長いようで短かった4年間でした。振り返るとやっぱり4年間楽しかった、やりきったという思いで胸がいっぱいになります。幸せ者ですね。
これも沢山の人の御助力のおかげです。感謝です。
さて、ここからは
①先輩方へ
②後輩へ
③蛇足(老婆心)
④蛇足その2(一軍戦記)
の4部建てでお送り致します。
①先輩方へ
大変お世話になりました。お陰様で思いもよらない経験をすることができ、コロナ禍もあったものの非常に充実した大学生活になりました。
勝手に目標にしていたのは、T氏、Y氏と続いていた終盤党の系譜を受け継ぐことでしたが、力及ばず。詰めチャレ6段で2年足踏みして、はや卒業とは…。詐欺師、ゴリラの後を継げる有望な後輩の出現を祈るばかりです。(今の主将がダウト攻めの覇者なので既に受け継がれているような気も…)
自分はなんか誤魔化して勝つのが精一杯でした。まぁ、一軍戦で勝つのが一番偉いですからね(?)
T和さんには、お酒との付き合い方を教えてもらいました。その節はS原さん、T居さんとともに大変なご迷惑をおかけしました。あとは詰めチャレ2000に乗って赤レートや!と喜んでいた私のもとに2500を見せてくれたことでしょうか。人間がここまでいけるのなら自分もまだまだやれるはずだという思いで、それからの3年間終盤力の強化に励むことができました。(もっと序中盤に手をかければ良かった気も…)
結果、入部時からは詰めチャレのレートを400程度伸ばせました。が、2300止まり…。残念。
やっぱり2500は人力tasだったんですね。
入部当時の4回生にはとてもお世話になりました。一軍戦への熱量、将棋への向き合い方、何だかんだ居心地のいい部活…。某終盤ゴリラの方には限界旅行の心得を度々教えてもらったり、格安宿マップをもらったり。N本さんには法的三段論法についても教わったり(お陰で無事に卒業できました)、棋書や教科書を譲ってもらったり。K谷さんには三間飛車でボコボコにしばいて頂くとともに将来を心配して頂きました。後述のN織さんと氏の2人だけが戦法をまともなものにした方がいいよと口を酸っぱくして忠告してくれました。心優しき三間飛車党。今となっては、聞き入れておけばよかったと反省しています(後述)。
一番長い付き合いとなった1つ上の先輩方には本当にもう…お世話になったというか迷惑をかけたというか…。ほんとにありがとうございました。
須らく大変お世話になりましたが、特に言及するとなれば、やはりN織さんでしょう。が、氏との思い出を綴るには余白も時間も少なすぎますので簡潔に。何だかんだ一番お世話になりました。よく部と未熟な私を導いて下さりました。部の方向性について議論したこと、雑にオケオールしたこと、ひたすら将棋でしばかれ、逃げ回ったこと…全てが私の財産です。良き4年間だったと振り返られるのは、少なからず貴方のお陰です。本当にありがとうございました。またご飯連れてって下さい。
②
後輩へ
頼りない主将でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。みんなとともに最後にA級で2期も戦えたこと、そして残留できたことは大きな誇りです。どうかこれからも神戸大学将棋部が広く門戸を開き、棋力に関係なく、すべての部員にとって居心地の良い場所でありますように…。
今は2年生となっておられる方々におかれましては、前田くんがキャラ濃すぎて噛めば噛むほど味がするSくんの発掘が遅れてしまったことだけが心残りです。
佐藤君には是非部員日記書いて欲しい。期待。
他の皆も一番将棋に打ち込める時期だと思うので、のんびり、されど着実に力をつけて行って欲しい。
3回生となられる方々は…まぁ言うこと無いかな。安心感がある。強いて言うとすれば、細々と部活に顔を出して欲しいし、是非幹部全員レギュラーの座を掴んで欲しい。
広報、幹事。特に君達の勇姿が見たいぞ。
今期4回生となられる皆は、是非有終の美を飾って欲しい。学業、進路…大変だと思うけどぼちぼち進めていってね。くれぐれも健康第一。
願ってばかりになってしまった…。まぁ伊勢神宮に投げ銭しといたからセーフやな(?)
N森へ
4年間何かにつけて振り回したけどよく付き合ってくれたこととか、切磋琢磨して棋力を伸ばしてきたこととか、序盤を外注したこととか、一軍戦で苦楽を共にしてきたこととか…。思い出を語りだしたらいくらでも書けるやろうけども、ここでは1つだけ。
ちゃんと卒業しろよ!!!
もう1年頑張って!
③蛇足(老婆心)
ここからは一軍戦指してて思ったこととか後輩に伝えきれなかった気がする由無し事を書き綴ります。あくまで私の主観ですし、ただの感想です。ただ、こんな棋力でも一軍戦に出れるよってこととその中でこんな事考えてたよってことは残しておいた方がいいと思った次第です。
さて、私の棋力です。
入部時:ウォーズ10切れ・10秒二段、3切れ三段、クエスト2切れ四段、詰めチャレ1900
卒業時:ウォーズ10切れ三段、3切れ・10秒四段、クエスト2切れ五段、詰めチャレ2300
嬉野流(奇襲戦法)の光と影
まずは影から。
上記の棋力を見れば分かるように、ある程度で頭打ちになる可能性が高いです。ある意味では奇襲戦法を指すことの宿命です。自分の土俵に引きずり込んで戦うということは即ち、地力や応用力といった将棋を指す上で骨子となる力が身につかない(蓋然性が高い)ことを意味します。そもそも奇襲戦法は地力があって終盤勝負にしたい人が序盤を模索した末に、或いは切れるカードの1つして持つものであって、メインにすべきものでは無いです。
また、戦法それ自体に無理があることも多く、評価値を気にしながらもそれを無視して実践的な手を積み重ねる、不利を承知で勝負に出る、戦型によっては何も出来ない中で粘り続けるしかない等の不利益を被る可能性を呑む必要があります。特に30-60という長い持ち時間の将棋では。
さらにいえば、力戦らしく他では見たことのない形になりやすい(これはメリット)故に、手筋本や次の一手、終盤の寄せ、凌ぎを勉強しても生きない展開になりやすいです。
では、光とは?
勝てます。一芸に特化したようなもんですし。想像の倍勝てると思って下さい。但し、倍止まりです。他の戦法が棋力の向上とともに比例的、指数関数的に勝てる見込みが上がっていくとしても、奇襲戦法は想像の倍で頭打ちです。
あとは楽しいです。序盤から神経使いますが、使うだけの価値はあります。細い攻めをつなげる、不利な局面を粘り続けて綾を求める、1手勝ち1手負けの局面で攻防手を探す、詰みそうで詰まない玉さばき…。王道の戦法では(相手の対応が外れないことが多いために)本来はもっと力をつけてからでないと経験できないような戦型、終盤勝負が早い段階から経験できるのは将棋を続ける上でも大きなモチベーションになり得ます。
なお、この辺りのお話は京大将棋部ブログのこれが詳しいです。
結論
本気で将棋を極めるとか、20,30年の長いスパンで将棋と向き合っていくための礎をつくりたいとかでないのなら戦法は自由でいいと思います。ただ、いきなり奇襲戦法だけに注力するよりは、並行してその奇襲戦法の天敵(嬉野流なら三間飛車とか)の練習もしていく方が望ましいかと。まぁ個人の自由ですが。
とはいえ、奇襲戦法であってもある程度までいくと序盤もしっかり考えて構築していかないと行けないし、求められる終盤力は天井知らずだし、攻め合い1手勝ちも、鬼の粘りも、抑え込みも出来るようにならないと勝負できなくなってくるし…。そこまで楽して勝てるものでも無いです。残念…。
序盤、中盤、終盤のはなし
私は終盤最優先でした。理由は、格上相手でも見落としなどで混戦になれば千載一遇のチャンスが来うる訳で、そのときに確実に勝てるように、勝てる確率を上げたかったから。あとはどうしても序盤を覚えられなかったという悲しい裏事情も。
終盤→序盤で将棋の形を作ってから先の長い中盤力を強化していくのがいいんじゃないかと個人的には思います。
時間の使い方が下手でも大丈夫
私ですね。基本自分の時間が先に切れて秒読みに入るし、10分以上差をつけられることもしばしばでした。が、それでたちどころに不利になる…という訳でもないです。時間差があると、時間を残している相手側はその分考えることが増えます。今ある優位(持ち時間の差)を手放してまで深く読むべきか、時間攻めをすべきか、時間が残っているうちに仕掛けるべきか…。ここで想定外があったり、時間攻めを意識している中でこちらが上手く切り返せたりすると相手は焦ることになります(よね?多分)。そもそもこちらが先に秒読みに突入してしまえば、あと使われるのはほとんどが相手の持ち時間になりますから。
勿論、時間を残して難解な局面、決めきるべき局面に注ぎ込めた方がいいんですがね…。ただ、時間を意識するあまり序中盤の難所で落手を指してしまうのが1番辛いので、時間差がついてしまうことをそんなに気にしなくてもいいよっていうことです。
④蛇足その2(一軍戦記)
一軍戦を軸に4年間を振り返ります。
1年
秋 個人1-2 A級6位、降級
コロナの影響で一軍戦は秋のみの開催。新人戦は予選オンライン+フィッシャールールだったので1局時間切らして勝ち、予選2連勝でベスト16。個人戦は戦法を明らかにするのもなぁ…と思い、不出場。
初の一軍戦は厳しかったですね。
対居飛車に絞って特訓して(N本さんその節はありがとうございました)なんとか仕上げた嬉野流がどこまで通用するのか。
初日の京大、原氏では2日目に備えて嬉野流を指すなと某織先輩に限定されたので、角換わり右玉とかして攻め潰された覚えが。
2日目は関大戦、西川氏では銀角交換で駒得するも勢い突いとけで突いた歩を全部回収されて拠点にされ、攻め手がなくなりジリ貧に。仕方がないので78金68金79玉と固めてから76歩と自玉頭から反発して粘り勝つもチーム3-4負け。
最終戦は近大、平野氏。居飛車党と聞いていたのに蓋を開けてみれば見事な三間飛車。完敗。後で聞くと、嬉野流相手には三間飛車をするとのこと。うーん…。チームも3-4負け。途中4-3の目があったらしい(?)
ここから長く続くB級戦記が始まるんですな
2年
春 個人4-1(不戦勝2)、B級2位、入替戦負け
秋 個人2-1、B級4位
春個人は金尾さんに吹っ飛ばされたし、秋は近大の中村君にタコ負けした覚えが。
春一軍戦は期待のルーキーが多数入部したため、彼らを馬車馬のように起用するという戦略(?)。覇気で龍谷大に勝つなど、順調だったものの勝てば優勝の一番で公立大に3-4負け。戦犯は私です。石は投げないで下さい。相居飛車から優勢になるも桂頭攻めから速度を逆転され負け。角のラインを早めに止めておくべきでした。そんなこんなで2位となり、入替戦へ。相手は同志社。格上が3枚と大中氏がいたため、格上3枚の中から1枚抜くのが至上命題でしたが…。そこは仕事人青柳。公立大での汚名をすすがんと格上の一角井上氏相手に秘術を尽くして逆転、詰みに討ち取り、最速の勝ち名乗り。が、後続続かず…。悪夢の3-4負けで来期もB級に。
秋は私が悪いです。さすがに石を投げてもらっても大丈夫です。初日に体調崩して遅刻した挙げ句、勝負どころの和歌山戦で勝負あたりを落としたの本当に申し訳無い。
3年
春 個人2-3(不戦勝1)、B級2位、入替戦負け
秋 個人2-1、B級優勝、A級昇格
個人戦は秋は大西透君に勝てて嬉しかったですね。終盤戦〜次の試合直前までギャラリーの人や京大の人にボロクソ言われてたので普通にキツかったですが。頼むから本人おらんとこでやってくれ。
で、春は記憶に無いなぁと思ったら初戦で公立大の王道戦法使いを自称する塚本君に嬉野流読まれてるやろな…せや!という精神で袖飛車をした挙句一方的に殴られるという悲しい結果に終わってました。
一軍戦春はさらに新戦力、バーサーカー福井コンビをお迎え。さすがにA級上がりたかった。が、勝負どころの同志社に勝負どころ全部取られて負け。私は大中氏相手に奮戦するも地力が違いすぎて一瞬で捲られてしまいました。映す価値なし。ということで、入替戦には不出場で皆さんを見守っていましたが…N森の大きな1勝はあったものの3-4負け。皆奮闘していましたが、やはりアベレージ軍団神戸ではオーダーで刺せない入替戦は分が悪かった…。
そこで、秋は優勝ただ1つを狙いに行こうということに。
秋は…優勝できました!!やっとA級帰れるぞ!!
私はというと、桃山学院戦で完敗。勝負に臨む気力が無くなってしまい、優勝がかかる最終局の関大戦を先輩に
あとは力を出し切るだけ、とばかりに無心で戦っていると…まさかの勝利。望外。ありがとうN森。怪しい垂れ歩や嘘みたいな受け、成立しなさそうな歩突きなど嘘を通し続けた結果なので、これもある意味集大成。
N織さん達の引退に華を添えられたし…。ま、終わりよければ全てよしということで。
4年
春 個人1-2、A級6位、入替戦勝ち
秋 個人2-5、A級5位
個人戦は春は就活に追われて不出場、秋は同志社のルーキーに吹っ飛ばされて初戦敗退。私らしい最後に。
一軍戦春は新鋭S君の活躍も大きく、京都、関大を破り最下位を回避。入替戦へ。入替戦でも盤石に勝ち、A級残留。私は何もしていない。公務員試験と民間の最終面接など就活ダダ被りだったのでほとんど将棋を指せていなかったし、初日は就活のイベントと被ったし…。2日目のみ出して頂くも、関大戦では終盤怪しくするも2択を外し負け、阪大戦は居飛車の税金を払い忘れ負け。最後の近大戦で勝ちきれて本当に良かった。
秋は…まぁ、やりきったとだけ。心置き無く引退できました。
よし…なんとか書けた…。社会人時間なさすぎて、加筆修正終わらんかった。
卒業したのに投稿するのはさすがに老害すぎるし、どうしようかと思ってたら丁度ブログも移転するみたいなのでしれっとこちらに置いておきます。
ここまで見てくれてありがとうございました。また会う日があればどうぞ宜しく。それでは。