぎこちなかった感じのお客さんのノリも、だんだん掴んできたのか、気持ち良く拳を上げたり手を叩いたりしていたように思う。私の隣が外人だったのだけど、「Bold & Delicious」で踊ってるの、サマになってたな~。
そして、本日最大の収穫はというと……
「Pride」を聴きながら、何なんだこれはって呆然としてたんだけど、「Bold & Delicious」で、ふと友達が言っていた言葉を思い出したんだ。
「あゆって、洋楽好きなイメージ。でも、心は日本、日本人って感じ」
そうか! これか!
以前、「個人主義で決めに行け!」で、あゆのことを「最新型の演歌」って書いたけど、こういうことか? あゆってね、洋楽の影響をモロに感じさせるくせに、ド演歌にも感じられるんだよ。この日、「Pride」を聴いていたら、「モロ洋楽」と「ド演歌」が、両者どっちも譲らずに、バチバチとせめぎ合いながら、複雑に絡み合って、切っても切り離せない形になって、私に襲いかかってきたんだ。それで固まっちゃったのかも知れない。どうして「Bold & Delicious」でその友達の言葉を思い出したかっていうと、「Bold & Delicious」って、あれ、モロ洋楽じゃん。なのに、なのに、洋楽じゃないんだよ。しかも、あれは本当に洋楽であるスウィートボックスのGEOが作曲した曲なんだよ? だっつーのに、ド演歌にも聴こえてきちゃうもんだから。そういや、「Pride」だって、GEO作曲だ…。何なんだこれは! 「何か」が起こってるとしか思えないよ。日本語で歌ってるからとか、日本人だからとか、そんな取って付けたような安い次元じゃなかったんだから。私の中で、「洋楽」とか「演歌」とかそういう色々な概念が、「メリメリ」と剥がれ落ちていく、ぶち破られていく。そんな音が聴こえた気がしたんだよ!
「2005年の音楽」で、私は、「これなら洋楽を聴けば良いや」と思ってしまうような邦楽が増えてきてる気がする、あるいは、「変に邦楽の中に閉じこもってる」ような邦楽もある、と書いた。洋楽なくして、今の邦楽(J-POP)は存在し得ない。だけど、日本人がやる以上、どうやっても洋楽にはなれないと思うし、洋楽になろうとするなら洋楽に敵うわけないと思うし、そもそも日本人がやる必要もなくなってしまう気がする。しかし、だからといって、邦楽の中に閉じこもっていられるような時代ではなくなった(はずだ)。どうやっても洋楽にはなれない、けど、洋楽を知らなかった頃には戻れない。これが実情だと思う。だからこそ、そこの部分で戦って欲しいんだよ、日本のミュージシャンには。そこをぶち破った音を、聴かせて欲しいよ。
こんなことを自問自答するなんて、もう古いって? そうかな。私にはそうは思えない。邦楽の水準が高くなったから洋楽が聴かれなくなった? これがもし本当のことだとしたら、邦楽が「閉じたもの」だと認めざるを得なくなるような気がする。大体、水準が高いとか低いとか、そんなことを言ってるんじゃないんだよ、私は。
あゆは、こんな私に、ガツン!と響いてくる音楽を鳴らしてくれてる気がしたんだよ。この日、私があゆに惹かれる理由に、触れた気がしたんだよ。洋楽と邦楽が戦ってる音楽っていうか。邦楽の中に閉じこもってる音楽でもなく、限りなく洋楽っぽい音楽でもなく、洋楽と邦楽を取って付けただけのような音楽でもなく。あゆは、洋楽からの影響を包み隠さずさらけ出し、それを日本人である自分と戦わせることを忘れずに、常に自問自答してるんだよ! 戦ってるんだよ! やっぱりあゆは、並外れたバランス感覚を持ってるのか!?
やはり、ロックやポップスをやるのなら、洋楽へのリスペクト精神を欠いてはいけないのだと思う。だけど、ただ洋楽っぽいことをやることが、答えだとは思わない。洋楽も邦楽も飲み込んで、自分にしか語れないものを提示する。それがいかに難しいかは、私だってなんとなくは分かる。だけど、この日、あゆからはそれが提示されたような気がした。この得体の知れなさは、洋楽でも邦楽でもない、あゆにしか出せない音楽だと、そう確信せざるを得なかった。
開演前にマドンナをかけたのは、生半可な気持ちじゃなかったんだね。しかし、「Pride」、「Bold & Delicious」で気付かされたなんて、2005年最後のシングルに持ってきただけあるっていうか、今更ながらに象徴的なシングルだったんだなぁ、あれは。
そんなこんなで、呆然としていると、アンコールであゆが出てきた。本編ラスト「Bold & Delicious」での、ボールドでデリシャスでゴージャスなステージから一転、TシャツGパン姿で出てきて、いきなりフランクに話しだすあゆを見て、「(さっきまでと)同じ人かよ!」と突っ込みたくなって、吹き出してしまった。そのあまりの変わり様に、クラクラしてしまった。その余韻は、いつまでもいつまでも私の中に居座り続けた。
とはいうものの、じっくりコトコト煮込み過ぎた感のある記事が続いたんで、今回はなるべく深く考えないで書いてみよう。時間が経ってるので、既にそうとも言えないかも知れないけど。
1回目に続いて、ツアー中盤にあたる「代々木体育館」での公演に行ってきた。
セットリストは埼玉のときと同じだったが、確実にパワーアップしていた! やはり、「(miss)understood」とか未完成な感じがして、生であの感じを出すのは難しいんだろうな~とつくづく実感。が、その未完成さがやけに生々しく、かえって、「(miss)understood」が伝えようとしていることが伝わってきたように思った。こわいくらいの静けさの中から、徐々に核心に迫ってくるあの感じ……。あゆは、自身で作詞しているからか、歌詞のことを語られることが多い気がするが、じゃあ、あゆの魅力は歌詞だけなのか?と聞かれたら、決してそうではないし、やっぱり私は、“音楽として”あゆの音楽を必要としている。だから、歌詞のことだけ取り出して語ることはなるべく避けたいというのがある。でも、でもね、<君は一体何が欲しいの/君は一体何を願うの/君は一体どこを目指すの/そしてそこへは誰と向かうの>なんていうシンプル過ぎる言葉を、こんなにも突き刺さってくるものとして響かせるのは、やっぱり凄いことだと思うんだよ。で、それには、やっぱり、音楽じゃなきゃダメだったんだ。だって、それは言葉じゃなく、音から伝わってくるんだから。言葉よりも、音がそれを語っているのだから。<君が君で生きられるのは/最初で最後この一度だけ/大きな地図を広げた後は/君だけの道を描けばいい>。最後にこんな言葉を、こわいくらいに響かせて、残していく。音楽だから、あゆだから、持てた説得力。やっぱりあゆはカッコ良い!
アレンジが、なんだかカッコ良くなってた! 埼玉のときとは、変わってたと思う。ギターはヨッちゃんだし、ベースはエンリケさんだし、ドラムは江口信夫さんだし、当たり前と言えば当たり前なんだけど、あゆのライヴは、演奏もカッチョ良いんだよなぁ。カッチョ良いって言っても、バック・バンド的なカッチョ良さじゃなくて、ロック・バンド的?、生きもの的?、そんなカッチョ良さ。あゆみたいなソロ・アーティストだと、どうしても「バック・バンド」って感じになっちゃうと思うんだけど、どう考えても「バック・バンド」じゃないんだよなぁ。皆、「アーティスト」だから当然なんだろうけど、それぞれに魅せてて、生き生きしてるの。「ここで俺がやってやるぞ!」って、一人一人が思ってるような、そういう気迫を感じる。そしてまた、そのことに喜びや誇りを感じてるような。鳴らされる音の裏に、共に歩み育んできたものも感じさせるし。愛だよ、愛。それが素晴らしいグルーヴを生み出してるんだよ。そして、それを呼び起こしてるのは、あゆなんだ! とにかく2回目で、アレンジや演奏に色々工夫を凝らしてるのが分かったし(今までもそうだったけど)、これはどんどん突き進めてって欲しい。CDと変えた大胆なアレンジとか、それによって起こる化学反応とか、色々見てみたいなぁ。それはそのまま、あゆの成長にもつながるだろうし、CDにもつながるだろうしね。あゆと色々な景色を見てみたいんだよ!
そして、この日ビビッたのが「Pride」。物凄かった! 「(miss)understood」では、未完成さに生々しさを感じたと書いたけど、こっちは逆に、完成された世界を感じちゃったな。凄いものを見せられちゃった気がした。何なんだこれは……と呆然としているうちに、ライヴは進み、本編ラスト「Bold & Delicious」へ。いやぁ、やっぱりカッコ良い。『CDL』のときは、ぎこちなかった感じのお客さんのノリも、だんだん掴んできたのか、気持ち良く拳を上げたり手を叩いたりしていたように思う。私の隣が外人だったのだけど、「Bold & Delicious」で踊ってるの、サマになってたな~。
そして、本日最大の収穫はというと……
「Pride」を聴きながら、何なんだこれはって呆然としてたんだけど、「Bold & Delicious」で、ふと友達が言っていた言葉を思い出したんだ。
「あゆって、洋楽好きなイメージ。でも、心は日本、日本人って感じ」
そうか! これか!
以前、「個人主義で決めに行け!」で、あゆのことを「最新型の演歌」って書いたけど、こういうことか? あゆってね、洋楽の影響をモロに感じさせるくせに、ド演歌にも感じられるんだよ。この日、「Pride」を聴いていたら、「モロ洋楽」と「ド演歌」が、両者どっちも譲らずに、バチバチとせめぎ合いながら、複雑に絡み合って、切っても切り離せない形になって、私に襲いかかってきたんだ。それで固まっちゃったのかも知れない。どうして「Bold & Delicious」でその友達の言葉を思い出したかっていうと、「Bold & Delicious」って、あれ、モロ洋楽じゃん。なのに、なのに、洋楽じゃないんだよ。しかも、あれは本当に洋楽であるスウィートボックスのGEOが作曲した曲なんだよ? だっつーのに、ド演歌にも聴こえてきちゃうもんだから。そういや、「Pride」だって、GEO作曲だ…。何なんだこれは! 「何か」が起こってるとしか思えないよ。日本語で歌ってるからとか、日本人だからとか、そんな取って付けたような安い次元じゃなかったんだから。私の中で、「洋楽」とか「演歌」とかそういう色々な概念が、「メリメリ」と剥がれ落ちていく、ぶち破られていく。そんな音が聴こえた気がしたんだよ!
「2005年の音楽」で、私は、「これなら洋楽を聴けば良いや」と思ってしまうような邦楽が増えてきてる気がする、あるいは、「変に邦楽の中に閉じこもってる」ような邦楽もある、と書いた。洋楽なくして、今の邦楽(J-POP)は存在し得ない。だけど、日本人がやる以上、どうやっても洋楽にはなれないと思うし、洋楽になろうとするなら洋楽に敵うわけないと思うし、そもそも日本人がやる必要もなくなってしまう気がする。しかし、だからといって、邦楽の中に閉じこもっていられるような時代ではなくなった(はずだ)。どうやっても洋楽にはなれない、けど、洋楽を知らなかった頃には戻れない。これが実情だと思う。だからこそ、そこの部分で戦って欲しいんだよ、日本のミュージシャンには。そこをぶち破った音を、聴かせて欲しいよ。
こんなことを自問自答するなんて、もう古いって? そうかな。私にはそうは思えない。邦楽の水準が高くなったから洋楽が聴かれなくなった? これがもし本当のことだとしたら、邦楽が「閉じたもの」だと認めざるを得なくなるような気がする。大体、水準が高いとか低いとか、そんなことを言ってるんじゃないんだよ、私は。
あゆは、こんな私に、ガツン!と響いてくる音楽を鳴らしてくれてる気がしたんだよ。この日、私があゆに惹かれる理由に、触れた気がしたんだよ。洋楽と邦楽が戦ってる音楽っていうか。邦楽の中に閉じこもってる音楽でもなく、限りなく洋楽っぽい音楽でもなく、洋楽と邦楽を取って付けただけのような音楽でもなく。あゆは、洋楽からの影響を包み隠さずさらけ出し、それを日本人である自分と戦わせることを忘れずに、常に自問自答してるんだよ! 戦ってるんだよ! やっぱりあゆは、並外れたバランス感覚を持ってるのか!?
やはり、ロックやポップスをやるのなら、洋楽へのリスペクト精神を欠いてはいけないのだと思う。だけど、ただ洋楽っぽいことをやることが、答えだとは思わない。洋楽も邦楽も飲み込んで、自分にしか語れないものを提示する。それがいかに難しいかは、私だってなんとなくは分かる。だけど、この日、あゆからはそれが提示されたような気がした。この得体の知れなさは、洋楽でも邦楽でもない、あゆにしか出せない音楽だと、そう確信せざるを得なかった。
開演前にマドンナをかけたのは、生半可な気持ちじゃなかったんだね。しかし、「Pride」、「Bold & Delicious」で気付かされたなんて、2005年最後のシングルに持ってきただけあるっていうか、今更ながらに象徴的なシングルだったんだなぁ、あれは。
そんなこんなで、呆然としていると、アンコールであゆが出てきた。本編ラスト「Bold & Delicious」での、ボールドでデリシャスでゴージャスなステージから一転、TシャツGパン姿で出てきて、いきなりフランクに話しだすあゆを見て、「(さっきまでと)同じ人かよ!」と突っ込みたくなって、吹き出してしまった。そのあまりの変わり様に、クラクラしてしまった。その余韻は、いつまでもいつまでも私の中に居座り続けた。