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sky is blue

言わなければよかったのに日記

王様のあなたを血祭りにあげる百の方法

2005-09-08 18:49:22 | ライヴ
バタバタと忙しくて更新できないでいました。ごめんなさい。

タイトルであるイベントの話に入る前に――。

「洋楽も邦楽も知らない」(前々回)~「個人主義で決めに行け!」(前回)と2回にわたって書きましたが、なんつーか私、同じこと書いてんのね(笑)。いやね、過去ログとか読み直して思ったわけですよ。同じこと書いてんじゃんって。まぁ、意外と一本筋の通った人間だったってことにしておこう。都合良く。

これは、私の友達に触発されて書いたものなんですが、そしたら、その友達がまた私に言葉をかけてくれて。もうなんと言ったら良いのやら、ありがとう。前々回の冒頭で書いたことを気にかけてくれて。うん。もちろん私は、「浜崎あゆみより椎名林檎の方が優れている」だなんて思ってないから安心してね。「分かったふりをしておこう」って書いてあったでしょ? そう、あれは「分かったふり」なのです(笑)。

ある面では林檎ちゃんの方が優れているかも知れないし、ある面ではあゆの方が優れているかも知れない。実際問題、林檎ちゃんに足りないもの、あゆは随分と持ってる気がしますが? 今の林檎ちゃんに「あゆを見習え!!」と活を入れたいくらいです(笑)。リリースペースとかTV出演とかそんな話じゃないですよ? まぁ、この話は長くなりそうだから、今は良いや。とにかく、どんなアーティストでも、ある面では優れているかも知れないし、ある面では劣っているかも知れない。だから、そんなの、分からないよ。仮に百歩譲って、音楽に優れているとか劣っているとかいうのがあるとして、それでも私は、ビートルズが何かより優れているから好きなわけじゃないだろうし、何かより劣っているから好きなわけじゃないだろうしなぁ。先付けと後付けの順番、間違えないでいたいよなぁ。

で、せっかくだから、前々回と前回で出てきた作品をちょこっと紹介(メモ)しておこうと思います。

エレファントカシマシ 「so many people」
2000年発売のシングル曲。アルバム『グッド・モーニング』にも収録されていて、シングルとアルバムでバージョンが大分違います。「Musical Baton」でも挙げたんだったなぁ。

ZAZEN BOYS 「MIDNIGHT YAJI×KITA ~I Wanna By Your Fuck~」
『真夜中の弥次さん喜多さん』のテーマ曲。もちろんサントラにも入ってます。「てめえ探しで、リヤルがどこにもありゃしねえ! リヤル探しで、てめえがどこにもいやしねえ!」っていうのは、この曲で歌われていた言葉だったのです。これ聴いて泣いて良いのは日本人だけ!(笑) 弥次さん(長瀬智也)の泣ける台詞(?)から入るのもまた良い。ZAZEN BOYSっていうのは、元ナンバーガールの向井秀徳が始動したバンドですが、つい最近、ナンバガを改めて聴いてみて、カッコええなぁ~と。『殺風景』とか、スゴいアルバムじゃないですか? ああ、リアルタイムでちゃんと追っかけていたかった。ううーん、仕方あるまい。よし、ZAZEN BOYSもちゃんと聴いてみるか。関係ないけど、こういうの聴いてると、あゆなんて聴いてる場合じゃないって思っちゃうよな。ところがどっこい、あゆ聴いてるときは、ナンバガ(じゃなくても良いけど)なんて聴いてる場合じゃないって思っちゃうから不思議だよな。悪いけど、あゆ聴いてるときは、「ああ、私はあゆの良さを分かるために、他の音楽聴いてたんだ」って思ってますから。そして、エレカシ聴いてるときは、「エレカシの良さを分かるために他の音楽がある」って思ってますから。ポールのときだって……。そうだよな。そういうもんだよな。だから世界は美しいんだ!(何じゃそりゃ?勝手だなぁ)

エレファントカシマシ 「情熱の揺れるまなざし」
<日本人未だ 西洋踊りは~>って歌詞はこの曲から。「so many people」と同じく、『グッド・モーニング』に収録されています。

ビートルズ 「アクロス・ザ・ユニバース」
『レット・イット・ビー』収録。オアシスのリアムはこの曲が大好きだそうです。

エレファントカシマシ 「今だ!テイク・ア・チャンス」
またエレカシかよ! いやいや、何を隠そう、「個人主義で決めに行け!」という決め台詞(記事タイトル)は、この曲の歌詞から拝借したのですから。<平成時代の男なら everytime ああ、個人主義で決めに行け! 見せてくれよ 見せてくれ ド根性>ですから。『風』に入ってます。

――というわけで、いきなりタイトル以外の話が長くなってしまいましたが、私が何より嬉しかったのは、ラッキー!とすら思ってしまったのは、前々回~前回で書いたようなことを考えたすぐ後に待っていたのが、この『王様のあなたを血祭りにあげる百の方法』というイベントだったこと。いや、このイベントの前にそういうことを考えられたことって言った方が正確か。ま、どっちとも言えるんだけど、渋谷クアトロで行われたこのイベント、出演者がKING BROTHERS/THE BACK HORN/エレファントカシマシですよ貴方! もはや、このイベントに行くために、使命として、私は前々回~前回のようなことを考えさせられたんだ、ぐらいの勢いですよ。何故かって? そりゃあ、出演バンドみんな、日本人(というか、その人自身)にしか出せないであろうロックを鳴らしてる奴らばっかだからですよ! そういう意味でも、本当に素晴らしいタイミングでした。おかげで、このイベントが、私の中で何倍もの意義を持ったし、より楽しめました。

で、やっとこさイベントの話。時間が経っちゃったので、記憶があやふやなところもあるし、適当なノリと勢いで書いてるところもあるかも知れませんが、お許しを。このイベントはキンブラ主催。王様ってキンブラのこと? お客さんのこと? 血祭りにあげるぞー! 血祭りにあげられるぞー!

●THE BACK HORN
一番手はバックホーン。エレカシファンには評判が良くなかったとの噂を耳にしましたが、私は良かったです。選曲が、色々なタイプの曲を入れるというよりは、まとまりのある選曲だった気が。イベントという短い時間で自分達を表現するのって難しいと思うけど、まとまりのある選曲によってギュッと凝縮した感じになってて、結構表現できてたと思うけどなぁ。静と動を激しく行き交うサウンドとか。

知らない曲で印象に残った曲があったんだけど、それはインディーズ時代の「ひとり言」という曲だと後で分かった。ちなみに、「産声チェインソー」のときにエレカシっぽいと感じた曲もインディーズ時代で、「泣いている人」という曲だと分かった。

で、その「ひとり言」って曲、<僕は一人じゃない>と最後に叫びまくるんだけど、その題名が「ひとり言」だなんて皮肉だよねぇ(笑)。バックホーンは、“青い”とか“真面目”って形容されがちだと思うんだけど(“暗い”もかな)、私の中ではもっとこう、突き抜けてるイメージなんだよな~。青臭さや真面目さ、どうしようもなさとかが、イクところまでイッちゃってて、笑えてきちゃうっていうか、オカシなことになってるっていうかさ。悲劇なんだか喜劇なんだか分かんなくなってくる感じ? その強度がどんどん増していってるとは思うけど。でも、短い時間じゃなかなかそこまで届きづらいかもね。私も最初は“真面目そうなバンドだな”ぐらいにしか思ってなかったもん。でも実は、「ギターで言うわ」とか言っちゃったりするバンドなんだよな。ってどんなバンドだよ!(笑) いずれにせよ、極端ってことかな。そうだ、「空、星、海の夜」が聴けたのは嬉しかったなぁ。

バックホーンを人に薦める場合、最初はどのアルバムが良いだろうかと考えてみた。『イキルサイノウ』か『人間プログラム』かな。

●エレファントカシマシ
二番手エレカシ。一曲目に何やら聴いたことない曲がはじまったから、また新たな新曲か?と思っていたら、“探してる 探してる”でおなじみ(?)の「すまねえ魂(新曲)」だった。アレンジが変わってたのだ。なんだろ、前のアレンジもこの日のアレンジもライヴで数回聴いただけだから、はっきりとは覚えてないけど、この日のアレンジは、よりくっきりとした輪郭の分かりやすいギターだった気がする。渋みが増してたような。他には何をやったかなぁ~。「デーデ」とか「流れ星のような人生(新曲)」とかやった気がするなぁ。でもさぁ、忘れちゃったんだよ。だってさ、最後の「ガストロンジャー」がめちゃめちゃカッコ良かったんだもん。いや、違うな。他のもカッコ良かったんだよ。別に「ガストロンジャー」だけが特別カッコ良かったわけじゃない。ただ、私が、前々回~前回のようなことを考えていたから、この日の「ガストロンジャー」にこんなにも感動してしまったんだ。

このとき演奏された「ガストロンジャー」を聴いて、これは絶対、欧米人には出せない音だと思った。何故そう思ったのかなんて説明できやしない。だけど、そう思ったんだ。ツェッペリンにも出せないって。もちろん、ツェッペリンの音はエレカシには出せない。でも、このエレカシの音もツェッペリンには出せない。そして、それで良いと思った。それをロックと言おうが、J-POPと言おうが、歌謡曲と言おうが、演歌と言おうが、そんこたあどうでも良い。そんなことより奥さん! これが音楽ですよ!

何より嬉しかったのが、そういうことを、バンドが鳴らすサウンドを聴いて感じたってことなんだよね。宮本の言葉じゃないよ? 石くんが掻き鳴らすギターを聴いてそう感じたんだ。あの、宮本が矢継ぎ早に言葉を繰り出す「ガストロンジャー」でだよ? その「ガストロンジャー」で、宮本の発する言葉よりも、エレカシの発するバンド・サウンドに痺れたんだ。そこにはもちろん宮本のヴォーカルも入ってるよ。でもそれは言葉じゃない。音であり歌なんだ。これこそが音楽。ロックなんだよ! あ、ロックって言っちゃった(笑)。ま、いっか。だって、これをロックって言わなかったら、何をロックって言ったら良いのか、私には分からないんだもん。私にロックというものをはじめて意識させたのは、ビートルズでもなく、オアシスでもなく、エレカシだったんだよ。

いけないいけない。熱くなりすぎだね。とにかく、カッコ良いんだよ、エレカシは。んなこたあ、みんな知ってるよね。どうしたんだ?今日の私は。「ガストロンジャー」で泣きそうになってしまうとはね。名バラードだなこれは(笑)。「ガストロンジャー」は、CDでもライヴでも何回も聴いているはずなのに、この日はじめて「ガストロンジャー」に出会えた気がしたよ。これからもそういうことあるんだろうな。まだ私は何もエレカシのこと分かっちゃいねぇぜ!

●KING BROTHERS
本日の主催者であるキンブラ登場。あんま覚えてない(笑)。楽しかったのは覚えてる。曲の切れ目がどこだかサッパリ分からない。ヴォーカルの人が、お客さんに向かって「宮本さんに怒られますよ~」とか言ってたのがウケた。「俺の尊敬するエレファントカシマシと一緒にやれて嬉しいんだ~」みたいに言ってたなぁ。なんだか、どんどんワケ分からないことになって、客席にまぎれこみ、PAんところかどっかに乗っかってギター弾いてた。阿波踊りのような狂騒を思い浮かべてしまった。踊る阿呆に観る阿呆? でも、感じるのは、スゴい暗黒だったりもして。歌詞も、ちゃんと聴き取れたわけじゃないけど、なんかこう、暗黒を歌ってた気がする。でも、それが、悲劇なんだか喜劇なんだかは分からない。そんなことはもはや問題じゃないような。それは、本日の出演バンド全部に言えることかもな。


The La's @SHIBUYA-AX

2005-08-15 17:24:46 | ライヴ
1990年にファースト・アルバム『ラーズ』を発表し、解散(自然消滅?)してしまったリヴァプール出身のバンド、ザ・ラーズが、今年のサマソニ(8/13・14)で復活した。私は、ブリットポップからの流れでこのバンドを知った。キャストというバンドが好きで、そのバンドを率いているヴォーカル&ギターのジョン・パワーが、かつてラーズというバンドでベースを弾いていたとのことだった。それだけでなく、オアシスやムーヴァーのメンバーがラーズへのリスペクトを公言していたし、ラーズのヴォーカル&ギターで曲も書いているリー・メイヴァースは、リチャード・アシュクロフト(元ヴァーヴ)と並んで、復活を待たれている人物だとか何とか、そんな風にも言われてたっけ。まさか数年後、キャストより先に、ラーズを見れる日がくるとは(キャストは何回か来日しているけれど見逃している)。

ライヴは、おそろしくシンプルだった。本当に、“おそろしい”ほどだった。ここまでシンプルになれるのかと。一曲一曲も短いし、風のようにやって来て、風のように去っていった。復活だとかブランクだとか、考えていられなかった。サマソニのときはどうだったのか分からないけど、「復活」という感慨にひたっている様子もなく、淡々と演奏をこなしていく。観客も感慨にひたっている暇はない。だって、次から次へと演奏される楽曲に、いちいち心奪われてしまうんだもの。ギターとベースとドラムが鳴り響いて、そこから繰り出されるビート。それに絡むヴォーカルとコーラス。たったそれだけのことなのに、どうしてこんなにも心奪われてしまうんだろう。もちろん、それはすべての音楽に対して言えることなのだけど、それだけラーズの音楽がシンプルだったってことだ。だって、こんなにもシンプルで単純明快であるはずなのに、そのトリックは一向に解けないんだもの。やっぱり、音楽は魔法なんだ。ラーズはそれを知ってるんだな。彼らの唯一のアルバム『ラーズ』も、おそろしくシンプルで単純明快なはずなのに、どこか複雑で、神秘的で、いつまでも解けない魔法のような、そんなアルバムだったし。

聴いていて、こういうのを「マージー・ビート」っていうのかな~って思った。自分の中ではぜんぜん繋がってなかったのに、コーラルとかスペースとか思い出しちゃって、やっぱり「リヴァプール」って背景は大きいのかもなって思った(コーラルもスペースもリヴァプール出身)。特に共通点を感じるってわけじゃないけど、どのバンドも“あやしい”ってことだけは言えるかも。あと、な~んか“しぶい”。リヴァプールと言えば、ビートルズを生んだ街でもあるからね。やっぱ、あの街に住む人は魔法を知ってるんじゃないか?

ベースのジョン・パワーは、結構大きく動いてた。一番喋ってたかな。とにかく嬉しそうで、こっちまで嬉しくなった。「ミスター・ポジティヴ」と呼ばれていただけあって、ポジティヴなオーラあるよ。キャストのライヴを見たことないから比べようもないけど、キャストでは自分がフロントマンだったのに、ベース&コーラスに回った(戻った)ラーズでこんなにもイキイキしているなんて。リー・メイヴァースの復活を誰よりも待っていたのはジョンなのかな。それによって自分がフロントマンじゃなくなっても。

というか、私はラーズよりも先にキャストから入ったわけだし、ジョンの声が好きだったから、ジョンがコーラスっていうのは、すごく贅沢なわけですよ。ジョンの声だけ聴きたかったりもするもん。グワングワンと心を揺さぶるような響きを持った、ジョンの魔法がかった声。それが、オアシスのリアムも多大に影響を受けているであろう、リーのダミ声に重なって、こりゃもう溜まらんです。

アンコール1曲目は、本日2回目になる「ゼア・シー・ゴーズ」。そして、そのあと、リーが何やらMC。「デディケイテッド~オアシス~」とか聞こえたから、え? オアシスに捧げる? じゃあオアシスの曲?とか思ったら(我ながら浅はかな発想…苦笑)、ザ・フーの「マイ・ジェネレイション」でした。こ~れが、めちゃカッコ良かった! 本ライヴ中、一番観客がハジけたんじゃないか? リーのヴォーカルの、溜めといい、シャウトといい、しゃがれ具合といい、最高! そんなわけで、ライヴはあっという間に終了。短いけれど、とても充実した時間だったぁ。

そして、ライヴハウス・エリアを出ながら、オアシスに捧げるって言ってたし、やっぱり来てるんだろうな…とか思いながら、廊下に出てしばらくすると、歓声が。私がいた廊下は楽屋につながるところだし、もしかして?

おおーっ、リアムだー! リアムがこっちに向かって歩いてくるではないですか! すぐにそこだけライヴハウス状態に(笑)。私の目の前をリアムが通り過ぎていきました。やっぱカッコ良かった…。サングラスかけてたけど、ニヤニヤと笑顔でしたよ。通り過ぎたあとも、しばし騒然とライヴハウス状態。といっても、別に押し合いになるでもなく、何故かその場でみんな拍手&歓声(笑)。リアムの姿はもう見えないのに。みんな音楽が好きなのね☆

さて、ラーズも復活したことだし(でも今後はどうなるんだろう。そしてキャストは? 細かいことは気にすんなってか…笑)、次に復活するのはどのバンドかな?(笑) 復活、ふっかつ、フッカツ、レザレクション、アイ・アム・ザ・レザレクション! え? ストーン・ローゼズ?

ジョン・パワーだけど、2003年にソロ・アルバム『Happening For Love』を出していたらしい。知らなかったよ。聴きた~い。


産声チェインソー @Zepp Tokyo

2005-05-27 19:09:38 | ライヴ
THE BACK HORNの『ヘッドフォンチルドレン』ツアー、『産声チェインソー』に行ってきた。ワンマンに行くのは初めて。

「扉」~「運命複雑骨折」~「墓石フィーバー」と、最新アルバム『ヘッドフォンチルドレン』からのナンバーを連発してスタート。やっぱり、ゼップは広いなぁ。狭い会場には狭い会場にしかないものがあるけど、広い会場でたくさんの人がいるからこそ生まれるものもある。ずっと前、ここでもエレカシを観たんだよなぁ。また、こういうとこでも観てみたいな。

バックホーン、良いなぁ。なんか、純粋に「バンドって良いな!」って気持ちを思い起こさせてくれるんだよね。

強烈なギターリフが鳴って、シングルにもなっている「コバルトブルー」。この曲、かっちょ良いよねぇ。音が消えるその瞬間まで一気に駆け抜ける感じなのに、ちゃんと抑揚があってメリハリが効いてる。この曲は、第二次大戦中に特攻基地が配置されていた鹿児島県の知覧町にメンバーが訪れた際に衝撃を受けてできた曲だという。歌詞でも、<この夜が明ける頃 俺達は風になる>と歌っている。そんな中、クライマックス場面で、<さあ笑え 笑え ほら夜が明ける 今>と歌われる。明日死ぬというときに、笑え笑え、かぁ。でも、ロックってそういうものなのかも知れないなぁ。そのとき、私の頭によぎった曲は、エレカシの「コール アンド レスポンス」。あれなんて、「全員死刑です」って<死刑宣告>されちゃうんだもんね。それで盛り上がって、終いには、<楽しもうぜ>だもんね。

続いて演奏されたのが、「幸福な亡骸」。この流れが良かったぁ。前曲で風になった主人公に捧げる意味で繋げたのかしら。バックホーンは、激しい曲だけじゃなくて、こういう静かな心象風景を描いた曲もあって、激しい曲に負けず劣らず、味が出てるから良い。この曲もまた、ギターが良いんだよなぁ。透明感があって、シンセのような音色と旋律のギター。例を出すなら、シロップの「Mouth to Mouse」のような感じだろうか。郷愁が漂う感じ。照明効果も相まって、“夏の葬列”の独特な雰囲気を醸し出し、それまでの熱を一気にクールダウンさせてて、とても綺麗だった。同じく静かな曲、「夢の花」も良かった。歌詞が胸に響いて届いてきた。<自分さえ愛せずに人を愛せはしない 比べた数だけ汚れてく涙>とか。

レゲエのリズムで、ダブ的な音の響きも聴かせる「ヘッドフォンチルドレン」で、間奏のときだったか、ギターの菅波栄純が、「お前らの顔見てっと、俺は、音楽よりお前らの方が好きなのかも知れないって思えてくるよ。みんな、幸せになってくれ。なんか、良い奴そうだからさ」と、たどたどしい口調で言っていた。あとで考えると、クサい台詞なのだが(笑)、ありがとう。なんか、ヴォーカルの山田将司が白シャツなのもあって、エレカシっぽいなぁ~って思う瞬間もあった。そうそう、エレカシみたいな曲があったんだよね。そうだなぁ~、「風に吹かれて」と「昔の侍」と「友達がいるのさ」が混ざったような曲。ってどんな曲だよって感じだけど(笑)、ほら、マーチみたいなドラムが印象的で、切なくてドラマティックな曲、みたいな。

「サニー」では、スカでおなじみの裏打ちギターを聴かせる。でも、スカを取り入れたって感じがしないんだよね。「ヘッドフォンチルドレン」でも、レゲエ~ダブを取り入れたって感じしないし。良いとこどりをしてる感じがしなくて、バックホーン流に消化しちゃってる。なんか、ジャンルとか手法とかよりも、「バックホーン」って方が勝っちゃってるんだよね(この辺はエレカシとも重なるかな?)。ジャンルとか手法とは別のところに拠りどころがあるというか、自分たちの範疇内でやるというか。でも、蓋を開けてみると、音楽的素養がちゃんとあって、引き出しが結構多いと思うんだよね。そんで、ときどきハッとさせられる。

「光の結晶」では、“溜め”を効かせてた。一瞬、音が消えて、バーンって弾けるやつ。エレカシにも結構あるよね。

そして、ここで衝撃の瞬間がっ!(笑) 確か、それは、本編最後の曲「キズナソング」への入り。感極まった風のギタリスト菅波氏が客席に向かって何かを言おうとした。が、言葉につまって出てこない。そして一言、

「……ギターで言うわ」

そのまま演奏がはじまり、「キズナソング」へ。あの、これ、このときはそんなに気にしてなかったのですが(「キズナソング」聴きたかったし)、あとで冷静になって思い返してみると、すごいよねぇ?(笑) 「ギターで言うわ」って(笑…ごめん、もう一回書いちゃった)。きっと、本人もあとになって恥ずかしくなったに違いない(笑)。さっきの「ヘッドフォンチルドレン」の間奏中の台詞といい、菅波くんったら(笑)。も~、この発言のせいで、「キズナソング」どうだったか思い出せないよ~!(笑) いっそのこと、ギターがんがんの激しい曲だったら良かったのに、泣かせるバラードだからなぁ。いや、良いんだけどさ。あとで、思い出し笑いが止まらなかったです(笑…ごめん)。

そして、アンコール。数曲やって、最後は「奇跡」。かっこ良いー。冷気と熱気を同時に感じて鳥肌立ったよ。ふと、先日観た『アイデン&ティティ』を思い出して、ロックの形に中身が追いついたのかな~なんて考えちゃった。もちろん、そんなことは今にはじまった話じゃないだろうし、そんなこと全然よく分からないんだけど、ただ、なんとなく、そう感じてしまったって、ただそれだけなのよ。

MCは、良い意味で素人っぽさも(笑)。なんか、こんな広いところでやるの初めてみたいな感じで、「2階席盛り上がってんのかー?」とか言って、「反応薄いな…」とか呟いてた(笑)。「2階席とか慣れてないからよぉ」って言ってた(笑)。訛ってるんだよね。東北出身だっけ? らしさが出てて良い感じでした。

バックホーンが、私に、純粋に「バンドって良いな!」って気持ちを思い起こさせてくれるのは、例えばエレカシみたいに、そんなにのめり込んで好きってわけじゃない、その距離感からだろうか。だから、バンドってものを冷静に見つめることができるのかな。ただ、不思議なのは、バックホーンって誰か一人のイメージってのがないんだよね。例えば、エレカシなら宮本浩次、シロップなら五十嵐隆、スピッツなら草野正宗、ブランキーなら浅井健一、みたいなのがあるじゃない。その人が描くものってのが圧倒的に支配してるじゃない。でも、バックホーンって、なんか、そういうんじゃない。今日ずっと観てたけど、そういうんじゃないんだよね。山田将司でも、菅波栄純でも、岡峰光舟でも、松田晋二でもないの。これは、詞の大半を書いてるのがヴォーカルではなくギターの菅波栄純で、山田将司はその言葉を歌っているってこととかが関係してるんだろうけど、その各々の関係性とかバンドとの距離感とかが、バックホーンってバンドを生み出しているからかもなぁ。メンバー一人一人とバックホーンとの距離が等しいっていうか。だから私も、特定の個人は別として、バックホーンってバンドを見つめることができるっていう。その距離感が新鮮なのかも知れない。


dynamite! 最終日

2005-02-16 13:18:54 | ライヴ
横須賀で『dynamite!』の導火線に火をつけてから、各地を回り、東京事変が東京に帰ってきた! 渋谷公会堂2Days。その2日目=ツアー最終日に行ってきた。

まず、お客さんのノリが横須賀のときと明らかに違う。横須賀のときは、ファンクラブ限定1人1枚までだから皆1人で来てたのと、ほんとに初日だから何が飛び出すのか分からない緊張感と、好きゆえの真剣さや慎重な空気が常に流れていて静かだったが、今日はもっと解放的。開演前に注意事項などの場内アナウンスが流れ、その声の主が亀ちゃんだった。「最終日、皆で最高の思い出にしようね!」と。「ネットへの書き込みはお手柔らかにね」とも(笑)。その時点でお客さんは興奮気味。この場内アナウンスは、各地でメンバーが交代交代でやってきたらしい。そして照明が消え、幕が上がったときから大きな歓声で、横須賀のときとの違いを見せつけられる。「ああ、これがツアーだよな」と思い出す。メンバーも明らかに違う。ノリノリで、攻撃的で、社交的。林檎ちゃんなんて、歌の合間に「しぶぅ~や~!」なんて言ってる。横須賀の日記で「本番さながら」って書いたけど、「ああ、これが本番だよな」と思い直す。そして、ここにきて、横須賀のときはファンクラブ限定ということで特別にアットホームな心持ちだったんだなと気付く。リラックスしたゆるい空気と、照れくさい緊張感とが混在していたんだなと。

1曲目は「林檎の唄」。そういや、前回の椎名林檎のツアー『雙六エクスタシー』で、最終日の最後に演奏したのがこの曲だった。そのときも演奏メンバーは同じ。正確には、そのときは「りんごのうた」で、アレンジもぜんぜん違ったけれど。もうこのときから、東京事変のアルバムもツアーもこれが1曲目だ!なんてこと、考えてたの? 「りんごのうた」でとりあえず椎名林檎を締め括って、それを壊して「林檎の唄」で東京事変を始めるって。まるで、よくできたストーリー。事実は小説よりも奇なり。

セットリストは横須賀+1曲。も~、言うことなくて困るわ。パンキッシュな演奏から、ジャジーな演奏から、歌謡からプログレ……。基本的には横須賀のときに感じたのと同じ、これぞバンド! なんか、どこからどこまでも正しくって参っちゃう。「御祭騒ぎ」でなら分かるが、「心」でも手を振り皆でリズムをとるのはどうかと思うが、それもまた正しい。「母国情緒」の行進ももちろん正しい。MCで『笑っていいとも』でタモリさんがよくやる拍手→手拍子をやるのも正しい。「夢のあと」で、一番前のお客さんに自ら手を差し出して握手していくのも正しい(羨ましい!)。やけに無愛想にピックを投げるのも正しい。なんか、全部、正しいって思っちゃうんだよね。喜びも悲しみも愛も憎しみも嘘も誠も夢も現実も、全部正しい!って、それをやりたかったのかな~なんて。そういう、全部を受け入れてく力、それを正しいものとして鳴らす力が東京事変にはあって、それがまた、東京事変であり、東京事変を支えているって感じがした。

ライヴについてはそれぐらいで、書くことが思いつかないので、横須賀の日記(ライヴについてはこちらの方が書いてあると思います)でちょびっと予告した、椎名林檎および東京事変について考えてみたことを――。

「椎名林檎について書くことは難しい」と言ったけれど、それは、あまりにも自分にとって身近すぎるから、だと思う。こんなこと言ったら笑われそうだが、でも、椎名林檎を愛してやまない人(特に女性)なら心当たりあると思うのだ。聴けば聴くほど分からなくなってくる、椎名林檎と自分の境い目。ここが椎名林檎の凄いところであって、わけの分からないところであって、収拾がつかないところであると私は思っている。椎名林檎と自分の境い目が分からなくなる。だから書けなくなる。もちろんそれは幻覚だ。私は椎名林檎じゃないし、椎名林檎は私じゃない。でも、そんな幻覚作用をくれるのが椎名林檎の音楽なのだ。「この気持ち分かる!」とか「私が書きそうな詞!」とか、それぐらいならあると思うが、自分でさえ分かってなかった自分を歌い当てられるような。もしかしたら、彼女自身も、椎名林檎と自分の境い目を把握してなかったのかも知れない。そして、私にとっても、多くの人にとっても、椎名林檎の音楽は、その境い目を大きく揺るがすものだったに違いない。だから大きな現象になったのだろうし、皆が皆「私が椎名林檎!」ぐらいの勢いになったのだろう。答えは簡単、それぐらい彼女の表現が魅力的かつ甘美なものだったということだ(だって幻覚作用だもん)。「わたし」が「あなた」に向かっているうちに、「わたし」が「あなた」になってしまった、みたいな。さらに、その「あなた」から見た「わたし」さえも表現してみせるとくる。もうわけが分からない。「わたしがそなたで、そなたがわたし」状態。

つまり、何が言いたいのかというと、椎名林檎の音楽は、物凄く個人的で内向的なものだということだ。だから、もしかしたら、ライヴ向きではないかも知れない。誰かと共有する類のものじゃないかも知れない。今まで何回か彼女のライヴを見ているけれど、どーーーしても拭い去ることのできない「(椎名林檎は)ここにいない」という感覚。歌も演奏も素晴らしいのに、それが確かに今目の前で鳴っているのに、「これじゃない」という違和感。曲も大好きなのに、演奏も歌も良いのに、私は不思議で仕様がなかった。心と体が引き離されてしまうような、この違和感は何だろう。そして、振り返ると、記憶が飛んでいる。よく思い出せない。悲しいけれど、何も残っていない。私が初めて行ったのは2000年の『下剋上エクスタシー』というツアーだから、その前は違っていたのかも知れないけど、私には常にそんな違和感があった。それが分からないから、彼女のライヴに足を運んでいるのかも知れないとさえ思う。これは、椎名林檎本人の手によってですら、埋められないものなのか。けれど、前述のように、彼女の作り出す世界を考えると、それも少し分かるような気がしてくる。椎名林檎の表現は、彼女が、あるいは聴く人が、一人きりになったときにこそ初めて体験できる世界なのではないか。それをライヴで再現するなんてできるのか。ひょっとすると、無理かも知れない。

けれど、けーれーどー、これは音楽だ。素晴らしい音楽がある。それはただ一人胸のうちにしまって終わりなのか。それも分かるけど、それじゃ、切ない! もどかしい! どーすれば。どーすれば。

この日、その答えが東京事変とまでは、残念ながら思えなかった。が、もしかしたら、その答えにほんの少しずつでも近づいているのではないか? 私の希望的観測に過ぎないかも知れないが、ちょっとそう思えた。それに、彼女の表現が抱えるそんな「矛盾」なんて、とうに彼女は気付いているのではないだろうか。大事なのは、そして私が惹かれるのは、それが解消されるかどうかではなく、それと戦う姿勢なのではないだろうか。

表現ってのは、根本から矛盾しているものだ。自分にしか分からないことを他人に向かって投げるんだから。でも、椎名林檎は、その矛盾と戦っているというか、その矛盾を表現しているというかさぁ。とにかく、椎名林檎って矛盾してんだよ! 「あなたと私は違うし同じ」で書いたような、そこで戦ってる人なんだよ! 「同じ夜」風に言うと、表現の<根源に尋ねる行為>なんだよ! きっと私は、そこにどうしようもなく共鳴してしまうんだ!

例えば、椎名林檎と東京事変。「同じじゃん」という人と「変わった」という人がいる。同じという人は、音楽的なことを言う。変わったという人は、軽くなったとか明るくなったとか言う。それは多分、どちらも合っている。ただ、彼女の表現は、「同じ」だとか「変わった」とは全く別のところを目指している気がしてならない。椎名林檎でできなかったことを東京事変でやろうとしている気がするし、椎名林檎が否定してしまった(ように思える)ことを東京事変でカバーしているような気さえする。が、同時に、椎名林檎を肯定するには東京事変が必要不可欠で、逆もまたしかり、という構造も見え隠れする。お互いあってのもの、みたいな。そりゃあ、好みはある。けれども、私は、椎名林檎と東京事変の間にある、そのどうしようもなく矛盾した構造にこそ惹きつけられているのではないか。その前ではもはや、「同じ」も「違う」も「好み」も関係ないのではないか。

余談。あゆを好きになったことで、よく分かる気がするんだよねぇ。あゆを好きになったことで私、今までの自分が否定されてしまうような気分に陥った。だって、それまでは、あゆを否定してた(気になってた)んだから。そうすると、これが大変。椎名林檎もエレカシもシロップもビートルズもあゆも全部、繋げなくてはいけなくなる。全てを肯定した上で、矛盾に引き裂かれることなく、繋げなくてはいけなくなる。だって、そうしなければ、自分が立てなくなるのだから。どうやら私は、それは別モノと区別できる器用さは持ち合わせていないらしい。椎名林檎と東京事変。それも似たようなものだと勝手に思うことにしよう。余談終了。

「ほんと、とっ散らかってるんですよぉ」と彼女はインタビューで苦笑しながら自分のことをそう語っていた。それをまとめるのが大変だと。いつも戦っていると。どんな方法が良いかは分からないけど、彼女が戦えるのならば、それが一番良いのだろう。

東京事変を聴きながら、東京事変と自分の境い目が分からなくなってしまうことはほとんどなかった。椎名林檎はライヴ向きではないかも知れないが、東京事変はライヴ向きだと思った。椎名林檎と東京事変はやはり違うのだろう。でも、同時に、それが完璧に切り離されてしまうこともなかった。つまり、彼女が表現するには、椎名林檎だけでも東京事変だけでも足りないってことだ。モードは違ってもどちらも本気。とんでもない人だ。そして私は、椎名林檎でも東京事変でもなく、彼女が表現しようとしているところ、それを追いかけたいだけなのかも知れない。私もとんでもなく欲張りな奴かも知れないってことだ。

この日、最後に演奏したのは「茎」。この日だけだったようだ。彼女が目指しているところってのは、こういうところなんじゃないかと思う。彼女の作品はシンメトリーを描いていることが多いのだが、この曲ばかりは行き止まり。右も左もない世界。そして、行き止まりだけど、そこからどこへでも行けそうな、そんな世界。これが矛盾に打ち勝った瞬間、だろうか。

今回の一連の流れで、彼女は、自分の世界(椎名林檎)を飛び出し、世界の中の自分(東京事変)を描いてみたのかも知れない。『加爾基 精液 栗ノ花』の最終曲が「葬列」だったように、彼女は一回、椎名林檎を葬ったのだろう。そういうことを繰り返し、自分(椎名林檎)も世界(東京事変)も大きくなっていくのかも知れない。その過程で、「茎」のような作品が生まれたりするわけだ。ライヴが終わる頃、「ああ、彼女はこれからどこへでも行けるのかも」と思った。かつて、自身も含め、多くの人達に甘美な幻覚作用を引き起こした彼女の消耗や疲労は相当のものだったと思うけど、この日、「東京事変、どうでした?」と聞いてきた彼女の表情は、とても清々しかったから!

追伸。全然ライヴレポになってない&音楽的なこと語ってない&わけの分からない長文でごめんなさい。次に林檎ちゃんについて語るときは、もっと音楽的なこと語っていられたら良いな~。同じとか違うとか好みとかも。


巻舌 発祥地記念~導火線はこちら~

2005-01-15 14:57:55 | ライヴ
1月17日から始まる東京事変の初ツアー『dynamite!』。その本公演が始まる前のゲネプロ(通し稽古)公開、『yokosuka dynamite!』に行ってきました。会場は「よこすか芸術劇場」。行ったことないところだし、いつもと趣が違う会場なのでドキドキ。Uの字に座席があって、5階くらいまである。普段はオペラとかやるところなのかな? 『ASIENCE』のCMに出てきそうなのを勝手に想像してたけど、まぁ、そんな感じ。

このイベント(?)は、ファンクラブ会員限定で1人1枚までしかチケット取れないから、皆それぞれ1人で来てるわけで、開演ギリギリに入ったけど、座席について開演を待つ間も静かだった。ライヴ中もワーッて盛り上がるんではなくて、みんな凄い真剣にみてた。固唾を飲む感じ。

「2004年を音楽で振り返る」でも書いたけど、私にとって林檎ちゃんについて書くことは非常に難しい。その辺、今回のお客さんの固唾を飲む感じを見てもやはりと思ったのだが、そこら辺は本公演のところで書こうと思っているので、今回の記事では、なるべくレポに徹してみよう。

ライヴは、もうお腹一杯。まず、東京事変名義で出した曲は、C/W含め全曲やってくれた(17曲…DVDにのみ収録されている美空ひばりのカバー「車屋さん」も)。それから、新曲を3曲(うち2曲は亀ちゃん作曲)。ヒラマさんのソロ作品を1曲。洋楽のカバー1曲。そして、椎名林檎の曲も。「ここでキスして。」、「月に負け犬」、「同じ夜」、「∑」(「クロール」とメドレー形式)、「丸の内サディスティック」――。このバンドで一杯演奏したいんだな~。それが伝わってきて嬉しかった。

「顔」では、アコギを弾く林檎ちゃんを初めてみた(かな?)。数曲でピアニカも吹いた。アコギもピアニカも何だかすごく優しい感じで新鮮だった。ってか、ピアニカ吹いてすぐ歌えるのがすごい。で、「ここでキスして。」。事前に、やるかも知れないというようなことを聞いていたから驚きはそんなになかったものの、やっぱクルものがある。そのとき、わけも分からず、とっさに私の頭に出てきた言葉が「おかえりー!」だった。もう何だか、「おかえりー!」だったのだ。そして、「月に負け犬」。これが聴けるとは。この曲は、私が初めて生で聴いた曲だ。ああ、あれから何年たつんだ? あれからお互い色々あったのかそうでもないのか、とにかく、またここで会えたね。同じ時代を生きてきたね。そういうことを勝手に思う。ライヴの醍醐味。どこまでもどこまでも真っ直ぐ伸びていきそうな歌唱であり演奏であったから、ああ、この曲は、すごく、すごく、真っ直ぐな曲だったんだ、やっとあるべき姿で鳴らされたんだ、てなことを思った。前が悪かったわけではない。曲があるべき姿で鳴らされることって、なかなかないことなのかも知れない。むしろ、ズレや摩擦からエネルギーが生まれることの方が多いのかも。ビートルズの「ヘルプ」だって、あるべき姿で鳴らされなかったかも知れないけど、そこにあったズレや摩擦や色んなもんが渦巻いてすごいエネルギーが生まれたには違いないんだ。けれど、この日の「月に負け犬」は、ただただ真っ直ぐ、真っ直ぐに伸びていた。良いとか悪いとかではない。真っ直ぐだった、ただそれだけ。で、それに続けて、「同じ夜」ですよ? これ、反則ですよ。「同じ夜」は、私が林檎ちゃんで一番好きな曲かも知れない。

<飛交う人の批評に自己実現を図り戸惑うこれの根源に尋ねる行為を忘れ>

本当ビックリしたよ。この詞をみたときに。出会っちゃったよ~って感じ。こんなにも私にとって真実を射抜く言葉なり表現を紡ぐ人がいたなんて。こんな人は滅多にいないんだよ。こんな風に聴き手にドッペルゲンガーを起こさせる人なんてそうそういるもんじゃないんだよ。この曲を生で聴ける日が再びくるんだろうかと思っていたけど、きてしまった。もうこの時点で私、「もう今日はこれで帰って良いや」って思ったよ。というか、早く持って帰りたい!ってな気分よ。でも、まだこの時点で中盤だったかなぁ。そんな風に「月に負け犬」~「同じ夜」で「もう良いです」と思っていたのに、一旦、ヒイズミさん以外が舞台から下がり、ヒイズミさんがしゃらら~んとピアノを奏で始める。ああ! 「現実に於て」だぁ。この曲は、東京事変のアルバム『教育』収録の、「現実を嗤う」という曲と繋がってる曲なんだけど、この「現実に於て」~「現実を嗤う」は、『教育』の中で一番好きな時間帯かも知れません。というか、ヤバイ時間帯。どちらかと言うと、東京事変より椎名林檎寄りっていうか、『加爾基 精液 栗ノ花』とかに入っててもそんなにおかしくはないような曲で、自分の中にある煩悩やら何やら全部かき回される気分で。ハッキリ言いますが、これ、男性立ち入り厳禁です! ねえ? 女性の皆様? これがまた、ヒイズミさんのピアノが同じフレーズを繰り返すだけなんだけど、素敵なんだよなぁ。ヒイズミさんって、もう音出してなくても、佇まいだけで、そこに居るだけで、音が聴こえてきそうなんだよなぁ。同じく、ヒラマさんもそんな感じで素敵だし。というか、ツアーみてヒラマさん株が私の中で上昇。で、ポツポツと他のメンバーが出てきて、それぞれの音が重なっていき、林檎ちゃんが歌い出す。もうね、この曲の「どうにかなっちゃいそうになる感じ」がちゃんと再現されてましたよ。メンバーが一旦下がる演出もそのためかも。「同じ夜」から切り替える必要もあったのかもだけど。だから私、どうにかなっちゃいそうでしたよ。またまた言わせてもらいますが、これが男性に分かるかって~の! 一見「クロール」とかがその代表例だと思われがちでしょうが、そんなのまだまだ甘いって!? ねえ? 女性の皆様? 女性の特権よ! うふふ。ああ、その前は「同じ夜」だったのにね。なんか贅沢すぎちゃって……良いの?

それからはよく覚えてない。林檎ちゃんについて書くことは難しいと言ったけど、林檎ちゃんのライヴって、なんか、記憶が飛んじゃうんだよね。だからこの記事も全然レポになってなくてごめんなさい。レポに徹してみようって書いたくせに。ただ、思ったのは、「駅前」とか「夢のあと」とか、ライヴで聴いて私の中で評価が上がったのは確か。というか、『教育』の評価がグンと上がった。CDだと物足りなかった人もライヴみたらガツンときたんではないかなぁ? 少なくとも私は、ライヴのあと『教育』の評価が上がったし、『教育』はCDよりライヴの方が良いと思った。また、『教育』はそういうアルバムなんだとも思った。バンドならではの楽しさだとかハチャメチャさだとかうるささだとか無責任さだとか茶目っ気だとか暖かさだとか人との繋がりだとか、そういったバンドならではの醍醐味や躍動感を『教育』から感じたし、ライヴではそれがより一層ダイレクトに伝わってきたから。それから、東京事変というバンドの持つ瞬発力や攻撃力(演奏力はもちろん)、洒落た部分を感じた。乱暴な言い方だけど、曲なんてどれでも良いっていうか、どの曲でも料理しちゃうよって感じ。で、洒落てるんだよね。粋なんだよ。「ダイナマイト」では「dynamite!」という大きなプレートが下がってきたり、「群青日和」ではバカでかいミラーボールが回るし、ホーンテッド・マンションにありそうなシャンデリアも素敵だった。

MCでは全員がそれぞれ喋って、亀ちゃんか誰かが「ゲネプロって何の略か知ってます?」と言ったら、お客さんが答えていた(答え忘れた)。で、「何語なんですかね」と確か林檎ちゃんが呟くと、「ドイツ語ー!」と同じくお客さんが答え、「へぇ。すごい。ドイツ語って発音が難しいんですよね。ゲーテとか。ゲーテ、ゲーテ、グェーテ…」と一人呟き、呟いた自分に照れていた林檎ちゃんが可愛かった。それから、年末をどう過ごしたかの話をしたりなどして、くりきんとんを作ったとかサザンの年越ライヴを見たとかいう話をし、それから「サザン・オール・スターズ」とか「マライア・キャリー」とか「ブリトニー・スピアーズ」とかの英語発音教室(?)へ。これは、『Mステ・スーパーライヴ』でも言ってたなぁ。そこだけやけに英語っぽい(?)発音で「スタァァァー」って(笑)。

ファンクラブについても触れてくれました。「今日は皆さん、林檎班に入って下さってる方なんですよね?」と林檎ちゃん。「本当に?」みたいに言ってた。会場を見渡して、「すごい…。こんなに居て下さるんですね…」みたいなことを呟かれてました。それプラス、ここだけの話も(ふふふ)。最後、「また本公演等でお会いしましょう」って言ってくれたのも嬉しかったなぁ。

ゲネプロという名目もあってなのか、「その淑女ふしだらにつき」の出だしを間違えてやり直したり、亀ちゃんが「今日はリハのようなもんだから大目に見てね」と言ったり、リラックスしたムードもなきにしもあらずだったけど、基本的には本番さながらだった。それでは、また本公演でお会いしましょう。