Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

「裸の王様」と小泉改革

2007-09-06 | 構造改革
 おとぎ話に、「裸の王様」というのがあります。この物語に出てくる二人組の詐欺師は、「愚か者には、この布地は見えない」と言い、予め全ての批判封じを行ってから、おもむろに人々を騙していくわけです。人は自分が愚かものであると言われるのを怖れるものですからね。

 小泉・竹中コンビの行ったことも、「裸の王様」の物語に出てくる二人組の詐欺師と同様、「自分たちの行う改革に反対する輩は、私利私欲に溺れ、日本の国を良くしようという運動に水を差す抵抗勢力である」と称し、国民にそれを繰り返し語ることによって、「小泉改革に反対する者=抵抗勢力(私利私欲に溺れた既得権擁護者)=悪」という印象操作を行ったわけです。

 このような決め付けが一旦、行われてしまえば、それに逆らうことは、自分自身が「既得権擁護者だ」「守旧派だ」「悪いやつだ」という批判の矢面に立つことを意味します。国民からの支持が命の国会議員にとって、それはとても恐ろしいことで、結果的に小泉批判をしたくても出来ない状態に陥っていったわけです。そういう意味で、小泉純一郎の「抵抗勢力」発言は実に卑怯なものを感じます。

 改革などと言っても、その方向性・手法には、さまざまなものが考えられるわけで、小泉改革こそが、唯一の改革であると思い込んでいる「小泉改革至上主義者」は、私から見れば、小泉純一郎の印象操作に乗せられて信者と化した愚か者にしか見えません。

 ネット上で、このような発言をしている「小泉改革支持者」がいました。

苦しいからって楽な道を選ぶような自民党なら物理的になくなればいい
国民もしかり、せっかくここまで改革が進んでいるのに途中で投げ出すことのデメリットも理解すべきだと思う

俺は日本を信じているから修正を重ねつつ小泉改革は実を結ぶと信じているけどね


これに対する反論が↓。

>苦しいからって楽な道を選ぶような自民党なら物理的になくなればいい

 苦しいのが目的になってはいけないと思います。苦しいから将来が良くなる、という保証も経済理論もどこにもないわけです。

 都市も地方も、適切な努力で適切に幸せになるための政治でなければならない。

 今現在は、小泉改革が、手法として妥当だったのか?が問われ始めている時期だと思います。先般の参議院選挙は、その問いかけへの国民からの生活実感を踏まえた回答だったと。


 ↑この反論の方がよっぽど理性的だと思います。小泉改革支持者のさまざまな発言を聞いても、「小泉・竹中コンビの出した処方箋が正しい」と納得させられるようなものに出会ったためしがありません。ただ、小泉純一郎のカリスマに乗せられて、小泉改革なるものを信じているだけではないのでしょうか。

某ブログでは、

改革途上において抵抗勢力(既得権益勢力)の反撃が始まった。
これが、先の参院選挙であり、今回の農水相辞任ではないのか?
つまり、改革に対する反動が起きている。


 というようなことを書いています。

 「改革派=善」と「抵抗勢力=悪」の勧善懲悪ストーリーを脳内で捏ねあげていた小泉改革至上主義者にとっては、先の参院選挙はまさに「帝国の逆襲」を見た思いだったのでしょうが、小泉改革と称するものをなぜそれほど賞賛できるのか私には分かりません。

 小泉改革の中身は何かと言えば、国民が貧窮化しようがなにしようが知ったことじゃない、そんなのは自己責任だと「自己責任論」を振りかざし、バラマキはいけないと称して全ての景気刺激策を否定し、放棄することでしかないわけで、「政府は何もしない」と言っているだけのことです。

 「すべては、市場原理に任せておけば良いのだ。政府は何もしない」というのは、たとえば、医者が「すべては、自然治癒力に任せておけば良いのだ。私は何もしない」と言って、治療行為も投薬も拒否しているのと同じで、職務放棄でしかありません。しかしながら、小泉改革至上主義者たちは、この「政府は何もしない」という無責任極まりない態度を賞賛しているのですから、実に奇妙な人たちです。

 何事も、「これは、絶対的に正しい」と思い込むと、合理的な判断ができなくなるという見本ですね。

 ネットも新聞も見ない一般庶民が皮膚感覚で、「今の政治はおかしい」と感じる直観の方がむしろ、このような「思い込みの強い」インテリが頭だけで捏ねあげた結論よりも、正しい結論が得られているような気がしますが・・・。

 それにしても、「ほっとけばよくなる」という19世紀ごろに流行った古典派の理論を今更取り上げて信じる連中が「改革派」だとはよく言ったもので、私から言わせれば、彼らは経済における「反動主義者」でしかありません。

 まあ「抵抗勢力」にもいろいろあり、単なる「我利我利亡者」もそこにはいるんでしょうが、少なくとも、19世紀の古典派の理論を今更有難がるような馬鹿はいないでしょう。

 「小泉改革至上主義者」たちは、19世紀の古着をこの上なく素晴らしい衣装だと思い込んでいる愚かな王様にたとえられるかもしれません。


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5 コメント

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分かりやすい喩えですね (ろろ)
2007-09-06 23:45:05
  仕立屋の話は、非常に言い得て妙だなと思いました。「二人」というのも、味噌なんでしょうね。

>小泉改革と称するものをなぜそれほど賞賛できる
>のか私には分かりません。

  二種類いるでしょうね。まず一つは、カイカクが進めば受益者になれると信じている純朴な人です。地方の談合とか、補助金に話に目くじらを立てているタイプです。地方の補助金が削減されても、おまえの懐には一円も入ってこないだろうと(笑)。
  もう一つは、そういう信者を飯の種にしている「お寺の仲見世」的な人です。たとえば、本文で出ている某ブログの方は、盧武鉉を揶揄した本をお書きになっていますね。もしかしたら、このタイプなのかもしれませんね。

>「今の政治はおかしい」と感じる直観の方が
>むしろ、このような「思い込みの強い」インテリが
>頭だけで捏ねあげた結論よりも、正しい結論が
>得られているような気がしますが・・・。

  仰るとおりです。子供をお持ちのお母さんが「やぁねえ」と思うことが結構大事だったりするのだと思います。自称保守と違って、子供の未来を想像しますから。
  お子さんがいて、それでもなおかつ小泉安倍路線を支持している人は、ベクトルが間違っているのでしょう。そういう方に考えを変えてもらおうとは思っていません。真司さんや私のブログを見ても、きっと彼らの色眼鏡越しにには何も見えないでしょう。

>「ほっとけばよくなる」という19世紀ごろに
>流行った古典派の理論

  単純ですし、微調整が要りませんから、努力や配慮が嫌いなネット右翼さんたちには最高の論理じゃないでしょうか(笑)。
  そういう論理、すなわち近代国家の背骨になっている思想というのは、押し進めれば弱肉強食や貨幣万能主義に陥って、共同体や文化伝統の破壊につながるんですけどね。そういう論理を支持しながら「保守」とか言っている人は、きっと「国家主義」と混同しているんだと思いますよ。
  だから、彼らは無味乾燥な愛国心が好きなんでしょうね。

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Re:分かりやすい喩えですね (上田真司)
2007-09-07 09:41:51
ろろさん、コメントありがとうございます。

>「二人」というのも、味噌なんでしょうね。

そうなんですよ。

>二種類いるでしょうね。まず一つは、カイカクが進めば受益者になれると信じている純朴な人です。地方の談合とか、補助金に話に目くじらを立てているタイプです。地方の補助金が削減されても、おまえの懐には一円も入ってこないだろうと(笑)。
>もう一つは、そういう信者を飯の種にしている「お寺の仲見世」的な人です。たとえば、本文で出ている某ブログの方は、盧武鉉を揶揄した本をお書きになっていますね。もしかしたら、このタイプなのかもしれませんね。

日本国内の真の改革受益者というのは、輸出関連企業とか、村上ファンドの村上某のような投機屋、もともとの富裕層ぐらいのものでしょうね。

あとはおっしゃるように、「お寺の仲見世」的な人とカイカクが進めば受益者になれると信じている純朴な人です。

>お子さんがいて、それでもなおかつ小泉安倍路線を支持している人は、ベクトルが間違っているのでしょう。そういう方に考えを変えてもらおうとは思っていません。真司さんや私のブログを見ても、きっと彼らの色眼鏡越しにには何も見えないでしょう。

「左翼」対「小泉安倍路線」という二元論に陥ってるんじゃないでしょうかね。
「左翼」を否定するためには「小泉安倍路線」を支持するしかないと思い込んでいるとか・・・。
そういう人には、私やろろさんは「左翼」に見えるのかもしれません。

>>「ほっとけばよくなる」という19世紀ごろに
>>流行った古典派の理論

>単純ですし、微調整が要りませんから、努力や配慮が嫌いなネット右翼さんたちには最高の論理じゃないでしょうか(笑)。

確かに単純明快ですね。

>そういう論理、すなわち近代国家の背骨になっている思想というのは、押し進めれば弱肉強食や貨幣万能主義に陥って、共同体や文化伝統の破壊につながるんですけどね。そういう論理を支持しながら「保守」とか言っている人は、きっと「国家主義」と混同しているんだと思いますよ。

ヨーロッパの歴史を見ると、血で血を洗う凄まじい闘争の歴史です。
そんなだから、「人間社会の自然状態は万人の万人に対する闘争だ」みたいな考えが起こるのでしょう。
ダーウィンの進化論も、古典派の経済理論もそういう土台から生まれたものだと思いますよ。
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渡部昇一氏の「罪」 (蒼龍)
2007-09-09 10:31:00
真司さん、こんにちは。

私は最近思うのですが、なぜここ数年異常なまでに市場主義、競争主義を賞賛する風潮が高まったのか?それには様々な要因があるのでしょうが、90年代後半の保守言論人の自由主義偏重も小さくない要因なのではないでしょうか。

95年以降、保守言論人は歴史問題や教育問題に関する様々な書籍を執筆してきましたが、その中には当時の大蔵省や厚生省、外務省のいわゆる省庁腐敗に関するものもありました。特に大蔵省については、全ての銀行を一括して管理するかのような「護送船団方式」が社会主義的なものだ、として強く批判されました。

これらの発言を強く行ったのが私の知る限り、竹村健一、谷沢永一、小室直樹の各氏だったと思うのですが、中でも渡部昇一氏は群を抜いていました。

渡部氏は昭和五年生まれ。ちなみに昭和五年世代の保守言論人と言えば中高生時代に敗戦を迎えたことによって意識の底に「やはり日本はダメだ」と思いこんでしまい、また欧米留学経験者が多いのが特徴です。渡部氏も例に漏れず独英両国に留学し、また米国に滞在した事もあります。

話を元に戻しますと、渡部氏はこれまでの執筆活動の中で東京裁判史観を根底から否定し、その他にもいわゆる「従軍慰安婦」問題や歴史教科書問題に対してもその歪みを修整するなど、その功績は多大なものがあります。しかし光あれば陰ありで、渡部氏の陰の部分というのが市場主義や競争主義への過剰なまでの信奉ぶりなのです。

渡部氏は戦時中の統制経済への反発と戦後の共産主義や社会主義への不信から資本主義や自由主義に傾くようになったとみられます。彼は特にノーベル経済学賞を受賞したフリードリヒ・ハイエクを敬愛しており、かつては若手の政治家や官僚にそのレクチャーをしていました。私も当時はハイエク経済学に入れ込んでいたのですが、後で聞いてみるとどうも共産主義へのアンチテーゼという面が強いようでした。

また渡部氏は、サッチャー英元首相と故・レーガン元米大統領が減税等を中心とする「新自由主義」と呼ばれる自由競争主義路線へとシフトして経済を立て直した事を高く評価しています。しかし、サッチャー女史の格言の一つに「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません」というのがありましたが、「いくら金持ちを増やしても貧乏人が豊かになるとは限らない」のもまた事実なのです。事実、英米両国はこの新自由主義の後遺症に今もなお悩まされています。

余談ですが、渡部氏は教育についても自由主義を主張しており、その代表的なものが「塾を学校として認め、公私立学校と塾・予備校どちらでも学べるようにすべきだ」という発言です。ここでは詳述しませんが、これがどれだけ粗雑で危険なものか彼は分かっているのでしょうか?

以上述べてきましたが、このような渡部氏らが市場主義・競争主義を肯定し賛美するかのような発言を続けてきた結果が小泉・竹中の血も涙もない構造カイカク路線に行き着いてしまったと見る事ができるかもしれません(事実、渡部氏は一昨年の郵政選挙の際に『Will』という雑誌で郵政民営化とそれを行った小泉を賞賛していました。)。

安倍首相、あるいはその後継首相が早急にしなければならないのは、ブレア前英首相が「第三の道」と称してサッチャー政権の行き過ぎた競争主義を修正して一応の安定をもたらしたように、構造カイカクを全て白紙化して再点検することだと思います。

長文、失礼しました。
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追伸です (蒼龍)
2007-09-09 14:02:41
> 特に大蔵省については、全ての銀行を一括して管理するかのような「護送船団方式」が社会主義的なものだ、として強く批判されました。

これも見方を変えれば、旧大蔵省は弱肉強食の醜い国際金融市場に日本の銀行たちを、ひいては世界最高とも言われていた国民の預金を守るために新しい金融商品をチェックしたりなどして監督していたのかもしれませんね。結局国際資本の波に耐えきれませんでしたが…。

ところで真司さん。平成不況をもたらしたとされるバブル崩壊はどうして起こったかご存じでしょうか?これについても先の「昭和五年世代」は「愚かな大蔵省の責任だ!」とか言っていました。谷沢永一に至っては大蔵官僚の実名まで出して罵倒していたのを覚えています。私が考えるに、あれは空前絶後の好況に踊らされていた国民が後先考えぬ投資を行い、これまた同じような銀行が融資をしていた事によるものではなかったかと思うのですが…。真司さんはどうお考えですか?
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Re:渡部昇一氏の「罪」 (上田真司)
2007-09-10 01:36:42
蒼龍さん、コメントありがとうございます。

>私は最近思うのですが、なぜここ数年異常なまでに市場主義、競争主義を賞賛する風潮が高まったのか?それには様々な要因があるのでしょうが、90年代後半の保守言論人の自由主義偏重も小さくない要因なのではないでしょうか。

竹村健一が、繰り返しサッチャー礼賛を行っていたのは80年代だったと記憶しています。
このころから、保守言論人の「新自由主義」への誘導は行われていたように思います。
そしてそれは、確かに「小さくない要因」です。

>余談ですが、渡部氏は教育についても自由主義を主張しており、その代表的なものが「塾を学校として認め、公私立学校と塾・予備校どちらでも学べるようにすべきだ」という発言です。ここでは詳述しませんが、これがどれだけ粗雑で危険なものか彼は分かっているのでしょうか?

「教育の自由化」というのは、結果的に、貧乏人の子弟が受ける教育のレベルと富裕層の子弟が受ける教育のレベルの格差の拡大を容認することにしかなりません。貧乏人の子弟は安上がりの公教育しか受けられませんが、富裕層の子弟は、どのような選択も可能です。

親の資産や収入によって、人生の始まりから不平等を強いながら、機会の平等などと美辞麗句を並べるのが「新自由主義者」の欺瞞です。(奨学金制度を充実すればその弊害は減らせますが・・・)

渡部氏には、「貧乏人の子弟」については何の関心もなかったのかも知れません。

>ところで真司さん。平成不況をもたらしたとされるバブル崩壊はどうして起こったかご存じでしょうか?これについても先の「昭和五年世代」は「愚かな大蔵省の責任だ!」とか言っていました。谷沢永一に至っては大蔵官僚の実名まで出して罵倒していたのを覚えています。私が考えるに、あれは空前絶後の好況に踊らされていた国民が後先考えぬ投資を行い、これまた同じような銀行が融資をしていた事によるものではなかったかと思うのですが…。真司さんはどうお考えですか?

これについては、下記のエントリーを参照してください。

「小沢一郎は、元祖媚米派。小泉純一郎は第二期媚米派。」
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/e/cfae6e2fa55379f912ddd6e54a402ef0

当時の自民党政府は、アメリカからの要求に応えて、日本に対してまるで、集中豪雨のように内需拡大のための資金を投下し続けていました。

政府の極度の金融緩和策により、日本国内に金が有り余っていたからこそ、土地・建物・有価証券の高騰といった資産バブルが生じたのです。

つまり、政府が起こしたバブルです。「愚かな大蔵省の責任」でも、「愚かな国民の責任」でもなく「アメリカに迎合した自民党政府の責任」と考えます。

谷沢永一のような保守言論人の多くは、「自民党政府」を責めるべき時に「官僚」をスケープゴートにする傾向が強いですが、「官僚」に対して指揮命令の権限を持っているのは「政府」です。

もし、大蔵官僚が政府に相談もなしに「総量規制」というようなことを独断で行っていたなら、大蔵官僚にも責任があるでしょうが、その場合でも、監督不行き届きで、政府の責任は免れません。
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