鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

9.<マッカーサーの「民主主義資質政策」>

2013年08月24日 | 聖書と政治経済学



民主主義制度(民主制)は、人民を自由におくには最適な制度である。
ありがたいが、同時にそれは厄介な制度でもある。
それは人民のすべてに、一定の、君子資質を具備することを求める。



<孔子の政治システム思想>

孔子は、人間を君子と小人に分類した。
君子は全人民の幸福を常におもんばかり、それを実現する資質を持つ人物である。

彼は君子のもつべき精神的資質を、
「仁、徳、義、礼、智、信」の徳目で示した。

他方、小人は、全人民への関心は持たない。
自分と一族の幸せに関心を限定し、生きる庶民である。

この君子が小人を愛し、小人は君子を信じ、愛していくのが
国家社会の理想だと孔子は考えた。

+++

君子は、結果責任を明確に取る姿勢で統治を担当する。

対して小人は、たまたま政治に関与することになっても、
責任を取らなくていいように振る舞いつつ関与する。
それでもって、美味しい汁はいただく、という小狡い行動様式を取る。

小人はこうであるからして、政治からは遠ざけ、
君子のみで統治を行うというのが孔子の理想であった。




<等身大を超えたイメージ形成力>

だが、マッカーサーが日本に導入しようとしたのは孔子とは別の政治システムであった。
これは民主主義制度と呼ばれる。
これは孔子の言葉を使えば、「全員が一定の君子資質を持たないと機能しない」
社会システムである。

前述のように、マッカーサーは、当面、日本人に武力を持たせないことにしたのは、
人民にこの能力があまりに幼稚だったからである。

彼は13歳の子供に爆薬をもたせる危険を回避した。
憲法9条はその具現化であった。

+++

だが、マッカーサーは、そのまま日本人を政治的子供にとどめおこうとはしなかった。
他方で、日本人の統治能力を育成する政策も実行したのである。
アメリカ人はお人好しでもあった。

彼は、政治資質の必須条件に、「等身大世界を超えた世界のイメージ形成力」
があることを、洞察していた。
そして、そのためには日本人の理念的に単純にして、情感主導で生きる姿勢は障害になるとみた。

実際、戦前以来日本人は、浪花節や浄瑠璃などにみられるような、
人間個々人間での情的な絡みに、最大の快感を得て暮らしていた。
こういうものに全精神エネルギーを使いはたすような人生では、
政治能力は生まれないとみた。

キリスト教的人生観、人間関係觀を持たせねばならない。これが彼の洞察であった。

彼は、軍人的直截さを発揮して、母国に、キリスト教宣教師を1500人派遣してくれ
と要請した。(『マッカーサー大戦回顧録』中公文庫)
実際には、占領期間中の昭和26年までに、総計2500人の宣教師が来日したという。
(、袖井林二郎『マッカーサーの二千日』中公文庫)

米国では各キリスト教派は政府の要請とは別に、自ら自発的に宣教師を送るからである。



だが、この政策は実を結ばなかった。なぜか?
日本人は、聖書の思想を素直には受け止めなかったからである。

そんなことからは、あまりに遠い精神状態にあったのだ。
その事情を次回に記そう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする