鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.199『イエスによって創主の栄誉が現れる』(13章31~2節)

2007年06月07日 | ヨハネ伝解読

グローリー(栄光)の根本は、いのちエネルギーであり、力である。
前回示したこの見解から、先ほどのイエスの言葉を理解してみましょう。
聖句は前回と同じです。


                                        

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=

「彼(ユダ)が出て行くと、イエスは言われた『今、人の子が栄光を受けたよ。また創主が人の子によって栄光を受けられた。
創主が彼(人の子:イエス)によって栄光を受けられたのであれば、創造主もご自身によって人の子に栄光を与えられる。
しかも創主はただちに栄光を与えられるんだ』」(31~32節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                    

このうちまず、
 「『今、人の子が栄光を受けます。そして創主が彼によって栄光を受けます。」(31節)

~~という部分から。


~~結論的に言って、これは次のように訳した方が意味が通るように鹿嶋は思います。

 「今人の子が力(グローリー)を受けます。そして創主が彼(イエス)によって
栄誉を受けます」(31節)



                    

~~そのうちの前半の「今、人の子が栄光を受けます」は、

 「栄光」を「力」に置き換えた方が適切な訳文になると思われます。
ここは、今イエスが従来に増して大きなパワーを受ける、ということを指していると鹿嶋は解するからです。

 これからイエスは、ものすごい拷問を受け、その苦しみに耐え通して、自分がこの世に来た責務をやりとげます。
以前に行った様々な癒しにもパワーが必要だったのですが、
今回の仕事は、それを遙かに超えた力を必要とするのです。



                    

~~後半の「そして創主が人の子によって栄光を受けます」は、
「栄誉を受けます」と解します。訳文もそうした方がいいのではないかな。

 イエスはパワーを受けて、創主に与えられた責務を従順になしとげます。
それは「創造主はその命令で、イエスをそれほどまでに従わせられるお方」ということを
イエスによって明示されたことになります。
これすなわち「イエスによって創造主は栄誉を受けている」ことにつながるでしょう。
そこでここでの「グローリー」は「栄誉」が適している、と考えられるのです。


                    

<癒しと創主の栄誉>

 上記の箇所はイエスが行った癒しと、創主から与えられるパワー、及び創主の栄誉
との関係を考えると、
もう少し理解しやすくなるかも知れません。

 聖書の論理では「癒し」というのは、いのちエネルギーを集中的に浴びせたら実現することになります。

 創造主からは、いのちエネルギー(力)があまねく放射されています。
しかし、それは春の陽光のように、そのままでは、穏やかな暖かさでもってモノを暖めるだけです。
しかし、凸レンズでそれを一点に集めたらどうなるでしょうか。新聞紙をも燃やすほどの熱になるでしょう。

 イエスの癒しはこういうメカニズムで実現していると考えられます。
なぜならイエスの意識(=霊)波動は、創主のそれと同じになっています。
「人の子」イエスは、地上ではそう努めています。

 すると、いのちエネルギーは、まるでレンズに集められるかのように、
その意識を発している霊に呼び込まれ、集約され、凝集されます。
イエスはそれを特定の対象に照射します。
こうして癒しが生じる~~という図式です。


                    


 創造主から発せられているいのちが凝集され、照射されたら、
病んだ細胞などたちどころに溶解し発散・昇華していきます。
同時にまたそこに新しい細胞が創造される。これが病むものが回復する道理です。

 その際、そのいのちエネルギーの源は創造主です。
それがイエスの癒しの業によって現わされる。
こうして、創主の栄誉がイエスによってこの世に現わされたわけです。

 「創主が彼(イエス)によって栄誉を受けます」(31節)

 ~~というのは、そのように理解できそうです。



                    


<ヒーラーエバンジャリストの癒しは?>   

 この機に、ヒーラー伝道師のケースにも触れておきましょう。

 ヒーラーは人間です。
けれども人間の意識(霊)であっても、創主の意識に近くなれば、
自らの内にいのちエネルギーを凝集させ、病人に対して照射して癒しをもたらしうる道理になります。

 創主と同じ意識というのは、イエスと同じ意識と言うことです。
そうなるにはどうしたらいいか。
イエスの言葉が内に留まるようにしたらいい。
それが留まり、動き出し、自分の意識を動かすようになればいい。
そういう論理になりますね。

 イエスの「わたしの言葉があなた方の内に留まるならば、父に求めるものは聞き届けられる」という言葉が、
しばらくすると後の章に出て参ります。この約束は、今述べた論理に対応しています。


                    


 これがヒーラー伝道者の癒しの仕組み、癒しの論理です。
戦後米国でオーラルロバーツやキャサリンクールマンやベニーヒンに現れてきた癒しのわざは、それによる。
彼らの意識が創主のそれにとても近くなっているからだ、と考えられるのです。

 そして、鹿嶋春平太にそれが現れていないのは、まだ、そこまで意識が近づいていないから、ということになる。
読者の皆さんの大半も同じでしょう。

 でもこれでがっかりしないようにしましょう。
「まだ」そこまで行っていないので現れないだけ、ということ。
みんな、癒しを現す可能性は持っていると考えましょう。


~~ともあれ、イエスやヒーラーエバンジャリストたちが行う癒しは、
父なる創造主から発するパワー(いのちエネルギー)によってなされるわけです。
それすなわち、創主(の力)が現れたのであり、
こうして「癒し現象のなかに、創主の栄誉が顔を出して現れている」ことになる。

「創主が人の子(イエス)によって栄誉を受けられる」(31節)という聖句の訳は、
そういうアイデアで鹿嶋がつくったものです。

                    


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする