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鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

創造神理念は意識を活性化する

2017年12月04日 | 政治見識のための政治学





今回は、創造神という理念を心に受容すると、人の意識は突然活性化を始める、ということを示します。





<自分はなぜ存在するか?>


人間は自分がどうして存在しているか、の答えを渇望して生きています。

難しくいうと自分のアイデンティティを知りたい、となりますがまあ、そんなことは今はどうでもいい。
その答えを得るには、自分を存在せしめた方、のイメージが必要です。

人が生まれて成長した自然な状態では、その答えは自分の先祖です。
ご先祖様が私を産んでくれたので、いま私は存在する~というわけです。

+++

NHKTVに「ファミリーヒストリー」でしたか、そういう題名の番組があります。
有名人の先祖をテレビ局の調査力を駆使して調べ、その物語を示してあげるというのがその内容です。

それまで知らなかった先祖のことを示されると、有名人は涙を流します。

自分の出自(しゅつじ)情報が「以前よりも」増大し、その分、明確化したからです。
出自とは「出どころ」をいいます。


+++

でも、先祖というのは究極の出自イメージにはなりません。

その先祖が「どうして生じたか」の疑問が残っていくからです。
これはやってもやっても残っていく。

先祖を無限にたどることはできないからです。
先祖という存在自体が、有限なものだからです。





<被造物には「初め」がある>

では、そうした疑問を残さない究極の出自イメージはあるのか?

聖書の持つ「万物の創造神」という理念がそれです。


聖書での創造神は、「父なる創造神と御子と聖霊」を言っています。
そういう三者が一体となった神でして、聖書神学ではこれを三位一体といっています。

わかりにくいところはありますが、とにかくこの創造神が「万物を」創造したと聖書は示しています。

創造されたものは被造物です。
そして被造物にはすべて存在の初めがあります。

創造されたその時点が「初め」です。




<創造神に「初め」はない>


他方、創造神には存在の「初め」はありません。

もし存在に初めがあるならば、それ以前のものは「オレが創った」といえないはずだ。
だったら、「万物の」創造神とはなりません。

(未来についても、同様なことがいえます。ある時点で存在が終わったら、創造神はその先に現れうるものは「オレが創った」といえないはずだからです。つまり創造神は「時間的無限者」なんですね)





<創造神だけが存在した期間がある>


さて、初めがないならば、その方は、「永遠の過去」無限の過去から存在していたはずとなります。

すると、万物が創造される前には、創造神だけがいたはずだ~となります。

つまり、創造神だけがいて、他の何者も存在しない時代が、まず、無限の過去から続いていたことになる。

この「創造神」には、「その前は?」という疑問は生じません。
だって、無限の過去から存在し続けてきているのですからね。
この方については「その前」というのはなくても筋が通るんですね。

+++

そしてあるとき被造物が創造された。

そしてこの被造物の中にわれわれ人間もいる、ということになります。




<話を戻すと>
 

話を戻しますと、その人間は、生まれて成長した自然なままでは、自らが究極にはどこから出たのかわからないでいます。

何かわからないけれど「まあとにかく存在している」と漠然と感じるなかで暮らしています。

つまり、出自イメージがはっきりしないなかで生きている。

そうしたなかで人の心は、上記したように自分の出自イメージの明確化を渇望しているわけです。




<創造神理念の導入>

そこに万物の創造神という理念が入るとどうなるか。

今述べたように、この神理念は、もうそれ以前のものはないという、存在者の理念です。

さらに、「創造」神ですから「人間も創造した」神となります。

けれどもこの「創造した」というのが、従来具体的、物理的にイメージできなかった。

「先祖が私を産んだ」というように具体的な概念にはならなかった。





<量子物理学の恩恵>

けれども、量子力学の出現で物理的なイメージが可能になりました。

量子物理学は、存在の根源が波動であることを明かしています。

そのことが、創造神がバイブレーション(波動)の発生源らしい、という聖句解読を可能にしてくれます。

創造神から放射される波動は、凝集するとその部分は粒子になるでしょう。
(その粒子は、凝集しなかった部分の波動を、引き連れています。土星の環のようにイメージしていいでしょう)

その粒子が、従来物理学でいわれてきた物質の構成要素になっている。

こうなると、人間の霊もその超微小な粒子でできているとイメージすることができてきます。

もちろん、肉体も微粒子でできています。

+++

すると、人間も創造神の放射する波動によって「創り出されている」「産み出されている」とイメージできる。

短くいえば、創造神が親や先祖が人間を産むのと同じように、人間を生んでいることになるんですね。





<究極の「出自イメージ」>



こうなると、創造神はわれわれの存在の源となります。

この源は、先祖と違って、究極にして不動です。

そしてそれを我々の出自イメージの親(源)と認識すると、人の意識は安定し、はっきりしてきます。

それはこのイメージを100%事実だと信じない状態でも、有効に働きます。
イメージとしてもっているだけで、一定の働きをしてくれるのです。

出自意識に究極にして不動な根拠を与えてくれるからでしょう。




<堀越師による教会成長の構造>


前回に述べた、堀越牧師の教会成長の鍵もここにあったと思われます。

堀越師は、量子物理学の知識ではなく、人間の身体を素材にされました。

普段当たり前に思っている身体の仕組みが驚異的な知恵で造られていることを入念に示しました。
それを通して創造主のイメージを、詳細、明確に示された。

幼稚園児のお母さんたちに丁寧に説明された。

そうしたら、お母さん方の意識は突然ハッキリした、シャンとしたのです。

「統一感、一体感、まとまり感」が突然増した。

心身ともにわたっての「まとまり感覚」です。

この自己統一感を持つことは、爽快で気持ちいいものです。

+++

堀越師は、その上に、バイブルの存在観知識を積み重ねるのを助けていかれました。

一つ一つ、丁寧に積み重ねていった。

するとお母さんたちの人生が「何故か楽しくなった・・・」。

~それを見て、また噂を聞いて、ほかの人々もやってきた。

これが堀越師による二つの教会(四日市長老派教会と創愛キリスト教会)成長の鍵だったのですね。






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創造主を超入念に説明したDVDと堀越牧師

2017年11月26日 | 政治見識のための政治学




今回は、今年8月に老衰のため91才で逝去された堀越暢治牧師のお仕事について書いてみます

堀越牧師に初めてお会いしたのは拙著『神とゴッドはどう違うか』新潮選書、が発売された年だから、1997年でした。
ついこの間のような気がしますが、もう20年前になるんですね。

突然電話をいただきました。
「私は四日市で牧師をしている。本を読んだ」
「私もゴッドを神としていたのでは日本人は聖書もキリスト教もいつまでたっても認識できないままだ、と痛感してきた」
「お会いしたい。おうちに伺いたい」




<長老派の小教会を成長させる>

結局どういう理由だったか、私の方から教会に伺うことになりました。
初対面でした。

四日市にある長老派の教会で、日本では明らかに大きな部類に入る教会でした。
教会員は250人くらいかそれ以上だったと記憶しています。

+++

教会は高台にありました。
そのベランダから、教会が経営する幼稚園が見下ろせました。
庭で子どもたちが遊んでいました。

「こんな田舎でこれだけ大きなキリスト教会は珍しいですね」
と述べた私に、堀越牧師は~
「それにはこの幼稚園が鍵になっていますよ」と応えられました。




<鍵は幼稚園開設に>


堀越師は、日本基督神学校を1962年に卒業し、そのまま日本長老教会四日市教会牧師に就任されたとのことです。
教会員20名程の小さな教会だった、と言っておられた記憶があります。

堀越師は、そこに附属幼稚園を創られました。
入園してきた子どもに、聖書の神様である創造主をしっかり教えた。
人間はその愛の元に大切に造られている、と教えた。
そのうえで聖書の世界観、道徳観をわかりやすく教えられたそうです。

すると子どもが凄くいい子になった。
母親が子どもの変化に驚き、その教育に関心を持って、尋ねてきました。

そこで、母親にも創造主の理念を入念に教え、それを基盤にして聖書の思想を説明しました。
そうしたら、お母さんたちが、聖書の教えを期待して学び、受け入れ、教会に来るようになったそうです。

噂が広まって幼稚園児も増え、お母さんや同行するご主人の数も増えて、教会が今日に至っている、と説明されました。





<定年退官後のビジョン>

堀越師は、近い将来長老派教会から定年退官されることになっていました。

「これだけ大きくした教会を、定年で去られるのですか?」とたずねた私に~、
「この教会はそっくりそのまま長老派本部にお返しします」
「また新しく教会を開拓します。もう名前も決まっています」
~と応えられました。


「創愛キリスト教会」がそれだという。
「創造主を愛する人々が群れる教会」と鹿嶋は想像しました。
堀越師は創造主を明確に認識することを一貫して教会成長の基盤と考えておられました。
(1999年から、単立創愛キリスト教会牧師となられている)



<創造主訳聖書>

その観点から、堀越師は「ゴッドを創造主と訳した聖書」の制作をも志しておられました。

「いまは教会員に邦訳聖書の「神」を「創造主」と読み換えさせていますが、いちいち労力がかかります。きちんと創造主と訳した聖書を作ろうと思う」と言っておられました。

その目標は、2013年に実現されました。
他の牧師にも呼びかけ、『創造主訳聖書』(ロゴス出版社)を刊行されたのです。
聖書キリスト教会牧師の尾山令仁氏による現代訳聖書を底本にしての、堀越氏宿願の達成でした。

現在、アマゾンからも販売されています。

https://www.amazon.co.jp/%E5%89%B5%E9%80%A0%E4%B8%BB%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8%E2%80%95%E6%97%A7%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8-%E5%B0%BE%E5%B1%B1-%E4%BB%A4%E4%BB%81/dp/4907252005/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1511579385&sr=8-1&keywords=%E5%89%B5%E9%80%A0%E4%B8%BB%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8




<DVD「いのちありがとう」>

堀越師のもう一つの仕事は、人間の身体が創造主の驚異的な知恵と設計で創られている様を、詳細入念に示す動画を遺すことでした。

そしてその志をDVD「いのちありがとう」シリーズ、全6巻として実現されました。
それは現在、HP「ノアの箱舟記念館 設立準備会」でネット販売されています。

http://inochi39.cart.fc2.com/ca2/31/p-r-s/

鹿嶋としましては、堀越師の最大遺産は、上記聖書よりも、むしろこのDVDシリーズだと考えています。

これだけ入念に被造物の中に創造主の知恵と設計を示したAV資料は、ないでしょう。

これは、あらゆる教会で使える教会活性化資財です。

創造主をきちんと認識させることの効果は、絶大です。
堀越師はそれを長老派四日市教会と、創愛キリスト教会との二つの事例で実証されています。

DVDは2007年4月に完成し、同年5月に発売されたとのことです。

今回は、その十年後の今年、2017年8月に逝去された堀越師のお仕事と遺産の紹介までと致します。







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=山本周五郎、没後五十周年連続ドラマ「赤ひげ」=

2017年11月20日 | 政治見識のための政治学




山本周五郎、没後五十周年だそうです。
NHKBSプレミアムで「赤ひげ」(毎週金曜、午後8:00~8:45)8回連続番組をやっています。

周五郎の人間哲学「人間がひたむきにした事はみな善だ」が、久方ぶりに私の心によみがえってきました。

この作家は、「たとえ殺人であっても、飢えた我が子に食べさせるのにそれしか出来ない人間が行った行為なら」それは善だ、と考えます。

「貧困と病気と絶望に沈んでいる人たちのために、幸いと安息が恵まれますように」

~周五郎のことばです。

彼は小説の中で、貧しく無知になるしかなかった人間に、限りない慈しみの念を注ぎます。

そうした目で特に、江戸時代の庶民の、いとおしいほどの「ひたむきな姿」を描きました。

昭和40年代の日本人の多くが、彼の「人間愛」に心を温められました。

鹿嶋も二十代のとき、特にそうでした。
周五郎の突然の逝去に衝撃を受け、喪失感を埋めるようにして追悼書のようなものを、買いもとめたりしました。


『人間・山本周五郎』木村久邇典、
『山本周五郎~宿命と人間の絆』山田宗睦、
『わが山本周五郎』土岐雄三、
『山本周五郎~人間愛のうた~』川端康成編

・・・などが、今も書棚に残っていました。
久しぶりに取り出し、懐かしく読み返してみました。




<昭和年代最大の作家>

周五郎ってどうしてこんなに物語作りが巧みなのか、と当時思いました。
いまあらためてドラマを見てもおなじ驚きを感じます。

「昭和年代最大の作家」という評も、昭和がまだいつ終わるかわからない頃から、彼に対して有りました。

いま、平成になって30年近くが過ぎています。
あのときの評は間違いなかったと鹿嶋は思っています。

ちなみに彼は、まるで聖書の論理を知っているかの如くに「世の栄誉」を生涯拒否し続けました。
今も直木賞を断った只一人の作家ですし、その後の毎日出版文化賞、文藝春秋読者賞などみな辞退しています。




<西欧では共感は得られない?>

周五郎の物語の精神世界は、人間が共感と同情と慈しみの感性を全開させて生きる世界です。
だからこそ、江戸の庶民の心情をあれほどまでに深く繊細に想像し描けたのだと思います。

だが彼の作品が西欧社会に翻訳本で紹介されたという情報は、鹿嶋の知る限りではありません。

西欧で出版されても、読者からの共感はほとんど得られないからだろうと思います。

周五郎ワールドは、創造神理念はかけらも持たない人間たちの物語世界です。
だからこそ、あれだけ庶民が喜び、悲しみ、愛し、誤解し、憎しみあう世界を、あれほどに深く繊細に描き慈しめるのです。

手放しで慈しみの心に浸りきれるのです。

日本というのは、まことに不思議な文化圏だと思います。




<熟成した創造神理念を植え込めるか>

ここに不用意に、創造神の視野を介入させたらどうなるか。

物語に余計な不純物が入るだけに終わるでしょう。

+++

だが、もしも創造神理念を十分熟成させて介入させたらどうか。

それが成れば、周五郎の「慈しみの心」を損なうこと無く、知的な自立心を読者の心情に植え込むでしょう。

創造神への視野と、人間への愛と慈しみは基本的には併存できるのです。

イエスの命令~
「まず創造神を心から愛し、次に隣人(人間)を愛しなさい」
~は、それを示唆しています。


でも具体的にそんなことが出来るのでしょうか?

それを実践したのではないかと思える牧師さんが三重県四日市市におられました。

その方は「創愛キリスト教会」を創立され、今年亡くなられたた堀越暢治牧師です。

鹿嶋は、機会を得て師の仕事を考察してみたいと思っています。








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=「やってみなわからしまへんで」の難しさ=

2017年11月18日 | 政治見識のための政治学




前回、鹿嶋は「やってみればわかります」と一度ならず申しました。
実際、聖句を手がかりにして想像の世界を巡るという知的精神的作業がもたらす効果は、
「やってみて体験」しないことには悟りがたいところが多いです。

だた実のところ、これは日本人の読者には、とてもとても実行しがたいことです。




<もう「見えない世界の話」は絶対信じない!>

戦後日本文化は、第二次大戦での敗戦によって開始されました。
それは「見えない世界」を信じたことへの大反省によって始まりました。

+++

~曰く、我々は「天皇は現人神であり、そのために死ねば霊魂は靖国神社に祀られる」と小学校から教育されて、信じ込まされてしまった。
そのため「神風が吹いて鬼畜英米をやっつける」と思って特攻隊員となって多くの若者が死んでいった。

だが、沖縄を米国艦隊が包囲しても、神風は吹かなかった。

目が覚めてみたら、あれは犬死にだったとわかった。
あれは真っ赤な嘘だったのだ。

もう宗教は金輪際信じないぞ。
見えない世界のことは絶対に信じないぞ。




~この単純な信念を敗戦後の大人は心に固めました。
そしてその哲学をベースに、戦後日本の精神文化は積み上がっていきました。

~鹿嶋は戦後当時、4~5歳の幼児でしたが、その空気をなぜかリアルに感受していました。

お兄さんたちは宗教を毛嫌いしていました。
彼らは「ああ、さっき坊主(お坊さん)を見てしまった。今日は一日縁起が悪い」と日常的に口にしていました。
われわれ子供たちもそれを真似しました。


今の若い人には信じがたいかも知れませんが、これ本当ですよ。

今はそれほどダイナミックではありませんが、基調は変わっていない。
今も日本は戦後文化の中にあります。




<強い嫌悪は「恐怖」につながる>

宗教を毛嫌いする心理は、「見えない世界」を想像することへの恐怖感につながっています。
戦後の大人たちは、見えない世界の話を聞かされると、とたんに、フリーズし固まってしまいました。
私たち幼児もその空気に中で、同じ心理習慣を身につけていきました。

鹿嶋も例外ではなかった。
そしてその気質は、成人になっても続きました。
「見えない世界」の話を聞くと、反射的に恐怖しました。




<戦中派に顕著>

この習性は、いわゆる「戦中派(戦時中に青少年だった世代)」にはとりわけ顕著でした。
現在はその世代は90歳近くになって、多くは逝去しています。
だが、その後の世代にもこの習性は濃厚に残存しています。

これはよほど意識して論理的に対決しないことには、消えることがない。
現在の鹿嶋は例外的日本人なのです。

+++

だから、「やってみればわかります」の言葉は、当面空転し続けます。
けれども、それでも正論は言い続けるべきと、鹿嶋は思っています。




経験的現実に標準を合わせてしまえば、本は売れやすくなる。
だがそれでは、『バプテスト自由吟味者』の制作主旨が貫徹しなくなってしまいます。

~今は売れなくても、これから一人、二人と「読んでみようか」と思う人が出てくるだろう。
そのとき、本が入手できるように、訳者の費用で在庫を保持しよう。

~そういう姿勢でやり続けます。

みなさま、恐怖感が希薄になったら、「やってみて」ください。
それまで鹿嶋は、「やってみなはれ、やってみなわからしまへんで」という
鳥井信治郞(サントリー創業者)の言葉を復唱し続けましょう。





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聖句吟味が精神を活性化する仕組み

2017年11月16日 | 政治見識のための政治学





先回、読者の『バプテスト自由吟味者』の要約について考えました。
読者の考えるそれと、訳者の考えるものとが違っている~その理由を考えました。

自然発生的にできあがっていく統治(政治)体制が、社会成員個々人の精神の自由に最大価値を置くことは起きえない。
~そのことへの知識の欠如が理由だ、と申しました。




そういう統治体制の中にいながら、個人の精神自由に最大価値を置く国家ができていったのは奇跡だとも言った。
その奇跡を成し遂げたのは、聖句自由吟味者たちだと、あらためて指摘しました。

今回は、そうした奇跡を起こす知的・精神的活力の由来を考えましょう。
聖句自由吟味活動をすると、どうしてそれが生じるか~その仕組みと構造です。





自由国家建設の奇跡のためには、信じがたいほどの知力が必要でした。
その上に、驚異的な忍耐と努力と、聖句自由吟味活動が迫害を受けずにできる社会実現という理想~このために命をかける勇気が必要でした。

実際それには、1500年以上にわたる流血の犠牲が伴いました。

そうした信じがたい精神活力を聖句自由吟味活動は、どうして育成したか。

その構造を考えるのです。





<見えない世界の事柄>

理由の第一は、聖書が広大にして深遠なイメージ世界を提供したことでした。

聖書が示す世界は、無限大の空間と時間を持った「見えない世界」です。

この世界のことがらに関する思索では、見える世界の思索に比べて、イメージ(想像)する作業が飛躍的に多くなります。

これがいかに強烈に、人間の想像力を訓練し、育成することか。




<想像と論理能力>

想像とは「見えないもの」を「見るように思う」ことです。

「見えない世界」への想像を進める際、人はその世界イメージを詳細化していきます。

そのためには人は推論をします。

これには人は、持って生まれて与えられている論理能力を用います。

そのギフト(たまもの)を無限大の世界に対して適用することが、いかに論理力を強大に鍛えることか。
やってみればわかります。




<『ダニエル書』と『黙示録』の解説書>

ニュートンは、物質の中に「万有引力」があることを発見したことで有名です。
彼は、その思索に入る前に、聖書のなかの『ダニエル書』と『黙示録』の解読書を書いたと言われています。

この二つの書物には、聖書の中でもとりわけ奇想天外というか、夢のごとき幻の世界が記録されています。
こういう幻の解読には、とりわけ大きな想像努力が必要になります。

ニュートンは、その世界への解読・思索を、物理世界を考える前に試みていました。
この作業は、彼の発見に大きく貢献したでしょう。

それ故に、すべての物質に存在する「他者を引きつける力」引力という「見えない存在」を彼は発見できたとみられるのです。

のみならず、その力の大きさは、物質自らの質量に比例し、引きつけようとする他者との距離の二乗に反比例するという量的関係すらもニュートンは発見できました。

われわれはいまでも、建築や宇宙旅行などの領域で、その恩恵を受け続けています。




<神学を「セオロジー」というのは>

ちなみに、聖句に示された事物の間に存在する論理体系を追求する作業を「神学」と言います。
この英語がtheology(その直接の意味は「理論学」)であることも意味深いです。

学問はみな理論作りをします。
だが、神学ではセオリー(理論)作りが思考の大半を占めるのです。
その特徴を捉えて~そういう精神活動が大半を占めるという~聖書の中の論理体系を探る学問に、「セオリー作りの学問」という名がつけられたのでしょう。




<推論の手がかり>

聖書が提供する認識世界の広大さについて、もう少し考えましょう。

見えない世界を推論するとき、人は論理だけでなく、様々な手がかりをも用います。
その際、人がまず用いる「手がかり」は、見える世界の経験知識でしょう。
つまり人はまず、見える世界で得た経験知識を、見えない世界に投影して考えるのです。

人間が「見える世界」でおこなう認識活動ではその範囲がしれています。
だから、この手がかりはすぐに種が尽きてしまいます。

その結果、想像作業は貧困なものに終わります。




<聖句という手がかり>

ところが、その手がかりに「聖句」を参加させると、事態は急展開します。

聖句には、超霊感者(預言者)が、万物の創造神と自称する存在によって見せられた幻の記録が多く記されています。
預言者はそれを、創造神からのメッセージと「信じて」記録しています。

それを「事実かもしれない」との期待を持って、手がかりとして用いてみる。
すると、果てしなく広大な世界が目の前に開けてきます。

創造神からのメッセージとして与えられる幻は、時間と空間が無限に広がった世界にわたるものです。

それを手がかりにして思索すると、人の「知性」は無限の世界を飛翔します。

その活動が、人の知性を強烈に活性化するのです。
(やってみればわかります)





<しるしと不思議は知的作業に「激しさ」をもたらす>

さらに、聖句という手がかりは、それを受容した人には、しるしと不思議~癒やしなどの奇跡~を出現さすこともあります。

奇跡を体験したり観察したりした場合、その人の聖句への信頼は高まります。
聖句を手がかりに考えようという意欲は強く、激しくなります。

この激しさが集中力を生みます。
すると、従来使われなかった能力、潜在していた能力が表に出て動き出します。

激しさと集中力は、人間の潜在能力を顕在化させるのです。

すると知性は突然、活性化を開始し、それがごく自然に精神の活性化にもつながっていくのです。






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『バプテスト自由吟味者』への的外れな要約

2017年11月10日 | 政治見識のための政治学



わたくしの新刊『バプテスト自由吟味者』は、思いがけない体験を私に与えてくれています。

この本は小さな冊子ながら色んな新情報を読者に与えています。

だが、それを一言で言えばどうなるか。どう要約できるか。

鹿嶋本人としては、こうとらえていました。

 ~「今我々が享受している、信教自由、言論自由などは、実はバプテスト派をはじめとする、聖句自由吟味主義者たちが造ってくれたものなんだよ」

~これでした。


  

すすんで入手して下さった人、義理で買ってくれた人も含め、様々な方から今までになく多くの方が、感想をくださっています。

これも今までに無い体験ですが、予想外のことが他にもあります。

感想・批評には、通常、その人のとらえた「本の主旨」の要約が明に暗に入るものです。

その要約がすべて、筆者の上記の要約から的が外れているのです。

「これは北欧のすぐれた教育システムはバプテストの方式を使って出来ている」ことを
示した本である・・・とかね。




こういう体験は初めてです。鹿嶋は驚きました。
そしてぼんやりと理由を考えている内に、これも衝撃的な原因に突き当たりました。

+++

日本人には、人間社会とその運営についての基本的認識が無い、というのがそれです。
読者は日本人の現状を代表していると思えるのです。

社会の運営とは、政治であり統治です。
それに無知というのは政治的無識ということでもある。

政治見識が薄い、なんてものでない、ゼロなんだな。

+++

「ああ、そうなんだ。だから終戦後日本を統治したマッカーサーは
“日本人は政治的には13才”との感慨を漏らしたのだ」

~いまさらになって、初歩的な合点を鹿嶋はしてしまいました。





<政治の理解には、社会生成の基礎知識が必要>

 ここに現れた日本人の政治的無識、これを鹿嶋は、このブログで知識補填することにしました。

以下やってみます~。

@@@
 
人間は地上で自己増殖をしながら、まず、あちこちの地域で群れて小集団を形成します。
(聖書では「ノアの洪水」の後、ノアの家族から再び増殖を始めたことになっています)

農業を始め、協働し合ってすると効率が急上昇する活動分野がいろいろあるからです。

それゆえ人々は地域的、部族国家のようなものを創っていきます。

+++

人はそこに一定の「秩序がありそれが守られている状態」を望みます。

集団内の人間には、ならず者的なセンスの者もいるのです。

腕力を使って、他者の家族の食料を強奪したり、当たり前のようにして娘を強姦する者もいる。
なぜかこれはどの地域にも、いつの時代にも現れるのです。

だが、大多数の人々はその被害に遭うことを非常に嫌います。
そこで、こういう行為を許さない秩序(法)を造り、それを守らせる社会に生活することを切望します。




<知的武力的有力者に>

その際、社会の成員は、知的、武力的に有力な者に、その秩序を維持し運営してもらうことを望みます。
ならずものを従わせるには、力(武力:マックス・ウェーバーのいう「物的暴力手段」)が必要なのです。

また武力は、隣接する部族国家の侵略行為と戦って防衛する」ためのものでもあります。


+++

こうして、知的・武力的有力者(とその家族)は、その地域の統治者となっていきます。

この地位は通常、その血族によって継承されていきます。

これはどの地域集団にも生じる、自然な現象なのです。




<社会維持動機を共有>


このの際、みんなの最大動機・最大の共有価値は、その秩序を持った社会を「維持」することです。

だから人間社会は自然なままなら、現社会を維持することを最も強く望みます。



   

<王制>

そして、そのために、最も効率的なのは、統治者に広い意味での「王」となってもらうことです。

王は人民の娘を、気に入ったら、王室に召し出す権限を持ちます。
人民の息子を徴兵して戦場に手戦わせる権限を持ちます。

それでも人は王制を求める。
彼に絶対権を与え、社会を統治・運営してもらうのが、最もわかりやすく、効率的なのです。

特に、隣接した地域国家と武力で争う際には、つまり、戦をする際には、これが最も効率的です。

戦争のときには、「命令=服従」のシステムで集団を運営するのが、最も集団に一体性を保ち、迅速な集団行動をするのに有効ですからね。

+++

ですから、自然のままでは、広い意味での「王制」を人類は世界のあちこちでとるようになっていきます。

それは欧州地域だけではない。

お釈迦様はインドの王子様だったと言いますよね。

つまり、インドでも人間は地域毎に王制部族国家を形成していたのです。
彼はその一つの王の後継者の生まれだったのです。

中国でも同じです。
王制という統治形態は、人類に普遍的なのです。

+++

そして繰り返しますが、そこで社会成員が共通していだく第一目標は「現社会の維持」これです。
社会の発展、成長も抱かれる目標の一つです。
だが、それは社会「維持」の上位に立つことはありません。

集団の成員、国民個々人の幸福も望まれますが、その目的が現社会の維持の上位にでることはありません。

+++

この社会集団的欲求がいかに強いかは、明治日本の「大逆事件」というでっちあげ事件をみたらわかります。

あんなに残忍に社会主義者を殺すことまでして、明治国家社会(政府)は現社会の維持に神経を使ったのです。




<聖句自由吟味者のユニークさ>

自然発生した社会、国家では「人民個々人の精神的自由を最大目標とする」ことなど、起きえない。


なのに、聖句自由吟味者は、成員の聖句吟味を自由にする人間集団を初代教会に形成しました。

聖句を自由に吟味するのを許すことは、個々人の「精神の自由」を保証することと重なっています。

彼らは、まず、成員個々人に聖句「解釈の自由」をみとめた。
次に、それを可能にする自由吟味のスモールグループを作りました。
そこにリーダーを選ばせ、彼らの連携によって集団全体(教会)を運転しました。

こういう自由集団が、新約聖書の『使徒行伝』に描かれている初代教会です。

この人間集団(初代教会のスモールグループ)が、教会発足後わずか30年で大ローマ帝国内部に普及する事態となりました。




だが、既成の現社会は、そんな原理の集団が社会に普及することは容認できません。

そして、100年もしたら、自然な(王制)社会の要請、現社会体制の維持を最大目標とする新教会が出現しました。
これがカトリック教会(教団)です。

彼らは、ローマ帝国の国教となり、自然な王制国家の要請を体現して、聖句自由吟味者たちを抑圧しました。
従わねば、見せしめのために広場で火あぶりにして殺しました。
だがこれは自然な動きなのです。

+++

ところが自由吟味者たちは歴史を生き延び、その数を増し英国を大変革しました。
クロムウェルによる「名誉革命」はその一つのクライマックスです。

だが自由吟味者はそれにとどまらず、アメリカ大陸の英国植民地という、空間に個々人の精神的自由を最優先目標に置く国家を作った。

既成の王制国家と海を隔てた植民地に、母国英国からの独立を実現するための独立戦争を仕掛けました。

そして、なんと、戦に勝利し、独立権を得た国家に憲法を作り、法治国家とした。

国家の決定権を人民に分散所有させる民主制度もそのなかに組み入れた。

そのうえでその憲法に政教分離、信教自由の原理を追加修正条項として挿入したのです。

こうして人類社会に初めて、国民個々人の精神の自由を最大価値に置く国家が出現しました。




<人類世界の奇跡>

これは人類史における奇跡なのです。

伝統的王制国家社会が世界を覆う状況の中では、こんなことは、通常起きえないのです。

だが、実現した。
それをバプテストやメノナイトを初めとする「聖句自由吟味者」が実現したのです。

これは奇跡です。

もうこんなことは人類史に起きません。
これを可能にするような条件は、もう人類の歴史にできあがらないです。

+++

だが、出来てみると、この社会では個々の成員は、王制国家におけるよりもはるかに暮らしが快適だった。
聖句自由吟味者に限らず、米国国民はみな「快適だなあ~」と実感した。

すると王制国家社会にいる有力者も、そういう快適さにあずかろうとします。

もちろん、全社会を変えることは出来ません。
その全体は、王制的システムで動いていますから。


だが彼らは、この自由国家の要素を出来るだけ模倣、吸収しようとした。

米国も、先駆者として、他国が自国の政治要素を吸収するのを援助した。

第二次大戦後の時期に、米国は欧州諸国、韓国、台湾、日本などにそういう要素を持った統治体制を実現してくれた。

これが現代世界の、米国と他の先進諸国との関係です。

この米国の恩恵を、戦後日本人はいかに大きく受けていることか。

これを見逃したら、あらゆる政治見解は愚者の戯言となるのです。

+++




『バプテスト自由吟味者』は、なによりもます、この奇跡がどのようにして起きたかを明かしているのです。

自然な歴史状態では成立し得ないなかで、聖句自由吟味者たちが、信教自由、言論自由の国家社会を~流血の努力によって~実現した過程と構造を明かしている。

この歴史事実はこれまで、カトリック教団が主導する既成国家社会権力によって、覆い隠され、隠蔽されてきた。
世界史も彼らの都合で書き留められ、それが常識化している。

われわれは、そういう(偽りに満ちた)世界常識の中で生きている。

+++

本書はその事実を暴露し、正しい世界史を描いています。

日本に、いや、人類世界に必要な本だと思いませんか、自分で言うのもなんですけど。
驚くべき本だと思いませんか?

読者がそのことに驚かないのでしたら、そのこと自体を鹿嶋は驚くでしょう。


(完)
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幻影を断ち切ったら新ビジョン造りへ

2017年11月01日 | 政治見識のための政治学





前回「共産社会のおぼろな幻影」から明確に脱せよ、と鹿嶋は述べました。

朧(おぼろ)なユートピア認識の中で、左翼だとかリベラルだとかの言葉を弄している、~
そういう自分たちを日本の政治家は、早く自覚してこれと決別し脱却せよ!といった。

では、「脱してどうしたらいいの?」~これを今回は追記します。





<幸福社会の新ビジョン造りへ>

脱したら、即座に決然として「新しい幸福社会ビジョン造りに進む」のです。
~これがその答えです。

近代政治を志す者が、人民が幸福に暮らせる社会ビジョンを明確に持つのは当然なことでしょう。

その当然のビジョンが、共産ユートピア幻影の熱気と朧(おぼろ)な残像に影響されて持てなくなっているのでは、これはもう政治家失格ですよ。





<政治見識成長開始の鍵>

繰り返しますが、早くその残像を断ち切って、現実に造りうる幸福社会の次善のビジョン形成に進みなさい。

政治家は、これを青臭い青年のように議論し合うべきです。

互いのビジョンを吟味し合って、国民の前に提示すべきです。

+++

それをマスメディアが報道する。

これを目にすれば、国民の政治見識もやっと成長を開始します。

理想の社会ビジョンを考えることは、政治見識の第一歩なのです。


政治能力の幼稚なタレント候補に自然に投票しなくなるでしょう。

国会議員として知力不全な世襲候補者を国会に送ることも自然にしなくなるでしょう。







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全政治家はマルクス理論の明確な理解を!

2017年10月31日 | 政治見識のための政治学




市場システムを否定し、計画生産をすれば、
人民は恐怖政治のもとで地獄の生活をせねばならなくなります。
前回それを理論的に明かしましたが、人々はその認識に至りませんでした。

マルクスの提示した夢の理想郷(の幻影)に目を奪われ、心を奪われたのです。
「共産社会になれば、人々は能力に応じて働き、必要に応じて取る生活が出来るようになる」
~マルクスはこうたたき込みました。

これは聖書『使徒行伝』にある聖句のパクりですね。
そこにはキリスト教の初代教会の状況を記録した次のような聖句があります~。



・・・・・・・・・・・・・・
「信徒たちは、みないっしょにいて、いっさいのものを共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、
みなに分配していた」(2章44-5節)
・・・・・・・・・・・・・・







人々はあの素晴らしい資本主義社会の分析をする大天才マルクスによるのだから、とその幻影を信じました。
その結果、20世紀半ばには、世界の半分が共産主義国家になりました。
驚くべきマルクスの扇情力です。

日本でも、共産主義国家実現のためにいのちを投げ出した若者が沢山でました。
彼らは、共産党という政党を、戦前に結成しました。

戦時中は特高警察によって逮捕投獄されましたが、敗戦になるとGHQによって解放され、
政治運動を続けた。
それがいまの日本共産党につながっています。




<ソビエト連邦の崩壊>

だが、ロシア革命が、70年が過ぎる1980年代になると、ソビエト国家の経済の生産機能が急低下を始めました。
そこにゴルバチョフが出現して、「みんな反省しよう」とグラスノスチ(情報公開)を認めさせると、
社会主義国家ソ連は自壊していきました。

情報公開の原則のもとでは、従来の共産党独裁支配は成り立たなくなるのです。

ソ連の変革につれて、従来その統制下で存続してきた東欧の社会主義国家も軒並み崩壊しました。
1990年代初頭に東西ドイツを分けていた「ベルリンの壁」が崩壊しました。

すると、世界の半分を占めていた共産主義国家は、中国と北朝鮮を残すのみとなりました。
(キューバは最初から原理的な共産主義国家ではないのでこの中に入らない)

その後中国も、米国に「市場経済化」の指導を受け、土地を除く財産の私有化を実施し、
残るは北朝鮮のみとなりました。




<政治家は常時勉強していないと>

政治に携わる者にとって大切なことは、このような社会実験の結果を知ったら、マルクスのユートピアは幻影であったことを理論的に認識することです。
必要なのは、プリンシプルの認識なのだ。

いまや共産制度では、生産における連携活動が出来なくなっていくことを示す経験事実がある。

この事実を、明確に認識し、その理論的根拠を謙虚に勉強することです。

+++

ところが日本の政治家は、そういう謙虚な勉強をしないのです。
自民・公明も、民進も維新も立憲民主も、基礎から理論を勉強しない。

ただ、時の社会勢力の流れだけをみて、「なんか、社会主義の国は衰退したなあ」と思うだけ。
そして優勢な流れに乗っかろうとするだけ。
マルクスのユートピアは事実に反していることを、明晰に認識すべきです。

認識して、目標とする国家ビジョンをあらためて作り直すことです。




<「欧州で変わったから・・・」ではない!>

日本共産党の政治家も党員もそうですよ。
マルクスのユートピアは幻影であったことを、理論的に自覚していない。

みんな漠然としたもやもやのなかで、ただ、やってるだけ。

欧州諸国で名前が変えられたから、日本でも変えたらどうかと、ついつい思うだけ。
変えるべき理由を論理的に理解していない。

だから、内部でぐずぐずとやってるだけとなっています。



<前原の試み>

ほとんどの政治家がそうした「もやもや」のなかで、共産社会をゴールとしない者だけの政党、新しい保守政党を造ろうと試みたのが、今回衆議院選挙における前原でした。
彼は小池百合子の人気を活かして、保守大政党を造ろうとした。

そして、自民・公明党に対抗するもう一つの保守政党を造り、
日本に二大政党を実現し、
国民に常に政権選択の道を与えようとしました。




<百合子さんの勉強不足>

ところが小池百合子さんはそれを行うには、知識不足、勉強不足でした。
そのあたりの知識は幼稚であり、ブレーン不足なのに、百合子は人気にうぬぼれてしまった。

希望の党を作った彼女は、「選挙が終わらないうちに(ああ~!)」民進党からの
参加希望者から左翼、リベラルの人などを排除することもあり~と言い始めた!
なんと幼稚で愚かなことだったか・・・。

+++

しかし、その下地には、自民・公明も、民進も維新も立憲民主も、共産党でさえもが
マルクスのユートピアが幻影であることを明確に理解するに至っていない~これがある。

その結果、思想的にはほとんどがまだマルクス的・左翼「的」なユートピアのほとぼりをもっている。
議員の大半がそういう漠然とした心理状態にあるのです。

「百合子排除」に引っかからない議員も、マルクスの幻影の熱気を心に残存させている。
これが日本の政治家の現状。

要するに、みんな、勉強不足、知識不足、なままでいるのです。

だれか、この拙文を日本の全政治家、とりわけ野党の政治家に読ませてあげてくれないか。


(完)







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マルクス思想~その扇情力と浸透力~

2017年10月26日 | 政治見識のための政治学




前回鹿嶋は~、
 市場メカニズムを排除した共産社会は、「命令⇒服従」を基本ルールとする強制社会になり、
長期的には労働者の連携活動は減退し、生産力は低下していく、~と述べました。

+++

ところがマルクスは、私有財産を禁止すれば、やって来るのは豊富で平等なユートピア社会だと確言しました。

壮大なる幻影でした。
だが、この幻影は19世紀末の人類の心の琴線を激しく震わせました。
少し理論的に示しましょう。




<アダム・スミスの人間洞察>

「経済学の父」アダムスミスは、名著『国富論』を書く前に、もう一つの名著『道徳感情論』で人間の心理を深く探求しています。
彼は、人間の心には利己心と共感心が同居していると洞察しました。

①利己心とは、自分個人の利益を求める心です。

②共感心とは、他者の心理に共鳴し共感する心です。

 これは他者への哀れみ、同情を生み、さらに広く人間愛にも繋がってきます。

スミスは、こと財貨・サービスに関しては、利己心が人の心では優位に立つ、と洞察しました。
そして、この行動動機を主にしても、交換を自由にしてあげれば~そういう市場社会を保てば~生産力も成長し、同時に財貨分配の平等も実現する、と考えました。

もちろん、現実には、市場は十分に機能しない局面も出来て、不平等な局面も現れます。
スミスは、この局面が過大にならないように、賢くコントロールすれば生産力は成長していくとみていました。

+++

ところがマルクスは、この局面は部分的でなく、大半がそうだだと考えた。
それが市場経済の本質なのだ、ととらえました。

そこでもう、市場システムを否定するしかなくなっていきました。





<人間愛動機の経済システム>

そしてたどり着いたのが、上記②の共鳴心、同情、哀れみ、人間愛の動機を活かす道でした。

この心理局面は、不平等で苦しみを受ける側の人々への同情心を生みます。
他者の貧しさ故の苦しみをみるのは、辛いことです。

だがマルクスは、こちらの②の動機が直接働いて、他者の苦しみをみる辛さのない社会を実現する道を夢見ました。


実際彼は、私有財産を禁じた共産社会に、この夢を託しました。

前回述べたように、これは「賢人政治」に期待をかけるものです。

だがそれは壮大な幻影(イリュージョン)でした。

けれども、これは人心の琴線を激しく揺さぶりました。

人間は元々、愛と思いやりによって平等な理想世界を造りたいと切望する心を持っています。
マルクスはそういう社会が、手を伸ばせば実現できるところにある、と共産社会のビジョンを提供したのです。

そこでこのビジョンを受け入れた人は、夢の共産世界を現実のものとすることを激しく求めました。




<目標が輝くと犠牲をものともしなくなる>

だが、これを実現しようとして働く現実の舞台は私有財産を容認する資本主義社会です。
これを私有財産を禁じる世界にするには、現政府を物的な力で転覆させねばなりません。
それを志向すれば、現体制から過酷な弾圧を受けざるを得ない。

だが彼らは、理想の共産社会実現のためには、命の危険を冒してもいいとさえ思うようになっていきました。

「輝く目標」のもたらす効果です。
人はその目指す目標世界のイメージがあまりに素晴らしく輝くと、そのために自らの命を危険にさらしてもいいと思うようになっていくのです。

同時に人は、他者にもいかなる犠牲を強いてもいいと思っていきます。
そのために多くの人間を殺戮し地獄の苦しみを味わわせるのもやむを得ないと思っていくのです。
こうして暴力革命への情熱は、ごく自然に彼らの心に育ちました。

+++

だが前回に明かしたごとく、賢人政治によるユートピア実現は幻影です。
けれどもそのことを認識するには、人類には壮大な社会実験の体験が必要でした。




<ソビエトロシアの出現と「インターナショナル」>

人類は共産国家(最初はソビエトロシアで1917年に実現)を実現しました。
さらに、ソビエトは他国も共産国家にし、共産主義世界の実現に向けて主導しようとしました。

この壮大な夢の世界を実現する世界革命機関がいわゆる「インターナショナル」でした。

現在これが流れた「熱い時期」を知らない若い人々の比率が高くなってきています。
そこで、そのテーマソングの歌詞を紹介しておきましょう。
(歌そのものは、YouTubeなどで検索すれば、聞かれるのではないかと思われます)

@@@@@@@@@@
「インターナショナルの歌」



立て飢えたるものよ、いまぞ日は近し。
  覚めよわが同胞(はらから)、暁は来ぬ。

暴虐の鎖(くさり)断つ日、旗は血に燃えて。
  海を隔てわれら腕(かいな)結びゆく。

いざ戦わん、いざ、奮い立て、いざ!
  ああ、インターナショナル、我らのもの。

いざ戦わんいざ、奮い立ていざ!
  ああ、インターナショナル、我らのもの。


@@@@@@@@@

力による革命を仕掛ける過程では、資本家への怒りと憎悪、闘争心、正義心などの感情を味わうことが出来ます。
この歌にはそうした心情が盛り込まれています。




<大逆事件と戦後全学連>

マルクス思想は日本にも入りました。
明治時代に早くも社会主義思想は入りました。
政府は、その代表者達を「大逆事件」をでっち上げて処刑しました。

だが、大正デモクラシーの時代にも、戦前昭和時代にも、この思想は人々の心をとらえ、共産党という政党と、多くの党員を生みました。
戦時中には、指導者達は投獄されましたが、敗戦後GHQは彼らを解放しました。
開放されたこれがいまの共産党になっています。

+++

その後、高度成長期にも、日本の若者、学生達の多くは運動家となって、この幻影の実現に身を投げかけました。

東大安田講堂を占拠した学生達が、警視庁機動隊に囲まれ、
ホースで水をかけられて一カ所に追い詰められ、
このインターナショナルを唄いながら逮捕されていきました。

その光景を報じるニュース映像も、ユーチューブで見られると思います。


(続きます)









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衆議院選挙後はマルクス思想学習を

2017年10月24日 | 政治見識のための政治学






衆議院選挙が終わりました。
フェースブックやツイッターでもって、懸命に、政権交代のために健筆を振るわれた方々は、深い無力感に沈まれました。

原因究明の意見も多く登場しています。

そのなかで意見対立が起きて、一寸したケンカのような状態になっている事例も出ています。
どちらもつよい閉塞感にさいなまれて、結果的に内輪げんかのようになるのです。

子どもの受験が失敗に終わって、内輪げんかに陥る夫婦と同じ心理です。




私がフォローしてきた金子さん(男性)に議論参加した広瀬さん(女性)、お二人の間にも、今朝それをみました。
お二人とも知的で誠実な方です。特に金子譲さんは、政権交代のために獅子奮迅の論説を発信してこられました。

これをみて、鹿嶋はいたたまれなくなりました。

これを政治見識を高める方向をたどる機会にするために、政治経済の基礎知識をここに提供する心を決めました。

なぜなら議論の行きづまりといらだちのケンカは、この基礎知識の希薄さが遠因になっていることが多いのです。

金子さん、広瀬さん、晋三君政権の暗雲の中でも、基礎を明確に認識しましょう。

早速始めます。

(なお、この議論には、前の投稿と重なる面があります)




まずはマルクス理論で理解があいまいなところを補填します。

これは、「サヨク」とか「リベラル」を排除するとか「共産党と組める」「組めない」といった現代日本の政治意見と関連しています。

みんな理解が曖昧なために、論者自らの意識が漠然としているのです。

+++

これらの意見はみなマルクス思想の理解をベースにしているものです。

マルクス思想の人間心理への影響は巨大なものがあります。
ベルリンの壁が崩れても、それはいまも人類社会の底辺に力強く潜在しています。

まずは、そのマルクスの社会経済理論の骨子をレビューしましょう。





<マルクスの経済思想>


マルクスは社会経済理論を、資本主義社会の「分析」から開始しました。

資本主義社会は、人民を自由にしておき、市場メカニズムの調整作用でもって生産活動を維持しようというシステムの社会です。

・・・・・・・・・・・・
たとえば、スマホ1台を造るにも、気が遠くなるほどの多くの部品を集めて組み立てます。
部品のどの一つが足りなくても、スマホは出来ません。
その部品もまた、数多くの原料を加工して造られています。
(以下、その連鎖は続きます)

これら材料、原料の供給量を調節するのが自由市場における価格なのです。
業界で不足気味になれば、価格は上昇します。
部品業者は「ならば」と供給量を増やします。

逆に過剰であれば、価格は低下します。
すると部品業者は「ならば」と生産を減らします。
すると、価格は上昇して、適正なところで止まります。
こうやって市場価格が需給量を調整するのです。

(これらには、強欲な人間の人為的価格操作も介入しますが、基本的には上記のごとくです)
・・・・・・・・・・・・・

だがマルクスは、このシステムは必ず行き詰まる,と考えました。
その論理は次のようになっていました~。

・・・・・・・・・・
~資本家は、生産手段を私有している。
彼らは労働者にしかるべき賃金を支払わない。
つまり搾取をしている。

資本家はその搾取分を独り占めし、その一部を自分たちの贅沢な生活に使い、残った分を、生産機械に再投資する。

すると、器械が増えて生産効率が上がり、その分労働者がいらなくなる。
削減された労働者は失業者となる。
すると、それだけ国家の総所得が減少し、商品需要も減る。

そうなればその分、生産も出来なくなり、また、雇用が減少し、需要が減る。

以下、同様のプロセスが進み、資本主義方式では、国家の経済はこういう縮小循環をしていく。
生産手段〔機会や原料)をたくさん持ちながら、それを発揮できない状態になっていく。

いわゆる「豊富の中の貧困」に陥っていく。
・・・・・・・・・・・・・




<根本原因は私有財産制度にあり>

マルクスは、この動きは必然的であるとし、その真因は私有財産制度にあると認識しました。

つまり~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
資本家は、工場、機械を我が物にしているから、搾取が出来る。

そこで私有財産制をなくし、生産手段を公有化すれば、経済の桎梏(しっこく:手かせ足かせ)はとりのぞかれ生産力は全開する。

そうすれば人類は、豊かな理想郷に至ることが出来るだろう。

そのために労働者・民衆が革命によって生産手段を公有化すべきである。
(政府は警察、軍隊という暴力手段を持っているから、革命はこれを覆す暴力革命となる)

そうすればもう宇多田ヒカルの世界だ。
理想社会は「イッツ・オートマチック」に実現されるだろう。
・・・・・・・・・・・・・

~これがマルクスの社会思想であり、歴史観でした。

これは人類社会にぶち込まれた思想のダイナマイトでした。
マルクスは、「共産社会」という平等世界の夢を秘めた強烈極まりない理論を、人類社会に投げ入れたのです。





<革命後経済運営観における盲点>


だが、大天才マルクスも人間です。
やはり盲点があった。
それは革命後の組織運営面でのものでした。

+++

彼は、私有生産手段を公有化すれば、理想社会はオートマチックに実現すると思っていました。

だが「イッツ・オートマチック」は、宇多田ヒカルの歌の世界だけの出来事なのです。
実際には国家社会は暗黒の全体主義に入っていくのです。




これについては別の機会にもう少し詳細に述べるかもしれません。
が、とにかく骨子を言うと実体はこういうことです~。

・・・・・・・
資本家から企業をとりあげ国有化すれば、実際には、国家や地方政府の官僚・役人に、何百という企業を運営させることになります。

そしてこれを運営するのは、並大抵なことではないのです。

+++

革命前に一つの私企業を運営するだけでも、経営者〔資本家)は四苦八苦してきました。
なのにそれらの生産活動を、中央政府で一手に運営しようというのは至難の業なのです。

担当官僚は全国生産計画をつくるでしょう。
だが、これは本質的に大まかでアバウトなものにしかなり得ません。

そして、これに沿ってやろうとすれば、各生産活動にノルマを定めて、人民を命令=服従=懲罰の方式で管理するしかありません。
・・・・・・・・・・・・・・・

~マルクスの社会共産方式では、実際にはそうするしかなくなるのです。





<恐怖で動かすシステム>

もちろん、人間、やってやれないことはない。

けれども、これは恐怖ベースで人を従わせる方式です。

恐怖感で動かされれば、労働者は、時と共に自発性を失っていきます。

企業内でも企業間でも、自己保全のために臨機応変な相互連携行為をしなくなっていきます。

あちこちで原料不足が起き、欠陥生産物が発生します。





<秘密警察、思想警察>

だが中央政府は、いまさら後に引くわけには行きません。
(引いたら反対勢力に処刑されるのです)

そこで人民の不満をいち早く押さえつけるために、企業内に労働者の相互密告制度をつくります。

政治活動もそうです。

人間は不思議なことに、自由の中で精神が躍動し、活性化するように出来ているのです。

だから社会主義以外の思想や政党活動を赦すと、人民がそちらにいってしまいます。
そこで共産党以外の政党は認めないという、一党独裁制度を実施するしかなくなります。

この体制を維持するためには、各地点に思想警察を忍ばせねばなりません。

極端な場合には、家庭内にすらも相互密告制をしかねばならない。

社会主義方式での生産活動を続けようとすれば、ごく自然に、こうなっていくのです。



かといって市場経済方式がベストだなどと鹿嶋はいってはいませんよ。

鹿嶋は、竹中何とかさんが言われているような市場原理主義者ではありませんよ。

ドグマティックな新自由主義者でもない。

安易に極論に飛ばないでくださいよ。浅薄なレッテルを貼らないでくださいよ。




<市場方式にも弱点あり>

市場方式でも「貧富の差が拡大していく」などの現象が起きるのです。
これには賢く対処しなければなりません。

だが実際のところ、市場経済社会に生きてきた人間にとっては、計画経済社会、共産主義経済社会はほとんど地獄となるのです。

+++

繰り返しますが、単細胞的に悪口を言っているのではありませんよ。
マルクス思想の持つこの不気味な「暗」の側面を、人類はきちんと知らねばならないのです。

知れば、それを活かすことも出来ますからね。


だが、人類はその道が見えなかった。

それは、ほとんどひとえに、マルクス思想が平等と博愛の理想社会を求める人間の本能にとって、
あまりに魅力的な要素を含んでいたからです。

次回にはそれを考えましょう。

(続きます)









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YouTubeの「ヨハネ伝解読」動画シリーズ

2013年06月18日 | 政治見識のための政治学

YouTubeに「ヨハネ伝解読」動画シリーズを連載しています。

2013年3月28日に、第16回から第22回までを示しました。
今回、それ以後のものを掲示いたします。

ご視聴下されば幸いです。


23.預言者ヨハネ「神の子羊!」と叫ぶ
 
  https://www.youtube.com/watch?v=DedSBxk0Cx0 


24.創造神の言葉は被造物を引寄せる

  https://www.youtube.com/watch?v=BtZfCRl_VKo  

25.弟子はどう出来ていったか

  https://www.youtube.com/watch?v=1CTAhtne5iQ


26.カペナウムで宣教開始する

  https://www.youtube.com/watch?v=g8fW6-8uza0


27.高僧ニコデモ来訪す

  https://www.youtube.com/watch?v=kopnAH3FGX4


28.サマリアの女

  https://www.youtube.com/watch?v=DZTw3fiY69A





~また、続きをお知らせいたします。




    

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徐々に西へ

2013年04月08日 | 政治見識のための政治学




首都圏にいる人で、西に動ける人は少ないと思います。
だが、動ける人は、徐々に拠点を西に動かすのがいいのではないかと思います。

私は愛知ですが、それでもやばくなってくると思っています。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=475372269201831&set=o.528774260473856&type=1&theater

動けない人は、もう、腹を据えるしかないですね。

人類の歴史は、なんでもあり、なのでしょうか。


コメント (1)
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YouTubeの「ヨハネ伝解読」動画シリーズ

2013年03月28日 | 政治見識のための政治学




YouTubeに「ヨハネ伝解読」動画シリーズを連載しています。

2012年12月19日に、第一回から第15回までを示しました。
今回、それ以後のものを掲示いたします。

ご視聴下されば幸いです。



      


16.ことばが肉体になった!

  https://www.youtube.com/watch?v=l5TyUd_V5pM


17.贖罪の論理が完全化された

  https://www.youtube.com/watch?v=vM38zH2aPSE


18.愛欲とグレースの愛

  https://www.youtube.com/watch?v=KIubCmVolGI


19.真理とは「変わらざるもの」

  
  https://www.youtube.com/watch?v=OhSC9xGcvSE


20.グレースの上にグレースを重ねた

  https://www.youtube.com/watch?v=raBLOTAaiyg



21.ヨハネの抱いた福音の全体像

  https://www.youtube.com/watch?v=IStBrrKuiZY


22.創造神を体現して知らせた

  https://www.youtube.com/watch?v=W7iirOVax40






~また、続きをお知らせします。







 

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Vol.33 「マルクス思想の欠陥と持ち味~運営感覚はゼロ、扇情力は驚異的~」

2013年02月23日 | 政治見識のための政治学




<実験して初めてわかった>

前回述べましたように、マルクスは社会主義を理想郷とし、その実現を夢見ました。
この理想に向かって社会主義国家建設に邁進したリーダー国家の中に、ソ連と中国がありました。
この二国については後述します。

がともかくこのようにして、社会主義思想による経済・国家の建設・運営が初めてなされました。
それは人類史における壮大な社会実験でもありました。

にもかかわらず、結果はマルクスの夢見たようにはなりませんでした。
それどころか、ほとんどの試みは失敗に終わりました。
ソ連は社会主義方式をやめて、自由主義ロシアにもどりました。

中国でも社会主義は、理想とは逆に人民の貧困を生みました。
そして、この国では社会主義方式のままで、経済には市場方式を取り入れていきました。
それによって、初めて物的な繁栄を実現しつつあります。

こうした歴史経験によって、人類の大半は社会主義の夢から覚めるに至っています。




<運営の問題>

マルクスの理想の実現を阻む障害は、組織運営面にありました。
彼は私有生産手段を公有化すれば、効率的な社会はオートマチックに実現すると思っていました。
宇多田ヒカルのヒット曲のように「イッツ・オートマチック」だと思っていた。

ところが国有化をすれば実際には、国家や地方政府の役所の企業運営部門に、
何百という企業をまとめることになります。その状態で企業を運営しようとする。
これは無理な企てでした。

経営というのは大仕事です。
一つの企業を運営するだけでもたいへんです。
自由主義社会の創業者経営者も、自分のつくった会社なのに運営に苦闘しています。
サラリーマン経営者も又、それなりに、苦労しています。

なのにその企業を何百とまとめて経営したら、きめ細かな企業運営は
全く出来なくなります。

政権担当者は仕方がないので、官庁の役人に大まかな生産・販売計画をつくらせます。
これでもってノルマを定めて、人民を命令に従わせようとします。

だが、これでは、企業間の自発的な連携がほとんど働かなくなってしまいます。
企業内でのワーカーの連携作業もなくなります。
現場の中で、調整しあいながらやっていくということが不可能になってしまうのです。

あちこちで原料不足、部品不足が生じます。欠陥部品が増大します。
それに対処する手立てもありません。

革命当初は、革命の活気でもってある程度機能しても、
短期間の内に極度な非効率に陥っていきます。
食料生産の効率が急落していったら、国民に食べ物が十分に行き渡らなくなります。
実際そうなって、社会主義方式の国家は経済面から崩壊に向かいました。

歴史経験は、社会主義経済は70年くらいで行き詰まることを教えています。
20世紀人類史になされた壮大な社会実験は、そのことを経験的に教えてくれたのです。




<驚異的な説得力>

マルクスは、どこを間違ったか。
革命後の組織運営の見通しで間違いました。
彼は人間が組織を運営していく局面を全く見ていなかったのです。

だが、そうした事柄は、経験するまでは、人々はわからなかった。
人類は社会主義の実状を事前に認知することができませんでした。なぜでしょうか?

++

最大原因は、マルクス思想の扇情力にあると、鹿嶋は思います。
この思想は、人間の心情に訴える力が卓越していたのです。

人々はあまりに強烈に感動を与えられるがゆえに、事実を冷静に見通すことが、
出来なかったのです。


この経済理論は、貧しき者への同情と、資本家という少数の金持ちへの怒りに
理論的根拠を与えました。
これによって人々は、富める資本家の、愛に欠けた利己的な行為に対し、
確信ある批判精神を抱くことが出来ました。

それらは資本家への強い憎しみにつながっていきました。
またこの思想は、搾取という不平等な行為を社会からなくそうという正義感をも燃え立たせました。
さらに社会の全員が愛でもって結びあえる理想郷への夢とあこがれをも、人々の心の中で膨らませました。
加えて、そういう社会を実現するために運動する人々に、正しき使命のために自己犠牲するという
陶酔感も与えました。


+++

この思想の概略がとてもわかりやすいことも、扇情力形成に役立ちました。
人々はこの理論によって、資本主義社会の、非常にわかりやすい全体観を得ました。
人類社会の将来についても、わかりやすい全体ビジョンを得ました。

人は世界の全体観を心に得ると、精神に「統一感」を得ることが出来ます。
よく「身の引き締まる思う」といいますが「引き締まった」気分というか、
「まとまり感覚」というか、そういうものを得ました。
この感覚はとても快いものです。

概略がわかりやすいことは、多くの人々がその思想を共有することをも可能にします。
そして他者と思いを共有しあうのもまた、快いことでした。

思想のわかりやすさはまた、人の心に「真理がわかった」という自信を与えます。
マルクス思想は、この面からも人の心に快い統一感を与えました。


~それゆえに、知識人の多くも社会主義革命を夢見たのです。
その結果、一時は地球の半分が社会主義国家になるまでに、事態は展開したのでした。







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Vol.32 「マルクス社会思想の知識は政治見識の常識」

2013年02月15日 | 政治見識のための政治学





近代以降の人間が、適切な政治見識を持つには、マルクス社会思想の知識は大前提です。常識です。
現代の中国を考えるにも、日本の対中国政策を論じるにも、この知識は必須なのです。
1970年代までの日本の若者は、何らかの形でこれを知っていました。

いま、それを知らない若者が急増の一途をたどっています。
これでは日本人の政治見識は低下の一途をたどることが不可避です。

いますでに、これを知らないで政治批判をする日本人が多数出現しています。
この危機を打開すべく、ここに、マルクスの社会思想をまとめておきます。





<マルクス、「社会主義経済学」を構築>

マルクスは、前回に述べた「社会主義」思想に、経済面から理論と夢を供給しました。

彼はその理論構成を、資本主義社会の「分析」から開始しました。

資本主義社会は、前回説明した自由主義社会の一種です。
人民を自由にしておき、市場メカニズムでもって社会の一体性を実現しようという思想だからです。

だがマルクスは、資本主義社会は必ず行き詰まる,と考えました。
このシステムは必ず需要不足に陥って行き詰まる、というのがその理由でした。

彼の論理は次のようになっていました。




~資本家は、生産手段を私有化している。
彼らは労働者にしかるべき賃金を支払わない。
つまり搾取をしている。

資本家はその搾取分を独り占めする。
彼らはその一部を自分たちの贅沢な生活に使い、残った分を、生産機械に再投資する。

すると、その分、器械によって生産効率が上がり、労働者がいらなくなる。
削減された労働者は失業者となる。
すると、その分、国家の総所得が減少する。

するとその分、生産も出来なくなる。
そするとまた、その分雇用が減少する。

資本主義方式では、国家経済はこういう縮小循環をしていく。
だから、生産手段を持ちながら、それを発揮できない状態に必然的になっていく。
いわゆる「豊富の中の貧困」に陥っていく。




こうした縮小再生産状態に陥る原因を、マルクスは私有財産制度だと認識しました。

そして私有財産制をなくし、生産手段を公有化すれば、経済の桎梏(しっこく)はとりのぞかれ
生産力は全開する、と考えた。

そうすれば人類は、豊かな理想郷に至ることが出来るだろう。
生産手段を公有化さえすれば、それはオートマチックに実現される。
~これがマルクスの社会思想であり、歴史観でした。




<無産階級による暴力革命が必然>

しかし・・・、とマルクスは考えます。
資本家は自分たちの財産と豊かな生活を手放さないだろう。
だから、労働者が団結して暴力でもって取り上げ、公有化するしかない。
そういう暴力革命が資本主義が成熟すれば必然的に起きるとマルクスは確信しました。





コメント (2)
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