■クレイジーキャッツ・スーパーデラックス
源くんがカバーしていたり、以前、劇場で『無責任男』シリーズを観たりしたことを思い出して、改めてアルバムで聴いてみたくなって借りたv
植木さんの遺作は映画『舞妓Haaaan!!!』だってすっかり忘れてた/驚
【ブログ内関連記事】
『ニッポン無責任野郎』(1962)
『ニッポン無責任時代』(1962)(リンクは同上
『日本一のホラ吹き男』(1964)(リンクは同上
『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963)
『クレージーの花嫁と七人の仲間』(1962)
『ニッポン無責任野郎』(1962)
『ニッポン無責任時代』(1962)
『クレージー黄金作戦』(1967)
『日本一のゴリガン男』(1966)
『日本一の色男』(1963)
『日本一のホラ吹き男』(1964)
『日本一のゴマすり男』(1965)
また出演作を観たくなった。
♪無責任一代男 なんか、今も働きすぎの日本人に聴かせてあげたい。
全曲、ナンセンスな歌詞と、お祭り騒ぎなメロディで、この世の憂いなどどーーーでもよくなる
大瀧詠一さんプロデュースってビックリ/驚
もう1曲目から、歌が始まる前のイントロから笑う
以前、どこかで聞いた、植木さんの父は厳格な僧侶で、自身も無責任男とは真逆の真面目な性格だったから、
無責任男シリーズ等で、キャラクターが自身と重ねられることに複雑な思いを抱いていたって話を思い出す。
植木さんは、二枚目だよね
ムード歌謡の部分なんか、とっても美声で、そのギャップがまた魅力的。
disc2は♪五万節 のメイキングで、disc1と歌詞が微妙に違っていて、
何度か録り直すたびにツッコミも変えたりして、録音後にブツブツゆったり、爆笑したり、
何テイクも録音して作り込んでいたことと、メンバの仲の良さが伝わってくる。
「爆発だああああ! 岡本さん!」とかゆってるしww
「フォノシート」(ウィキ参照
「ソノシート」のことなのか。
ゆうちゅうぶでもいろいろ映像が観れて貴重v
♪クレイジーキャッツ「シャボン玉ホリデー」
♪クレージーキャッツ メドレー
【曲解説内容抜粋メモ 厚家羅漢】
青島幸男さん作詞、萩原哲晶さん作曲・編曲が多い。
無責任一代男
エノケンの「洒落男」からきているとは、青島さんから聞くまでわからなかった。
思えば一連のクレイジーソングは「サラリーマン」や「無責任」の名を借りて、「自由」について考え、追究した歌と言え、
ひょっとするとこれは「世界一自由な歌」かもしれない。
これを聴くと「際限のない自由」がある、とつい思ってしまうそうな危険な感じが最大の魅力。
どうしてこんなにもてるんだろう
これまでの日本の唄は、歌われる内容が決まっていて、型があった。
クレイジーソングは、本音をそのまま歌にした。日本音楽史上、初めてでまさに「革命」だった。
ポップスの革命といえば、クレイジーの業績はビートルズに匹敵する。
ビートルズの影響でGSが雨後の筍のように現れたが、その中でどれだけ自分たちの気分をストレートに歌っただろうか?
またGSには、スパイダースを例外としてユーモアが欠けていた。
長髪、ブーツという見た目だけで、ビートルズの「精神」が抜けていた。
外観だけ真似るのは、実は我が国の歌謡界の伝統で、本流だった。
愛してタムレ
谷啓のソロ第1号がこれ。シャックリのようなスキャット?は、フランキー堺も得意としていたが、
本家スパイク・ジョーンズ譲りの歌唱法。
ホンダラ行進曲
世に無意味な歌は数々あれど、無意味についての歌は少なく、クレイジーは次に来るメッセージソングの時代を先取りしていた。
フォークロックの人々は気づかず、ディランが母体と思い込んだ。これ以上の革命的な歌はもう出てこないのではないか。
無責任数え唄
クレイジーの「音頭もの」は多いようだが、シングルでは意外にも4曲しかない。
シビレ節
「じいさんも中気で~」が放送コードにかかって放送禁止となったが大ヒット。
※中気=中風(ちゅうぶ)脳卒中の発作の後遺症として主に半身不随となる状態。
ハイ それまでョ
フランク永井の♪有楽町で逢いましょう 風に始まる植木の“クルーナーヴォイス”が充分に堪能できる。
一転してアップテンポになるアイデアは植木本人による。
萩原の転調に次ぐ転調の間奏は、服部良一以来の快挙だった。
クルーナーヴォイス
「クルーナー唱法」。正しくは「クルーニング唱法」"crooning"のことで、1920年代からポピュラー音楽で始まったらしく、
おさえた低い声でささやき、つぶやくように、しゃべるように歌うという唱法である。
こりゃシャクだった
フジテレビの『大人の漫画』から生まれた流行語を使って、コント入りのユニークな作品。
有名になる前のジャズバンド時代を強く感じさせる。
悲しきわがこころ
メンバ全員のソロがある唯一の曲。石橋エータローが聴ける。
これが男の生きる道
第4弾シングル。1~4作まで密度の濃い、変化に富んだシングルリリースは国内では例がなく、世界でもプレスリーとビートルズのみ。
大衆の正直な気持ちがストレートに歌われ、「福神漬け」が登場した日本初のヒットソング
ゴマスリ行進曲
クレイジーの“行進もの”は3曲。
萩原「軍隊の教育を受けたので、行進曲のアレンジは体に染みついている」
馬鹿は死んでも直らない
バカにバカたしゃ バカばかり
バカからバカ引きゃ うすらバカ(爆
自慢じゃないが 俺もバカ
遠慮するなよ 君もバカ~
ってサイコー
めんどうみたョ
だまって俺について来い
曲調は“バイヨン”のリズム。
あんた誰?
谷啓の第2弾シングル。ホラー趣味が生かされている“ホラーコミックソング”
遺憾に存じます
'66からは一挙に作品がパワーダウンし、'68はレコードが1枚も発表されていない。
映画が中心になり、海外ロケなどで忙しくなったのも原因と思われるが、この曲がターニングポイント。
'61頃、世はヒッパレシンガーのポップスの時代で、ジャズの時代はもう過ぎていた。
'60中期にはロックの時代を迎えようとしていたが、根本的にはッジャズにこだわっていたため、時代と微妙にズレていた。
この曲のエンジニアは、後にはっぴいえんどらを手がける吉野金次。
ここで初めて時事ネタを取り上げ、直接的な風刺は初。
ウンジャラゲ(斬新すぎる!
月曜日は ウンジャラゲ
火曜日は ハンジャラゲ
水曜日は スイスイスイ
木曜日は モーリモリ
金曜日は キンキラキン
土曜日は ギンギラギンのギンギラギンの ギンギラギンのギン
日曜日は ランラ ランラ ランラン ...
以前からファンの一部で“隠れた名曲”として人気が高い曲。
これを陽の当たる場所に引っ張り出したのは、志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー。
五万節
(全メンバーが1コーラスずつ歌っているのも面白い
問題作品の第1号。3、6番の歌詞が放送禁止となる。
スタッフの目にも止まらぬ“スリカエバヤ物語”は成功し、大ヒットした。
放送禁止自体そう多くないが、すぐ録音し直すのも非常に稀で、それが大ヒットするのは、日本レコード史上実に珍しいケース。
替え歌が全国各地で歌われた。
ドント節
スーダラ節(ウィキの父親に言われた言葉は感動もの
植木等の歌声はエルビス、ジョン・レノンと同じ種類の解放感を与えてくれた。
実年行進曲(ぶちゃむくれヴァージョン)
ベスト・オブ・クレイジー・サウンドということで、'65までの中からあらゆるものをとりまぜて1曲にした。
これに関しては書くことが多過ぎるので、他の機会に譲らせて頂きたい。
【ライナー抜粋メモ~新五万節 大滝詠一(2000)】
1986年、赤坂のスタジオで午後1時~6時までボーカル・ダビングが行われた。
スケジュールの都合で遅れた安田さんの歌を別録音したり、途中でうどんを食べたり、
当日の模様はすべて収録されており、まさに“楽しんで”行われたレコーディングであり、
アドリブ好きはさすがにジャズマンを感じさせ、クレイジーの根幹には“音楽”があることを痛感した。
ハナさん、安田さん、桜井さんが亡くなり、これがクレイジーとしての最後のスタジオ録音という貴重なもの。
「クレイジーキャッツはライヴが一番だった」という定説があるが、生で見たことがない人は、
この録音風景でその片鱗を感じとれるのではないでしょうか。
源くんがカバーしていたり、以前、劇場で『無責任男』シリーズを観たりしたことを思い出して、改めてアルバムで聴いてみたくなって借りたv
植木さんの遺作は映画『舞妓Haaaan!!!』だってすっかり忘れてた/驚
【ブログ内関連記事】
『ニッポン無責任野郎』(1962)
『ニッポン無責任時代』(1962)(リンクは同上
『日本一のホラ吹き男』(1964)(リンクは同上
『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963)
『クレージーの花嫁と七人の仲間』(1962)
『ニッポン無責任野郎』(1962)
『ニッポン無責任時代』(1962)
『クレージー黄金作戦』(1967)
『日本一のゴリガン男』(1966)
『日本一の色男』(1963)
『日本一のホラ吹き男』(1964)
『日本一のゴマすり男』(1965)
また出演作を観たくなった。
♪無責任一代男 なんか、今も働きすぎの日本人に聴かせてあげたい。
全曲、ナンセンスな歌詞と、お祭り騒ぎなメロディで、この世の憂いなどどーーーでもよくなる
大瀧詠一さんプロデュースってビックリ/驚
もう1曲目から、歌が始まる前のイントロから笑う
以前、どこかで聞いた、植木さんの父は厳格な僧侶で、自身も無責任男とは真逆の真面目な性格だったから、
無責任男シリーズ等で、キャラクターが自身と重ねられることに複雑な思いを抱いていたって話を思い出す。
植木さんは、二枚目だよね
ムード歌謡の部分なんか、とっても美声で、そのギャップがまた魅力的。
disc2は♪五万節 のメイキングで、disc1と歌詞が微妙に違っていて、
何度か録り直すたびにツッコミも変えたりして、録音後にブツブツゆったり、爆笑したり、
何テイクも録音して作り込んでいたことと、メンバの仲の良さが伝わってくる。
「爆発だああああ! 岡本さん!」とかゆってるしww
「フォノシート」(ウィキ参照
「ソノシート」のことなのか。
ゆうちゅうぶでもいろいろ映像が観れて貴重v
♪クレイジーキャッツ「シャボン玉ホリデー」
♪クレージーキャッツ メドレー
【曲解説内容抜粋メモ 厚家羅漢】
青島幸男さん作詞、萩原哲晶さん作曲・編曲が多い。
無責任一代男
エノケンの「洒落男」からきているとは、青島さんから聞くまでわからなかった。
思えば一連のクレイジーソングは「サラリーマン」や「無責任」の名を借りて、「自由」について考え、追究した歌と言え、
ひょっとするとこれは「世界一自由な歌」かもしれない。
これを聴くと「際限のない自由」がある、とつい思ってしまうそうな危険な感じが最大の魅力。
どうしてこんなにもてるんだろう
これまでの日本の唄は、歌われる内容が決まっていて、型があった。
クレイジーソングは、本音をそのまま歌にした。日本音楽史上、初めてでまさに「革命」だった。
ポップスの革命といえば、クレイジーの業績はビートルズに匹敵する。
ビートルズの影響でGSが雨後の筍のように現れたが、その中でどれだけ自分たちの気分をストレートに歌っただろうか?
またGSには、スパイダースを例外としてユーモアが欠けていた。
長髪、ブーツという見た目だけで、ビートルズの「精神」が抜けていた。
外観だけ真似るのは、実は我が国の歌謡界の伝統で、本流だった。
愛してタムレ
谷啓のソロ第1号がこれ。シャックリのようなスキャット?は、フランキー堺も得意としていたが、
本家スパイク・ジョーンズ譲りの歌唱法。
ホンダラ行進曲
世に無意味な歌は数々あれど、無意味についての歌は少なく、クレイジーは次に来るメッセージソングの時代を先取りしていた。
フォークロックの人々は気づかず、ディランが母体と思い込んだ。これ以上の革命的な歌はもう出てこないのではないか。
無責任数え唄
クレイジーの「音頭もの」は多いようだが、シングルでは意外にも4曲しかない。
シビレ節
「じいさんも中気で~」が放送コードにかかって放送禁止となったが大ヒット。
※中気=中風(ちゅうぶ)脳卒中の発作の後遺症として主に半身不随となる状態。
ハイ それまでョ
フランク永井の♪有楽町で逢いましょう 風に始まる植木の“クルーナーヴォイス”が充分に堪能できる。
一転してアップテンポになるアイデアは植木本人による。
萩原の転調に次ぐ転調の間奏は、服部良一以来の快挙だった。
クルーナーヴォイス
「クルーナー唱法」。正しくは「クルーニング唱法」"crooning"のことで、1920年代からポピュラー音楽で始まったらしく、
おさえた低い声でささやき、つぶやくように、しゃべるように歌うという唱法である。
こりゃシャクだった
フジテレビの『大人の漫画』から生まれた流行語を使って、コント入りのユニークな作品。
有名になる前のジャズバンド時代を強く感じさせる。
悲しきわがこころ
メンバ全員のソロがある唯一の曲。石橋エータローが聴ける。
これが男の生きる道
第4弾シングル。1~4作まで密度の濃い、変化に富んだシングルリリースは国内では例がなく、世界でもプレスリーとビートルズのみ。
大衆の正直な気持ちがストレートに歌われ、「福神漬け」が登場した日本初のヒットソング
ゴマスリ行進曲
クレイジーの“行進もの”は3曲。
萩原「軍隊の教育を受けたので、行進曲のアレンジは体に染みついている」
馬鹿は死んでも直らない
バカにバカたしゃ バカばかり
バカからバカ引きゃ うすらバカ(爆
自慢じゃないが 俺もバカ
遠慮するなよ 君もバカ~
ってサイコー
めんどうみたョ
だまって俺について来い
曲調は“バイヨン”のリズム。
あんた誰?
谷啓の第2弾シングル。ホラー趣味が生かされている“ホラーコミックソング”
遺憾に存じます
'66からは一挙に作品がパワーダウンし、'68はレコードが1枚も発表されていない。
映画が中心になり、海外ロケなどで忙しくなったのも原因と思われるが、この曲がターニングポイント。
'61頃、世はヒッパレシンガーのポップスの時代で、ジャズの時代はもう過ぎていた。
'60中期にはロックの時代を迎えようとしていたが、根本的にはッジャズにこだわっていたため、時代と微妙にズレていた。
この曲のエンジニアは、後にはっぴいえんどらを手がける吉野金次。
ここで初めて時事ネタを取り上げ、直接的な風刺は初。
ウンジャラゲ(斬新すぎる!
月曜日は ウンジャラゲ
火曜日は ハンジャラゲ
水曜日は スイスイスイ
木曜日は モーリモリ
金曜日は キンキラキン
土曜日は ギンギラギンのギンギラギンの ギンギラギンのギン
日曜日は ランラ ランラ ランラン ...
以前からファンの一部で“隠れた名曲”として人気が高い曲。
これを陽の当たる場所に引っ張り出したのは、志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー。
五万節
(全メンバーが1コーラスずつ歌っているのも面白い
問題作品の第1号。3、6番の歌詞が放送禁止となる。
スタッフの目にも止まらぬ“スリカエバヤ物語”は成功し、大ヒットした。
放送禁止自体そう多くないが、すぐ録音し直すのも非常に稀で、それが大ヒットするのは、日本レコード史上実に珍しいケース。
替え歌が全国各地で歌われた。
ドント節
スーダラ節(ウィキの父親に言われた言葉は感動もの
植木等の歌声はエルビス、ジョン・レノンと同じ種類の解放感を与えてくれた。
実年行進曲(ぶちゃむくれヴァージョン)
ベスト・オブ・クレイジー・サウンドということで、'65までの中からあらゆるものをとりまぜて1曲にした。
これに関しては書くことが多過ぎるので、他の機会に譲らせて頂きたい。
【ライナー抜粋メモ~新五万節 大滝詠一(2000)】
1986年、赤坂のスタジオで午後1時~6時までボーカル・ダビングが行われた。
スケジュールの都合で遅れた安田さんの歌を別録音したり、途中でうどんを食べたり、
当日の模様はすべて収録されており、まさに“楽しんで”行われたレコーディングであり、
アドリブ好きはさすがにジャズマンを感じさせ、クレイジーの根幹には“音楽”があることを痛感した。
ハナさん、安田さん、桜井さんが亡くなり、これがクレイジーとしての最後のスタジオ録音という貴重なもの。
「クレイジーキャッツはライヴが一番だった」という定説があるが、生で見たことがない人は、
この録音風景でその片鱗を感じとれるのではないでしょうか。