【チヒロ視点】
真木さんはいつも、僕が部屋に入るとすぐに「シャワー浴びてきて」って言う。部屋に「外の匂い」が付くのが嫌なのだそうだ。
今晩もそう言われたので、いつものようにシャワーを浴びてバスローブを着て出てきたんだけど、真木さんは、リビングのパソコンで何やら作業をしていて、
「ちょっと待ってて」
と、僕の方を見ずに言った。真木さんはいつも忙しそうだ。大阪に行ってしまった朝以来、一週間以上ぶりに会うけれど、何だか疲れた顔をしている。
「…………はい」
僕もいつものように、邪魔にならないように、窓にへばりつくことにした。
この窓からは、車の光やビルの窓の電気がよく見えるので、夢中になってしまう。規則性があるようでない夜景の動きから目が離せない。
車のライトは、少し離れたところのものは波のように流れていて、近いところのものは早かったり遅かったり止まったり動いたり……
「……………っ」
ふいに、フワッと後ろから包まれた。真木さんの良い匂いがする……
「お待たせ」
「………………」
耳元で聞こえる声がくすぐったくて、腰のあたりがムズムズする。
「君は夜景を見るのが本当に好きだね」
「はい」
コクリとうなずいて、窓から手を離す。
「ここからの眺めが一番好きです」
「そう………」
真木さんの手が頭を撫でてくれてる。こめかみのあたりに唇が触れている。
(??)
どうしたんだろう?
いつもは、眠るときにしか、こうしてギュッてしたり、頭撫でたりしないのに……、と?
「真木さん?」
ハテナ?と思って振り返る。
真木さんの手がスルリとおりてきて、僕のお腹のあたりをさすっているのだ。……なんだろう?
「どうかしましたか?」
「………………」
見上げて尋ねると、真木さんは、
「……………。あー………」
と、「あー」と長く言って、僕の頭をポンポンとしてくれてから、
「おいで?」
と、腰に手を回してベッドに連れていってくれた。そして並んで座ると、
「今日はマッサージしなくていいよ」
「?」
言われた言葉に首を傾げる。今日来たのは、明日アユミちゃんと同伴してもらうお礼なのに?
そう言うと、真木さんはちょっと困ったように笑って、
「じゃあ、それは明日また来てしてくれる? 今日は同伴のお礼としてじゃなくて……」
「?」
真木さんの手がスルリと僕のバスローブの紐を外した。
「俺が、君に会いたかったから、来てもらったんだけど」
「……………………」
……………。
うーんと? それは………
「俺がどうして今まで、君にご飯ごちそうしてたか分かる?」
「?」
そういえば、どうしてだろう?
「お金持ちで親切だから?」
聞くと、真木さんは「違うよ」と首を振った。
「君があまりにも痩せてるから、太らせようと思ったんだよ」
「?」
「でも全然太らないね」
「………っ」
バスローブの下の素肌に直接、真木さんの手がサワサワしてきてくすぐったくて身をよじってしまう。でも、真木さんはそんな僕の様子を気にする風もなく、しばらく腰とか腿とかを触ってから、小さく笑って手を離した。
「やっぱりまだ早いかな」
「早い?」
「そう」
真木さん、いたずらっ子みたいな目をしてる。
「俺は親切でもなんでもないよ。太らせてから食べようと企んでるだけ」
「?」
食べる?
「俺はお菓子の家の魔女だからね」
「魔女?」
「そう」
真木さんの手が再び僕の腿をいったりきたりしはじめた。
「とにかく食べて体重増やさないと、筋肉もつかないからな……」
「???」
真木さんの言うことはまったく分からない。でも、さっきまでの疲れた顔より元気になってるから良かった。
真木さんは何だか楽しそうに、ツツツと僕のパンツのラインを辿ってくると、
「ねえ、チヒロ君、この下着どこの? 手触りがいい」
「…………っ、えと……っ」
くすぐったくてモゾモゾしながら、何とか答える。
「これは通信販売の下着のカタログの撮影で使ったものでそこでは時々撮影のあとそのままその下着がもらえて……」
「ああ、そういえば、君はモデルをしているってお姉さんが言ってたな」
真木さんは、ふーん、とうなずいてから、
「じゃあ、洋服ももらってるの? 今日着てたのも通販?」
「いえ。洋服は時々しかもらえないので今日のはコータのお店で買ったものです」
「………………ふーん」
「?」
せっかく真木さん、楽しそうだったのに、急に固い顔になった。そして、
「ねえ……これ」
「!」
いきなりぐいっとパンツの裾を押し上げられた。足の付け根のところ、布で隠れてほとんど見えなかったアザが光の下にさらけ出される。
「これは? ジョージの痕?」
「………え」
ジョージってなんだろう?
意味が分からなくてキョトンとすると、真木さんはお医者さんが患部を診るみたいにジッとそこを触ったりしながら見て、
「これ、わりと最近だよな? 相手はコータ君?」
「?????」
相手ってなんだろう? 真木さん、何だか怖い顔………
意味が分からないけど、痕の説明だけは出来る。怖い顔を見返して答える。
「これは昨日姉がパジャマの上から爪でギーーーッてした痕なのでコータは関係ないです」
「……………え?」
今度は真木さんがキョトンとして、こちらを見た。
「お姉さんが……なんで?」
「姉は僕が言うことをきかないとここをギーーーってするんです」
「……………」
真木さんの手が探るようにその痕あたりをさすってくる。
「………よく見たら、古い傷痕もあるけど、これもお姉さんが?」
「違います」
アユミちゃんは優しいからずっと残るような傷はつけない。古い傷痕は……
「それは母がここだったら痕が残っても撮影に関係ないからって時々爪で直接ギリギリして」
「……………」
「それで血が出たときあとで僕がカサブタを何回も剥いじゃったから痕が残って……」
「……………」
「真木さん?」
真木さん……なんて言うんだろう。ビックリした、とはちょっと違う……「途方に暮れた」とでもいうんだろうか。なんだか複雑な顔をしている。
「お母さん、今もこういうことするの?」
「…………」
真木さんの質問に、ふっと最後にみた母の寂しそうな顔が思い出されてズキリとなって、胸のところを手で押さえる。
「母は僕たちが中学生の時に家を出て行ってしまったのでそれからは会ってなくて」
「…………」
「だから僕は姉と一緒にあの家で母の帰りをずっと待っていて……、?」
真木さんの大きな手が、胸のところに置いていた僕の手を上から包んでくれたので言葉を止める。真木さんの茶色っぽい目が僕をジッと見ている。
「君は………家を出たいと思ったことはないの?」
「? ないです」
小さく首を振る。
「母のこともあるけれどお金的な問題でもモデルの仕事だけでは生活できないけど今の家にいれば家賃もかからないし週に3回お手伝いさんがきてくれるから家事もしなくていいから居心地は良くて……」
「………………」
「真木さん?」
やっぱり真木さん、変だ。いつもと様子が全然違う。一度立たされて、バスローブの紐を結ばれて、お布団の中に連れていかれた。そしてギュウッとされて……
(あ、そうか)
ここまできて、ようやく気が付いた。
今まで、真木さんにはマッサージしかしなかったので、真木さんとはそれしかしないものだと思い込んでいたけれど、もしかして今日は、僕とそういうことするってことなんじゃないだろうか。
(コータ……)
前に真木さんに抱かれながら気持ち良さそうによだれを垂らしていたコータのことを思いだす。なんだかドキドキしてきた。僕もついに真木さんにあんな風に……
「………何もしないから、そんな固くならなくていいよ」
「え?」
何もしない?
耳元で言われた言葉に顔を上げようとしたけれど、頭を押さえられていて上げられない。
「………チヒロ君」
「はい」
真木さんの声も匂いも気持ちいい。
真木さんはしばらくの間、僕の頭をゆっくりゆっくり撫でてくれてから、ポツンと言った。
「君はすでにお菓子の家に住んでたんだな」
「お菓子の家?」
真木さん、さっきもそんなこと言ってた……
「俺もお菓子の家の住人でね……」
「?」
「ずっとそこに居続ける。グレーテルはいらない」
グレーテル?
……ってことは、お菓子の家って、ヘンゼルとグレーテルのお話に出てくる家のことなのかな……
「真木さん……」
「……………。明日の朝は、外に食べに行こう」
真木さんは小さく「おやすみ」と言って、もう一度ギュッと力強く抱きしめてくれて……それから腕の力をゆるめられた。
「……………おやすみ、なさい」
ゆるまったので、ようやく顔を上げられた。
(………真木さん)
西洋の彫刻みたいに整った顔。かっこいい。綺麗。王子様みたい。
でも………今日の真木さんはなんだかとっても寂しそうだ。
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お読みくださりありがとうございました!
チヒロ君は母親に言葉遣いについてキツク注意されていたため、夢中になると「アユミちゃん」とか言ってしまいますが、基本的にはきちんと「母」とか「姉」とか言います。
そして、子供の頃から大人の中で仕事をしていて、母から余計な口出しをしないようしつけられていた影響で、理解できない話をされても、深く考えずスルーする傾向があります……
さてさて。明日、2018年4月28日は「風のゆくえには」シリーズ主役、渋谷慶君の44歳の誕生日です。
この「グレーテ」ではまだ28歳の若々しい慶君ですが、もう44歳なんですねえ。
わ~~慶が44歳になるなんて!時が過ぎるのは早いものです。
ということで、せっかくなので、次回、火曜日は現在のお話を……
慶たちの同級生溝部君視点でお送りする予定となっております。
お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
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