~角行の場合~
角。孤独を愛する黒髪ロング。身長162cm。飛車と並ぶ大駒の一人だか、性格は対照的に物静かで没交渉。基本的に集団行動が苦手なタイプであった。
対局が始まるとすぐ、角は『そいつ』と対峙することになる。5五の天蓋を挟み、そいつはいつも対角線上にいるのだ。
対角線。まるで私のためにあるような言葉だな、と角は自嘲する。反対側でそいつ--角の半霊も、笑う。互いに視線は逸らせないまま二人の自分が運命を諦観する。
角には二種類の未来しかない。交換されて生きるか。あるいは交換されるために生きるか。
いずれ肉体への執着はない。角にとって肉体は二分された思念の依り代であり、一時の容れ物にすぎなかった。仮初めの仲間に囲まれて、仮初めの主に操られる。やがて半霊と入れ替わる運命の角にとって敵・味方の意識は薄く、勝敗の行方すらどちらでも良かった。
……はずだった。
「……あの……、何の真似ですか?」
その日は初手から違和感があった。そして、違和感は次の一手で危機感に変わった。3手目で角はたまらず声を上げた。
「なにって、知らない?」
その日着任した新たな指揮官は、角の質問に対して事も無げに答える。「嬉野流、っていうんだけど」
「そうじゃなくて!」
戦法の名前が聞きたいのではない。それも初耳だったが、大事なのはそこではなく。
「何がしたいのかって聞いてるんです」
こんな扱いを受けたのは初めてだ。6八銀-7九角-7八金。開始早々、主戦力である自分を生き埋めにする手順は全く意味がわからない。そうこうしているうちに、つい先刻まで居た8八が何故か後退してきた歩で埋まり、角の行き場は完全に無くなった。
「何がしたい、ね……そうだな。強いて言うなら」彼は6九に歩み寄り、最後の隙間を塞いだ 。
「君と話がしたい」
動悸がする。身体が熱い。呼吸が苦しい。
「……寝言は寝てから言ってくれますか」
「だから君を眠らせた。君はいつも、じっとしててくれないからね」
こうでもしなきゃゆっくり話もできない、と彼は角を見つめる。いたたまれず、角は目を逸らそうとしたが、あいにく視界は真っ暗だった。四方壁に囲まれて、身動きできない。
動悸がする。身体が熱い。呼吸が--苦しい。
「……やめて……」
角は震える声を絞り出した。「どうして……こんな、こと……」
角は、閉所恐怖症だった。
昔から、周囲を壁に囲まれると上手く息ができなくなり、前後不覚に陥ってしまう。
たまらず膝をつき、胸を押さえて荒い呼吸を繰り返す。そんな角を、彼は冷静に見下ろしていたが、
「落ち着いて。周りをよく見て」
諭すように言われ、角は視線を上向けた。
「君の周りにあるのは、本当にただの『壁』か?」
「誰が絶壁だこらぁ!!!?」
突然、壁のひとつが喋った。
同時にその壁は動き始め、角の視界に目映い光が差し込む。光の中に浮き上がる、やや小柄なシルエット。彼が指差した。「この壁は、銀。君の仲間の一人だよ」
「おいやめろ!こら!壁って言われるの一番傷つくんだからなっ」
壁--ではなく銀は、ひとしきり彼にくってかかった後、キッと角に視線を向ける。
「……大きい」
「え?」
「何でもない!銀だよ、よろしくねっ!次わたしのこと壁って思ったら許さないから!」
「え、あっはい!……角です、よろしくお願いします!」
わけもわからず角は自己紹介をする。そして気づいた。……息苦しさが、消えている。
「やっぱり、仲間の名前も知らなかったんだね」彼はため息をついた。
角は「……仕方ないじゃないですか」と目を逸らした。
「覚えても、遅かれ早かれ仲間じゃなくなるんです」
「一緒だろ、それはこいつらだって……」
「貴方に何が分かるんですか!」
堰を切ったように、百年間押さえ込んでいた感情が溢れだす。
「いつもいつも、やっと仲良くなれたと思ったら交換なんですよ!……拒まれてもこじ開けてまで交換。召喚されても合わされて再度交換……一人で駒台から見下ろすんです、私だけがいない戦場を。そしたらもう、二枚分の記憶が混じって誰が仲間で誰が敵で、何の為に戦うのかも解らなくてっ、」
--虚しい。
繰返しリセットされる戦友の顔。いつしか角は覚えるのをやめた。
「わからないんです……どうやって信じればいいんですか?この自分は次の瞬間にはいないかもしれない。それでも私は……皆の仲間になれるんですか?」
角は神を恨む。世界を正方形に作った神を。斜めの翼を自分に与え、対角に引き裂いた神を。
だが彼は平然と、自信に満ちた声で角の問い掛けに答えた。
「なれるさ」
「そうだよ」
銀がまた動く。5七から4六、3五、そして更にその先へ。
「なれるよ」と彼は繰り返した。
「理由を言おうか。俺は--俺達は、必ず勝つからだ」
意味は角にもわかった。
--勝者のハレムには38枚全ての駒が集う。一繋がりの《棋譜(メモリー)》とともに。
君が今どちらの陣営にいようと関係ない。最後に勝つのは自分だ--彼はそう言っているのだ。
なんという傲慢な信念。
だが、銀は彼を信じているようだった。--4六、3五、2四へと向かう斜行ルートは敵駒との交換を意味している。彼女は言い切った。それでも私達は仲間だと。
--信じてみても、良いのだろうか。
「信じろ。必ず勝つ」
彼は角の心を読んだように、そう繰り返した。
「……そんな大口叩いて」
角は目を閉じる。覚えたばかりの仲間の顔を思い浮かべ、脳裏に刻む。
局後再会したとき、ちゃんと名前を呼べるように。
目を開けて、彼を睨んだ。
「負けたら、絶対に許しませんよ」
その日、角は珍しく最後まで交換されることなく、5五の地点で終局(エンディング)を迎えた。
合計8回動く大活躍をした角を、大勢の仲間が取り囲み喝采した。敵陣営から駆け寄ってきた銀の隣に、半霊の姿があった。
その夜の駒箱の中で、彼女達の穏やかな話し声は遅くまで尽きることがなかったという。
〈次回金将!〉
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【角行プロフィール】
▲角、角さん、かっくん、かっさんなど△好きなプロ棋士は谷川浩司▲座右の銘は「一期一会」△異能の狙撃手として隊内で一目置かれる憧れの先輩であり、敵角に切られて散ることは今や小駒達の間で一種のステータスとなっている▲人見知り△巨乳▲成ると豹変△年齢不詳▲性別、女。