Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

不況対策としての生産性向上

2007-10-03 | 構造改革
「nando ブログ」さんの「◆不況対策としての生産性向上」より、

 不況対策として「生産性向上を」という発想は、広く普及している。サプライサイドと呼ばれる人々(経済学者というよりは政治家)は、この発想を取る。
 ちょっと前では、小泉・竹中の発想がそうである。安倍もそれを踏襲した。今では福田がそれを踏襲している。具体的に、所信表明を見よう。

 構造改革を進める中で、格差といわれるさまざまな問題が生じています。私は、実態から決して目をそらさず、改革の方向性は変えずに、生じた問題には一つ一つきちんと処方箋を講じていくことに全力を注ぎます。
 地方は人口が減少し、その結果、学校、病院等、暮らしを支える施設の利用が不便になるなど、魅力が薄れ、さらに人口が減るという悪循環に陥っています。この構造を断ち切るには、それぞれの地方の状況に応じ、生活の維持や産業の活性化のためには何が必要かを考え、道筋をつけていかなければなりません。
 (……中略……)
 わが国の経済成長の原動力である中小企業の多くが、景気回復の恩恵を受けられずにいます。下請け取引の適正化や事業承継の円滑化、中小企業の生産性向上に向けた取組などを強力に推進し、大企業と中小企業の調和のとれた成長を図ります。
 若者の非正規雇用が増加してきた状況などを踏まえ、若者たちが自らの能力を生かし、安定した仕事に就いて、将来に希望をもって暮らせるよう、正規雇用への転換促進や職業能力の向上、労働条件の改善など、働く人を大切にする施策を進めてまいります。
( → 産経新聞「所信表明・全文」 )


 これを見ればわかるように、福田首相はまさしく、「生産性向上で景気回復」という構造改革路線を取っている。
 別に、彼らだけではない。首相や政府だけでない。政府の官僚の大部分もそうだし、企業経営者(経団連など)もそうだし、おおかたの経済学者(古典派経済学者)もそうである。「構造改革に反対する」と述べる経済学者は、きわめて稀有である。

 しかしながら、彼らは正しくない。すなわち、「構造改革で景気回復(経済成長)」という発想は、まったく間違っている。そのことを、本項で示す。



 (4) 逆効果

 不況期に生産性を向上させると、状況はかえって悪化する。では、なぜ、そうなのか? ── そのことは、学問からわかる。

 すぐ上の比喩を見よう。医者ならば、「病人に無理に食物を与えても逆効果だ」ということはわかる。しかし素人はわからないので、「どうしてだ、どうしてだ」と不思議がる。
 同様に、マクロ経済学者ならば、「不況期に生産性を向上しても逆効果だ」ということはわかる。しかし素人はわからないので、「どうしてだ、どうしてだ」と不思議がる。
 ここでは、真実を理解するには、学問が必要である。「いいことをすれば状況はよくなる」というような、素人判断は禁物なのだ。「いいことをすれば状況はかえって悪くなる」という真実をちゃんと見極めることが大事なのだ。

 では、真実とは? それは、「需要と供給」という概念からわかる。
 この両者が釣り合っているときには、「均衡」である。
 この両者が釣り合っていないときには、「不均衡」である。特に、不況では、「需要不足」(需給ギャップ)が生じる。
 このあとは、二通りに分かれれる。

 (i) 均衡のとき
 均衡のときには、「供給 = 需要 = 生産量」が成立する。
 ここで、「生産性の向上」は、「生産能力の拡大」を意味する。
 生産能力が拡大すれば、需要も生産量も同じだけ増えて、経済は成長する。
 通常の状況では、これは成立する。実際、バブル期以前の日本経済は、この経路をたどってきた。民間企業がどんどん生産性を向上させて、経済規模はどんどん拡大していった。(別に政府がキャッチフレーズを唱えたせいではない。)
 ( ※ 実を言うと、「長期」では「均衡」が暗黙裏に前提となっているので、「長期」ではこのことが成立する。前述の通り。)

 (ii) 不均衡のとき
 不均衡のときには、「供給 > 需要 = 生産量」が成立する。
        ( 供給 - 需要 = 需給ギャップ )
 ここで、「生産性の向上」は、「生産能力の拡大」を意味する。(たとえば、月産 20万台の工場で、実際の生産量が 15万台であるときに、生産性の向上によって、生産能力が月産 25万台に向上する。)
 ここでは、生産能力が拡大しても、もともと不均衡なので、需要も生産量もちっとも増えない。単に需給ギャップが拡大するだけだ。
 ここまでは、需要と生産量は不変である。
 その後、どうなるか? 生産性の向上にともなって、企業は余剰人員をかかえる。するとやがて、余剰人員を解雇する。そのせいで国全体では、国民全体の総所得が減る。購買力が減って、総需要も減少する。……かくて、総需要および総生産は、減少する。
 要するに、「生産性の向上のせいで、生産量がかえって縮小する」というふうになる。逆効果。

 (5) 現実

 すぐ上で述べたことは、一見、不思議に見えるかもしれない。
 しかし、これは、不思議でも何でもない。まさしく現実だ、とわかる。すなわち、現実は、次のようになっている。

  ・ 生産性はどんどん向上している。(毎年2~3%)
  ・ そのせいで、企業はコストを低下させ、企業収益は向上する。(黒字)
  ・ 一方、必要な労働者数は減るので、労働者はどんどん解雇される。
  ・ 労働者が余るので、労働市場では、賃金が異常に低下する。
 
 実は、これは、「格差の拡大」そのものである。つまり、経営者や資本家だけは、企業収益の向上にともなって、どんどん富を増す。その一方で、(下級の)労働者は余剰となり、労働者の賃金はどんどん低下していく。
 そして、その理由は、次の二つだ。
  ・ 需給ギャップ ( ≒ 生産量の低迷 )
  ・ 生産性の向上


 (6) まとめ

 「生産性向上で経済成長」
 という発想は、長期的には成立するが、不況という中短期的な現象においては成立しない。むしろ、逆効果になる。
 なぜか? その理由は、次の差による。
  「均衡」 のとき  …… 「生産性向上」と「経済成長」が等価だ。
 「不均衡」のとき …… 「生産性向上」と「経済成長」が食い違う。

 「生産性向上で経済成長」
 という発想。これは、いわば、晴れのときには成立する。しかし、晴れのときに成立したことが、雨のときにも成立すると思ったら、大間違いだ。
 また、健康な人間に当てはまることが、病気の人間にも当てはまると思ったら、大間違いだ。

 そこにおける本質は、「晴れと雨の違い」「健康と病気の違い」を見極めることだ。このことは、経済においては、「均衡と不均衡の違い」を見極めることに相当する。
 にもかかわらず、たいていの人々は、その違いを理解しない。そのせいで、誤った処方をなしてしまう。
  ・ 晴れへの対処を、雨のときに施す。
  ・ 健康者への処方を、病人に施す。
  ・ 好況への処方を、不況に施す。

 いずれも、見当違いの方策である。それゆえ、悪化した状況を、いっそう悪化させるようなことをなしてしまうのだ。
 比喩的に言おう。病気になった人が、病院に行って、「病気を治してください」と頼んだ。しかしそこにいる医者は、医学知識のない無免許医であった。彼はこう主張した。
 「健康を増進するには、何といっても、スポーツですよ。私はスポーツをすることで、どんどん健康になりました。スポーツで体力増強! スポーツで体力増強! だからあなたもそうしなさい」
 そこで患者は、体力増強をめざして、マラソンをした。すると、病気がいっそう悪化して、死んでしまった。

 体力増強であれ、生産性向上であれ、素人判断でやれば、状況をかえって悪化させてしまうのだ。
 しかるに、現状の政策は、あえてそういう間違ったことをなそうとしている。

 すなわち、「格差の拡大」や「ワーキングプア」という問題は、現状において処方を間違ったからそうなったのではなく、現状においてまさしくそういうふうにしようとする方策を取っているから、そういうふうになっているのだ。
 (比喩的に言えば、間違って首を吊って死んでしまうのではなく、あえて自分で首を吊ろうとして首を吊っているのだ。……ただし、まともな知識がないせいで、自分が何をしているか理解できない。)

 結局、こうだ。
 現状の政策は、(不況下において)「生産性の向上」という誤った方針を取っている。だからこそ、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなっていく。
 すなわち、ワーキングプアも、格差の拡大も、経済政策の成果が上がっていないのではなくて、まさしく成果がうまく上がっているのだ。まさしく狙い通りになっているのだ。
( ただし、自分が何を狙っているかを、まったく理解していない。比喩的に言えば、自分の頭に向けて拳銃の弾丸を発射しながら、「これで自殺する」と理解せずに、「これで宝くじに当たって幸福になれる」と信じている。そういう錯覚がある。)

 なお、問題の根源を理解しないまま、問題への対症療法として、「最低賃金の賃上げ」「所得再配分」などをなしても、まったく無意味である。それはいわば、病気で痩せ衰えた人に対して、根源である病気を治さないまま、無理に体重を増そうとして、逆ダイエットによって肥満させようとしているようなものだ。それで、形の上では体重は増えても、病気はちっとも治らない。

 肝心なのは、根源的な病気を治すことだ。そして、それがすなわち、前々項(ワーキングプアの本質)で述べた「生産量の拡大」なのだ。


【 解説 】
 本項で述べたことは、直感的には、次のように言える。
 「供給過剰のときに、さらに供給能力を向上しても、状況は改善するどころか悪化する」
 「パンが売れ残って困っているときに、さらにたくさんパンを生産することができるようになっても、状況は改善するどころか悪化する」
 「キャベツが売れ残って困っているときに、さらにたくさんキャベツを生産することができるようになっても、状況は改善するどころか悪化する」(豊作貧乏)

( ※ 注。 自分一人が生産性を向上させるのであれば、自分だけは儲かる。しかし、国中でいっせいに生産性が向上すれば、供給過剰となり、豊作貧乏の状態になる。……その違いを理解することが大切だ。これを理解するということが、経済学を理解するということだ。……現実には、理解する人は、ごく少ない。)


 福田氏は、所信表明において、「中小企業の生産性向上に向けた取組などを強力に推進し・・・」と述べました。

 不況下で、「生産性の向上」を目指すことがどういうことなのか、この人には・・・というか、今の自民党には分からないのでしょう。

 全ては、竹中氏をはじめとしたネオリベ論者の「とんでも経済学」に自民党議員の多くが洗脳されてしまった結果であって、ネオリベ病に冒された今の自民党は、もはや、断崖絶壁から飛び降りて自爆でもしない限り、その暴走を止めることはないのでしょう。

 上記で説明されているとおり、不況下で、「生産性の向上」を行うことは最悪の結果しかもたらしません。

すなわち、

「生産性の向上」

「余剰人員の発生」

「余剰人員の削減」

「企業利益の増大&労働賃金の低下」(格差の増大)

「労働者所得の減少」

「消費の減退」

「更なる不況」

「生産性の向上」

(以下同様)

という負の循環です。


 「或る浪人の手記」さんの作成された「自ENDキャンペーンバナー」を貼りました。



 有害無益な存在となり果てた今の自民党にはもはや未練なしです。逝ってよし。



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2 コメント

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実にわかりやすい (ろろ)
2007-10-10 00:29:45
  ロボットを導入したら、人間が不要になったというのと同じことですね。その経営者的には正しいけれども、みんなが同じことをやり出したら破滅するという・・・。

>自分一人が生産性を向上させるのであれば、
>自分だけは儲かる。しかし、国中でいっせいに
>生産性が向上すれば、供給過剰となり、
>豊作貧乏の状態になる。

  ここが重要ですね。

  今の生産性向上については、株主の多くが外資になったのと無縁ではないと思います。利益率を上昇させて、人切りを励行しているのも、配当可能利益を増やすためでしょう。そうしなければ、役員の首が飛ぶのですから、経営者としてはやらざるを得ないのかもしれません。
  そういう仕組みを拒んだブルドックソースの株価が低迷しているのが心配です。主要株主がタッグを組んで見放さないようにしてほしいと思います。
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Re:実にわかりやすい (上田真司)
2007-10-12 16:02:33
ろろさん、コメントありがとうございます。

>ロボットを導入したら、人間が不要になったというのと同じことですね。その経営者的には正しいけれども、みんなが同じことをやり出したら破滅するという・・・。

そうですね。
生産性が向上しても、雇用に手をつけなければいいのですが。
生産性を倍にして、労働時間を半分にするとかね。

>今の生産性向上については、株主の多くが外資になったのと無縁ではないと思います。利益率を上昇させて、人切りを励行しているのも、配当可能利益を増やすためでしょう。そうしなければ、役員の首が飛ぶのですから、経営者としてはやらざるを得ないのかもしれません。

同感です。
配当を増やさなければ、株価が下がるという強迫観念が経営者を支配しつつあるようです。
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