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親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

親和会だより令和元年10月号9月号7月号

2019年11月06日 18時26分01秒 | 親和会たより

 

   親和会だより令和元年10月号

 季節外れの真夏のような日々は続き、10月にセミが鳴くなど異常気象の中、台風1

5、19号と続き、各地で甚大な損害を蒙りましたが、幸いにも私たち地域は大きな被

害も出ず無事に過ごすことが出来た有難さを感謝いたした居ります。やっと秋らしい

季節となって参りましたが、会員の皆さま如何お過ごしですか。

 さて早いもので今年も残り2か月となり、恒例の忘年懇談会も近づいて参りました。

どうぞ体力をつけられ多くの会員の皆様が参加されますよう願っております。

 報告事項

 1.サロン報告

   真夏のような気温のためか参加者が少なく、やや期待外れの人数であったが皆さん

『老いを楽しく生きる』シリーズ第3巻、評論家 坂東真理子氏による”プラチナエ

イジ〟の品格のテーマで講演を聞きました。坂東氏は1946年 富山県生まれ、東京大

学卒業後、総理府入省。日本初の『婦人白書』を塾筆。埼玉県副知事、オーストラリ

ア連邦ブリスベン日本国総領事、内閣府男女共同参画局長を経て、2007年より昭和女

子大学学長を務めている。『女性の品格』『女は後半からがおもしろい』『錆びない生き

方』など著書多数。

ワインのように、プラチナのように

 日本は、すでに高齢社会に入っているが、長生きする人が増えて『困ったことだ』『大

変ですね』という人が多い。だが21世紀に生きる私たちの人生の持ち時間がこれだけ

長くなったのは、とてもありがたく、めでたいことである。不老長寿は、秦の始皇帝

などいろいろな権力者が願ってきた人類の大きな夢であった。やっと手に入れた長寿

を感謝すべきである。歳を重ねたことによって失ったものも有ったが、得るものもた

くさんある。特に女性は、若い方が魅力的で価値があると評価される、その反動で『私

は歳をとったからダメなんだ。もう男性にとって魅力的な存在ではないんだ』と自信

を失ってしまう女性がとても多いような気がする。それは、高齢化社会以前の価値観

を引きずっているでは。歳を重ねることで味わい深くなるワインのように、歳ととも

に魅力やメリットが増していく価値観を持たなくては自分を否定したことになってし

まう,時とともに鉄や銅は錆びてきますが、プラチナはどれだけ歳を重ねても錆びる事

はない。金のような輝きはないが、味のある光をたたえています。人生の後半を、こ

うしたプラチナのような輝きをもって送りたいと思う。それにはやはり自分に磨きを

掛けねばなりません。

新しい出会いを求める

 毎日、同じことを繰り返していることは楽であるが、今までと違う刺激を得るため

には、意識して新しい出会いを求めるべきだと思います。高齢期は、小さなチャレン

ジを暮らしの中に取り入れるとよい。『一度は行ってみたい』と思っていた場所や、テ

レビや本で知っていた場所に足を運んでみる旅行などすることによって、新しい発

見や出会いがあるはず。

また、新しい趣味に挑戦することによって、自分の隠れた才能を発見することもあり

ます。例えばピアノにしても基礎から勉強することはせず、自分の好きな曲を弾いて

、繰り返し練習を続けることで、少しずつレパートリーを増やしていけば、楽しい境

地になれるのでないでしょうか。音楽に限らず、若い頃にやりたかった趣味を始める

のは、心が弾みます。古い友人とは人生の掛け替えのない宝で、人生の後半を豊かに

しますが、時間と共に友人も自分自身も、歳と共にどんどん変わってくるので,無二

の親友だと思っていた人と価値観が合わなくなって寂しい思いになることがあります。

古い友人と別れる必要はないが、意識して新しい出会いを求めるとよいでしょう。特

に若い人と知り合いになって、その言動に注目し、面白がるという姿勢が大事です。

人間関係の緩やかなネットワークも大切です。『一人の無二の親友よりも、十人のユル

友』という言葉があります。親しいけれど無二の親友というほどでもない、暖かく緩

やかに、自分の都合に合わせて付き合うことが出来る ”ユル友〟が、五人、十人と

いることで、後半の人生が豊かになるのでは。

高齢期には、夫婦関係が改めて大事になってきます。それには人間距離をある程度、

適正にとることが大事だと思う。お互いが必要と思う時には手を差し伸べるけれど、

必要としないときはそれぞれ別な行動をとる『付かず離れず』が良いのではないでし

ょうか。

笑顔で暮らす

 老いを楽しく生きるための、一番の基礎の基礎は”健康〟です。健康を維持するた

めには、心身両面からいろいろ心がけを重ねていく必要があると思います。心を健康

に保つための最大のポイントは”笑顔で暮らすこと〟だと思います。人生には、良い

こともあれば悪いこともあります。現実の悪い部分、苦しい部分、醜い部分ばかりを

注視して不満を持っていると、心の健康はどんどん低下していきます。現実の中のど

の部分をどこまで発見することが出来るか、楽しむことが出来るかが大切です。人と

の関係も同じです。完全無欠な人は存在しません。長所もあれば短所もあります。立

派な行動する人が同時に愚かな行動もします。そのときに、その人の良い部分、輝か

しい部分、優れた部分に注目して評価し、笑顔で受け止めてあげることではないでし

ょうか。人間の心は『型』に影響されます。たとえ作り笑いでも、笑顔を作ることで

自分の気持ちが引き立ちます。鏡を見て素敵な笑顔を作る練習をすることが、心の健

康につながると信じています。心が健康だと、体も生き生きと健康になるのです。

やわらかに生きる

 歳を重ねると、いろいろなこだわりを持つ方が増えてきます。しかし、それに固執

せず、ときにはそれを変えてみる『今日は別なやり方をしましょう』といった、やわ

らかな生き方も必要でしょう。『人に迷惑を掛けてはいけない』『ひとさまを煩わせて

はいけない』というこだわりを持つ方もいますが、困ったときには『お世話になりな

ります』『ご迷惑をお掛けしますが、許してくださいね』といった言葉を出してみるな

ど、やわらかな気持ちで生きることが大事です。その塩梅が取れるようになることが、

高齢者の知恵ではないでしょうか.『人にできるだけ迷惑を掛けないようにしよう』と

いう気持ちは大事ですが、あまりそれを突きつめていくと孤立無援の人生につながっ

てしまいます。体がついていかない、弱ってしまってるときには、丁寧に助けを求め

るべきです。困った時はお互い様です。お互いに、助け、助けられる。それを上手に

出来るようになることが大事ではないかと思います。

自分の身近な人々とお互いに助け合うことが人生の知恵として必要ですが、その範囲

をもう少し広げるとボランティアになります。『自分ができることを、できるだ範囲で、

人のために役に立てる』『必要としている人がいたら、気軽に助けを提供する』という

気持ちを持つ高齢者が多きなれば、この社会も温かくなるのではないでしょうか。

私が心掛けているのは、「和顔愛語」という態度です。『和顔』は、柔らかい顔という

意味で、ニコニコと幸せそうな顔をしていること。『愛語』は、人を思いやる言葉を発

するという意味で、『人が苦しんでいるときに共感する』『幸せなときに一諸に喜ぶ』『一

生懸命頑張っていることを認めて、それをほめてあげる』ということです。私自身、

そうした言葉によってどれだけ励まされたかわかりません。だから私も、「和顔愛語

で相手を思いやれる人間になりたい」と願っています。

与えよ、さらば与えられん

 高齢期は、自分を向上させる期間であると捉えることも大事です。高齢期は、失う

ばかりの時期ではない。自分を磨き、良い部分を伸ばしていく過程であると私は考え

ています。自分を磨く方法としては、習い事を始めることや資格を取ることが挙げら

れます。ただし、注意点があります。合格や上達が義務になって自分を追い込んでし

まったり、「絶対に成功しなければならない」と自分を駆り立てることになると、折角

の試みが重荷になってしまいます。人生後半期のチャレンジにおいては、百パーセン

トの完全を目指すというプレッシャーから自由になることが必要です。

 最も大切なのは、古い言葉ですが『人格の陶冶』とでもいうべきものです。若い頃

の私は、怒りっぽく、少しうまくいくと天狗になってうぬぼれて、うまくいかないと

すっかり落ち込んで、というふうに精神的に未熟でした。歳を重ねたことで感情をコ

ントロールできるようになってきました。高齢者に目指すべきは、欲望に惑わされな

い、感情の奴隷にならない、立派な人物になることです。そして、自分とは立場の異

なる他者への想像力を働かせことが出来ば、「あの人は大変だろうな」と言ったことが

分かるようになります。あるいは,うれしいことがあった人と一緒に、「よかったね」

と喜ぶことが出来るようになります。こうした人格的な完成を目指すことが、高齢期

の生き方の大きな目標ではないでしょうか。

最後に高齢期を楽しく過ごすにはおしゃれをすること、健康を維持するため大いに体

を動かし、歩くことが老化を防ぐ大切な要素です。

 2.例会報告

雨交じりの気温がやや低い中、16名の参加者。はじめにラジオ体操、ついで新しく

会員になられました、坂野 隆さん(B11班)(囲碁の会入会)を紹介、来月の忘年

懇談会について討議、会費1200円は前年通りとし、不足の際は会より拠出する

ことを諮り、了承されました。

10月31日までに出欠の連絡を、各ブロック総務担当まで提出をお願いします。

ついで、NHK テレビで放映されました『サグラダ・ファミリア100年の夢』を鑑

賞、スペイン・バルセロナに建設中のアントニ・ガウディが設計・建築に携わった

った贖罪の教会をタレントの薬師丸ひろ子が訪ね、主任彫刻家である外尾悦郎氏の

案内で内部を見学、説明を受け、また近辺のガウディの関係した施設を見て回る内

容。ガウディのこれらの作品は1984年ユネスコの世界遺産として認定された。

この建築中の教会は既に着工してから100年以上を過ぎ、建物の完成は2026

年?とのこと。更に内部の彫刻等の完成は不明とのことです。高さ170メートル

の塔や素晴らしい彫刻。ステンドグラスなど想像以上の素晴らしさで、今やバルセ

ロナに来る観光客が年260万人以上がこの教会を見るために来るとのこと。

単なる建物が偉大な物だけでなく、扉や壁面に施された彫刻が、戦争を否認し、平

和を願う気持ちに満ち満ちている。天井の高い祭壇の前で、フォーレのレクイエム

をバルセロナの交響楽団・合唱団を指揮した大野和士氏が、今までにない天から降

ってくるような音に感激したといっている。

同じ宗教である仏教寺院とキリスト教教会とでは、訴える力が異なり、寺では仏像

に対しひたすら願いを崇め奉るに対し、キリスト教の教会は、信者対し『神を信ぜ

よ』と呼び掛ける。個人的な感想では農耕民族の受け身の姿勢。それに対し狩猟民

族の攻める姿勢が宗教にも表れているのではと。

                                小井沼記

   親和会だより9月号

8月の親和会は個別のグループ活動以外は全て休会となり、久しぶりにゆっくり休養を    

とることが出来ると期待をしておりましたが、連日35度を超えるような灼熱のなか、  

ひたすら冷房をかけ静かに過ごさねばなりませんでした。それにしても温暖化のため

か異常気象で地に大雨を降らせ、地滑りや川の氾濫等、大きな被害が出たとのこと。

幸い私たちの住む地域は恵まれているのかもしれません。

報告事項

 1.サロン報告

今回は前月が夏休みであったため、出席者がすくなく13名であった。前回に引き続き

『老いを楽しく生きる』のCDより評論家 外山滋比古氏の『忘れる力』を聴きまし

た。外山氏は1923年愛知県で生まれ、東京文理科大学英文科卒業、東京教育大学

助教授、お茶の水女子大教授を歴任、現在同大学名誉教授。

  『思考の整理学』、『忘却の整理学』など著書多数。

『人生二毛作』の時代。

今や超高齢者と言われる時代、昔は高齢になる前に亡くなる人が多かったけれど、今

は平均寿命が伸びて、歳をとっても死なないという現実が増えてきた。だがどのよう

に老後を過ごせばいいのかわからないというのは大変つらいということが、少しずつ

分ってきた。人生80年と言われる長い人生で、最低20~30年ぐらいは、余生という

時間がある。そこで”二毛作の考え方”を持つ事が必要ではないでしょうか。一毛作

は現役の働いた時代で、二毛作は退職後の老後で、思い切って、前の仕事とかけ離れ

たことを実践することによって、新たな生きがいが出来るのではないでしょうか。

『忘却は老化ではない』

豊かに老いていくためには、どうすればよいのでしょう科、具体的に考えてみたいと。

老年になったら、考えを改めた方がいい問題がある。それは『忘れる』ということ、

子供の時から『忘れてはいけない,よく覚えてなければいけない』と自分に言い聞か

せていた。この忘却恐怖症が非常に災いする。歳をとると忘れることが多くなります

が、これは老化でなくて、きわめて健康な生理現象であり心理現象であるので恐れる

ことはない。私たちの頭の中には、必要な知識の他に、あまり役に立たない情報や刺

激などが入っていて、これで頭がいっぱいになると、憂鬱になったり、気が重くなっ

たり、ひどいノイローゼになってしまうような状態になります。これに対する有効な

手段は、とのかく頭をカラッポにするすること。歳をとったら、今まで目の敵にして

いた『忘却』を味方にして『忘れることは、むしろ頭をよくすることだ』と考えるこ

とが大切。寝ている間に脳の一部が活動している『レム睡眠』という状態があります。

体は眠ってるが、頭の中で、いわばゴミの分別作業が行われていて、自分の関心ある

大事なことは忘れないようとっておき、そうでないものはゴミとして処分する。要す

るに、レム睡眠によって忘却作用が活発に働いて、頭の中の夾雑物、ごみが分別され

る。この状態が朝の爽快な気分、目を覚ました時のすがすがしい感じなのだと思う。

昔生活は刺激が少なかったので、夜の忘却作用、自分のゴミ出しで間に合っていたが

現代生活は非常に複雑で、刺激も情報も多くて、頭の中に大変多くのものが入ってき

ますので、夜のレム睡眠だけでは必ずしも十分な処理が出来ないため、朝起床どき何

となく気分が重い人がかなり増えています。歳をとったらとにかく忘れてしまってほ

うはよい。頭を空っぽにすれば、自然に何かを学びたくなったり知りたくなったりし

ます。そこで、良い知識、新しい思考を頭に入れて補ってやる。忘れることは高齢者

にとって最高の武器です

しかし忘れただけでは活発になりません。その忘れただけの状態を、ボケだ、老化だ  

と言うのですが、それは言われた方に責任があり、忘却したら必ず新しいものを吸収

するように努力する必要があるので、これを活発に行えば70歳の老人が20歳の青年

に負けることはないと思います。

『読書の極意』

読書は大変いいことだと思われているが、これは考えてみるべき問題。ある本を1回  

読んだらそれで終わりというのでは、本当は不完全な読み方である。読書とは、元来

反復して読むことを前提としているのではないか。どんなにやさしい本でも、一度で

全部わかることはない。もしわかるような本であれば、読む必要はない。分からない

ところがあれば日を置いて、もう一回読んでみる。二度目で完全に理解すこともない。

三回読んでこういううことが書いてあったのかと発見できれば、相当優秀な頭脳です。

昔のように書物の数がごく限られた時代には、1冊の本を繰り返して読むことが当たり

前であったが、沢山の書物があふれいる現代では、二度読むなどということは現実的

でないかもしれません。しかし繰り返し読むことによって、頭の中の知識が自分の経

験として感じられるようになる。

イギリスのカーライルという哲学者が、「経験は最高の教師である。ただし月謝がべら

ぼうに高い」という有名な言葉を遺している。読書は人生最高の教師となるでしょう。

ただし、一顔で読み捨てたのではそうはいきません。十回読める本を三冊作れば、そ

の人はそういうう読み方をしない人とは断然違うところを持つでしょう。そう意味で

は、歳をとってから若いときに感銘を受けた本をもう一回読んでみることです。これ

によって新しい人生を切り開く原動力になりうるのでは。

『おしゃべり会のすすめ』

昔と違って教育が普及し、ものを全く知らない人はほとんどいなくなった。今の人は

本に書いてある知識、教科書に書いてあるような知識を大事にしているが、知識が増

えると、大体のことが分かるので、それ以上考えなくなります。いわゆる世間の物知

りや学者が、案外考える力が貧弱なのは、知識が多すぎるからです。しかし、ものを

考えない年寄りは、絶対に若い人に及びません。なにがなんでも、ものを考える必要

があります。ものを考える人間に変われば、人生の前半より後半、二毛作の豊作の収

穫が期待できる。考えるための具体的な方法として,一番有効なのは、仲間をつくっ

てしゃべることです。メンバーはそれぞれ違った職業、経歴の人がいいでしょう。い

ろいろな職業を経てきた人は、発想も違い、思いがけない意見が飛び出して面白くな

る。そしてその人たちと浮世離れした話をする。ただしルールは、人の悪口を言わな

い、固有名詞を出さないこと。自分の専門の話に成れば、周りはみな素人、面白いね、

不思議だねなどと言われると調子に乗って来て、頭が活発に動き、いままで自分で考

えたこと飛び出してきます。出来れば多くの集いを設けることによって発散でき、健

康にもよいのでは。

『五体の散歩』

お医者さんは必ず歩けと、一日一万歩を目指せと言われますが、果たして足だけでよ

いのでしょうか。人間の器官のうち、動くところは動かさなければいけない、と考え

るに手をほったからにしておくのも運動不足です。足の散歩の次は手の散歩、料理を

作るには頭を働かせ、手を使わなくてはいけない。手を最大限に使う職業は、オーケ

ストラの指揮者ではないでしょうか。指揮者はみな長命で90代でも元気に指揮をして

いるということは、常に頭と手をフルに使う事によっていつまでも元気な姿のでは。

えたこと飛び出してきます。出来れば多くの集いを設けることによって発散でき、健

康にもよいのでは。

『末広がりの人生を』

歳をとってきますと、毎日が何となく繰り返しの生活で、退屈という感じを持ちやす

いと思います。しかし生きている間、毎日が新しい日であることを実感として受け止

め、新しい勇気と元気を持って生きて行く必要があると思います。江戸時代に、滝瓢

水と言う優れた俳人がいました。瓢水は、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という句

を詠んでいます。海女さんは海に入れば体が濡れるとわかっていながら、濡れッぱな

しで行くのではなく、きちんと蓑を着ています。おそらくこの海岸というのは.死も暗

示ししていると考えられる。『自分はどうせ年寄りだから、もう何もしなくてもいいん

だ』と考えてしまう時に、この句を思い出すと、わたくし自身は勇気づけられるよう

な気がいたします。私達も普段の生活の中で、この海女のような心掛けを持つことが

出来れば、毎日を豊かに過ごし『老いを楽しく生きる』のではないかとおもいます。

 

堅い話で疲れた様子であったので、後半はNHKの新日本風土記より『越中八尾 風

の盆』を見る。胡弓と三味線の調べにのり哀調な歌声に合わせて踊る盆踊りに夏の暑

さを忘れさせる長閑な時間、八尾の町の方々の盆に賭ける情熱に圧倒された。

 

感想文が寄せられました

今日のスピーチで、体を動かせ「五体の散歩」と言うのがあった。最近、手足、体

を動かさないでいると関節が強張ってくるように思う時がある。一日目標4000歩

のウオーキングも覚束なくなってきた。加えて「頭の散歩・読書、考える、日記を

書く」「口の散歩・おしゃべり」を説かれる。私は所属している体操の会、写経

の会、音楽美術鑑賞の会など機会があれば、務めて参加しお喋りしてくる。

   ヒンズー教の教え

     「心 が変われば 態度が変わる  態度 が変われば 行動 が変わる 

     行動 が変われば 習慣 が変わる 習慣 が変われば 人格 が変わる 

     人格 が変われば 運命 が変わる 運命 が変われば 人生 が変わる」や                                                                   

   スティーブン・R・コヴィー(米)の「7つの習慣」に学び、余生は自分なりに

良い習慣で過ごし、老人会運営の慣例など今後も引き継いで欲しいものと思う

                                                             NAさんより

 2.例会報告

会長が花園・瑞穂両地区の合同敬老会に招かれていたため欠席、中島副会長の司会に

より進行、千葉市より親和会への補助金57,500円の入金、また1名の新入会員 関口  

文孝さん(Bブロック)があったとの報告有り。その後、参加者から話題を提示

願い意見交換を行った。千葉県に多大な損害を齎した台風に関する話題や、写経クラ

ブが20日に千葉寺に納経に行かれた報告、浅原さんより、親和会だより・スケジュ

ール表などを印刷させて頂いているが、花園公民館が工事に入り使えばくなると報告

があり、対処方法について意見交換を行ったが近隣の公民館で現状同様のサービスが

受けられないか永島さんに尽力頂いて探ってみることとした。なお、予定では100年

の夢ガウディの贖罪の教会の建造中のビデオを映す予定であったが、次回に行う予定、 

                                                                      

                                                                        小井沼記

                  親和会だより令和元年7月号 

  入梅とはよく言ったもので、連日じめじめした鬱陶しい日々が続きますがお変わりございませんか。日照不足の上、低温により野菜の発育が悪く、一部のものについては値上がりの状態とのこと。間もなく梅雨も終わり本格的な夏となるでしょう。子供たちも例年より一週間早く夏休みとなり、ラジオ体操を企画するも雨にたたられ中止の日もあったが、幸いにも後半は実行でき親和会の会員の皆様も参加され、子供たちも元気な顔を見せてくれました。ご協力ありがとうございました。8月の親和会は猛暑を避けるためお休みといたします。9月にお元気な姿でご参加されますよう祈念いたします。

 

報告事項

Ⅰ.サロンについて

 7月6日、1時より参加者13名により開始、今年度購入した『老いを楽しく生きる』として12人の講師によるスピーチを聞くことにいたしました。今回は第一回として曽野綾子さんのスピーチ「人生一人旅のすすめ」を聞きました。

講演の要旨は

① 『老い』を見つめて

 人間は必ず老いるもので、体力的にも衰えてくるが、積極的に体を使うことが体力を保持できるもの。

② 『くれない』が老化のはじまり

 他人を頼りにする気持ちが老化のはじまりで、何かをする度にしてくれないと愚痴を言う。自分ですることを怠り、すぐに他の人の助けを求める。これは正に老化のはじまり。

③ 『やってみる』が道楽のはじまり

 未経験のものでもやってみることが大切で、料理に挑戦することや、電気器具を使いこなすことなどチャレンジ精神が老化を防ぐ。

④ ケチも道楽

 人に与えることが、生きがいに通じる。ボランティアの精神で人々に奉仕することが老化を防ぐ。与えるものは品物が無くても、経験から生み出された大事なことを教える。

⑤ 明るく振舞う

 嘘でも良いから明るく振舞う事が、身の回りに多くの人が寄ってくる。そして毎日の生活に生きがいが芽生えてくる。

⑥ 孤独と共に、仕事と共に

 孤独から脱出するには積極的に仕事を見つけて働かなければならない。ひとに尽くすことによって生きがいが生まれる。

⑦ おすすめの習慣

 不満を解消するには、有るものを数え、無いものは数えず。この習慣を身につければ楽しい生活を送ることが出来る。 読書の習慣をすることによって新しいことを発見する。

⑧ 自立と自律

 老いても人を頼りにせず、自分のことは自分でやる。まさに自立だ。また自分をコントロール出来るということは、自分を律することが出来る。よい老年を迎えることが出来る。

 一人旅をするのも自立と自律に繋がり、また料理を作るということは計画と実行を伴い老化を防ぐ最良の方法

以上、講師はキリスト教の信者として長年の経験と実践により、多くのものを人に与えるという心情が生まれてきたのではないでしょうか。

 

講演を聞き終えて感想が寄せられました。

① 老人生活の実態を全面肯定しながら、話を展開する姿勢に共鳴するところが多かった。

② 体力気力の衰えを実感するけれど「愚痴をいう」「・・・・してくれない族」にはな   りたくないと思う。

  ③ 中学生以来の親友が教えてくれた言葉を思い出しました。

     Daily habits to beat aging

     1. to do One good deed

      10. to converse with Ten people

             100. to write One Hundred letters

            1,000. to read One Thousand letters       (NAさんより)

母の介護経験をし、思い当たることがある。母親にはすべての家事をさせず面倒を見たが、それが認知症の進行を進めた結果になったかもしれない           (IGさんより)

また参加者から、音声だけだと映像があるときと違い1時間集中するのが難しいとの発言がありました。 

B班の井上さんより所謂特殊詐欺にあった

経験を披露されました。テレビ等で紹介されている手口と同じでしたが,いわゆる劇場型の詐欺でしょうか警戒していても引っかかってしまった。クレジットカードを袋に入れさせられ僅かな隙にカードをすり替えられてしまったとのことです。幸い暗証番号は明かさないという最後の一線は守れたので実害は生じなかったとのことで幸でした。

 

例会報告

 7月17日、参加者17名。会長挨拶に続き、小井沼より大王製紙製の社長夫人とボランティアで知り合い、アテント下着 爽快(スポーツ型尿もれパンツ)を多数提供されたので皆様にお配り致しました。

その後、久しぶりにオペラ鑑賞として、今回はイタリアオペラ プッチーニ作曲『ジャンニ・スキッキ』を鑑賞。

あらすじはフィレンツエの大金持ち、ブオーゾが亡くなり、亡骸の回りには沢山の親類縁者が集まって皆はブオーゾが、全財産を修道院に寄付すると遺言状にしたためているという町の噂を確かめ合う。もしも、その遺言状が公証人に渡ってしまったなら、誰も遺産は受け取れない。そこで皆であちこち探し、ついに遺言状を見つけ出す。読んでみると遺言状には噂通りの内容が書かれており、皆はがっかりする。そこでジャンニ・スキッキに知恵を借りることを提案する。呼び出されたスキッキは、そこに集まった親類の他には、ブオーゾの死を知るものがいないことを確かめ、自分がブオーゾになりすまして遺言状を口述する。というアイディアを出す。皆は、てんでに自分の望みをスキッキに告げる。スキッキは、もしもこのいかさまがばれれば、彼ばかりではなく、全員が手首をちょん切られ、フィレンツエから追い出されるだろうと語って口止めをする。やがてやってきた公証人は、スキッキをブオーゾと思い込み、言う通りに遺言状を作り変える。しかし一同は、最も大きな財産、ロバとこの屋敷と粉ひき場を友人のスキッキに遺す、と言うのを聞いて、色めき立つ。するとスキッキは、処刑、追放をほのめかす歌を口ずさんで皆を黙らせてしまう。皆が手をこまねいている間に、偽の遺言状は出来上がる。スキッキはついでに、さっき彼に意地悪をした女性に、公証人に礼をはずむよう言いつける。公証人が帰ると、皆は怒り心頭。屋敷のうちの値打ちものを持ちだして去る。

全てのものを取り戻したスキッキが帰ってくると観衆に向かいこの財産処理は如何と問い、気に入ったならお許しをと述べて幕になる。

娘役のラウレッタ・ジャンニが歌う『わたしのお父さん』が有名なアリアで聞きほれる名曲。またジャンニ・スキッキの役のレオ・ヌッチは現在、最も人気のあるバリトン歌手で、『リゴレット』の宮廷道化師の役も当たり役です。上演時間1時間、一幕もので、現代でも揉める遺産相続をテーマにした愉快な作品です。

                                                                       小井沼記

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親和会だよりR1-6 R1-5 H31-4

2019年06月23日 06時25分22秒 | 親和会たより

    親和会だより令和元年6月号

風薫る新緑の季節となって参りました。5月下旬の真夏を思わせる猛暑からやっと初夏らしい快適な日々となってきましたが,これも束の間、梅雨ともなれば蒸し暑い日が続のかと考えると憂鬱にはなります。会員の皆様気を取り直して前向きで行きましょう。

1.サロン報告

6月1日午後1時より親和会 風薫る抹茶を楽しむ会を催しました。参加者は20名、

 会場入り口には広瀬さんによる生け花、利休草がかわいい竹かごに、会場正面には立派

 な備前焼の花瓶に満天星つつじとアジサイが挿してあり季節感を漂わせておりました。 

 また生け花の横には鈴木美紗子さん筆による色紙に『行雲流水』と書かれ、これら花や

 色紙により茶室のような雰囲気になってきた。

  初めに亭主の鎌田さんが開始の挨拶、続いて今日の抹茶や菓子の説明をされた。薄茶は『松柏』、菓子は『水芭蕉』、干菓子は『白川路』と『はっか糖』と季節に相応しいものが用意され、また 本日の半東(運びのお手伝い)をされる馬目さん、また茶を点てて下さる広瀬夫人・車田さんお二人を紹介された。まず初めに濃茶をいただき菓子の甘さと抹茶の味が絶妙で美味しく,一巡した後、再び干菓子を賞味しながら薄茶を頂き、しばし歓談の後、主客として招かれた小井沼よりお礼の挨拶をしてお開きとなった.この茶会も参加者も初めは固くなり会話も途切れがちであったが、会を重ねるうちに雰囲気に慣れ、会話も弾み楽しめたのではと思います。 

 本日の主題『行雲流水』とは行く雲、流れる水の如く、悠々と自在に場所や形を変え、

 一処不在、無執着、自由に生きる姿を指す.雲水という言葉はこれに由来する。(禅語百

 科淡水社)この主題のような心境に成れたら良いが、なかなか生臭さがあるうちにはな

 れるものではないのではと自戒の心境です。 

「茶の湯とはただ湯をわかし茶を立てて飲むばかりなる本を知るべし」と千利休が述べています。 今回も大勢の会員がお茶碗を持ち寄り、広瀬夫人、車田さんご両人にお茶を立てて頂きました。お世話になり有難うございました。

  1. 2.  例会報告

15日午前19時より、やや強い雨の中、参加者が少ないのではと案じるも14名参

 加、NHK番組で放映された『幻の色 よみがえる浮世絵』をDVDにより鑑賞,浮世

 絵作者、歌川広重、歌川国芳等の浮世絵の版木が富山県の鉱脈師の倉庫より382枚

 出てきたことから、その版木を調査することによって江戸末期における浮世絵の詳細が

 分かるのではと調査の過程の内容であった。浮世絵愛好者である小説家、高橋克彦・ク

 リエティブ・デレクター薮内道彦・モデルの杏・江戸風俗研究家 河治和香・アメリカ

 人の詩人アーサー・ビナード5人が集まり意見を出しながら浮世絵の復元に向かい幻の

 浮世絵の作成過程が描かれている。版木は桜の板、大さはB4版、厚さは3~4センチ、

 表面を削っては再度使用するために古い版木が残っていることはまれで、今回のような

 大量の版木が発見されることは初めてだそうです。今回偶然見つかった版木は、その価

 値が分からず植木の台にしたり、あわや燃料として燃やす寸前に細かな彫り物に気づき、

 大変貴重な版木であることに気づき、復元のための研究が始まった。まず、作品を佐倉

 の民族歴史博物館にて,版木に残った顔料の科学的分析から始めた。

 浮世絵はまず作者が下絵を描き、次に彫師が彫りそして摺る師によって和紙に摺る行程

 を経て作品となる。作品の復元に向い、まず浮世絵版画の復元に携わっている版画家立

 原位貫氏に依頼 今回の作品は歌川国芳の作品、「達男気性競金神長五郎」を復元する過

 程を描いたもので、版画の色は摺ると直ぐに退色が始まるので、当初の色に復元するた 

 めに、数々の問題を調査しなくてはならず,色彩の原料に始まり、和紙の制作に至るま

 で大変困難な課題を解決して、最初の作品の再現に行き着く。

 立原氏はまず紅色の顔料の復元のため、東京青山にある紅問屋で、数ある紅色の中より

 原画の紅色を復元し、摺る紙は四国まで尋ね、分析と同じような和紙の制作を依頼、念

 願の材料が初めてそろった。まず下絵を書き、版木に張り、彫刻を始める。1枚の作品

 になるまで摺師によって薄い色から徐々に濃い色に至るまで20工程を経て初めて思っ

 た色になる。まさに大変な技術があって初めて立派な作品となる。今回の復元する作品

 は退色が酷く、着物に描かれている鬼は鼠色となり、本の原色の紅色から想像できぬ色

 となって作品のイメージを損ねている事が判明。現在ではデジタル化によって退色する

 こともなく、永久に原画の色調を保存できるとのことで、まさに現代科学の賜物である。

 浮世絵は日本独自な絵画で、摺ることによって安く販売出来、庶民まで広く流布した。 

 人気のある作者は歌舞伎や風景、大胆な構図の作品も数多く、ヨーロッパの貴族文化の

 一点主義と大きく異なり、一般庶民でも容易く手に入れることが出来、また現在に残る

 多くの作品を見ることが出来るのも、今更気づく素晴らしい文化であることにを認識す

 る興味深い番組でした。

 次回より老後を楽しく生きるをテーマにした講演をCDにより聴く計画です。

                                   小井沼記

 

 親和会だより令和元年5月号

 

新緑が眩い季節到来となりました。年間通して一番過ごしやすい季節では無いでしょうか.平成から令和となり、10連休も伴い、何か良いことが起こるのではと、日本中が浮き立っているような気がいたします。 親和会も総会も無事済み、新しい年度 に気を引き締めて参りたいと念じております。

 

報告事項

1.サロン報告

5月4日、変わりやすい天候、また連休のさなかでお出かけの方が多いためか、参加者11名と静かな会となりました。予告通り初めにNHKテレビより新日本紀行”岩手山”を映写し、そのご岩手県花巻市出身の板垣健司郎さんに私の故郷のテーマでお話をお願いいたしました。

岩手県は46都道府県の中で一番面積が広く、花巻市は岩手県西部に位置し、北上川流域の盆地で、北上平野とも云う。西を奥羽山脈、東に北上高知に挟まれ、花巻温泉郷と言われ、近辺に温泉が多数ある。岩手県の4番目に大きな都市であるが面積は広いが、人口密度は低く1平方キロ108人とか、実にゆったりした町とのこと。宮沢賢治の故郷で、他に有名人も多数、アナウサーの高橋圭三。画家の萬鉄次郎など。テレビでも報じられているが馬の産地であり、現在でも放牧地があり、何といっても岩手山がシンボルであり、見る角度によって異なる山様が素晴らしい。花巻のいわれは花の牧という名馬の産する牧場があったから、またアイヌ語の『パナ』で川下にけた土地のことを言うなどが名前の謂れではないか。また伊達藩と盛岡藩の南部防御の土地として花巻城が築かれ、町が形作られたとのこと。また奥州の藤原一族の都の文化の影響で、未だに京ことばが残っているとのこと。

テレビ番組の岩手山にも岩手の特徴が良く描かれているが、中心となる岩手山が中心で、盛岡市では景観条例によって、岩手山が良く見えるように、建物の高さ制限があり、毎日、城址公園等で市役所の係員が監視しているとのこと。また馬を愛する人たちによって、毎年5月の特定の日曜日に『チャゴチャゴ馬子』と言われる祭りで、滝沢市より盛岡市の神社まで飾りを付けた馬に着飾った子供を乗せ、片道10数キロの道のりを練り歩き、馬につけた鈴が賑やかに鳴る風景は、何とも言えぬのどかな田園風景で、豊かな気分になる。祭りの終了後、馬たちは広い放牧場に放され,嬉々として走り去り、初雪が降るまで草をはぐくみ、元気に過ごすとのこと。

2.例会報告

5月18日、初夏を思わせる陽気の中、1参加者17名、中島副会長の司会により開始、来月のサロンにて抹茶を楽しむ会の参加者の集計を行い、約20名と。なお当日参加される方は,出来るだけ抹茶茶碗を持参されたしと、担当の鎌田さんより要請。

次いでスケジュール表の担当の山崎さんより8月の行事予定につき問い合わせの結果、サロン、例会、写経、体操,囲碁の各クラブは暑さのため中止と決まりました。6月22日の千葉マスターズオーケストラの鑑賞を参加される方は,は6月22日(土)JR新検見川駅改札口に12:30に集合願います。

篠崎さんから6月1日の囲碁の会は6月8日の同時間に変更する旨発言あった。その午後行われる抹茶の会の準備に齟齬を来さないためである。

次いでアメリカの女優、ドリス・デイ(大正11年生れ)の訃報あり成住さんから回顧談があった。就職難の時代に就職し仕事がわかり始めて面白くなって、夜も日もなく働いていた頃、この歌を聞き、計画・実行・努力が見られない、投げやりでとんでもない歌だと感じた。後に努力と結果は必ずしも結びつかないこともあることに気が付いたとのこと。 終わりに,Que Sera Seraを皆で合唱し当時を偲んだ

また、母の日にちなみ美智子上皇后が読まれた一連の歌の披露がありいずれも折に触れ母親としての気持ちを詠んだ歌でお人柄をしのばせる良い歌であった。

浩宮誕生 含む乳の真白きにごり溢れいづ子の紅の唇生きて

紀宮結婚 吾を遠くに呼びて走り来し汝を抱きたるかの日恋しき

次いでNHKテレビの新日本紀行より『隅田川』を鑑賞、隅田川と言えば”春のうららの隅田川”が思い出すが、映像では私たちが知らない光景、千住の魚市場や深川で木製の舟の製作所があるなど、普段目に触れることのない場所が映し出されて興味深いものであった。                         小井沼記

  

親和会だより平成最終号

 待望の桜も開花し、平成最後の月となりました。例年になく各地の桜の開花も早く急ぎ花見をと気が焦りましたが、急に肌寒い日が続き、長期間桜を愛でることが出来ました。元号も5月より代わるとのことで、例年以上に世の中が浮き立っているような気がいたします。

報告事項

1.花見について

4月2日、12時より花見川千本桜公園にて親和会とパトロール隊のメンバーの合同9名により桜を愛でながら、ビールや昼食をとりながら約2時間楽しい時をすごすことが出来ました。やや北風の吹く肌寒い気温でしたが、付近には子供を伴ったグループや女性同士30人ほどのグループ等もおり、それなりに賑わい,花見の雰囲気を楽しみました。

2.サロン報告

4月6日、午後1時より開始、参加者は約10名、総会準備の打ち合わせの後、NHKより放映されたウイーンフィル交響楽団、シェーンブル・コンサートを鑑賞、。これは毎年開かれる春の祭典で、シェーンブル宮殿の前庭で広々とした美しい庭園に約10万人が参加芝生の上に恋人同士、こども連れの家族など自由なな雰囲気の中で音楽を楽しむとのこと、ヨーロッパでは子供が音楽会に来るということはなく、野外の音楽会の時のみがこどもを連れてくることが出来るのだそうです。歌手は現代で最も人気があるアンナ・ネトレフコ、指揮者は同じロシアのワレリー・ゲルキエフ、曲目はオペラのアリアや前奏曲、間奏曲など耳に馴染んだ楽しい音楽を鑑賞できた。

3.新宿住友ビルにある平和祈念展示資料館における講演会及び見学についての報告 

     4月6日実施  有志5名が都庁見学後、平和記念館に行き、昨年9月に「終戦を回顧し、これからの日本を考える」をテーマに講演して頂いた山田治男氏(抑留体験者による語り部)の話、そのあと館内を見学した。是非現在の若い人たちも是非平和記念館を見学して欲しい

4.総会報告

4月20日午前10時より畑が丘自治会館にて総会が開かれました。前日の暖かさに比べ北風による肌寒さであったが、司会進行を中島副会長の司会により開始、当日の出席者29名、委任状13名,計42名により総会は成立と宣言し、執行部推薦により議長に山崎民雄氏が決定、次いで議事進行に移り、議長より議事録作成者、鎌田副会長、議事録署名人に篠埼・板垣健司郎の両名を指示、議事に入る。

①報告事項 会長より30年度事業報告、次いで中島副会長・兼会計より会計報告の後、会計監査の岩淵氏より報告,以上一括審議の後、賛成多数 異議なしで了承。

➁ 今年度事業計画・予算案を会長より説明、予算においてサロン費を3万円多く組み込んだ理由として、「老いを楽しく生きる」をテーマにしたCD講話集を買い求めるためであると説明し、その他、今年度、米寿のお祝いになる対象者はとの質問で、改めて検討し、3名とのことで予算組み方に再度考慮をすること.

③ 役員選任 今年度は改選期ではないため全員留任とし、改めて畑が丘自治会の親和会担当副会長 山口和昭氏を副会長に就任を依頼、承認を得、すべての事項の賛成をもって総会を無事終了。新規加入者1 名、関正一氏を報告。

                              小井沼記

                      

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親和会だよりH31-3H31-2 H31-1

2019年04月05日 21時33分00秒 | 親和会たより

 

 

    親和会だより平成31年3月号

     梅の花も散り、沈丁花の良い香りが漂い、寒緋桜が満開となり春も間近になってまいりました。5月より新しい元号となる記念すべき時期。来月は親和会の総会を控え準備に入る時期となり皆様のご協力をお願いいたします。 

報告事項

 1.サロン報告

   3月2日、午前11時30分より恒例のひな祭りを行いました。天候にも恵まれ

参加者38名、定刻には、ほぼ全員が出席、司会担当の中島副会長のリードにより

女性の祭りにつき鎌田副会長が開会の辞を、続いて福岡さんが祝いの詩吟を詠われ、

すでに用意された白酒を以って乾杯となり宴が始められた。鈴木さんを中心に用意

された祝いの折詰、(ちらし寿司)や煮物など料理を食しながら会話もはずみ賑わっ

てひと時をすごしたのち、カラオケグループの有志がマイクを片手に3曲ほど歌い

アルコールが入った勢いで次ぎ次と飛び入りが入り、大変な賑わいとなった。2時

間と決めた時間もあっと言う間に過ぎ会長の閉会の辞をもって終了となった。

 2.美術鑑賞クラブ報告

   3月7日、雨も止み肌寒い日であったが希望者6名が新検見川駅に集合、有楽町

まで行き出光美術館の世界に花咲く青のうつわ『染付』の美術展を鑑賞してまいり

ました。会場には悪天候にかからず多くの見学者がおり、いかに愛好者が多くいる

ことに感心する、181点の美術品が素晴らしいものばかりで、1点1点丁寧に解

説を詠み乍ら鑑賞した。中近東イランより始まり、東南アジア、そして中国、朝鮮

を経て日本に伝わってきた藍の技法がよく理解できた。特に中国の景徳鎮窯の作品

が多数あり、日本の伊万里・京焼・鍋島で製作された品々も多数展示されていたが、

やはり日本人の美意識との違いが垣間見ることもでき大変興味ある美術展であった。

 

 2.例会報告

   3月16日、午前10時より開始、初めにラジオ体操、次いで会長挨拶、春めい

てまいりましたが、まだ三寒四温、体調管理にご注意を。次いで来月の総会に向け

参加者に対し何か新しい要望はとの問いかけをした。真夏8月のサロン並びに例会

を猛暑対策として休みとしてはの提案があり、了承された。その他親和会の自治会

館の使用届を提出、すべて使用許可を頂いたことを報告、カラオケグループに第1

月曜日午前11時より午後2時までの使用も許可されたことを合わせて報告、次いで

井上さんに先月末、アラスカまでオーロラを観に行かれたことを話して下さるよう

お願いし、ご本人が旅をして分かった事、心に残った以下の諸点について、約30分話しをして頂きました。以下 井上さんのご報告

    <アラスカについて>

   *日本の約4倍の面積に、住民は72万人程度が居住。原住民はアメリカインディアンとエスキモー。火山があり地震も多く温泉もある。津波被害もあるが、居住民が少ないため問題 にならない。地下資源にも恵まれ、且っての「ゴールドラッシュ」時の多くの金鉱脈や最近の原 油の採掘は、アメリカ第49番目のアラスカ州の大きな財産である。原油は北極海からアラスカ湾の不凍港までの1300Kmをパイプラインで運ばれている。原油の利益はファンド化されその運用益は住民全員に配分され、リッチな州である。 自然環境は厳しいが、動物も多くそれだけに自然は豊かで、アメリカの国立公園の80%がここアラスカに集中する。冬のオーロラに加え、4~9月の春夏秋の観光も素晴らしい。アラスカ大学のオーロラ研究は世界のトップ水準であり、その中心に日本人がいて元国際北極圏研究センター所長赤祖父俊一氏はオーロラ研究の世界的権威で第一人者である。

<オーロラ観光について>

*オーロラは太陽からの波が、地球の北極及び南極の磁力に引かれて集まり、酸素、水素、窒素などとぶつかって起こす「放電現象」である。これを地球上から観察するのには、オーロラリンクと呼ばれる、北緯65度~70度の環状地帯の下が望ましい。世界にその適

地が三カ所ある。北欧デンマークの北部(トロムソ、)カナダのイエローナイフそして今回のアラスカのフェアバンクス」である。オーロラの見えやすい冬の一定期間、そのフェアバンクスへ日本から直行便が出る。(片道8時間)往復直行便利用の5泊6日のオーロラ観光に出かけた。オーロラ観光は2回目。最初は北欧のトロムソで平成27年。(一夜だけ見えた)今回は2度目。メンバーは大学時代からの寮の友達4名、昔の山仲間でもある。

<オーロラ鑑賞> 4夜。最初の2夜は、フェアバンクスから車で1.5時間の温泉地チナでオーロラ出現を待つ。2夜とも空振りで水着着用の温泉を楽しむだけで終わる。後の2夜はフェアバンクスへ戻りその郊外の車で30分ほどの、日本人経営のオーロラ鑑賞用のロッジでオーロラを待つ。2夜とも見事にオーロラが出現した。特に最後の夜のオーロラは素晴らしく、北欧と今度の旅の中で尤も素晴らしい規模であった。虹とも雲とも違う、刻々と変わる目の離せないオーロラ、ギリシャ神話の女神の名前を付けられた神秘的で、美しいオーロラ、何回も足を運ぶファンがいることも何となく理解できる。夜10時頃から、真夜中の3時ころまでの徹夜4晩は正直老いの身には応えた。「年寄に冷や水」の譬えが頭をよぎった。しかし他方往復の機窓から眺めた果てし無い且つ真っ白なアラスカの大地、アラスカ山脈の威容とその盟主「デナリ」(昔のマッキンレイ・6190m)の

雄姿、傍らを流れるユーコン川の悠久の姿、氷河の佇まいなどはオーロラとともに忘れがたい旅の土産であった。帰宅の翌日には第3夜に写したオーロラをバックにした記念写真

が、ロッジのオーナーから私のパソコンに送られてきた。便利になったものだ。

尚今度の旅で参考になった資料は「地球の歩き方・アラスカ」と「アラスカ物語」・新田次郎著でした。 以 上                 小井沼記   

親和会だより2019年2月号

   暖冬と言われておりますが、2月に入ると1月の雨なしの乾燥から一変し雪を伴う厳しい寒さとなってきました。猛威を振るっているインフェルエンザも峠を越したのか、子供たちも学級閉鎖もなくやっと平常の状態に戻ったように見受けられます。

春も近づき、紅梅の花が見事な季節となってまいりました。

 報告事項

1.サロン報告

 2日、午後1時より開始、参加者18名、始めに齢と共に硬直している体を解すた

めにラジオ体操、その後、サニータウン自治会の皆様に親和会加入のお誘いのチラシ  

を自治会の回覧に合わせて提示したことを会長より報告有り。

前回の例会の際、手違いで映写できなかったNHKのテレビ番組、新日本風土記より

『高千穂』を鑑賞、高千穂は神が最初に降臨した峰と言われ、そのあと次々と神たち

が降りてこられ、神たちの里と言われる。それぞれの神を祭る神社が多数あり、それ

ぞれ伝統ある神楽舞が残されている。今では観光客のため毎夜、神楽舞が挙行され多

くの観光客を喜ばせている。高千穂神社に纏わる岩戸の伝説の神楽を始め、神楽の数

は三十六曲ともいわれ、先祖伝来の舞を代々引き継がれ祖父、親、こども、孫と継承

され、大切に守られている無形文化財としての価値ある神事で舞を務めることは大変

名誉なことで、文化の継承者として尊敬されている。

各ごとに暮れから正月にかけて神楽を奉納し、家族そろって新年のお参りするな

ど素晴らしい行事であることが映像より感銘を受けた。

続いて、先月佐渡の話を会員の鈴木さんにして頂きましたが、今回 改めてDVDに

より新日本風土記より『佐渡』を映写した。冬の荒あらしい時化た海が漁業にとって

またとない鰤の大漁とつながり、漁師にとって願ってもないお宝がもたらされる大事

な季節であり、また佐渡が北海道と関西を結ぶ北前船の中継点として栄えて文化、ま

た金山の発掘のため多くの人たちが過激な労働により命を失ったこと、文化的には都

より伝えられた文化、特に信仰として各地に神社が立てられ、能楽が地場の文化とし

て栄え、現在でもその地に住む人たちにより能が続けられ、多くの観光客が来る。

2.例会報告

 16日、午前10時より開始、春めいた気温のためか会員の集まりが良く,定刻に

は20名が出席、その後2~3名が遅れてきたが総勢23名ほどとなり、久しぶりに

賑わった会となりました。恒例のラジオ体操に始まり、会長挨拶に続き、4月の総会

の準備に入りたい故、支払いについては早急に会計まで報告されたし。また各サーク

ルは自治会館の使用届を出さねばならぬため従来のスケジュールでよいのか支給検討

をお願いすると要請があり。

 続いて成住さんからヴァレンタインの起源につき話があり。バレンタインデーは、 

2月14日に祝われ、世界各地でカップルの愛の誓いの日とされる。元々269年

ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日。バレンタ

インデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。当時、ローマでは、

2月14日は女神・ユーノーの祝日だった。ユーノーはすべての神々の女王であり、

家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)

当時若い男たちと女たちは生活が別だった。祭りの前日、女たちはに名前を書い

た札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。

ひいた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められて

いた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。

ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士

気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したといわれている。キリスト教の司祭だったヴァレンティヌスは結婚を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、

ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。

 

 引き続きNHKのテレビの録画 神が降り立った森『春日大社祈りの記録』を鑑賞、

春日の山の広大な原始林に囲まれた大社は1300年前より現代まで引き続き皇室に

よって守られ、年間を通して毎日、古式に忠実に再現した祭事が行われ、多くの神官

によって引き継がれている。祀られている神は常陸の鹿島神宮より奈良の春日神社に

神馬に乗り移られたという起源があり、春日神社には掛軸として神馬に乗った神が描

かれており、神の前には姿が見えないように式紙が置かれている。また大社では神官

により祈りが捧げられ巫女が舞を、また神官の装いも素晴らしく、まさに古代の絵巻

物を見ているような美しさで日本の美を堪能させられる。また伊勢神宮と同じく大社

は20年ごとに屋根は葺き替えられ、傷んでいる個所は修復し、社全体も朱色に塗り

替え、維持されているとのこと。

奈良の多くの寺院と共に春日神社も大切に守る文化的遺産であることが理解できた。

                                 小井沼記     

 

親和会だより2019年1月号                                   会員の皆様、明けましておめでとうございます。平成の元号最後の年となりましたが、穏やかな正月をお迎えのことと存じます。本年もよろしくお願い申し上げます。

  報告事項

  サロン報告                                                       新年早々のサロンには15名の方々がご出席されました。会長は他の会合に出席のため司会進行を中島副会長が務められ、冒頭に、井上さんが平成最後に当たるにあたって元号について、千葉日報に掲載された記事より説明をされた。

   1.日本の元号は古代から1300年以上続いている。中国に発祥し東アジアに広まった元号

     を今でも使っているのは日本だけ。

   2.日本最初の元号は645年の「大化」。以来使われた元号はこれまで247.この5月に新

     たに1つが加わる.

   3.元号は天皇の代替わりによる「代始(だいはじめ)改元」のほか、めでたい前兆などによ

     る「祥瑞(しょうずい)改元」、災害を理由とする「災異(さいい)改元」があった。

   4.現代では「元号法」(1957年・昭和54制定)により、皇位継承があった時に限り政令 

     で定めるとされている。

   5.元号選定の手続きは次のとおり。(昭和54年閣議報告)首相から委嘱された中国古典の学

     者が考案した候補名を 

     ◎ 国民の理想としてふさわしい良い意味を持つ ◎ 漢字の2字 

     ◎ 書きやすく、読みやすい ◎ 一般に用いられていない

       などの基準で、官房長官が調整する。

     ◎ 原案数個の中から、有識者の懇談会、衆参両院正副議長からの意見聴取、全閣僚会議  

       を経て決定することになっている。

   6.今までの元号で   最長は「昭和」の62年、

               最短は「暦仁(りゃくにん)」の2か月余 (13世紀鎌倉時代)

   7.平成までの247の元号に使われた漢字は全部で 72

            その中で多く使われている漢字は次のとおり

      「」・・29回 「」と「」・・各27回 「」・・21回 「」・・20回

      1回しか使われていない漢字は 「」「」など30.  

   以上が説明の骨子で、果たして4月1日に発表の新しい元号は何となるか?

  続いてこのところ恒例となっているウインフィルのニューイアーコンサートを鑑賞する。

  今年の指揮者は現在最も人気のあるクリスティアン・ティーレマン(ドイツ人)で、テレビでの

  解説を永年ウインフィルのコンサートマスターを務められたライナー・キュツヒルと日本人の奥様、キュツヒル・真知子夫妻と現同フィルの楽団長であるダニエル・フロシャウアーが語っていたことは、今回の演奏会のための全プログラムを今回の指揮者と楽団長が1か月間にわたり過 去30年にわたり演奏された曲ならびに譜面を調べ上げ、今回のプログラムを作り上げたと話 されていた。またこの演奏会のテレビ放送は30数か国で放映されているとのことで、いまや新年の大きなイベントとなっている。

  例年の如く終曲は『青きダニューブ』に続き『ラディッキー行進曲』で,演奏会は2時間20分

  の長時間にもかかわらず、一人も抜け出ることもなく静かに楽しんでいた。

 例会報告

   19日参加者、約20名、インフェルエンザが蔓延している気候にもかかわらず元気な姿で

  集まり、初めに体をほごすためにラジオ体操、続き会長より小学校が風邪のためクラス閉鎖が

  おきてるほどインフェルエンザが猛威を振るっているのでご注意を、ついで体調不良のため親

  和会を脱退したいと中西さんより申し出があったとの報告、またサニータウウン自治会の方で

  親和会に加入できるのかと問い合わせがあったとのことで、今後いかにして親和会をPRする

  か,自治会だよりを回覧する際、合わせて会の実態報告とともに募集のチラシを作成、配布を

  してはと意見が出ました。

   次いで会長より最近読んだエッセイ集の本の中に目に留まった記事があったので披露したい

  宗教学者 山折哲雄の「出迎え三歩、見送り七歩」、の題で、ある人と待ち合わせをしたとき、

  ちょっと約束の時間に遅れ、急いでいったとき、その方がすでに入り口のところに立っており

  二、三歩体を運んできた。ものの一時間ほど話をして出口に向かうと、その方もついてきたの

  で、恐縮して立ち止まり、改めて礼を述べると、すると控えめな声が返ってきた。

  「いや、出迎え三歩、見送り七歩といいますから・・・」といって。この軽快なことばこそ

  「もてなし」という大和言葉だった。改めて初めて聞く言葉で胸の高鳴りを覚えた。以上

  続いて新年に因んで「高千穂」のDVDを鑑賞する予定であったが、手違いで見ることが出来

  ず来月の予定を切り上げ「佐渡」を鑑賞、終わって佐渡の出身者、鈴木美紗子さんが佐渡につ

  いての説明があった。佐渡にいたのは高校までの短い期間であったが、真冬の佐渡は日本海よ

り吹き付ける風により、吹雪となり、前を見て進むことが出来ず後ろ向きになって電柱を目印

にして歩いて登校した。それほど吹雪は強く、冬は厳しい大変な島、人口は5万数千人でも面

積は沖縄に次いで2番目に大きな島である。しかし江戸時代までは流刑の島であり、また金山

として流刑者は金の発掘に従事させられ、過酷な環境により命を亡くす人が大勢いた。佐渡の

花の季節は美しく多くの観光客が訪れるが、また能楽の島とも言われ、現在の能楽の基礎を成

し遂げたといわれる世阿弥をはじめ多くの文化人も流刑として、この地に流され、この地に住

み着き文化の継承を図った。昔は多くのに必ず神社・能舞台があり、そこに住む人達によ

り能も上演された。現在でも37の能舞台があり、地元の人により年1回薪能も上演され、ま

た多くの観光客を集めている。

  当日参加の会員の中にも佐渡を訪れた人も多数おり、その人たちからも質問もあり、今や新潟

  よりジェットホルで1時間、大型船でも2時間で行ける花で有名な島、ぜひ観光にお出かけを

  と呼び掛けられた。                            小井沼記 

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親和会だより30年12,11,10,9月号

2019年01月07日 13時44分09秒 | 親和会たより

 親和会だより3012月号

今年も師走を迎える時候となりました。昔から11月に3の酉の日があるときは火災が多く、寒さが厳しくなると言われていますが、気象庁の長期予報によると暖冬とのこと、4日には気温が23℃となり12月の気温としては新記録となりました。これも異常気象の表れなのでしょう。それにしてもCOP24が開かれていますが、揉めにもめ,やっと全会一致で決まりましたが、果たして実行できるのでしょうか地球の将来が思いやられます。

サロン報告

1日、午後1時より前回に引き続き『わが町80年の歴史について』花薗公民館『歴史を学ぶ会』会員 杉江茂伸氏による講演を開催いたしました。今回も会員以外の方も多く参加され、中には他の地域の方も来られ盛況な催しとなりました。

 前回は検見川、花園,浪花町が中心の内容でありましたが、今回は朝日が丘、畑町を主題にされ、東大グランド、朝日が丘の低地が大昔は海であったとのこと、大賀ハスの実が発見された丸木舟3隻(3~5千年前)も戦中に発掘されていたそうで、現在の野村コーポ付近の高台より貝殻が多く発掘され、住居跡も発見されている。その海も富士山の噴火による降灰が降り注ぎ、また花見川上流より土砂が流れ来て湖となり、徐々に湿地となり葦が茂り、その後現在の地形となった。

前回の親和会だよりにも掲載してありますが、昭和38年ごろの朝日ヶ丘台地は広々とした丘陵地で松の木や雑木林も多く、自然いっぱいの田園風景が広がって住宅が立っているのは花園町に近い一角のみであった。39年のオリンピックの際、東大グランドでクロスカントリーが開催され、それ以降急激に住宅地として開発され、昭和49年になる頃には台地の大部分が宅地化され、朝日ヶ丘団地も着工し、わずか10年余りで大きく変貌、周辺の地域ではさつきが丘団地、西小中団地,そして私たちが住む住宅地も区画整理が進み、徐々に現在の東大グランド通りも広がるもまだ朝日ヶ丘2丁目には住宅がなかったとのこと。50年には花見川のサイクリングロードも完成、52年には花園陸橋も出来、陸側と埋め立て地と繋がり、一挙に交通量も増えた。そのころ私たちの住宅地にも移り住んでくる方も増え、現在の畑が丘自治会・サニータウン自治会が出来、立派な住宅地となってきました.

 53年にはJR総武線も複々線となり、新検見川駅も橋上駅となり一段と便利になってきた。また検見川神社のわきの道路も踏切立体交差となり、また京葉線が開通し『検見川浜駅』も出来,ますます交通の便が良くなり、人口増加となってきた。にれの木団地にも入居が始まり新検見川駅の利用者が駅の開業時はわずか4,100人が46年には26,000人、52年には61,000人、現在では年間30,000人と少なくなっては来ているが,京葉線を利用する人が多くなったためで、他に京成電車を利用する人もおり分散化してきている。

  平成に入り、4年に千葉市が政令指定都市となり、区政が布かれ花見川区、稲毛区、美浜区が誕生、花見川区役所が出来ると浪花町より分離、新しく瑞穂1~3丁目が発足、10年には瑞穂小も出来、中高層住宅が建設され新しい住宅地が誕生、21年には花見川に新しく瑞穂橋も出来、幕張方面に行くのが便利になった。また16年には朝日が丘町が朝日が丘1・2丁目となり次いで17年には畑町の一部が朝日ヶ丘3~5丁目となり、朝日ヶ丘町の前の町名は東大グランドのみに限られて残った。

 東大グランドで草炭採掘時に2000年以上前の丸木舟が見つかり、『落合遺跡』と名付けらたのが最初で、その後縄文期の『玄蕃所遺跡』、『鶴牧遺跡』、『中鶴牧遺跡』が発掘され、植物実験所でも古墳や中世城郭跡が見つかりました。また畑町には子安神社(1300年前に?)小さな古墳があり、長林寺,清涼寺など歴史ある寺社もあり、花園地区辺りとは違い、歴史あるではなかろうかと改めて認識いたしました。

 今回の講演において、手塚博禮氏が定点撮影をされた新旧の同じ場所での写真をプロジェクターで映し出し、あまりの変化に唖然とされました。僅か40~50年の間にこれほどの発展と言いますか、驚きと同時に感激いたしました。

           花園公民館歴史を学ぶ会編集『わが町80年の歴史について』より抜粋

例会報告

 12月15日定刻10時より開く、参加者16名、初めにラジオ体操、会長挨拶の後

年末に当たり今年を振り返り親和会の諸行事について皆様の忌憚ないご意見をお聞かせいただき今後の活動に生かしたい。まず各クラブの活動状態をお聞かせくださいと、中島副会長に司会を委ね各クラブより報告。

 囲碁の会   月1回 第一土曜 10時より 参加者男女合わせて6~7名

 カラオケグループ 月1回 第一月曜 食事持参で11時より2時まで 年間通し

    1部屋を予約しているが現在の参加者12名で満席となる シダックスにて

 健康マージャンの会 月1回 第2月曜 1時~5時 参加者4~5名

 寄り合い   月1回 第2土曜日 午後6時より8時まで板垣さんを中心にし

     て各自飲み物食べ物持参、参加者 5~6名 男女を問わず参加者を歓迎 

 健康体操の会 第2・第4金曜日 10時より12時 参加者6名で3種類の体操

           をやってるが体が温まり好評、必要なマットは各自持参    

 みんなで歌う会 月1回 第4土曜日 10時より12時 参加者 4名

       広瀬康夫さん指導  伴奏者が亡くなり開催が危ぶみの状態

 写経の会  月1回 第3土曜日 午後1時より3時まで 参加者9~10名

      平成25年3月第1回より12月まで63回、3月には納経を計画中、

      70回の節目にはお祝いをしたいと企画中

 音楽・美術鑑賞部会 千葉マスターズオーケストラの演奏会を今年5月に引き続

       き、来年6月22日 市川行徳文化ホールでの演奏会を鑑賞予定

             美術部会は出光美術館の『染付 世界に花咲く青のうつは』を来年3

             月7 日(水)に鑑賞予定

  旅行クラブ  しばらく実施して折らず、先にアンケート調査の結果でもはっきり    

        した反応が出ない状態

 以上各クラブの活動報告がありましたが、永島さんより夏休みにのラジオ体操の

 会は子供会との共催で行ってきたが、子供会の力が弱いことは否めない、何故な

 ら両親が多忙で役員のなり手がいなく会として繋がっていないことが現実である。

 地域の子供たちという考え方で親和会のかかわりを大きくして行くことも考える

 必要があるとの発言があり、続いて成住さんより、「セフティーウオッチャー(登

  下校の児童見守り活動)をしている関係で畑小学校より昔遊びを子供に教えてや

  って欲しいと依頼が来て参加した。子供たちと独楽回し、けん玉などをした。

 子供たちから若いエネルギーをもらい大変楽しかった。親和会も子供会との交流

 を考えて行きたい.

 今後ともサロン・例会において積極的に希望・意見を述べていただき会の活性化

 を図りたいと願っております。

 最後にNHKの新日本風土記より全国うまいもの(郷土料理)を鑑賞、各自故郷

 料理や珍しい食べ物等につき語らい散会となる。 

                                小井沼記

 親和会だより30年11月号

  10月中旬にやっと秋らしい肌寒さを感じる気温となりましたが、今月に入り

平年より気温も高く気候が逆戻りをしたような温かい日々が続いており、気象

庁の発表ではエルニーニョの現象により暖冬となるのではと予報しております。

私たち高齢者には暖かいことは大歓迎です.

 サロン報告

   11月3日、前々から予告しておりました『わが町80年の歴史について』の

    講演会を開催いたしました。講師は花園公民館「歴史を学ぶ会」会員   杉江茂伸氏

当日は会員以外の方も多く参加され関心の高さが窺われました。まず壁面に模

造紙3枚に花園地区を中心にした時代の経過と地図を交えたものを展示、更に

プロジェクターにより写真を交え説明をされた。

この検見川地区は明治22年の市町村制が施行され、検見川・稲毛・畑の3地

区が合併し検見川村となリ、明治27年に現在の総武線が開通し幕張駅が出来

る。大正10年に千葉が市制施工により千葉市となる、また京成電車が船橋~

千葉間が開通し、検見川駅が出来た。それまでは全て幕張まで行かなくては交

通機関がなかったがやっと現在の京成検見川駅が出来た。15年には検見川無線

所が出来たが現在の花園近辺が一面の水田であったそうで、住民はわずか3人

であったと言われ,ほとんどいない状態で、昭和に入り12年に千葉郡検見川町

が千葉市と合併、翌年検見川町から花園町・浪花町・朝日ヶ丘町が誕生、東大

が10万坪を買収、総合運動場として建設計画、14年には県立千葉工業学校が現

在の花中のところに新築移転され、学園都市としての期待が生じてきた。また

16年には稲毛に住宅営団が工場職員用の住宅を建設はじめ徐々に住宅地として

発展の兆しが出てき、22年に工業学校の跡地に現在の花中が第7中学として出

来た。26年には新検見川駅も出来、同じ年に大賀ハスの実が発見され、脚光を

浴びる。花園のご婦人たちが現在のグリーンベルトに桜を100本植えられたの

も30年の時で今や立派な桜並木として市民に楽しまれている。

39年には東京オリンピック開催、東大グランドにてクロスカントリー大会が開

かれ、以後急激に住宅地として発展するようになった。

42年より検見川地区の海岸の埋め立てが始まり、44年には花見川が印旛沼より

東京湾までの運河が完成、47年には北口バスターミナルが、南口には西友スト

アが開店、さつきが丘団地、西小中台団地が出来、50年には我々の住宅地も出

来たが、52年に花園陸橋が出来るまでバス通りも交通量も少なく実に静かな住

宅地であったが陸橋が出来てからは、山側と海岸地区との交通が各段に良くな

り交通量が増大し現在の状況となった。

53年には新検見川駅も現在の橋上駅となり、59年にはにれの木団地の入居も始

まり、一挙に新検見川駅の利用者が増えた。61年には京葉線も開通、平成に入

り4年に政令指定都市となり花見川区役所も出来、8年には新に瑞穂が誕生10

年瑞穂小学校が出来、16年には朝日が丘町から朝日ヶ丘1・2丁目、さらに翌

年3~5丁目が出来、住居表示が変わり、我々の自治会が畑町と朝日ヶ丘の2つ

の地名になる。

今回の説明は検見川・花園地区を中心に説明されたが、次回 12月1日では朝

日ヶ丘地区を中心にお話をして頂けるとのこと、お楽しみにご参集ください。

 忘年懇談会報告

 17日12時より恒例の忘年懇談会を自治会館にて開催、参加者32名(当日欠   

席3名)、小春日和の天候に恵まれ、暖房も消すような暖かい中、中島副会長

の司会により開始、会長の挨拶『私の独断と偏見により勝手に食べ物・飲み物

を準備したので悪しからず、日ごろの会話不足を解消するための懇談会です。 

存分に食事と会話をお楽しみ頂きたい』等述べ、次いで参加者最長老の竹島さ

んの乾杯、今年 米寿となられた坂場さんにお祝いの品を差し上げ、福岡・坂

場両夫人による米寿を祝う詩吟を吟じられ、成住さんから次の趣旨の感謝とお

祝いの言葉がありました。

『坂場さん 米寿おめでとうございます。昭和6年生れ 同期の桜ご交誼を頂いて

いる。平成23年親和会活動再興のとき 一から始まったのと同様、何をどう進めて

いけばよいのか?手探り。命題は皆様から喜ばれる親和会づくりでした。例会のみ、

サークルなし、サロンもなし、坂場さんはAブロックの田中さんと総務を担当、例

会が近づいてくるとどんな風にすすめるのか、議題は何か、進める順序は?どんな

ことを企画立案するか?今は亡き浦部さん尾山さんのアドバイスもありましたが、

毎月我が家で事前の打ち合わせをしました。ミーティングの司会はお人柄が滲み出

て堅苦しくない楽しい司会、又にかく早く自治会館にこられて会場の整備をされ

たのに頭が下がりました』

しばらく歓談の後、プロジェクタースクリーンに映し出された映像を見ながら

福岡実さんの司会によってカラオケ用のマイクを使用し、カラオケグループに

より、全員そして女性だけまた、酒も入り飛び入りの歌も数多くあり、時間の

過ぎるのも忘れ楽しいひと時を過ごすことが出来、最後に鈴木康夫さんに中締

めをして頂き散会となった。

毎年折り詰め弁当であったが、今回 銚子丸の大きな器の寿司を取り、つまみ

等をスーパーで購入、ご婦人たちによる盛り付けをお願いし、よく飲み食べた

パーティーを開くことが出来ました。お陰様で参加された皆さんに喜んでいた

だき幹事役として安堵いたしました。また参加できなかった会員の方々には和

菓子をお配りし日頃の感謝を表すことが出来ました。       小井沼記

   親和会だより30年10月号

9月30日真夜中、台風24号による暴風が千葉市で風速41.1mと記録されたとのこと、 

 会員の皆様もおちおち眠れなかったのではないでしょうか。南風による塩害もひどく、

 バス通りの街路樹も丸裸な状態となってしまいました。幸い私たちの街は大きな被害も

 なく安堵致しました。それにしても今年の夏は寒暖の差が大きく健康維持に苦労をされ

 たのではないでしょうか。 

サロン報告.

10月6日、真夏のような快晴の中、自治会館において抹茶を楽しむ会を開催いたし

  ました。参加者は22名、玄関正面には広瀬さんによる茶の湯に相応しい生け花、不如

 帰と秋明菊が生けられ、会場内には鈴木美沙子筆による色誌『無事』と広瀬康夫氏に

 よって生けられた生け花(薄,竜胆,藤袴、吾亦紅、水引)が置かれ茶室らしさが醸

 し出された雰囲気となる。

 初めに亭主の鎌田さんが開始の挨拶をされ、今日の抹茶や菓子の説明を鎌田さんのご

 息女の車田さんが説明、薄茶は『松柏』、菓子は『虫の音』、干菓子は『ふのやき』と

 淡雪羹『万華』、次いで正客として会長がお招きいただいた御礼を述べ、新しく会員と

 なられた山口和昭さん(現畑が丘自治会副会長)をご紹介, 本日の半東(運びのお手伝い)

 をされる松本さん、馬目さんお二人を紹介された。まず初めに濃茶をいただき菓子の

 甘さと抹茶の味が絶妙で美味しくいただけました。一巡した後、再び干菓子、淡雪羹

 を賞味しながら薄茶を頂き、しばし歓談の後閉会となる。日頃の喧騒から離れ、静か

 なひと時を過ごす有意義な時間を過ごす事が出来ました. 

 本日の主題『無事』とは臨済録の言葉として『無事是貴人』からで、あるがままに全

 てに対処できる人が尊いということから出たものであるそうです。また俳人 森澄雄

 が『無事は是貴人といへり蕪蒸』と詠み、「茶の湯とはただ湯をわかし茶を立てて飲む

 ばかりなる本を知るべし」と千利休が述べている。

 今回も茶を立てられた広瀬夫人、車田ご両人にお世話になりました。

例会報告

  10月20日、久しぶりによく晴れた秋空、気温もかなり低くなりやっと秋らしい季

 節となってまいりました。参加者は17名。ラジオ体操に続き、会計より本年度会計の

 中間報告として、イベント費用が残額0となってしまったので今後のセミナー講師料

 を予備費より支出することを提案、承認されました。また忘年懇談会の参加者が35名

 となったことを報告、NHKで放映された新日本風土記よりDVD『下北半島』を鑑

 賞、青森県の陸奥湾の東に当たる半島、対岸は津軽半島となる。恐山が有名であるが、

 他はマグロで有名な大間位しか知られていないが、原子力関係の設備が多数あり、そ

 のために多くの漁業者が廃業の憂き目にあったことなど、あまり知られてないことが

 映し出され、大いに勉強となりました。                            小井沼記

 親和会だより30年9月号

    長い酷暑より解放されやっと9月となりました。この夏は平年より平均気

   温が1.7度高く、今までにない記録的高温との夏で、多数の日射病患者が、

   またエアコンを点けない部屋で亡くなられた方も多数出たとのこと、先が思

   いやられます。会員の皆様方も夏バテにご注意下さる様お願いします。

   サロン報告

  9月1日、防災の日のためか例月より参加者が少なく、約10名、中島副

 会長の司会により開始、例月通りラジオ体操、会長欠席のため挨拶もなく、

 15日の例会について連絡事項を伝達後、用意したNHKで放映された新日本

 紀行より、三のうち希望の多い『古事記』と『松本』を放映。 

 出雲地方を中心に、古事記記載の諸々の現状が興味深く紹介された。大国主

 の白兎、八岐大蛇などの伝説や糸魚川のヒスイに纏わる逸話など、興味をひ

 く内容で見応えがあった。

 続いて『松本』」も引き続き鑑賞した。松本城を中心にまとまる市民活動、

 最近のプロサッカーの動きなどを紹介しながら日本最古の開智小学校や、少

 年刑務所における教育をとおして信州教育の姿などが紹介された。また有名

 な「民芸家具」の現状や里山辺の舟形山車の祭りなどが詳しく紹介された。

 北アルプスの常念岳をバックにした松本城の映像は美しく,自然に恵まれ教

 育熱心な地方であることがよく理解できた。DVDに見取れて16時ころ開散

 となった。

 例会報告

  8月4日に予定をしていたが余りの猛暑のため延期をしてた講演会を9

 月15日、午前10時より開催いたしました。前月とは打って変わり小雨模

 様の涼しい中、多くの会員また会員以外の方々約35名近くの方々が出席さ

 れ、特別にお願いしておりました講師の先生も驚かれるほどの集まりでし

 た。93才とはとても思えぬお元気さで約2時間、立ったまま大きな声でお話をしていただきました。折角のお話を聴き洩らさぬよう、ハンズフリーのマイクを用意してましたが、必要なしとのことで、準備していたものが無駄になりましたが最後まで最後列の方々にも届く声で圧倒されました。

  会長挨拶の後、成住さんより講師の紹介をして頂きました。

 山田治男先生は出光興産に勤務され、退職後は、登下校の見守り、あいさつ運動、

さわやか福祉財団(理事長堀田力)に参加、NPO法人青葉台さわやかネットワークの初代理事長、現在は相談役をされておられます。

    終戦を回顧し『戦争体験を通して、これからの日本を考える』

 昭和20年1月関東軍国境守備隊入隊満州黒河省砲兵中隊に配属された。敵戦車を迎え撃つための穴掘りが主な仕事であった。。昭和20年8月9日に日ソ不可侵条約をソ連が突如破棄し、宣戦布告もなく、満州に攻め込んで来た。主力軍隊は既に満州より 東南アジアに移動しており乏しい戦力のまま戦火を交え徹底抗戦した。

9月に入り、武装解除されソ連に連行される途中、開拓団の婦女子に「兵隊さん助けて」と言われたが、みじめでどうすることも出来なかった。シベリヤに3年間抑留されが、零下40℃以下で、飢え、強制労働に耐え牛馬にも劣る悲惨な生活であった。 辛うじて帰還できたが、一日も早く帰国したい一心でソ連に媚びる人、中傷する人が現れ、戦争や捕虜生活は人間を変えるのか、これが人間本来の姿なのか、悲しい実体を見てきた。また多くの方々の死を目の前で見、いかに戦争というものが残酷なものであるか、

戦争に負けるとは言葉に言い表せることが出来ぬ悲惨なものであることを体験した。

独立国として他国に依存せず、防衛力を持ち、国民自ら独立の気構えを持つスイスを見習うべきではないか。現在の日本は平和ボケの状態ではないでしょうか。

 民族滅亡の三原則とは

    1.夢を失った民族. 

    2.物ばかりに囚われて心の価値を失った民族

    3.自国の歴史を忘れた民族

 また、作家の半藤一利氏が歴史と人生で述べていること

    黒塗り教科書の結果

    1.自国の歴史を尊重しない国民

    2.歴史を抹消可能と考える国民

    3.自国の歴史を全く知らない国民、→歴史なき国民になる

 歴史を通じて、未来を考えることの重要さがあるのではないか。

 歴史の教訓とは 『後の人が歴史からは何も学ばない』これが歴史の最高

 の教訓ではないか。

 平和とはフランスの哲学者アランの言葉として

           『平和は常に死者の上に築かられる』

 その後、質疑応答があり、『出光での社員教育はいかなるものか』またい

 ろいろな質問に対して、懇切な説明を頂き、2時間超の講演会を無事終了。

 またこの地域に住む出光興産OB,現役の方々に大変お手伝いをして 頂き有難うございました。                小井沼記

感想文が寄せられました 「戦争を体験してこれからの日本を考える」を聞いて

93歳で約2時間の講演・質問時間をやりきる体力・気力に感心しました。そのために日頃の生活を自分でやりきる様にされている事。

シベリアの体験・出光での仕事等、自分が体験したことの生々しい話が聞けた事。やはり語り部は他人から聞いた伝聞情報の話では真実は伝わらない。ちょっとした事でも自分が経験したことを自分が話すことが大切と思いました。

山田さんを昔から存じ上げていますが当時から子供に対する見守り・挨拶等に 熱心でし

た。その意味からもそれを93歳の高齢になっても続けて居られる事に敬意を表します。 

戦争とは・国の独立とはについて山田さんのご意見を拝聴して考える機会となった。

国の本当の歴史を知る事・学ぶ事の大切さを教わった。

雨天にも係わらず大勢の人がこの講演会に参加され、熱心に聞き、また質問をされているのに感心しました。                                      KBNさん                           

93歳という御年齢を全く感じさせない、張りのある声と長時間にわたる講演の体力に感嘆いたしました。質疑応答にも的確に自身のお考えを伝えていらっしゃいました。

ソ連軍侵攻に伴なう、満蒙開拓団や関東軍のシベリア抑留の悲劇につき、その一部を歴史

本や小説、テレビでは聞いていたものの、実際にその現場に立ち会った山田さんのお言葉

は、非常に重く受け止めました。起こった事実は受け取め、その経緯をしっかりと把握し

今後のわが国の方向性判断に生かしていければと考えます。

今回、戦争直後から高度成長期の出光興産のよもやま話を教えていただきました。大先輩の生の声を、当方の後輩たちに伝えたいと思います。 

本会参加者の皆さんも大変お元気で、学びへの強い姿勢を感じました。当方の息子も参加させれば良かったなと思いました。                    FHMさん    

 

はじめに シベリアでの抑留生活の話をされ このような悲惨なことが二度と起こらないようにしっかりと平和を守らなければならないと述べられました。

70年前の出来事を今でも鮮明に覚えておられるということはそれ自体如何にシベリアでの抑留生活が過酷なものであったかを物語っていると思います。

次いで 国が滅びる原因として 国民が夢を持たなくなること、物にばかりこだわり精神的な面を疎かにするようになること、歴史から何も学ばなくなることを挙げておられましたがいずれも鋭い点をついておられると思います。

技術が益々高度化しIT化が大幅に進展するなど将来は不確実性がより増した社会が想定されますが国民が夢を持つことは大切なことだと思います。夢を持つことにより希望が生まれそれを実現するための行動等により道が開けより活性化した社会が実現し国が発展して行くものと思われます。

「人々が物欲にこだわること」 突き詰めて行くと 戦争の遠因は、歴史的に何れの場合もここから始まっているように思われます。世界中の人々がしっかりとした倫理観価値観を持つことが大切なことだと思います。

「ローマはなぜ滅んだか」ということを昔からいろいろな人が論じていますが歴史から

教訓を学び取り将来に活かすことは大切なことです。戦後73年平和が続きました。

その間に生まれた方々も全く歴史を学ばなかったわけでもないと思いますが実体験がないためぴんと来るところがなく  結果的に学んでいないのと同じ状態になっている点があるかもしれません。

そういう意味では山田様が各所で実体験のお話をされ啓蒙活動を行っておられることは

誠にご立派なことだと思いますし 我々もできる範囲でやるべきことはやらねばならないと思います。(以前 親和会でも 終戦記念日の日に子供会との話し合いの場を持とうと計画したことがありましたね)

また 慶応元年を起点として40年ごとに 日ロ戦争第2次大戦の終戦 バブルの崩壊などの大きな出来事が起きているが 次の40年に向けて我々は今後とも平和が持続するように努力せねばないと述べられました。

なお 講師は 日本人のシベリア抑留は非合法的なものであったこと、ソ連の侵攻は終戦僅か6日前の8月9日に突如起きたものだったことを残念な口調でちらりと述べておられました。ロシアは最近ではウクライナに侵攻しました。バルト三国は今でも侵攻してくるのではないかと怯えているようです。さらに北方領土や尖閣列島問題もあります。

平和を維持して行くために我が国はどのように対処行動して行くべきかを真剣に考えねばなりません                                                                                                                          MMAさん

日本の近代史を40年ごとに分けそこから未来への教訓を読み取る話はは初めて聞く説で新鮮でした。

 配属されていた関東軍前線のあまりにもお粗だった状況には改めてあきれるとともに怒りさえ覚えます。
 抑留され労働を強いられていた時、ドイツ軍、イタリア軍、犯罪者も一緒に労働させられていたという話は初耳でした。シベリア抑留に対する見方が少し変わりました。因みに私のいとこも抑留され木材伐採に従事していました。思い出話の時よくロスケという言葉をよく使っていました。又、現地の(収容所だけの話ではありません)食糧事情のひどさもよく話していました                                                                                                                        NJTさん 

第一にその若々しさに感嘆しました。声の張りと大きさ、論旨の明瞭さ、年寄臭くない身のこなしなどとても93歳とは思えぬ存在感でした。 

話の随所に学びの深さを感じました。政治的に微妙な問題には直接的には触れずに先人の譬えや格言を引いて、自己の結論を述べるという配慮にも感服しました。       戦争を絶対にしない為にも、先の大戦から色々を学ばねばならない、との思いを強くしました。何故、300万人もの犠牲を生んだ無謀な戦争に突入してしまったのか?    自分なりに理解して、子や孫に伝えねば・・と思いました。

出光佐三店主のこと、イラン制裁に伴う日本の石油事情ひいては最近の介護保険事情などにも質問が出て大変参考になりました。                                      IUYさん

 

体験談は事実の列挙で内容に迫力がありました。親和会サロンも政治、時事関連問題でも今少し掘り下げた意見の交換をしてもいいのかなあと思いました。 NRSさん

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親和会だより30年8月号

2018年08月31日 18時06分26秒 | 親和会たより

親和会だより308月号

 今年の夏ほど猛暑・酷暑の日々が続いたことはなかったのではないでしょうか。まさに夏バテ寸前の状態でした。これは日本だけでなく世界的に各国とも異常気象の現象が起きているとのこと。やはり二酸化炭素の増大によるものなのでしょうか。地球全体が温暖化されているということは、地球の過去を見ても逆の現象、寒冷時代が将来来るのではと考えさせられます。しかし暑さ寒さも彼岸までと言われる様に涼しい気候も間もなくやってくるものと期待しております。

8月の親和会のサロンはあまりの灼熱続きのため、急遽中止とさせていただきました。お願いしていた講師のご年齢と共に参加する会員の健康を考えた末、9月の例会に変更させていただきました。後記に講師のプロフィールを紹介させていただいておりますが、大勢の会員またその他の方のご参加をお願いいたします

例会報告

 8月18日、参加者15名、冒頭にラジオ体操により体を解し、エアコンもいらない快適な

気温の中、中島副会長の司会により開始、会長挨拶に続き今後の行事予定について説明、忘年懇談会及び抹茶を楽しむ会に触れ、近々に書面による案内とともに出欠の回答を9月15日までにお願いする、なお回答を前回通りAブロックは浅原さん。Bブロックは鈴木さん、Cブロック並びにサニータウン自治会の方は井上さんに集計をお願いする。

なお、忘年懇談会については諸物価値上げの折、会費を¥1200.と変更させていただきます。

ついで成住さんより来月のサロンでの講師のプロフィールをご紹介、

講師 山田治男様  

   大正14年生まれ 93歳

   昭和18年    出光興産入社  

   昭和20年1月  関東軍国境守備隊 ソ連軍と戦う 

          シベリア抑留ソ連軍が満州や樺太から約57万5000人連行。

          強制労働、飢え、厳寒で約5万5000人死亡

   昭和23年6月  復員 会社に復帰 営業:清水、大宮支店長 製造部門 

   昭和63年    出光興産退社

            小学生の登校見守り、姉ヶ崎青葉台町会協議会長

            さわやか福祉財団 (理事長 堀田 力)

            地域社会に尽くす 助け合い運動  

   平成12年   NPO法人青葉台さわやかネットワーク初代理事長,現在は相談役 

          趣味 油絵、水彩画、俳句

          四国八十八ヵ所お遍路さん 秩父34か所、西国33か所、坂東33か所=百観音巡り

2 最近講演された事例

    千葉県経営者協会    出光興産「人間尊重主義」の経営理念

    出光中堅社員教育   「戦後接してきた出光佐三の生き様と教え」

    浦和ルーテル学園高校 「戦争の悲惨さからこの国を守るのは誰か」

3 親和会サロン

   終戦を回顧して「戦争体験を通じてこれからの日本を考える」

   昭和20年8月15日から今年は73年。銃を持って戦った軍人も遺族も

   亡くなったり高齢化。戦争を知らない親・先生→子供の時代

  (空襲、灯火管制、B29、焼夷弾、機銃掃射、防空壕) 

   平和は日本人だけでなく世界の人が望んでいる

   日本では現憲法を守れ~改正せよ 米国防予算79兆円 議論百出

   私達 親和会の世代に何が出来るのか、今回の講演を拝聴して、一人一人が静かに 

   考えるよすがにしたい 

 次いで毎月のサロンを第2土曜日に変更してはの提案がありました。理由として畑が丘自治会の毎月の役員・班長会議が第一日曜日に開催されるので、同じ週末、土曜日に開催するサロンの催しに参加を呼び掛けていただけるのではとの提案です。

早速皆さんに意見を求めた結果、来年度よりサロンは第2土曜日に開催することにしてはとのご意見がありました。今後検討し次年度の計画に反映させたい。その他のご意見もなく、お盆時に当たりNHK番組 新日本紀行より『あの世・この世』全国各地のお盆をどのようにして過すかを映写し鑑賞。

まさに地域によって様々な行事として、いかに先祖・亡くなられた霊に対して迎え送ることを大切にしていることに感激。あるでは住んでいる全員が1時間と決め一斉に墓地に行き墓参りをする。大勢で行くことが祀られている霊が喜ぶのでは。また4日間終夜で盆踊りを舞う郡上八幡、灯篭流しを舟で引き海にに出る、身内一族が墓に参りその前で食事をする、大神楽を舞う、など地域によって風習が変わり先祖の霊に対し熱い思いが感じられる.

                                   小井沼 記

 

 

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