***
一ヶ月ぶりに会った山崎さんと、ひょんなことからデートをすることになった。
世界的に有名な少年合唱団のコンサート。その澄んだ歌声に、心の奥にあったもやもやが薄らいでいくのがわかる。
(………隣に、いる)
山崎さんが隣にいて、同じものをみて、同じ感動を味わって……この空間を共有しているということがなにより嬉しい。
卒業生のセレモニーまで見られて、大満足でホールを出ようとしていたところ、山崎さんが出口近くの人だかりの前で立ち止まった。本日のアンコールの曲名が書かれている張り紙があるようだ。
「ちょっとすみません……」
ふいっと人だかりの中に入っていった山崎さん、なぜかニコニコして戻ってきた。
「あのアンコールの映画音楽メドレーの最後の曲、タイタニックだったんですね。どうしても思い出せなくて気になってたんです。ああ、スッキリした」
「あら、聞いてくだされば、私わかってたのに」
懐かしい、と思いながら聴いていたのだ。
人波にのって駅に向かいながら山崎さんが言う。
「タイタニック、観に行きました?」
「行きましたよ~。高校受験頑張ったご褒美に連れていってもらったので、よく覚えてます」
「高校受験!?まだ中3だったんですか!?」
愕然としている山崎さん。
ああ、そうか。中3だから15歳。山崎さんは8歳上だから……
「23歳……ってことは、社会人一年目?」
「そうです。……うわ~中学生かあ……」
その時なら犯罪だな……とブツブツ言ってるのが面白い。でも、ふいに、「あ」と言って振り返った。
「ご褒美って、もしかしなくても、峰先生に連れていってもらったんですか?」
「……………」
う………。詰まってしまう。いや、別に隠す話しじゃないけど、何となく………
と、ここまで思って気がついた。
山崎さんの方こそ、彼女と行ってるんじゃないの? あ、もしかして……
「そういう山崎さんは、アサミさんと行ったんじゃないですか?」
「え?」
笑顔が固まった。やっぱり! 畳み掛けてやる。
「23、4の頃に一年付き合ってたっておっしゃってましたもんね? この映画の時、まさにビンゴじゃないですか? そうでしょ?」
「…………覚えてません。……って、痛い痛いっ」
白々しく言う山崎さんの脇腹を拳骨でグリグリすると、山崎さんが悲鳴をあげながら笑いだした。
「ちょっと戸田さん……っ」
「都合の悪いことは全部忘れたで済ませるつもりでしょ!?」
「本当に覚えてないんですって」
「…!」
グリグリしていた手をギュッと掴まれて、キュンとなる。
「本当に、映画の内容も全然覚えてないんです。音楽はあの後もあちこちでさんざん流れてたから覚えてましたけど」
「……ホントかなあ」
「本当です。船が沈んだことしか覚えてません」
「沈んだことしかって……」
そりゃ沈みましたけど………
恋人繋ぎに繋ぎ直して、キュッキュッと握り合う。自然に笑みがこぼれてしまう。
「……山崎さん」
「はい」
こちらを振り返った山崎さんににっこりと言う。
「まだ4時過ぎですし……これからうちにいらっしゃいませんか?」
「え………」
いいんですか? と少し枯れたような声でいった山崎さんにコクリとうなずく。
「タイタニック、DVD借りて観ません? 思い出すかもですよ?」
「……………」
山崎さんは、じっとこちらを見ていたかと思うと……、コンッと頭をぶつけてきた。それと同時に「はい」と小さな声がした。
***
一緒にDVDを借りにいって、一緒に夕飯の買い出しをして……
(……結婚したら、こんな感じなのかな)
まだプロポーズされたわけでもないのに、そんなことを考えてしまう。
思えば……先走って両親にも会ってもらっちゃったんだよな……。今考えたら、結婚催促してるみたいで引くよな……
(どう……思ってるんだろう)
山崎さんって、いまいち掴みきれない。
連絡しないといったら、本当にまったく連絡してこないし、お母さんとは離れられないと思ったのに、急に一人暮らしはじめるし……
「………ケーキ買いましょうね」
「わ。ありがとうございます」
照れたように言う山崎さん。可愛いな、と思う。もっと知りたいな、と思う。
そのうち、心の中を明かしてくれる時がくるんだろうか。私のことが好きだと告白してくれたあの時のように。
(………その時がくるまで待とう)
そんなことをあらためて思ったのだけれども……
とりとめのない話をしながら、一緒にカレーを作り(本当はもっと凝ったものを作るつもりだったのに、どのルーが美味しいかという話になって、2種類作って食べ比べすることになったのだ)、一緒に食べて、一緒に片付けて、一緒にケーキとコーヒーをいただきながら、DVDを見て……。日常の一部、というようで嬉しい。
「ああ……こんな話だったんですね」
エンディングまで全部終わった時点で、山崎さんがポツリと言った。
昔、映画館では泣きながらみた覚えがあるのに、今回はうるっとはきたものの泣きはしなかった私。内容を覚えていたからなのか、大人になって冷めた目で見るようになったからなのか……
(……これで泣かないって可愛げないかな)
泣いたほうが良かったかな……今から泣く? 泣いてるふりする? やりすぎ?
そんな計算が頭の中で繰り広げられている中………山崎さんは再び「なるほど……」と妙に感心したようにうなずいた。
「いいですね。この彼女、孫までいるんですよね」
「え?」
なんの話?
山崎さんの方を見ると、山崎さんはふっと目元をやわらげて、私の手を取った。私がドキッとしたことにも気付かないように、山崎さんが優しく続ける。
「彼のことはきっとずっと心の中にあっただろうけど………でも、新たに恋をして結婚して子供も生んで、孫まで生まれて」
「…………」
「それでいいと思うんですよね。誰でもたずさえているものはある……たずさえたまま、生きていく。幸せになっていく……」
「…………」
思い出す。告白してくれた時のこと……
『オレは、ヒロ兄への想いを携えたあなたを、愛し続ける自信があります』
あの時も、今みたいに優しく微笑んでくれた。
私にとってヒロ兄が特別な人であることは、どうやっても変えられない。それを受け入れてもらえるということは、私自身を受け入れてもらえているということで……それがどんなに心強いことか。どんなに幸せなことか。
私も、山崎さんのすべてを受け入れる、という覚悟ぐらいある。
話してくれる時を待とう、と思っていたのに、我慢できず問いかけてしまった。
「山崎さんの、たずさえているものは何ですか?」
「…………」
山崎さんは困ったように視線をそらした。あえて視線は追わず、繋いでいる手に力をこめて、核心をつく。
「お母さん、じゃないですか?」
「………」
驚いたように振り返った山崎さん。もちろん当たり、だ。
「それなのに、どうして一人暮らしなんか……」
「………。物理的距離を置こうと思いまして」
物理的距離?
「オレも器用な人間ではないので……母と暮らし続けながら、戸田さんとお付き合いすることは無理だと思ったんです」
「え」
「すごく現実的な話なんですけど……やはり、突然夕飯がいらなくなったり、突然帰りが遅くなったり……帰らなくなったり、そういうことって、一緒に暮らしている人間には知らせるべき話じゃないですか。帰ってこなければ心配だし、それに、夕飯に関しては、いらないなら冷蔵庫にしまっておく、とかそういう作業も必要だし。それ以前に、だったら二人分作らなかったのに、とか腹も立つでしょうし」
「………」
すごいリアルな話だな……。
「でも、こっちはそんなことイチイチ連絡してられませんから」
「…………」
うーん……、それだけ?
顔を覗き込むと、山崎さんは、しばらく真面目な顔をしていたのに、観念したように、ふっと笑った。
「すみません。これは建前、ですね」
「………ですよね」
思わず大きくうなずくと、繋いでいた手を両手で包み込まれた。山崎さんは辛いかのように目を伏せている。
「先月お話ししましたが……オレ、10歳の時に母と約束してまして」
「……はい」
『僕がお母さんのことも誠人のことも守るから』
離婚して打ちひしがれている母親に誓ったという言葉……
「オレも……母も、その言葉に縛られていて……」
「………」
「でも、オレは嫌々母のそばにい続けたわけではなくて」
「………わかります」
うなずくと、山崎さんは、またふっと笑った。
「戸田さんは……嫌じゃないですか?」
「え?」
何が?
きょとんとすると、山崎さんは自虐的な笑みを浮かべた。
「オレ、職場の女性陣に陰で呼ばれてるあだ名があるんですよ」
「あだ名?」
「はい。マザコン山ちゃんって」
「…………」
マザコン………
「陰で言ってるつもりみたいですけど、筒抜けなんですよね、こういうのって」
「…………」
苦笑した山崎さん……
「10年ほど前につきあっていた彼女が、彼女より母のことを優先したオレに腹を立てて、別れた後に陰で色々いっていたことがキッカケみたいなんですけど……」
「………」
「まあ、いい歳して母と二人暮らしでしたしね……」
「………」
10年前、ということは『アサミ』ではない人ってことだ。アサミさんとは15年ぶりに会ったって言ってたし……。
(あ、そういえば、桜井氏が言ってた。山崎さんが女性とそういうことをするのは10年ぶりだって。その人のことだ……)
マザコン云々よりも、過去の女性のことの方が気になる……けれども、今、それは置いておいて。
「……マザコンと、母親を大切にする、というのは別物ですよ」
静かに指摘する。
「まあ、心理学用語にはマザコンって言葉はないんですけどね」
「え、そうなんですか?」
「はい」
まあ、そんなことも置いておいて。
「だから一人暮らしを?」
「あ、いえ、職場の話はどうでもいいんです」
話がそれました、と山崎さん。
「ただ……あの言葉から、一度離れる必要があると思ったんです。お互いに」
「…………」
「でも……」
山崎さんはふいに立ち上がった。
「物理的には離れても……あの言葉からは離れられません」
「…………」
「……すみません」
すみません?
「でも」
山崎さん、辛いかのように眉間にシワを寄せると、絞り出すように、言った。
「あなたを想う気持ちには一点の迷いも曇りもないんです」
「…………」
うん。
「…………」
「…………」
……え、だから?
キョトン、としてしまった私に、山崎さんは更にキョトンとさせるように、
「で、すみません。終電なので帰ります」
「え」
時計を振り返ると、23時45分。
「54分が終電なんです。今までよりは長くいられるようになって嬉しいです」
「え、あ……」
「ではまた、来週。本番で」
今日はありがとうございました、と深々と頭を下げてから、山崎さんは出ていってしまった。
取り残された私……
「…………」
なんなんだ……?
静かになった部屋の中で今のやり取りを思い出してみる。
『すみません』
すみません……というのは、あの言葉から離れられないということに対する、すみません?
「…………」
なにそれ……
「馬鹿じゃないの?」
思わず声に出してしまう。
馬鹿じゃないの? ホント、馬鹿じゃないの?
「そんなの、わかってるっての!」
衝動的に叫ぶと、目の前にあったレンタルDVDの袋を掴んで、そのまま外に駆け出した。
***
走っていったら、駅に着く寸前で山崎さんの背中に追いついた。
DVDの入った袋で、ゴンっと背中を叩いてやると、ものすごい驚いたように振り返った山崎さん。
「わ! なんで……」
「…………。DVD返しにいこうと思って」
「そんな……」
ぱっと時計を見てから、山崎さんは、うーんと唸った。
「じゃあ、一緒に返しに行きましょう。それでマンションまで送りますから……」
「………」
「それでオレはタクシー拾いますので。まあ、ここからならタクシーでも……」
「じゃなくて」
バンッと山崎さんの腕を叩く。
「そのまま朝まで、いてください」
「え」
固まった山崎さんの腕を今度は掴む。
「あと数分で誕生日ですよ? 誕生日、彼女と過ごさないつもりですか?」
「………でも」
「でもじゃないです」
両腕を掴み、正面から顔を見上げる。
「さっきの、すみません、は、何なんですか?」
「え?」
「え、じゃないです」
ムッとしてしまう。
「私、そんなに信用ないですか?」
「…………」
「私だって、山崎さんの全部、受け止められますよ?」
「…………」
「それくらい、山崎さんのこと想ってますよ?」
「あ………」
山崎さん、止まっていた息を吐きだした。
「それは……」
「山崎さんが、ヒロ兄への想いごと私を受け入れてくれたのと同じです。私もあなたのすべてを受け入れます」
「………」
「あなたのたずさえているものも、すべて」
「………」
長い長い沈黙の後……
引き寄せられ……ぎゅうううっと抱きしめられた。
伝わってくる、強い愛情。
同じように伝えられているだろうか……
「……ありがとう、ございます」
耳元にささやかれた言葉……
「あ」
山崎さんの腕を掴み、時計を見る。
0時だ。
「お誕生日、おめでとうございます」
素早く頬にキスをあげると、山崎さんはこの上もなく嬉しそうに笑ってくれた。
***
翌朝……
目が覚めると、山崎さんの瞳がすぐ間近にあって……幸せな気持ちでいっぱいになる。……でも、寝顔を見られていたのかと思うと恥ずかしい。
「……眠れなかったですか?」
「いえ、一瞬寝ました」
「一瞬て」
クスクス笑ってしまう。
くっつくと、きゅっと抱きしめられた。ああ……幸せ。
「あ……、誕生日の朝、ですね? あらためて、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
優しく頭を撫でてくれる手が嬉しい。
「何か、欲しいものありますか?」
「あー……」
「リクエスト、してください?」
言うと、「それじゃあ……」と、起き上がった山崎さん。ベッドの上で正座をしている。
「?」
なんだろう、と布団を引き寄せながら私も起き上がると、山崎さんはあらたまった表情になった。
「ほしいもの……というか、お願い、してもいいでしょうか?」
「はい?」
首をかしげた私に、山崎さんはものすごーく、真面目な顔をして、言った。
「結婚してください」
………え?
思わず聞き返した私に、山崎さんは、もう一度、言った。
「オレと、結婚してください」
…………。
下着姿で言う言葉……?
と、ツッコミたくなった私……。自分で思う以上にテンパっていたのかもしれない。
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