人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

意識の深み

2022-02-10 10:21:47 | 意識、照明
真理の追求でも、悟りの道でもいいですが、あるところに囚われ、留まっていてはならない、もっと深きに進まなければならない、などと言われます。
何か思い、意志を向かうところにしっかり定めないと...という感じがしてきますが、ある段階を超えると、そういう心持ちではどうともならない状態というのもあります。
言うまでもなく、思考を超えるという段階というものがそうです。それ自体が思考している私からでは無理というものでしょう。
何かを目指して思考し、意志して行く道は絶たれてしまうのです。
しかし、それらを超えた、もしくはそれらの奥にある意識の領域というものはあります。それにゆだねるしかない...と言ったって、それだけでは何にゆだねていいか、いや、ゆだねようと意志し、図ることすら覚束ないのですよ。もはや、どうしようもないi...
それどころかそういう状態は、精神的にとても危険な状況に置かれているのですよi
軽々しく、究極の悟りの道なんかを説いている向きは、こういうことがまるで分かっていないのです。もっとも肝心なことが分かってませんi...これを蔑ろにしているのは全くどうかしている、と言わざるを得ませんi
思考を超えること自体にも、そっから先の道標にも、その意識から立ち上ってくる導きがある...
そう、それを現臨と呼んでいるのです。現臨こそは見えない導きに他なりません。現臨にゆだねるしかない、ということです。
それ無くして、どうして目覚めに与ることなど出来ようかi...どうして意識の深みへと分け入ることなど出来ようかi
意識の深みへ踏み込めるのは、そう考えているあなたでは無いのですi
そのものが思いを超え、深みへと誘おうとしているのが感じられます。
私は昔から目覚めに与りたい、神と一つになりたいという望みはやはり、イッパシありました。言うまでもなく、私がそう思い、望んでいるのです。
しかし、その表層の思いに隠れて、それに先だって、そう赴かせようとする原初的な意志のようなものを感じずにおれません。
それは、この私をその本来の私へと回帰させようとしているようなのです。
自然に、そう赴いてしまう...これは、いつも現臨に意識が向いてしまう、とか言っていることの本質的なことを言っているまでです。
こう考えると、何から何まで思いを超えたものによって導かれていることが分かります。
もっと努力を、とか留まっててはいけない、とかもっと高きに、深みに、とか何を力んでいる必要があるでしょうか?
とはいえ、色々、要らんこと考え、何かをやらなきゃいけないサガをもって生まれた私...迷いも、遠回りもある...しかし、どうしてもこうしても、そっちに惹かれてやまないものがある...それは意識の深みからの私の大本の意志なのでしょうか?
コメント
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