メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

岡本太郎“太陽の塔”~井浦新が見た生命(いのち)の根源~@日曜美術館

2018-04-07 12:29:37 | アート&イベント
「作家別」カテゴリー内「岡本太郎」参照

今回が5年間司会を務めた井浦さんの最終回
これは、いろんな意味で永久保存版v

といいつつ、なかなか1度観た番組をリピートすることはないので
出来るだけメモるため、1日100枚までの画像アップを超えた時点で次回追加します


【内容抜粋メモ】

大阪府 吹田市









こんな感じなのか 遠くから観ると可愛い よくぞ遺してくれました/感謝
嗚呼、新幹線に乗れるようになったら、真っ先に行ってみたい

い:
まず大きさに驚きます ほんといつ観ても驚くよなあ
いつ、何度観てもいいですよね 毎日観てもいい
まだあすこまでたどり着いてないのに、もうこんなに心が動かされてるってスゴイことですよね

正面からもいいけど、斜めから観てもいい 巨大な生命体が現れたような
木越しに観るのがほんとに好きだなあ 一番生き生きと感じる 僕が生き生きさせられちゃうのかな
(スタッフが笑ってるw

でもなぜこの形になったのか あの顔たち 赤い稲妻 手を広げたようなポーズが
どうして生まれてきたのか、すごく考えるのが楽しいところ





1970年 大坂で開催された「日本万国博覧会」
開催期間は延べ183日 77カ国が参加 6422万人が訪れた
(入ろうとする人々がみんな満面の笑顔なのは、テレビが撮っているから?

戦後のニッポンが戦後の威信を賭けて挑んだ大プロジェクト
その来場客を見下ろすように出迎えたのが太陽の塔だった










「太陽の塔」
テーマ館の1つとして造られた
閉幕後、存続を求める人たちの声により「永久保存」が決定 高さ70m 





造ったのは戦後、美術界の異端 岡本太郎
大坂万博テーマプロデューサーを務めた





太郎の作品は、常に賛否両論、物議を醸す注目の的




当時、日本は高度経済成長期の真っ只中
都市部には、高層ビル、道路が次々建設され、人々の生活も戦後の混乱から見違えるほど豊かになった










「大坂万博」はそんな“明るい未来の象徴”として開催された テーマは「人類の進歩と調和」



だが太郎は強い違和感を抱いた



1984年放送のインタビュー NHK教養セミナーより



た:
いわゆる「進歩」と「調和」は逆だと思う
人間少しも進歩してないですよ
科学的に、工業的に、産業的に、さまざまに見て進歩しているかもしれないけれども
人間的にはみんな空しくなっていますよ 機械の奴隷になっていますよ

調和っていうと、全部が機械で生産されたような、計算づくばっかしが並ぶだろうと
そうじゃない、それとは正反対のをバァーンとぶつけてやるの

ぶつかり合うことが調和なんであって、正反対のものがぶつかり合うことによって、両方が開く
だから、あんな素っ頓狂なものを造ったわけですよ
憎まれてもいい、嫌われてもいいと



建築家・丹下健三
そもそも、太陽の塔が建設される場所には、建築家・丹下健三による
近未来の空中都市をイメージした巨大な大屋根が造られることになっていた
だが、その構想を知ると太郎の中には強い思いが沸きあがった





「優雅におさまっている大屋根の平面に、ベラボーなものを対決させる」



その信念が万博を動かした
高さ70mの太陽の塔のために、大屋根に穴を開けるよう計画が変更された
テーマと対決するベラボーなシンボルの誕生だった






多磨美術大学教授 野衣さん:



進歩と調和は、妥協の産物、まやかしなので
たとえ矛盾してぶつかり合っていても、本来の力と力がぶつかり合って矛盾がむき出しになるような
それについて大勢が考えることでエネルギーをもらう

万博とはそもそも何なのか
人類の祭典で何をなすべきなのかを根源まで遡って考えるために
太郎の言葉だと「爆発」という言葉になりますが
爆発的な場所を造ることによって、人がより多くその問いに参加できるような機会を設定しようとしている



「太陽の塔」のデッサン
その魅力は大きさだけでなく、太郎にしか生み出せない絶妙な曲線のフォルム
(もうこの時点で実物に近いイメージが出来ていたんだなあ/驚




イメージの源は古代のエネルギッシュな造形 「縄文土器」
中でも太郎が「日本の美の原点」とも評した「縄文土器」は強い影響を与えたと言われる

岡本太郎撮影




インタビュー:
上野の博物館にね、考古学資料の飾ってある場所があったんで、その部屋に入ってみたらば
その隅のほうに「アッ」と思うようなものがあったの
「何だろうっ!?」ガタガタっと惹きつけられてね、見たら「縄文土器」って書いてあるの



こんなものがあるのかと そしたら日本のものだと分かった
日本の過去にこんなものがあるとは全然知らなかった 美術誌には全然載ってなかった
ビックリしちゃって ああと感動してね

それからウチに帰ってから原稿を書いた どんどんどんどん
他にも資料があるといって見て歩いて、かなり長い原稿を書いて それを発表した


『日本の伝統』(1956)(うわあ、いい古書 読みたいなあ!







模型制作
原始の芸術との出会いは、現物を通じ、人間とは何かを問う太郎の生涯のテーマにもつながった








い:
うわあ 真横もいい 近づいてみないと分からないことがほんとにたくさんあるんですよね
(空の青、雲の白ともマッチするエネルギーの対決





僕には太郎さんが作った土偶にしか見えない
あの黄金の顔は仮面ですよね 顔はあるけど、頭がないって、ピンときてしまう
土偶のつくりって仮面はあるけど、頭はない
手の造形も5本指じゃなくて、両サイドに突き出てる



僕が土偶や縄文が好きだからっていうのもあるし
太郎さんが縄文を美術の分野に引っ張り出してくれた人でもありますから
僕もすごいその影響を受けてますけど


<スタジオ>






太陽の塔はリニューアルされ、内部が一般公開される
その総指揮をされた平野さん



い:太郎が太陽の塔を建てた時、何が彼をかきたてたと感じるか?

ひ:
いろいろあると思うが、万博は19C半ばに生まれて、今に至るまで発しているイメージはたった1つ
「技術が進めば、ヒトは幸せになり、社会は豊かになる 技術が夢の未来を切り拓く」
これが万博のメッセージ

だけど、太郎は、技術の進歩がヒトを幸せにするなんて、これっぽっちも思っていない
万博が持つ近代的な世界観、思想で埋め尽くされるであろう会場のど真ん中に
アレをドーンと突き出せることで、体を張って、万博の価値観なんて信じるなと言っていると思う
だから、まるで太古から立っていたかのようにある

アナ:今もそうですが、当時もミスマッチ

ひ:
大屋根は夢の空中都市だった あのシステムを使えば、どこまでも空中に都市が広がっていける
そういうデモンストレーションだった それは万博の価値観を素直に表出した優等生だった
モダニズムの極致

それに対して、まったく真逆のものをぶつけることによって、太郎は大屋根を生かそうとした
新しい芸術とは、ぶつかり合いの火花の先にしかないんだ つまり芸術になる 大屋根を芸術にしたかった
それこそが太郎の考える調和

い:太郎さんは否定しながら、ぶつかりながら、しっかり肯定して、受け入れて、ちゃんと表現している

ひ:
太郎はたしかに進歩と調和は気に入らなかったし、彼の価値観とはまったく逆
だけど、別に万博をぶっ壊してやろうとか、踏みつけてスッキリしようということではない
彼は彼なりに、進歩と調和を表現しようとした 真面目に



太郎が太陽が構想されてから50年目にあたる今年
万博終了後、手付かずになっていた塔の内部をリニューアルし
再び一般公開されることになった

その公開直前、特別に塔の中を取材した

スタッフ:こちらが新たに生まれ変わった塔内です







「生命の樹」





巨木の高さは約40m 最底部は粘菌か?
幹や枝にはかつて地球上に存在した古代生物たちがいて
上に向かうにつれて時代が進む

(やっぱりいつ見てもかっけー!

大阪万博にタイムトリップ!完結編@「探検バクモン」

『せいめいのれきし』(岩波書店)













あ、やっぱり階段を登るスタイルなのね





い:
まず、内部がこんなに真っ赤だったとはという驚きも知らない者には衝撃が大きいですね
これは体内だな 血流とか、神経とか、リンパ腺とか
その体内を全部つなげている

大阪府日本万国博覧会記念公園事務所 塩野さん:はい、体内のイメージですね



1970年当時の内部
粘菌が揺れてる/驚





訪れた観客は階段とエスカレーターで上にあがりながら、生命の樹の生き物たちを通して
生物の進化や、命の神秘を体感した





太郎は生命の樹の頂点に、敢えて現代の人間の姿を置かなかった
塔内を見学する観客自身が、この作品を完成させる存在になっている

制作当初、太郎が思い描くイメージを現場のスタッフが理解するのは至難の技だった





「生命の樹」演出スコア









図鑑、雑誌から動物の絵や写真を探してきては切り貼りし、全員でイメージを共有していったという
全部で33種類、292体の生き物が宿る「生命の樹」が誕生した



岡本太郎記念館

岡本太郎記念館「生命の樹」展@青山



そんな熱気に満ちた制作の現場を間近で観た千葉さん 「生命の樹」のサブプロデューサー

ち:そこの赤いイスの右側が私の定位置だった




千葉さんは太郎が見せ続けた表現へのこだわりに圧倒されたという

ち:
先生は最初からおもちゃのようなものを作るわけじゃない
学術的なキチっとした裏づけを持ったものでないとダメだ

我々から見たらどうでもいいんじゃないかというような細い線1本にいたるまで
描き直したり、描きおこしたりの繰り返しを行っていた





プロントザウルスのひだも「もっと鋭い彫りをしなきゃダメだ ちょっとナイフを貸しなさい」と自分でやり出すわけです
それを工房の造形作家たちが見て、なるほど、その程度までやればいいんだと納得する

なんとなく「もっと強い感じを出せ」とか「荒々しい感じを出せ」などという
抽象的な注文でおしまいにすることはない方でした








今回のリニューアルでは、残されたオブジェをそのまま生かす一方
新たに制作したり、一部修正したり、太郎の思いを伝えるためにさまざまと工夫した

い:
プロントザウルスの皮膚感とか凄い 長年生きて、自然とつくシワとか
体の模様とかも再現して、表現が緻密になっている
動き出しそうな生命感を1体1体から感じる



●太郎がもっともこだわったアメーバなどの「単細胞生物」世界








なぜ「単細胞生物」なのか 生前語っている映像がある



た:
形のないようなものを見ると、あの形に還っていきたいと
先祖帰りしたいという悦びっていうか、憧れがある
ここが非常に面白い

「単細胞生物」はなにも人間でなくていい
あなたは人間の体とおっしゃったけれども、この中に全部「単細胞生物」が生きてる
人間という動物をいっぺんここで解消して、我々の不幸っていうのは、すべて人類の卑しさ
不幸っていうのは、人間という意識があるから不幸で卑しくなっている

ここで一辺、「単細胞生物」に還元した気持ちになると、初めて生きがいを感じるのが
この「単細胞生物」の世界である

(会議室に苦笑が広がる

つまりいつも人間は「単細胞生物」に還元したいという、
つまり命そのものに還元したいっていう気持ちがある
これを見ると、これが本当のオレの姿だと
だから僕は「単細胞生物」の世界を一番重点に置きたい

恐竜などはお供え物 これで喜ぶ人もいる これが一番金がかかるかもしれないけれども
お供え物のほうが大体金がかかる 本質よりも

(こういうユーモアもあるのが魅力的w






ち:
先生がよく言われていた言葉は「ベラボー」が1つと、「アイロニー(比喩・対比)」
比喩的に説明できるっていうか、見せたい



原生生物の中でもとくにアメーバは膨らんだり、縮んだり、
2つに分かれてみたり、いつのまにか1つになってみたり
非常に自由奔放な動き方をしている

(ちょっと南方さんと通じるものがあるような?

「南方熊楠-100年早かった智の人-@国立科学博物館(2018.2.14)

これは現代社会に生きている人間にとっては、いろんなことに束縛されたり、
しがらみの中で生きている現代人にとっては、ある種のノスタルジーを感じるのではないか

現代社会に生きている人間との対比、比ゆ的に、アイロニーとして面白いんじゃないか
その一番大事な部分を、塔に入ってきた人たちに最初に見せようという発想が1つあったと思う




い:
このアメーバの部分が大事ですよね 頂点にいる人間の進化って、けしてサルからだけじゃない
この単細胞生物から命のつらなりがきている

上から観るのもいいですけど、下から生命のエネルギーが宇宙へとのびて、駆け上がってる感じがします
見ていて楽しい世界ですし、こうして甦って、生まれ変わって観られるって感動しています



太陽の塔は地下から入り、生命の樹をたどった後、腕の中を通って、外の大屋根へとつながる
その先にあったのは、科学技術の発展がもたらす人類の近未来の展示空間だった





ここまでのぼってきたら、ここが出口で、エスカレーターがのびていた



い:こういうのを隠さないのが太郎さんらしい

スタッフ:まるで井浦さんが、岡本太郎の声を聞いてるみたいですね

い:聞いてますよ 今、太陽の塔を通して1つになろうとしています



<スタジオ>

い:
むき出しの鉄骨までもがどこか有機的に感じてしまうほど感動しました
平野さんは新しく生まれ変わるにあたって何を大事にされました?

ひ:
現代の技術を使って何を大切に守るべきか
岡本太郎や、当時のスタッフたちが何を言おうとしたのか
何を表現したかったのか それは噴き上げる生命のエネルギー
彼らはそれを表現したかった
それをさらに前へ一歩進められるものなら進めようと思った

(それも必要かもね 単なる模倣や懐古じゃ太郎さんは喜ばないかも

そのために、例えば生物なども当時とは表情、表現が変わっている
よく観ていただくと三葉虫なんかも、全部1つずつ違う 色とか
それは生きているんだから、まったく同じわけがない 個体ごとに違わないとおかしいということもやっている



すべて新しくしたわけではない
例えば、ゴリラは頭が取れちゃった この50年の間に 当時は頭が動いていた


(あらま 生命の頂点の近くにいて、脳が発達しているのに 皮肉で可笑しい

これは敢えて何もしないで、このまま遺しました
それはやっぱり塔がたどった半世紀という時間の厚みをどこかに刻みたかった

これは科学博物館にあるような生物進化模型ではない
太郎はこうも言っていた「これは全体が1つの生命体なんだ」
生命の樹は全体で1つの生き物なんです

(なんだか泣けてくる みんなつながっているんだ

人間はその一端 一部 しかもクロマニョン人で止まっている
服を着ている僕たちはいない 敢えて太郎は敢えて置かなかった





クロマニョン人だって大きさはこんなもの(30~40cmくらい?
だけど、アメーバはこんなデカイですから

い:
そこがとても面白かった
アメーバの面積、数、大きさもしっかりと表現していて

ひ:
それもアイロニカルな太郎からのメッセージだと思う
よく考えろ 未来を考えるなら、根源まで立ち戻らないと意味がないと

では、当時それが伝わっただろうか?
まったく伝わらなかったと思います、僕は


それはムリですよ あの時代 未来はどんどん幸せになると思っていた
万博の時、僕は小学校6年だったけど、今ごろはクルマで空を飛んでいるはずだった

『20世紀少年』とか小松崎茂さん的な

昭和ちびっこ未来画報@ソラリスの時間

そういうものをワクワクして行った人たちに対して
根源や生命がどうのと言ったって響くわけがない

だけど、今なら分かる
だって、そういうことを考えざるを得ないところに追い込まれているから
「太陽の塔」が本当の仕事をするのは、これからなんです
今から だから再生する意味がある



太陽の塔 地下展示 全体模型





当時、塔にはさらなる仕掛けがあった
塔の足元には巨大な地下展示空間があった
観客はまず、この地下空間を通ってから「生命の樹」へと進む

(他のパビリオンなんて観なくても、ここだけで十分だな


今回、大々的なリニューアルに合わせて、地下展示の一部が甦った
世界各地の民族や部族の間で受け継がれてきた仮面、
神々を象った彫像が、太郎の指示により、世界中から集められた
ここに太郎ならではの狙いが隠されていた

(うわ! こっちのほうが井浦さん大好きワールドでは?!
 水木さんのコレクションも加えたらどうだろう?















国立民族学博物館







太陽の塔のすぐそばにある博物館には、地下展示のために収集された
民族資料約2500点の一部が改めて公開されている

スタッフの野林さんが案内

い:この力だよなあ! 太陽の塔の中の住人だなって感じがします

(ヤヴァイ、本当に観たい てか、どんだけ手間隙とお金をかけたんだ/驚
 この圧倒的な数、エネルギーには勝てない 観るほうにも相応のエネルギーが必要だ









ニューギニア 目に使われているのは貝殻




仮面はその土地に暮らす人々の信仰・儀礼に欠かせないもの
この仮面を太郎は、人間が神や目に見えない力と交信し、人間を超えた存在になるための道具だと考えていた

これらを集めたのは「日本万国博覧会 世界民族資料調査収集団(EEM)」
太郎の指揮のもと、日本の若い文化人類学者たち18人が世界各国に渡り
53の国・地域から集めてきた







(若い人を派遣したのも意図があってだよね 未来を担う世代
 このコレクションは、英国博物館に匹敵するかも
 今や欧米文化に侵されて、現地には存在せず、受け継がれていないかもしれないし

野林さん:
太郎さんに「太陽の塔に非常によく似たものを造っているんだよ」と言ったら
「太平洋では昔から岡本太郎の真似をしてたんだな」っていう話がありますw

い:人間の生命感みたいなものを表すには格好のポーズなのかもしれないですね




仮面以外にも生活用具など多岐に渡る資料を集めて展示した





その理由を太郎はこう言う

「人間文化の切実であり、誇らかな証拠を置きたい
 人間が“人間”になって以来、どのような手ごたえで生をたしかめてきたか
 そのなまなましい実感をつきつけたいと思った」

著書『祭り』より




野林さん:
大坂万博のテーマ展示の構成を観た時に、生命の樹は生命の進化の系統樹だったと思う
展示の順番からいくとそれが先にあってもいいはずなのに
そこに行く前に「人間とは何か」ということを考えた後に
改めて生物の進化を考えさせるような仕掛けにしたってことは

もはや、人間文化の多様性が生物全体を支えている
そういう責任をもった存在になっているんだよってことを伝えたかったのではないかと
こうして展示してみて感じました



「人間とは何か」「人間文化の多様性とは?」
それが国立民族学博物館を造るきっかけにもなった

い:
未来に太郎さんが遺していくために「太陽の塔」を造って
さらにその中のものも遺されていく

それが形は変わったけれども、僕らは当時の太郎さんを感じることができるし
みんな1人1人がバトンを渡されたようにも感じます

ひ:
太郎さんはああいうキャラだから、思いつきでバババってやっただけだろうと思われがちだけど、全然違う
太郎はテーマ館のプロデュースを引き受けた直後からもう考え始めていた
だから太郎はプロデューサーとしても超一級なんです

しかも、太郎が集めた民族資料は、その土地で一般の大衆が作ったもの
芸術家が美術品として創ったものではない


民衆が自分たちの暮らしの中で生み出し、使っているもの
そこにはいろんなものが宿っている

アナ:万博の世界の最先端に目がいきがちな時に、すごく意味があったと思う

ひ:
そんなことをやっているパビリオンはない
みんな国や企業の技術、将来像、ビジョンをプレゼンテーションしてたわけで
オレってスゴイだろって言ってたわけです
太郎のテーマ館だけまったく逆を向いている

い:そんな前代未聞のモノだけが、今、遺っている

ひ:
なぜならば、本質だから 人間とは何か 生き方、幸せ、生きがい
それだけを言っているから、古くなりようがない

あの塔内空間は、普通の美術観賞とは全然違う
壁にかかっている作品を観るのではなく、まさに空間体験

いろんな情報やメッセージがシャワーのように降ってくる
それを浴びて、何か感じてくれたらそれでいい

どんなことでもいい 「おっスゲー!」でもいいし、必ず感じるから
とくに子どもたちに観て欲しい




い:
ほんとにそこですね
これは子どもたちが何の概念もなくパッて見た時に
ウワー楽しい!って感じられるものがそこにある

何にも囚われていない若い生命がそれを見て、時間をまた駆けていきながら
感じとって、楽しみながら理解していくことが、この太陽の塔の素晴らしさ 存在意義
だから、未来につながる存在になっているのかなと思いました


内部公開の入館は予約制











当時のように、ワァーと押し寄せて、限られた狭い列をノロノロと歩みながら観るものではないものね
でも、これだけのものなら、相当な混雑はしばらく免れないのでは?

この内部公開自体、ずっとそのまま保存していって欲しいなあ
博物館の資料展も5.29までなのかあ・・・都内への巡回はないの???




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