虚無交換日記

神戸大学将棋部の住人たちによるブログ

引退報告

2024-03-31 23:10:13 | Nkei

お久しぶりです。先日、一年半程付き合いのある後輩(会ったことは十数回)から話せば面白いんだからもっと話せば良いのにという旨のお言葉を頂きました。草

 

 ということで自称神戸大のゆるキャラ(終盤に緩い手を指すことで定評)ことNHです。引退に際しての振り返りを残そうと思います。

 

私が大学将棋を知ったのは一回生で参加した秋の一軍戦です。当時はコロナ禍で部活はほとんど行えておらず、何度か集まる機会を逃さずに参加しうっすらと先輩方の名前を憶えている程度でした。集まった際には同期が少ないことも関係しているでしょうか、コミュ障さを遺憾なく発揮し、先輩方にやばいやつが入ってきたなと思って頂くことに成功しました。参考までに一つエピソードをお話します。初めて将棋部のzoomにお邪魔し、24のRが1000程離れている先輩と好勝負を演じた私は何を勘違いしたのか、感想戦で開口一番自分がソフト指しでないことをつらつらと喋り出しました。ドン引きです。常識的に考えれば先輩が緩めていてくれたことに気がつけるはずですが当時の自分は常識を持っていなかったのでしょう。お茶目ですね。話を戻します。人数が集まっていないのを良いことに場違いながら一軍戦についていきましたが、これまでの人生でほとんど将棋大会に参加していなかった私は大会特有の重い空気、苦悶に満ちた表情で指す先輩方を見てこれが将棋かと呆気にとられたのを覚えています。流石にもっと頑張ろうと思いましたね。これも余談ですがめちゃぼやきながら強い手つきで指す人にN先輩がごまかされたのを見て卑怯な手法を使う人もいるもんだとも思いました。まさか自分もそっち側の人間になるとは思いませんでしたが。(なお棋力は圧倒的に足りない模様)

 

 そして二回生です。当時私は右も左も分からない状態で部長になりA級残留をかけた一軍戦に挑むことになりました。依然大学はオンライン授業中心で部活は週一回のみと厳しい状況。一軍戦のあれこれを知らない私はオーダーの定跡をあまり知らない素人采配で結果は6位に。申し訳ない限りです。主に残留をかけた戦いを関西大、近畿大、神戸大で繰り広げたわけですが、神戸がどちらかで4勝していたら4位で残留だったんですよね。(実際はいずれも3勝)完全にオーダー負けしました。ここからは長く苦しいB級の時代が続きます。

他の思い出としては雨の中部活に行ったことでしょうか。夏休みから部活を再開したのですが、その日は二度目か三度目の部活だったように記憶しています。当時免許をとった私は雨の中大学に車で行ったのですがこれが仇となりました。雨の加減が分からなかったのです。車から降り傘をさしてから大雨警報が出ていることを知りました。冴えないですねぇ。当然他の部員は来ないもんやと思っていたらN先輩とK先輩だけなぜか来て下さり、数局指した後大阪の道場に向かいました。素晴らしい先輩方です。その後道場のトーナメントに参加し早々に敗退した私は残っている先輩方を後目に一人で帰りました。かわいげのない後輩ですねぇ。他にはN先輩と一局目隠し将棋をしたこともよく覚えています(私は盤あり)。流石に舐められたもんや、こんなもんトマホークで一撃やと思ったら丁寧に受けられ気づけば頭を下げていました。うーん……。他の思い出話といえばこれは(三年間通してですが)T先輩には一発も入らなかったことでしょうか。結局終盤ゴリラが一番強いということを分からされ続けた日々でした。一方F先輩には数回入ったことは記憶に新しいです。うきうきで後輩に自慢したら、僕は初手合いでそれをやったんでその後2切れで結構な回数勉強させてもらった旨の発言がありました。草。

 

 三回生春はB級での一軍戦になりました。即戦力のエース達が入部し期待のもてる年でしたが、1位をかけた公立大との対戦では私も負けチームは3-4負け、入れ替え戦も自分が負けての3-4負け。見てられません。反省は最後に書きます。夏は鹿児島に合宿に行きました。そこまで詳細は決めていない旅でしたが鹿大の人と楽しい時間を過ごせて良かったです。指し分けだったことは心残りでしたが。それと期待の後輩が麻雀にのめり込んでしまったことも心残りです。ところで彼は船の上でも元気にしているでしょうか。続報を待つばかりです。秋の一軍戦は何かと印象に残った大会です。まずは私が時計の設定を確認し忘れ理事に迷惑をかけました。毎回の大会規定に時計のことが書かれていると思いますがあれは私のことです。(大会規定に爪痕を残していない男、俺ガチで危機感持った方が良いと思う。)そして部長としての最後の戦いでしたがこの大会では入替戦すら戦うことが叶わずに3位となりました。この件に関しては誰が悪いとかではなく純粋に力が足りなかったのだと思います。舐めたオーダーをしたわけでもないのでしょうがないですね。対局が終わり会場を撤収し駅に着いて一人電車を待っていたところで自分は何をやっているのだと辺りが真っ暗になったことをよく覚えています。無力感というか、自分への不甲斐なさというか、とにかく負の感情が押し寄せてきました。その日はスマホも忘れて取りに帰ることになったのもポンコツポイント(pp)高めです。この年卒業した酒に強いN先輩(前述の人とは別人)にはバーに連れて行ってもらったことが思い出に残っています。まあまあ良い値段する酒を気前よく奢っている姿を見てどっからその金が出てくるんやと思いましたが、貴重な体験でした。夜の三宮の治安の良さも感じることができましたし()

 

 4回生の春の大会は就活もありましたしあんまり覚えていません。唯一出た対局も負けましたし。久しぶりに再会した前理事長(当時)は一足先に社会進出を決めており、羨望の眼差しで見ていたのですがいつのまにか一人で卒業することになっていました。やはり京大生は一味違います。就活も無事終わり、夏は一般大会に出て輝かしい結果を得ることができました。やっぱり団体戦は良いですね。自分の力なくして景品をもらえますし。25切れの終盤ゴリラの強さをまざまざと見させてもらいました。達人戦では角損の将棋をまくってベスト8に出場できました。最終学年なので流石に勢いがありましたかね!!なおベスト4をかけた対局では対局中に扇子がぶっ壊れて負けました。

秋の一軍戦はこれまでの将棋人生で一番気合を入れて準備をしました。結果は2-4。終わりです。マジで。そっくりさん、映す価値なしとは私のためにある言葉です。最後の大会で芸術的な負け方する男、俺ガチで危機感持った方が良いと思う。何がひどいと言えば色々あるんですが、24の最高レートを更新してウキウキになっていたところでしょうか。一日目はド必敗の将棋をまくるような謎の力がありましたが二日目はその片鱗がありませんでした。また、筆者の志の低さもお粗末なものです。これまで捨てており対策を考えていなかった戦法を二日目の相手は指すと分かり一週間でそこそこの研究をしたところ、序盤はほぼ研究通りにいったものの、当然ながら中盤以降の指し手の方針が立たずに負けにしました。とはいえ一週間後にその日はやってきます。第二代表決定戦です。虚無虚無プリンと化した私は某音ゲーに現実逃避し将棋にほとんど触れていませんでした。相手は京大の4回生の方です。実は私この方と初手合いではなく、清流戦で奇数だったことから時間潰しとして指してもらったことがあります。そのときは相手にならず完膚なきまでに吹っ飛ばされましたが、今回は序盤中盤優勢に進めることが出来ました。えー、もう分かりますね、後はいつもの流れです。もう全てが弱すぎる。皆さんこうなってはいけません。一軍戦唯一の救いは打ち上げで後輩から爆いじりされたことでしょうか。一日にして威厳が失われてしまいました。まあこれはさておき、A級に上がれたことは大変喜ばしいことです。自分が初めて見た大学将棋がA級の一軍戦でその緊張感を目の当たりにしており、A級で戦うことへの特別な気持ちは今も変わらず持っています。なので是非とも後輩達にはその場所を経験してほしいと強く願っていたのですが無事叶いまして私から言うことは何もありません。そして千載一遇のチャンスをしっかりと掴んでくれた部長主将には感謝してもしきれません。これでチームも負けていたら私は間違いなく将棋を辞めていたと思います。助かりました。

と、本来ならこの辺で書き終わる予定だったんですが一軍戦の後も将棋関係で色々イベントがあり充実した日々を過ごさせてもらいました。チームが勝ったとはいえ一軍戦でこのざまならもう将棋辞めるかとはちょっと思っていたんですが、もうちょい将棋やっても良いかと思えたのはこの時期が非常に楽しかったからです。皆さんありがとうございました。

 

以下追伸 というか蛇足

 

 本来はA級記念の振り返りと大学生活の振り返りをする予定だったんですがいつのまにか時間があっちゅうまに過ぎてしまいました。年度内に書けばええやろとか思ってたので当然といえば当然なんですが。最後に書く文章だと思うと良い物を書かねばという義務感に襲われ筆が進まなかったんですね。そういえば「理事職のすゝめ」という文章も書こうとしていたんでした。まあ内容は友達増えるから良いよ! とかいう出オチブログのつもりでしたし、私たちの一つ下の代から理事をしてくれる方も増えたので結果オーライです。なんであんな増えたんでしょうね、連盟のTwitterアイコン(決してXではない、決して)の顔が良いからかな。それはおいといて実際は理事の皆さんが学生大会を盛り上げてくれてきたからでしょう。コロナ禍を挟み厳しい情勢が続く中本当にありがたい限りです。ところで学生将棋の良い所というのは大会に出てくる人らが顔見知りであるという点が大きいように思います。知ってる人と指すのは独特の緊張感がありますし、知らない人でもどこどこ大学でどんな人だ、という事前情報があったりなかったりします。何を言いたいのかと言えば皆もっとブログ更新してほしいということです。大学将棋のブログ読む人実は結構いると踏んでいます。先日の合宿でも他大学で俺関西の大学日記は大体読んでるわという人小耳に挟みましたし、私なんか暇があれば他大学の日記が更新されてないか見に行くことがしょっちゅうです。ちなみにこれはパチンコしてるのと同じ現象で一種の中毒症状ですから笑いながら書いている場合じゃないです。定率強化スケジュールと変率強化スケジュールという区別がありまして、まあ簡単に言うと更新する日時を決めているものよりいつ更新されるか分からんやつの方が更新されたときに嬉しいというやつですね。ところで最近本を読むことにはまっていまして、それ故に雑学を収集しているんですがそれを某後輩に話すと、「それって学生時代にやっとくやつじゃないですか?」と言われてしまいました。これに対して言い返す言葉募集中です。閑話休題。話を戻しましてブログ更新してほしいなということでした。これは自大学他大学問わずですが、同じ場所で対局しているわけですからどんな思いで将棋しているのかとか、対局の感想だとかは純粋に知りたいわけですよ。なのでブログ更新してる大学と人は私基本的に好きです。面白いのでこれからも続けてもらえると助かります。そんで自分の大学の部員にも一々そんなこと突っ込んで聞かないんで本人が書くのを待つばかりです。見ていますか特に部長と主将。その他の部員も書いてもらって良いんですよ、自己紹介とか書き足りてないと思うんですべらない話でも書けば良いんじゃないですかね。ちなみに先輩らとの記憶ばっかり書いているのは単純に会った回数が少ないからです。後輩との思い出は色々ありすぎて書ききれないということにしといて下さい。

 

 

せっかく最後なんで好き勝手書いてやろうと思いなるべく長文になるよう頑張りましたがもう書くことがないので最後は真面目に書こうと思います。

まず後輩皆に伝えたいことはこれからも一致団結して将棋部の活動を続けてほしいということです。もちろん部室に顔を出す回数や大会に出る出ないみたいなことは人によって違ってくるとは思いますが、これまで通り一軍戦を大きな目標として部活動を続けてほしいです。今年度まではA級に昇級できるかできないかの100か0だったわけですが、これからは人によって目指す目標が異なってくるかもしれません。そのあたりきちんと共通認識を持てればこれまでの神戸の良さもなくならずに更なる飛躍が望めると考えています。(そんなことする必要もなさそうですが)

次に一軍戦での反省ですが、まず大きな反省点は自分の勝ちパターンを確立できなかったこと、信じられなかったことが挙げられます。自分は受け将棋だと思っていて、普段は2手勝ちを目指す将棋を指しているつもりです。とはいえ正確に受けることが出来なければ棋理的には差が縮まることは分かっており、これが大きな対局や格上との対局の場合だとそれを恐れるあまりぼんやりとした手を指しての負けが多いような気がしています。もっと緊張感のある対局を積むべきだったと反省しています。そしてもう一つは序盤の練度が足りていなかったことです。当然ですが定跡型を指すならば事前準備の段階でこのパターンはこう指すというのは網羅しておくべきです。自分はそこを曖昧にしていたために、力を出せずに四回生の秋を後悔することになりました。どこまで突っ込んで研究するかは人によりますが、自身の力を出し切れる程度までは考えておきましょう。急ごしらえした手順ではその通りになったとしても中盤の難所で全く手が見えなくなります。

 

 

 最後になりますが、後輩達からの連絡はいつでもお待ちしています。是非また対局しましょう。部活の近況も聞かせて下さい。知り合いが少なかった将棋生活を変えてくれたのは理事の皆が暖かく迎えてくれたからです。アマチュアで将棋をやることの見通しが立ったのは摩耶将棋俱楽部の方々のおかげです。その他これまで対局して下さった皆様全てに感謝です。最後になりますが四年間本当に本当に皆さんありがとうございました。楽しい思い出ばかりで充実した学生生活でした。また会いましょう!