原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

事実認定の一つの視点(最判平成23年7月25日)

2011-07-26 | 刑訴法的内容
法学部生の方にも,LS生の方にも,予備試験受験生の方にも,司法試験受験生の方にも,合格待ちの方にも,非常に参考になる判例です。全国ニュースで報道されましたので,ご存知の方が多いかもしれませんが,最高裁で逆転無罪となった強姦事例です。

司法試験でも予備試験でも事実認定は重要であり,その能力が試されているわけですが,事実認定というと,どうしても「あるもの(客観的に存在する証拠)」から認定をしがちなのですが,「ないもの」も同じように重要です。「○○が真実であれば,△△が存在するはずであるのに,それがない」「ということは,○○は真実ではない」という視点です。この点が,本判例のポイントです。以下,判決文です。じっくり読んでみてください。


=引用はじめ=

主 文

原判決及び第1審判決を破棄する。
被告人は無罪。

理 由

弁護人前田裕司ほかの上告趣意は,事実誤認の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。しかしながら,所論に鑑み,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりであ
る。

第1 本件公訴事実及び本件の経過

本件公訴事実の要旨は,「被告人は,通行中の女性(当時18歳)を認めてにわかに劣情を催し,同人を強いて姦淫しようと企て,平成18年12月27日午後7時10分頃,千葉市中央区内の路上において,同人に対し,『ついてこないと殺すぞ。』などと語気鋭く申し向けて脅迫するとともに,同人のコートの袖をつかんで引っ張るなどの暴行を加え,同人を同所から同区内のビル北側外階段屋上踊り場まで連行し,同日午後7時25分頃,同所において,同人に対し,同人を壁に押しつけ,左腕で同人の右脚を持ち上げるなどの暴行を加え,その反抗を困難にした上,無理矢理同人を姦淫した。」というものである。
本件公訴事実について,被告人は,本件当日,報酬の支払を条件に上記女性(以下「A」という。)の同意を得て,本件現場にAと一緒に行き,手淫をしてもらって射精をしたが,現金を渡さないまま逃走したと供述し,暴行,脅迫及び姦淫行為の事実を否認したところ,第1審判決は,本件公訴事実のとおりの被害を受けたとするAの供述の信用性を認め,公訴事実と同旨の犯罪事実を認定し,被告人を懲役4年に処した。被告人からの事実誤認を理由とする控訴に対し,原審は,改めてAの証人尋問を実施した上で,Aの第1審及び原審での供述の信用性は十分認めることができるとして,第1審判決の事実認定を是認し,控訴を棄却した。

第2 当裁判所の判断

1 当審は法律審であることを原則としており,原判決の事実認定の当否に深く介入することにはおのずから限界があり,慎重でなければならないのであって,当審における事実誤認の主張に関する審査は,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであることはいうまでもない(最高裁平成19年(あ)第1785号同21年4月14日第三小法廷判決・刑集63巻4号331頁参照)。

2 関係証拠によれば,次の事実が明らかである。
(1) 被告人は,平成18年12月27日午後7時10分頃,京成電鉄の千葉中央駅前の歩道付近で,たまたま通り掛かったAに声を掛け,会話を交わし,その直後に,被告人とAは,同所から約80m離れた本件ビルに歩いて移動し,階段を上り,本件現場に至った。被告人とAとは初対面であった。
(2) 本件は,同日午後7時25分頃,本件ビルの北側外階段屋上踊り場において発生した出来事であり,その際,被告人は射精し,その精液がAの着用していたコートの右袖外側の袖口部分の表面及び裏面に付着した。被告人は,射精後,本件現場を離れ,1人で本件ビルから立ち去った。
(3) 本件ビルの警備員は,同日午後7時20分頃,制服を着用して本件ビルを警備のため巡回した際,本件現場にいた被告人とAのすぐ近くを通り掛かったが,そのまま通り過ぎた。
(4) Aの勤務先飲食店の経営者及び従業員は,Aを伴い,同日午後8時30分頃,本件ビル地下1階の警備室を訪ね,警備員らにAが本件現場で強姦被害に遭った旨を訴えたが,警備員らと口論となり,警備員らの通報を受けて警察官が臨場した。その際,Aは,警察官に対し,強姦被害に遭ったことと,その際に警備員が本件現場を通り掛かったことを申告した上,その場にいる複数の警備員の中から通り掛かった警備員を特定した。
(5) 被告人は,平成20年6月に東京都足立区内で,報酬の支払を条件にマンションの階段踊り場で女性に対し,自ら手淫行為をする様子を見るように依頼し,その同意を得て同女の手のひらに射精したのに,報酬を支払わずに逃走したため,同女が警察に被害申告する事態となり,付近で発見され,事情聴取を受けた。この件は事件にならないものとして処理されたが,その際遺留された被告人の精液のDNA型鑑定から,Aのコート袖口部分に付着した精液との同一性が判明し,被告人は,本件について検挙されるに至った。

3 第1審判決は,Aの被害状況に関する供述については,屋上踊り場において被告人が射精し,Aが着ていたコートの右袖外側の袖口部分に被告人の精液が付着していたという事実に符合すること,下着を脱がされた際にパンティストッキングが破れたので,近くのコンビニエンスストアで新しいものを購入し,履き替えたという供述については,本件犯行直後の時間帯に同店でパンティストッキングが販売された旨の販売記録により一応裏付けられていること,勤務先飲食店でのミーティングに出席後,同店で出す飲料水等を買いに出たAが,これらを買うことなく同店に泣き顔で戻り,心配して理由を尋ねた同店従業員らに対し,本件被害事実を申告したという経緯は,Aが供述するような被害に遭った女性の行動として自然かつ合理的なものであること,警備室を訪れた際に通り掛かった警備員を識別して申告しており,事実を真摯に訴えようとしている姿勢がうかがわれること,Aが虚偽の供述をする動機が見当たらないことなどが認められ,これらに照らせば,Aの供述は,その供述内容にやや不自然な側面があることを考慮しても,全体として十分信用できる旨判示した。
原判決は,Aの本件被害に関する供述については,①被害直後の勤務先飲食店の従業員らに対する訴え及びその後の警察での供述,②その約1年9か月後に被告人が本件について検挙された段階の検察官に対する供述,③第1審での公判供述,④その約9か月後の原審での公判供述があって,その内容は,細部についてはともかく,基本的に一貫していること,第1審及び原審での各公判供述の際に弁護人の反対尋問に対して動揺していないことなども判示して,第1審判決の上記判断を是認した。

4 所論は,被告人から暴行,脅迫及び姦淫行為を受けたというAの供述は,供述自体が不合理,不自然であって,客観的状況ともそごしているなどとして,信用できないと主張する。
そこで検討すると,本件公訴事実のうち,暴行,脅迫及び姦淫行為の点を基礎付ける客観的な証拠は存しない。そうすると,上記事実を基礎付ける証拠としては,Aの供述があるのみであるから,その信用性判断は特に慎重に行う必要がある。Aは,午後7時10分頃,人通りもある駅前付近の歩道上で,被告人から付近にカラオケの店が所在するかを聞かれ,それに答えるなどの会話をしている途中で突然「ついてこないと殺すぞ。」と言われ,服の袖をつかまれ,被告人が手を放した後も,本件ビルの階段入口まで被告人の後ろをついて行ったと供述する。しかし,その時間帯は人通りもあり,そこから近くに交番もあり,駐車場の係員もいて,逃げたり助けを求めることが容易にできる状況であり,そのことはAも分かっていたと認められるにもかかわらず,叫んだり,助けを呼ぶこともなく,また,本件現場に至るまで物理的に拘束されていたわけでもないのに,逃げ出したりもしていない。
これらのことからすると,「恐怖で頭が真っ白になり,変に逃げたら殺されると思って逃げることができなかった。」というAの供述があることを考慮しても,Aが逃げ出すこともなく,上記のような脅迫等を受けて言われるがままに被告人の後ろを歩いてついて行ったとするAの供述内容は,不自然であって容易には信じ難い。
また,Aは,本件現場で無理矢理姦淫される直前に,被告人やAのいる1m50㎝程度のすぐ後ろを制服姿の警備員が通ったが,涙を流している自分と目が合ったので,この状況を理解してくれると思い,それ以上のことはしなかったと供述している。しかし,当時の状況が,Aが声を出して積極的に助けを求めることさえ不可能なものであるかは疑問であり,強姦が正に行われようとしているのであれば,Aの
このような対応は不自然というほかなく,この供述内容も容易に信じ難い。
以上によれば,Aは,被告人に対して抵抗することが著しく困難な状況に陥っていたといえるかは疑問であり,Aのいうような脅迫等があったとすることには疑義がある。
次に,姦淫の有無については,Aは,20㎝余りの身長差のある被告人に右脚を被告人の左手で持ち上げられた不安定な体勢で,立ったまま無理矢理姦淫された旨供述するが,これは,わずかな抵抗をしさえすればこれを拒むことができる態様であるし,このような体勢においては被告人による姦淫が不可能ではないにしても容易でなく,姦淫が行われたこと自体疑わしいところである。加えて,そのように供
述するにもかかわらず,本件当日深夜に採取されたAの膣液からは,姦淫の客観的証拠になり得る人精液の混在は認められなかったし,膣等に傷ができているなどの無理矢理姦淫されたとするAの供述の裏付けになり得る事実も認められなかった。
このほか,Aがコンビニエンスストアのゴミ箱に捨てたと供述する破れたパンティストッキングは,直後の捜査によっても発見されていない。さらに,Aは,破れたパンティストッキングを捨てた後,当初は,コンビニエンスストアで新たにパンティストッキングのみを購入したとしていたのを,その後,コンビニエンスストアでのレジの記録からこれに符合する購入が認められないとなると,第1審では何かを一緒に購入したかもしれないとして,レジの記録に沿うよう供述を変化させ,原審では飲物を買ったような記憶があるとしており,供述内容に変遷が見られる。このように,姦淫行為に関する一連のAの供述は,不自然さを免れず,姦淫行為があっ
たとすることには疑義がある。
他方,被告人は,3万円の現金をチラシにはさんでAに見せながら,報酬の支払を条件にその同意を得て,本件現場にAと一緒に行き,手淫をしてもらって射精をしたなどと供述しているところ,その供述内容と同様の前記2(5)の事実が存すること,被告人は,日頃からそのような行為にしばしば及んでいた旨供述するところ,被告人の携帯電話中に保存されていた写真の中には,そうした機会に撮影され
たと見られるものが相当数存することなどの事情を併せ考慮すると,本件に関する被告人の供述はたやすく排斥できない。

5 原判決の事実認定の当否の審査は,前記のとおり,論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきところ,第1審判決及び原判決が判示する点を考慮しても,上記のような諸事情があるにもかかわらず,これについて適切に考察することなく,全面的にAの供述を信用できるとした第1審判決及び原判決の判断は,経験則に照らして不合理であり,是認することができない。した
がって,被告人が本件公訴事実記載の犯行を行ったと断定するについては,なお合理的な疑いが残るというべきであり,本件公訴事実について有罪とするには,犯罪の証明が十分でないものといわざるを得ない。

第3 結論

以上のとおり,被告人に強姦罪の成立を認めた第1審判決及びこれを維持した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
そして,既に第1審及び原審において検察官による立証は尽くされているので,当審において自判するのが相当であるところ,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないとして,被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。
よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官古田佑紀の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官須藤正彦,同千葉勝美の各補足意見がある。

=引用,終わり=

なお,上記引用部分にもちょっと出てきますが,法律審たる上告審において事実認定の審理をすることにつき,捕捉意見が参考になりますので,以下に紹介します。

「ところで,脅迫等の事実の存否やそれを左右する供述の信用性は事実認定の領域の問題である。事実審裁判所は,証拠調べを直接に行い,供述態度が真摯であるかどうかという点を含めて,関連する事実や証拠等との関連で,かつ,十分な問題意識を持って供述の信用性の判断を丹念に行うであろうから,そこでの事実認定は,直接主義,口頭主義の観点からしても,第一次的に尊重されるべきであって,書面のみによる間接的な審理を行うだけの当審が,供述の信用性や事実認定の当否に介入することは基本的に慎重であるべきだろう。
だが,根源的にいえば,刑事司法は,被疑者,被告人の人権保障の役割を果たす性格を有する。特に,最高裁判所は最終審であり,犯罪を犯していない被告人を救済する最後の砦である。そのことに照らせば,上告審たる当審といえども,本件において,原審までに現れている関係各証拠を所与の前提としてではあるが,これを比較検討し,Aの供述内容の信用性について,論理則,経験則等に照らして判断することは当然容認されることである。そして,その判断の結果,被告人の犯罪事実について合理的な疑いを超えた証明がなされていないとされるならば,重大な事実誤認として職権を発動することに躊躇すべきではないであろう。犯罪を犯した者を犯罪者としないことは疑いもなく不正義である。だが,犯罪を犯していない者を犯罪者とすることは,国家による人権侵害を惹起し,許され得ない不正義に当たる。強姦罪を犯したことにつき合理的な疑いを超えた証明がなされたとはいえない本件被告人については,「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に戻るべきである。」

このように捉えてよいでしょう。「上告審は法律審であるから事実認定についての審理はできない」なんて肢に引っ掛かってはいけません。

<引用部分>

最高裁HPより

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