【享吾視点】
母は、オレと兄のことを忘れてしまったらしい。
入院中の母を初めて見に行った帰り道、兄が教えてくれた。
母の中では、母はまだ20代で、結婚前に、原因不明の蕁麻疹で入院していた頃に戻っているそうだ。
「お母さん、窓にへばりついてただろ?」
兄が苦笑しながら言った。
「あれ、お父さんが来るのを待ってるんだって。お父さん、お母さんが蕁麻疹で入院してた時に、仕事帰りに毎日お見舞いに行ってたらしくてさ」
「へえ……」
「なんか……あの二人にそんな恋愛時代があったなんて想像できないよな」
「…………。そうだね」
不思議な感じがする。オレの記憶の中では、両親は特別仲が良いということもなく、父は父で、母は母でしかなかった。そんな二人にも若い時はあったわけで……
「なんか幸せそうだから、お母さんのためにはこれで良かったんじゃないかなって思ってさ」
「うん……」
「それに」
兄は瞳に力をこめて、言った。
「オレ達のためにも、これで良かったんだよ」
「……………」
「オレ達は、これで自由だ」
兄は噛み締めるように、繰り返した。
「オレ達はやっと自由になるんだよ。もう、お母さんを気にして遠慮することはない」
「……………」
自由………
でも………胸が痛い。
(だって、お母さんは、オレ達のことを思って………)
出かけた言葉を飲み込んでいると、
「享吾。オレのこと、酷いって思ってるだろ?」
「……っ」
心を読まれたようでドキリとする。
「オレも酷いと思うよ。元々、お母さんがあそこまで神経質になったのは、オレのせいだからな。オレが中学の時にイジメにあったから」
「……………」
「でも……オレはもう、耐えられない」
兄は淡々と続けた。
「オレはオレの生き方をしたい。もう、息をひそめて生活するのは嫌だ」
「…………」
「それに、享吾が我慢しているところを見るのも嫌だ」
兄はふいっとこちらを向いた。
「お母さんさ……また、享吾が白高に行くことを反対しようとしたんだよ。バスケ部の子が白高受験するって話を偶然聞いたらしくて、享吾が合格してその子が落ちたらどうしようとか言ってさ」
「え」
バスケ部男子で白高受験するのは、渋谷慶と上岡武史。どちらの母親も交友関係が広く、発言力があるタイプで、母が苦手としている人達だ。
「だから今からでも志望校変えられないか、なんて言いだして……」
兄は苦々しい表情になると、軽く頭を振った。
「それ聞いたら、オレの中で何かがキレちゃって」
「…………」
「いい加減にしてくれ!って怒鳴っちゃって……そうしたらお母さんが暴れて出て行っちゃって……。だからお母さんが出て行ったのは、オレのせいなんだよ」
「……兄さん」
それは兄のせいではない。オレのことで怒ってくれたんだから、やっぱりオレのせいだ。
複雑な気持ちでいると、兄にポンと肩を叩かれた。
「ま、でも、これは良いチャンスだと思おう」
「………」
「お前ももう自由にしていいんだよ」
兄はあの柔らかいふわりとした笑みを浮かべると、ハッキリと、言ってくれた。
「お前はお前らしく生きてほしい」
(…………村上)
オレらしくいるためには、オレには、村上哲成が必要だということは、もうとっくの昔に気が付いている。
眠れない夜を過ごした翌朝、自然と足は村上哲成の家に向いていた。
「やっぱり、白浜高校を受けようと思う。だから、お前も白浜高校を受けてほしい」
そういうと、村上はニカッと笑って、手をギュッと握りしめてくれた。
「よし! 一緒に、白浜高校、行こう!」
その温もりが、その頬の柔らかさが、オレに勇気をくれる。立ち止まりそうになる度に、勇気をくれる。
***
もうすぐバレンタインだ。
受験生にはバレンタインなんて関係ない、なんて言っている奴もいるけれど、みんなバレンタインを気にしているのはバレバレだ。
「キョーゴは人気急上昇中だから、チョコいっぱいもらうかもなー」
「は?」
村上哲成がなぜか、ムーッとした顔を机の上に乗っけていってきた。こめかみのあたりを小突くと、あごを支点にしてユラユラ揺れるから面白い。オレが楽しむのを知ってて村上は時々やってくれる。
「何の話だ?」
「何の話って、バレンタインに決まってるだろー」
「ふーん?」
ユラユラユラユラ……なごむ……
「西本が言ってたんだよーキョーゴは今人気なんだって。渋谷が暗くて、暁生に彼女できたから」
「なんだそれ?」
意味が分からない。っていうか、それよりも、西本……か。
「西本は何か言ってたか?」
「何かって?」
「誰かにあげるとか」
言うと、村上はイキナリ立ち上がった。さらにさっきよりもムーッとした口になっている。
「キョーゴ、気になるんだ? 西本が誰にあげるか」
「…………」
気になる……というか、西本の好きな人は村上だ。あげるとしたら村上になる。『誰にあげるか』ではなく『あげるかどうか』が気になる。
(いや別にオレが気にしてもしょうがないんだけど……)
でも……気になる。これで村上が西本と付き合うことになって、村上とこうして話したりする時間が減るのは……嫌だ。
でも、何て言っていいのか迷って黙っていると、
「キョーゴー」
「……なんだよ」
村上はムッとした口のまま、オレの腕を掴んでグラグラと揺すってきた。
「お前、チョコ貰って告白されたら付き合う?」
「は? 誰と?」
「誰って……わかんないけど、例えば西本とか」
「………」
だから、西本はお前狙いなんだって……ってことは絶対に言わない。
「……。誰とも付き合わないし、そもそもチョコ貰うこともないだろ」
「わかんねーぞー。何しろ人気急上昇中なんだからお前!」
「だから何なんだよそれ」
意味分かんねえ、と言うと、村上は今度はバシバシと叩いてきた。
「じゃあさ、じゃあさ、貰わないって約束しろ」
「なんで?」
反射的に聞くと、村上は真剣な顔で、一言、言った。
「嫌だから」
「…………」
「…………」
「……………え」
嫌って……
当然のことのような顔をしている村上。
口の中が乾いていくのが分かった。『嫌だから』……オレも、お前が誰かから貰うのは嫌だ。だから……
「じゃあ……貰わない」
「おお。約束だからな」
「…………」
コクリ、と肯くと、村上はまたしゃがんで、あごを机の上にのせた。チョンッとつつくと、またユラユラ揺れ出す……
「あ、そうだ、キョーゴ。オレが、コアラのマーチ買ってやる」
「………そうか」
ユラユラ、ユラユラ……
「じゃあ、オレはアーモンドチョコ買ってやる」
だから、お前も誰からも貰うなよ?
そう言うと、村上は、いつもみたいにニカッと笑った。
でも……それから数日後のバレンタイン前日。西本に言われてしまった。
「私、明日、テツ君にチョコレート渡すから」
邪魔しないでね?
西本の目は真剣そのものだった。
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お読みくださりありがとうございました!
現在、gooブログもブログ村もリニューアル中で戸惑うことばかりです。
そんな中きてくださった方本当にありがとうございます!!
偶然にもちょうどバレンタインの時期にバレンタイン♪なんだか嬉しいです。
でも現在の神奈川県の中学三年生は、バレンタインが公立高校受験日当日なので、チョコどころじゃないですね^^;
作中は1990年。バレンタインの日くらい息抜きでバレンタインデート!できたらいいね^^
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