HBSやサンデルの授業に見るように、聖句主義的教育手法はハーバードで
先駆的になされる傾向があるようです。
そしてそのことは、この大学がもつ濃厚な聖句主義土壌と関係があるように見られます。
この大学はバイブリシズムの神学校に始まっているのです。
組合派(会衆派)だったという説もありますが、表面上のことで実質は聖句主義の学校です。
歴史の部で見たように、大学が立地するボストンはピューリタン(清教徒)が強力に支配していました。
清教徒は教理主義者です。
ハーバードは教理主義の沼の中に咲いた聖句主義の蓮の花でした。
四面を対立思想に取り囲まれていると異質な思想は激しく燃え、純化するものでしょうか。
この学校で培われたバイブリシズム土壌は、米国の学校の中でも独特な濃度を持っています。
一つのエピソードがあります。
清教徒が支配するこの地の植民地政府は、子供を産んだらすぐに洗礼をほどこす幼児洗礼を
親に求めていました。
ところがこの学校の初代学長ヘンリー・ダンスター(Henry Dunster, 1580-1646)は
バイブリシストでした。英国国教会の清教徒僧侶から改宗した筋金入りの聖句主義者だった。
彼は生まれた子供の幼児洗礼を拒否しました。
ボストンの議会(司法権も持っていた)は彼を裁判にかけ、有罪宣告を下しました。
彼は訓告処分となってケンブリッジの地(大学がある)から追放されています。
それでも姿勢を変えない彼に議会がさらに追い打ちをかけようとしたときに、
ダンスターは世を去ったといいいます。
初代学長がバイブリシストであるのに、その神学校が組合派であるわけがありません。
おそらくその土壌が今でも聖句主義的な教育手法をすぐれて生むのでしょう。
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