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sky is blue

言わなければよかったのに日記

アイデン&ティティ

2005-05-26 19:25:01 | 映画
映画『アイデン&ティティ』を観た。バンドブームのときのお話。みうらじゅん原作。田口トモロヲ監督。宮藤官九郎脚本。元ゴーイング・ステディで、現在は銀杏ボーイズの峯田和伸、中村獅童、大森南朋、マギー(ジョビジョバ)、麻生久美子などが出演している。

私は、バンドブームというものを実際には体験していない。だから、分からない部分も多いと思う。でも、時代は変われど、ブームは変われど、根本は何も変わらないような気もした。

なんだか、詩的な映画だなと思った。それは、度々出てくるロックの神様、ボブ・ディランの言葉というか詩のせいがあるんだろうけど。それこそ、答えは“風に吹かれて”いるみたいな。彼女(麻生久美子)の台詞も、それに負けじと十分詩的だ。彼女が、主人公(峯田和伸)にとってはもう一人のロックの神様なんじゃないの?というくらいだ。

息苦しくなるくらい真面目でもある。今回、この映画について書こうとしたけど、なんだかうまく言葉が出てこない。作品がすべてを物語っているからなのか。答えが風に吹かれているからなのか。分からないけど、これだけ書くのにも結構時間がかかった。大したこと書いてないのに。たぶん、原作者であるみうらじゅん自身も「大島渚」というバンドを組んで活動していたとのことだから、現場体験者の言葉の重みみたいなものが(思いや思い出とかも)ずっしりとこの映画にも受け継がれているのだろう。だから私も、まるで戦争体験者の話を聞いたときみたいに、言うべき言葉を見つけられないのかも知れない。

ふと、「人間として生きてやれ」「サムライ in アテネ」で自分が書いていたことを思い出して、(ロックだろうと何だろうと)やっぱり何も変わらないんだな~と思ってみたり、(ロックに関して言えば)でもやっぱりそのときにしかない何かはあって変わったのかも知れないな~と思ってみたり、いやいややっぱり何も変わってないよな~と思ってみたり。とにもかくにも、時代は変わっても、ブームは去っても、人は生きていかなくちゃいけないんだよな。


リヤル探しの旅だぜベイベー

2005-04-20 00:13:45 | 映画
前回でも、前々回でも、“リヤル”、“リヤル”とうるさく書いてるようなので(笑)、リヤル探しの旅に出ようぜベイベー!!

ってことで、『真夜中の弥次さん喜多さん』観てきました。

いやぁ、面白かったぁ。また観たいなぁ。何度も観たいかも。細かいところを楽しんだり、そんなこと気にしないで大きく楽しんだり、人の数&観た数だけ色んな楽しみ方がありそう。

面白いのは分かるけど、笑っちゃうのは分かるけど、なんで泣けてくるんだろ。いや、ちょっと待てよ。なんでこれが笑えるんだ。泣ける話だろ。いや、でも笑える。いや、泣けるよ。笑える。泣ける。笑える。泣ける……。も~、わけ分からん! いや、分かるよ。分からない。分かる。分からない。分かる……。もう良いか(笑)。

とにかく、私が言えることは何もない、こんな作品を前に大したことは言えそうもない、うっかり何か言っちゃったら台無しになっちゃいそう、もしくは、思い浮かばないだけとも言えるんだけど(笑)、面白かったなぁ。これは映画館の迫力の中で観た方が断然良いかも。そうだなぁ、強いて言えば、今ふと思ったことだけど、なんていうか、「幸せ」とか「不幸」ってのがないんだよね。そこがすごく良い気がする。幸せも不幸もない。なんだって良いじゃんって。いい加減だけど、いい加減じゃない。なんだって良いって、すごくパワーが要るよ。自分を受け入れるのって、すごくパワーが。『彼岸先生』で描かれていた世界にも近いものがあったりして…。自分を受け入れるパワー。結局それが欲しくて、映画も音楽も小説もあるのかも知れないし、自分を受け入れようとする、そういうパワーを持ってるものに、私は惹かれてしまうのかも知れないなぁ。

劇中に流れるZAZEN BOYSの音楽が良いんだな~、これがまた。そういや、監督のクドカンこと宮藤官九郎が、タワレコの『くど監キャンペーン』というので、お薦めのCDを何枚か挙げていて、もちろんそこにはZAZEN BOYSもあって、他には、銀杏BOYZ、『タイガー&ドラゴン』のクレイジーケンバンド、そして、エレカシも挙げられていた。洋楽では、THE WHOが挙げられていた。そんな中、WINKも挙げられていて、そのコメントで「なんだかんだ言いましたが、理屈抜きで好きなのはこの1枚だけかもしれません。」と書かれてあった。そこでふと「スター不在」で書いていた自分のこんな言葉を思い出してしまった。

“私はどうしてあゆの音楽に惹かれてしまうのだろう。エレカシや椎名林檎、ビートルズやクイーン、シロップ、ブランキー、ビョーク……他の好きなアーティストについてなら、どうして惹かれるのか何となく分かるのに。”

私が理屈抜きで好きなのはあゆだけってこと??

いやいやいや、な~んちゃってね。あゆについても、さんざん長いこと書いてるくせにね。

どうして人は理屈を欲しがるんだろうね。それがリヤルとでも言うのだろうか。だとしたら、リヤルってのは、それとは正反対のところにあるのかも知れないのにね。あるいは、それを超えたところ…。もしかしたら、「理屈じゃない」ってことを言うために、理屈こねてるのかも知れないよね。

あなたと出会って 理屈はなくなって 理由だけ残って

ある日、そんなことをぼんやり考えていたら、シロップの「Your eyes closed」のこんな一節が飛び込んできた。自分の中にある、あらゆる理屈が意味をなくしてしまうとき、リヤルってのは顔を出すのかも知れないね。ま、そのときのためにも、理屈をこねにこねていきましょうか!!(笑)


ZOO

2005-04-13 23:13:57 | 映画
そんなこんなで『ZOO』、観てきました。

なんかドキドキした。5つの物語なんだけど、すべてに共通して思ったのは、生の隣には死が、死の隣には生が、常にあること。最後の「ZOO」では、生と死の境い目もよく分からなくなってたけど、何かが生まれたときには何かが死に、何かが死んだときには何かが生まれている。生のあるところに死あり、死のあるところに生あり。そんな死と隣り合わせの生、生と隣り合わせの死が伝わってきたから、ドキドキしたのかも知れない。

注目の子役って、神木隆之介くんのことなのね(「SO-far そ・ふぁー」出演)。なるほど。でも、「SEVEN ROOMS」に出てた須賀健太くんも良かったよ。子役かぁ。自分が子供のころを考えると、演技なんてできたかなぁ?

エンディングに流れたバックホーンの「奇跡」は、曲だけですごく好きだし、力を持っている曲だと思うから、映画に合ってたかどうかとかは私には判断できないところがあるんだけど、良かったんではないだろうか。

バックホーンと言えば、松田晋二(ドラム)が、「キズナソング」の企画で、『リスナーとのキズナ』というお題でコメントしていて、それがなんか良かった。リスナーとのキズナといっても、一人一人の顔は見えないし、どんな人が自分達の音楽を聴いてるかは日々疑問に思うことで、リスナーとのキズナというのは分かりそうで分からないと。でも、リスナーがいることで自分達の音楽が成立していることは事実で、だから、バックホーンを作っているのは自分達だけじゃなくリスナーの皆でもあると。そして、目に見えない関係だからこそ素晴らしいものもあると思う、と言っていた。

好きなアーティストとか、知り合いでもなんでもないけど、友達とか家族とか、目に見える関係とは違う繋がりってあると思う。会ったこともないのに、友達や家族以上のキズナを感じてしまうときだってあると思う。目に見えないからこそ、より深い部分で繋がれるってこともあるのだと思う。それが逆に、目に見えることで、見えなくなってしまうこともあるのだと思う。目に見えないからこそ、見えることもあるんだと思う。

「知らない方が幸せなこともある」ってよく言うけれど、それは、「知らないことで知れることもある」ってことなのかも。例えば、すごく単純な例だけど、着ぐるみを着てる人がいて、子供はそれを本物と信じてる。でも、大人は人間が着ていると知っていてそうとしか見れない。どっちが真実を見ているのかな。その前に、真実はどこにあるのかな。真実って、一つきりなのかな。必ずしも事実=真実ってわけじゃないし。でも、大人になればなるほど、「知らないでいること」は難しくなってくるわけで。それでも、「知らなかったときに知っていたこと」を守ることはできると思う。何も知らないでいたいとは思わないし、むしろ知りたい。でも、知っていることがすべてとも思いたくない。目に見えることを見た上で、目に見えないことも見ていたい。目に見えることと目に見えないこと。その両方を見るのは、とても力の要ることなんだろう。心の眼を持てってことですかね。

松田晋二はこうも続けていた。「目に見えないキズナだからこそ音楽が必要なんだな、きっと」。ううーん、やっぱり、音楽って最高!

そう言えば、『青いブリンク』を見終えた。やっぱ、良かったぁ。物語の結末というかオチ(グロス皇帝の正体)も良い。最後、「全部、夢だったの?」と言ったカケルに、お父さんが「どうかな。でも、夢を見る前と後とで、カケルが少しでも成長していたのなら、それは夢じゃないんじゃないかな」みたく答えていた(台詞うろ覚え)。

目に見えないキズナでも、自分の中に何かがあるならば、それは夢でも幻でもないんだと、そう思う。いや、たとえそれが夢でも幻でも、良いんだよ。目に見えることだって、いつかは消えてしまうのだろう。目に見えることより目に見えないことの方がよっぽど信じられるときだってある。きっと、答えがどこにもないのは、それが自分の中にあるからなんだ。

って、私は何を言ってるんだろう(笑)。「ZOO」ってタイトルなのに、半分以上『ZOO』の話じゃないし。


Jam Films

2005-04-03 22:13:10 | 映画
なーんかなー、「スター不在」とか「dynamite! 最終日」とか、何書いてんだろって感じ(笑)。内容的にもだけど、1日分ので7日分ぐらい書いちゃってる気がする(笑)。これじゃあ、毎日更新できないのも分かってくれるでしょ? え? まだまだだって? いやぁ、今の私では、こんな調子で毎日更新してたら、倒れてしまいます(笑)。誰も頼んでないのに(笑)。いや、そういうのもたまには良いけどね、もっとこう、サクサクッとしたのだって、あったって良いじゃんねぇ。それにさー、7日分ぐらいのパワーを使って1日分のとこに書いたってだよ、たくさん投げたら、逆に伝わらなくなっちゃうかも知れないのにさー。あーあ。ったく。

もっとこうサクサクッとしたものも書こうじゃないか! そういうのがすごい意味を持つときだってあるかも知れないじゃないか! 更新ペースも上がるかも知れないじゃないか!(そうならなかったらゴメンなさい)

……こんなことを思ったのも、こんなサクサクッとしたテンポの良い映画を観たから、かも知れません。

『Jam Films』って、名前は聞いていたけど、一体どういうものなのかよく分かってなかった。けど、ここにきて、思わぬところで、私の中で色々な要素が『Jam Films』にリンクしたので、観てみることにした。最新作『Jam Films S』にスネオヘアーが出てること、『Jam Films 2』にバナナマン日村さん、ラーメンズが出てること、などなど。

タイトルからも想像できるし、短編映画集ということは何となく知っていたが、やっぱり短編映画集。全部で7作品、監督もそれぞれ7人。1作品10~15分くらい。共通のテーマがあるわけでもなく、ただ無造作に並べられたように次から次へと繰り出される7つのストーリーが、どれもそれぞれの個性を持っていて、色んな世界が一気に味わえてお得な気分。監督は、北村龍平/篠原哲雄/飯田譲治/望月六郎/堤幸彦/行定勲/岩井俊二の7人で、私は映画に詳しくないからよくは分からないけど、みんな活躍している人達だというから納得。ぜんぶ観終わってみると、無造作に並べられたようだけど、やっぱり順番は考えられてるなぁと思った。この順番だから、リズムよく観れたんだろうなと。

オープニングで、くるりの「水中モーター」が使われててびっくり。でも、この映画のオープニングに合ってたかも。短編ってことで、当たり前だけど長編とは違ってて、10分という短い時間で勝負しなくちゃいけないから、まさに瞬間芸。映画というよりも、音楽に近いものがあるかも。プロモとか。普通の映画みたいに2時間とか時間があるわけじゃないから、起承転結があったりとか、時間や気持ちの流れに緩急がつけられてたりとかはほとんどなく、最初から最後まで凝縮されてる。だから、なんか、ジェットコースターに乗ってるような気分かな。美味しいとこだけもらっちゃいますって(笑)。2時間ずっと1つの話に集中してなくて良いから楽に楽しめるっていうのもあるし。そのへんのジェットコースター感とくるりの「水中モーター」が、なんか合ってた。

こういうのって、後を引くような作品が間に入ってたりとか、場合によっては、観る側が上手く切り替えられなくなってしまう可能性もあるけど、その点は作品の順番も含めよく考慮されてたのか、大丈夫だった。リズムよく観れたし。だからと言って、観終わった後に、なんにも残らないってわけでもなく、あの作品ここが面白かったなぁとか、あれはこういうことかな~こうともとれるな~とか、観たときの感じを取り出してみたり、そういうことができるくらいの余韻はちゃんとくれる。

2時間使ったドーンとした映画が観たいって人は肩透かしをくらっちゃうかも知れないけど、それとは別物で短編映画集としてってことなら、十分楽しめるのではないかな~。というか、長編にはない楽しさがあるってことだね。共通のテーマがあるわけでもないから、ただ短編が並べられただけじゃんって感じるかと思ったら、そうでもなかった。なんか、ちゃんと意味はあったっていうか、そうすることによってジェットコースターになり得たっていうか。で、ないようでいて、「いつもは長編を手がけるベテランが瞬間芸を披露した」って共通項かつテーマはあるし、7人ともそれを理解し意識した上でやったんだなってのが伝わってきたし。いつも長編をやってるから瞬間が活きるっていうか。つまり、瞬間芸が活きてたってことです。それが連なってジェットコースターみたいに楽しかったってことです。

『Jam Films 2』は、またちょっとコンセプトが違うみたいで。バナナマン日村さんが出てるから、本当はこっちの方が観たかったんだよね。でも、こっちは貸し出し中だったの。

それと、スネオヘアーが出てるということで、ココリコ田中主演の『犬と歩けば』も借りて観たんだけど、犬が可愛かったなぁ。犬とか猫とか、動物見ただけで元気になっちゃうの、私すごく分かるなー。私は動物かっていうくらい(笑)。いやいや、動物なんだよね。スネオヘアーは、最後にほんのちょっと出るだけでした。しかも、犬に似てるという役で、役名が「タムラタロウ」(笑)。更に、田中の役名が「岡村靖幸」(←ミュージシャンにいますね)。それと、ラーメンズ片桐さんも出ててびっくりした(知らなかった)。


ハウルの動く城

2005-01-19 19:15:18 | 映画
『ハウルの動く城』を観てきました。でも、特に言いたいことも言うべきことも浮かんでこないんだよなぁ。良くなかったわけではないと思うんだけど、言いたいことがあまり浮かんでこない。もしかしたら、この映画自体、言いたいことが特にないまま作られちゃった映画なのかな。

言いたいことっていったって、別に、明確じゃなくったって良い。よく分からないものでも良いし、言いたいことなんてな~んもないってのでも良い。けど、何て言ったら良いのかな、とにかく、こんな映画作ったんだぜオラー!ってのが、あんまない気がするんだよなぁ。同じ宮崎駿監督で言えば、『もののけ姫』とかさ、すっごい、監督のオラー!ってのがあるじゃん。こっちに有無も言わさず、みたいな。たとえ自分の好みじゃなくても、「ああ、監督はこれが作りたくて仕方なかったのね。仕様のない人ね(笑)」みたいなさ。そういうのが、あんまない気がするんだよなぁ。これ、本当に作りたかったのかな?みたいな。一つ一つのシーンにはそれなりに言いたいことがギュッと詰められてる気がするんだけど、ポッと点いては消えていく感じで、連続していかない。

例えば、どーしても、過去の作品のキャラクターなりシーンなりを連想してしまう箇所が結構あったり、同じくテーマにしても過去の財産の寄せ集めっていうか、それに頼ってしまってる感が否めない。ま、それくらい財産を築いてきたんだから良いんだって見方もあるけど。何より、自分自身の財産だし。

ただ、良くないわけではないんだよ。これを宮崎作品って知らないで観たら違ってただろうし。宮崎監督ってだけでハードルが高くなってるところもあるだろうし、または、宮崎作品を知らなければ過去の作品もちらつかないわけで。私は過去の作品も何本か観てるからであって、これが初めてならもっと言いたいことも出てきたかも知れない。宮崎監督ぐらいになると、新しい作品作るのも大変なんだろうね。もう何本も作ってるし、成果も上げてるし、そんな中、ゼロからこれを作りたい!って心底思うようなことってなかなか難しいのかも知れない。でも、次の作品が観たいって人がたくさんいてっていう。

さっきオラー!ってのが感じられないって言ったけど、つまり、それを維持することがどれだけ難しいことかっちゅう話なんだよね。ただボーッとオラー!が沸いてくるのを待っていたら、いつまで経っても作品なんてできないかも知れないし、無理矢理オラー!ってなった気になっても、なんか違うってことになりかねないし。これは映画に限らず、音楽だって何だって言えると思う。そして私は、そのオラー!が好きなんだろうなって思う。なんか、好みだとか価値観だとか、そういうの超えるんだよね、オラー!って。そりゃあオラー!があれば何でも良いってわけじゃあないけど。でもそこは基本っていうか。って、さっきからオラオラ何言ってんだって感じだけど(笑)。

木村拓哉がハウルの声ってことで、キムタクってのが前面に出てきてしまって気になっちゃうんじゃないかと思っていたけど、それは特に気にならなかった。途中からキムタクってこと、ほとんど忘れてたと思う。倍賞千恵子はなぁ、面白いと思うけど、若い人がやるソフィーも見て(聞いて)みたかった気がする。

この映画は、原作は宮崎監督じゃなくて、ダイアナ・ウィン・ジョーンズという人の『魔法使いハウルと火の悪魔』という作品らしい。ここにもオラー!度低しの原因があるのかも。違う人の作品をもとにして作るのって、一度その作品を自分の中で受け止めて、そして、そこから自分の表現したいこと、できることを探して…ってやらなくちゃいけないだろうから。でも、『魔女の宅急便』とかも原作は違う人の作品だったわけで、それでも、その上で、宮崎監督のオラー!は出てたと思うし。(なんか、都合悪いこと、面倒なことはオラー!で説明を片付けちゃってる気もしますね、許してね)

まぁ、これまでの作品でオラー!を出してきたわけだから、たまにはこういうのも良いのかもね。仮に、そんなにどーしても作りたい!ってわけじゃなかったとして、それでここまで作れるのならそれはそれで凄いし。もしかして、これが「老人力」ってやつなのでしょうか? だから私には分かり切れなかったのかも? って、『老人力』読んでないから何とも言えないんだけれども…。ただ思いついただけで。

老け込んだ心につけ込んで呪いをかけられたソフィー(とここでは勝手に解釈)。その心が若返れば若い姿に、老け込めば老人に…と姿かたちがコロコロ変わるソフィーですが、監督自ら、自らに魔法をかけ、老け込んだ心を実践してみた!! …という仕掛けがあったのだとしたら、それは、ちょっと、すごいかも。んなわけないよねぇ?(笑)

映画といえば、ちょっと前にDVDで観たティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』、すごく良かったなぁ。レンタルなのに思わず2回観ちゃったよ(大抵は1回で返す)。「物語を語っているうちに、物語そのものになってしまった」――ううーん、良いわぁ。素敵だね。(ってか、この間行ったラーメンズもそんな感じ?)

「彼(物語)は、永遠に生き続ける」。