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生から死まで継続した幸せ

2009年05月19日 | 雲の日記
             


生から死まで継続した幸せ

 皆さーん、おはようございまーす^^     

今日までお天気だと聞いていたのですが、今朝はドンヨリ曇り空でした。
それでも昨日のように異常な暑さを考えると、今日は“マトモ”です^^

このblogを見ている方たちの年齢は、様々でしょう.. 人生を85年と
したら、う~ん.. その中の20歳くらいから60歳くらいまでの人が

見ているのだろうか? 因みに私もその年齢の中に入りますね^^
そうすると、20歳台の人と60歳台の人とでは、人生経験も価値観も

大分違ってくると思います。(自分の立場で見た)政治や経済についても
かなり違ってくるでしょうね^^ 年金、税負担、健康保険、雇用問題..

年齢や社会的立場によって政治・経済の見方は、全然違うと思います。 
そんな相反する立場の年齢でも、共通するものがあると思います。

それが社会保障では、ないだろうか?

病気知らずの若者でも、交通事故には遭うでしょう..
バリバリ働いていた時は『思い税負担ばかり』感じていた現役世代も、

自分が年金を貰う側になれば、金額に不満も出てくるでしょう..
専業主婦を揶揄していたような働く女性も、自分が結婚・出産になれば

『産休』だ『母子手当て』の拡充などと権利要求が出て来るだろう..
国民は、その時々の立場で政府に対する要求は違ってくる。国民の何人

かは“その立場”にならなくても理解を示してくれるが、多くの国民は
自分の立場でしか理解しようとしない.. 残念なことですよね><

何とか暮らせる人は、暮らせない人が理解出来ない.. だから自己責任
となる。自己責任が社会に蔓延すれば、驚く事に..国による社会保障は

なくなることになるだろう。 全ては自己責任..病気になるのも『生活
習慣病』と言われているから、自分の生活習慣が悪かったからになる。

だから、病気も自己責任ということになり、将来的には生活習慣病には
健康保険の適用がなくなるかも知れない..(大袈裟?と思いますか?)

生活習慣病を保険適用から外したら、どれだけの税負担が減るのだろう
か??

今の政府は『100年に一度の経済危機』を謳い文句に、借金を増やし
ながら『湯水のように』税金を使っている。その財源に時々出てくるの

が『埋蔵金』などと言うお金だ。総借金1000兆円を越える日本政府
に『埋蔵金』などある訳が無い.. 第一ふざけた名前の『埋蔵金』って

何だ! その『埋蔵金』とは数字上現れる『積み立て金』のことだろう。 
必要があって積み立てられている税金を取り崩して“使っちゃおう”と

いう訳です。これでは消えた『年金保険料』が、どこに行ったのか凡そ
の想像がつくと言うものですね。そうやって、根こそぎ税金という税金

が使われ、その上、1000兆円を越える借金を背負っている><;
さて^^話を戻しますが、『湯水のように』使っている税金ですが国民の

ために使う事はしたくない.. それが小泉政権が導入した毎年2200
億円の社会保障費の削減です。

私達は健康で幸せな人生を送りたいと願っています。(..よね?)

それは財界のように途方もない巨額の内部留保をしようとしているので
もないし、公的資金を投入してもらいながら、マネーゲームで金儲けし

ようとしている大手銀行のような欲望でもない.. ささやかな幸せです。
そんな“ささやかな幸せ”にも、時として荒波が押し寄せてくる時があ

るでしょう.. 働き手が病気になった.. 家族が病気になった.. 親の
介護が必要になった.. リストラに遭った.. 給料が減った.. 家のロ

ーンが払えない..などなど、どんな注意しても長い人生の中では何かの
アクシデントが起きるのが常だろう.. そんな時、助けてくれるのが国

の制度ではないのだろうか?? 私達は大企業や大手銀行、大金持ちの
ために税金を払っている訳じゃない.. 相互に支えあう事を前提に納税

している筈だ。ところが、一般の国民がひとたび苦難の道に入ったら、
どうなるのだろうか?

例えば、病気になり働けなくなった。 預貯金を取り崩し、親戚からも
借金したがもう借りられない。どうする事も出来ない。餓死しかない..

そこで(行きたくは無かったが)最後の手段として『生活保護』の申請
に市役所の福祉課に行った。(普通は窓口で追い返されるだろうが..) 

どんな罵詈雑言にも耐えて、なんとか申請に漕ぎ着けた。次に来る時に
申請が出来るように申し込み一式を(やっとの思いで)貰った。

それから申請.. 生活保護が貰えるまでに彼は餓死してしまった。
皆さん、福祉の利用は、充分な余裕を持って行いましょう..  

病気になったら、どうだろうか?? 
緊急入院だった.. 無理して働き続けたのがいけなかった.. 少し症状

が改善したら病院は1日・2日の内に出て行けと言う。部屋に帰っても
介護してくれる人はいないし、何より不安だった。もう少し入院させて

おいてもらえませんか?とお願いしても無理だった。保険制度も変わり、
病院側でも『入院費の遅延・踏み倒し』に神経を尖らせているのだろう。

そんなこんなで病院も追い出された.. 身体が不調のまま、暮らしてい
たら『心不全』で死んだ。家賃の滞納で訪れた管理会社の社員が遺体を
見つけたのは3ヶ月も後だった.. (怖!) 

(2つのお話は、最近見聞きした話をベースにした架空のお話です)


“血の通った福祉”とは、収入が無くなり、努力しても収入の道がない
場合には、国家が『最低限の暮らし』を保障してあげなくてならない。

だから、定年退職したら『→年金支給』になっているのです。 私達は
『オギャー』と生まれた時から親の世話になり(親がいなければ、国の

世話になり)、成人してからは自分で生計を立てるようになる。
定年までの間にアクシデントに見舞われた時は、申請すれば必要に応じ

て国家が援助してくれるのです。 そして定年まで働き、その後は年金を
貰い(国庫+自分の積み立て)、死ぬまで安心して暮らせる筈なのです。


上記のことを保障している根拠が『憲法25条』なのです。
ところが実際は、どうだろうか?? 
 
日本中で餓死者がいる。彼らの多くは、一度は福祉に出向いている。所が
“言い訳”は色々あるだろうが、結局、支援されずに餓死しているのです。

小金持ち高齢者の影で、無年金や低年金の為に苦しい生活を余儀なくされ
ている高齢者いる。彼らを追い詰めているのは、更なる税負担と福祉削減

ではないだろうか? テレビに映し出される『小金持ち高齢者』『威張り
腐った高齢者』を見せられていれば、誰だって“高齢者にも相応の負担を”

と言う気持ちになるだろう.. それでも報道されない高齢者の中に福祉か
ら取り残されている人たちがいることを、忘れないで欲しいです。

『事務が煩雑だから..』『予算がないから..』と逃げないで、本当に必要
としている人たちに、厚い保護をするべきではないだろうか?

そして高校卒業までは、経済的理由で勉学の機会が失われる事が無いよう
に『血の通った』政策をするべきだろうと私は考えます。

前期高齢者..
後期高齢者..

年齢で一緒くたにする意味が、どこにあるのでしょうか?
区別の必要があるのは、年齢ではなくて、その人にあった福祉でしょう?

大企業も大金持ちも、普通の人も、貧困層も一緒くたにしたいのは、一緒
にすることで『得する人たち』がいるからです。

応分の負担とは、多く持っている人は多い負担を、普通の人は普通の負担
を、少ない人には援助をすることでは、ないでしょうか??

今は該当しないと思っている“あなた”も、人生にはアクシデントが付き
物です^^ 何時、あなたが社会的弱者にならないとも限らないです..><


はっと、またまた長い文になって.. お読み頂き有難うございました。
今日も元気で ファイト!