【浩介視点】
『お前、先生になれ』
慶がそう言いきってくれたのは、おれの誕生日の翌々日のことだった。
おれの心の深淵から、色々なことを取り除いた純粋な「希望」だけを汲みあげてくれた慶………
その瞳に背中を押されて、おれはその日の夜、父の書斎を訪れた。
「学校の先生に、なりたいです」
勇気を出して言ったのだけれども………
父は読んでいる本から目を離そうともせず、
「勝手にしろ」
そう冷たく言って、部屋から出て行くよう手で追い払う仕草をしただけだった。
(ああ………この人、本当におれに興味ないんだな……)
分かっていたけれど、あらためて気付かさせられる……
やはり、弁護士になって跡継ぎにっていうのは母の希望であって、父にはそんなつもりなかったんだ……
そんな思いが一瞬のうちに頭を駆け巡って、動きが止まってしまったけれど、
(あ、印鑑!)
本来の目的を思い出して思考を切った。
「あのっ、これ、お願いしますっ」
あわてて、進路希望調査書を父に差し出す。第3希望まで書く欄はあったけれど、おれが記入したのは第一希望のみ。
父の母校の、教育学部。
父がふいっと顔をあげ、初めておれのことを見た。
冷たい目が怖い……。でも、頑張ってそらさないでいると、父は引き出しの中から、印鑑を取りだして、ボソッと言った。
「受かるのか?」
「あ……はい。一応、夏期講習の最後の模擬試験の偏差値だと合格圏内でした」
「…………」
模試を受けた時には違う学部を書いていたので、あとから教育学部の偏差値を調べてみたところ、充分合格圏内にいることが分かったのだ。
父は調査書の保護者欄に印鑑を押して渡してくれると、再び、手で追い払う仕草をした。さっさと出て行け、ということだ。おれだって一秒でも早く逃げ出したい。
「ありがとうございました」
頭を下げて書斎を出ると……
(………あああ)
どっと体の力が抜けて、廊下にしゃがみこんでしまった。
(勝手にしろ………か)
アッサリと許されたことに対する安心……と同じくらいに、虚しさ、みたいなものが心を占めている。おれの中にも、父に求められたいって気持ちはあったということだ。
………けれども。
(これでいいんだ)
ぶんぶんと頭を振って、余計な感情を追い払う。これで父の跡は継がないことに許可はおりた。万々歳だ。
(次は、母だ)
おそらく母は、ヒステリックに怒り狂うだろう。でも、母は父には逆らえない。父が印鑑を押したということは、母が何と言おうとこれで決定、と押し通せる。
「………よし」
立ち上がり、あらためて進路希望調査書を見返す。
(第一志望、教育学部)
おれはおれの人生を生きるんだ。
***
9月末、体育祭も無事に終わり、文化祭準備が始まった。でも、おれのクラスは不参加と決まったので(3年生は自由参加なのだ)、何もすることがない。去年あれだけ毎日忙しく楽しく過ごしたことが夢のようだ。
クラスには受験ムードが色濃く漂っていて、少し息苦しい。
おれも受験生らしく、模擬試験を受けはじめたのだけれども………、10月はじめに受けた模試では、体調が悪くなり、途中で帰ることになってしまった。
「体調管理も受験対策の一つだよ?」
試験会場の人にそう言われたけれど……別に初めから体調が悪かったわけではない。簡単に言ったら「緊張のしすぎ」。でも、それも普通の人の緊張とは少し違う気がした。
(慣れない場所と人のせいかな……)
おれは小さい頃、「初めての場所」や「人が大勢集まった空間」が極端に苦手で、幼児教室などに行っても、中に入ることもできず、母にしがみついて決して離れようとしなかった、という話を、母から聞かされたことがある。
三つ子の魂なんとやら、なのか、いまだに、慣れない場所は落ち着かない。
夏休み終わりの模試は、1ヶ月通った予備校の教室で行われたから、A判定を取ることができたけれども、その後受けた他の会場の模試では、ことごとくB判定になってしまった。受験本番ではどうなってしまうのか………
(高校受験の時は大丈夫だったのに………)
高校受験では、『憧れの渋谷慶に会う』という大目標があって、ものすごく集中していたし、運良く席が窓際の一番前だったのも幸いしたのかもしれない。
でも模試は、見知らぬ教室で、ピリピリとした見知らぬ同年代の人達に囲まれて………。集中しようと思えば思うほど、周りの細かいこと……机の形、壁の色、黒板の種類、鉛筆の音、空気の匂い……ありとあらゆることが気になって、集中できなくなる。そして………
『受験に失敗したら、どうなってしまうんだろう』
そんなマイナスの考えに囚われてしまう。
おれが『弁護士ではなく学校の先生になりたい』ということを知った母は、案の定、怒りまくった末に、泣き落としにかかってきた。
何日たってもグズグズと言い続ける母に、父の部下の庄司さんが、
『法学部出てなくても弁護士にはなれますから! とりあえず大学は浩介君の希望通りでいいんじゃないですか?』
と、取りなしてくれたお陰で、学部に関する母の攻撃はなくなったけれども……
『とにかくせめて、お父さんと同じ大学に行くのよ? お父さんをガッカリさせないで』
呪文の内容はそう変わった。それで、余計に追い詰められている。
『これ以上、失望させたら………』
数ヵ月前、慶と一緒に昔のアルバムを見ていて気がついたのだ。
おれが生まれたばかりの頃は、母にも、あの父にさえも、笑顔があった。でも、その笑顔が無くなったのは、おそらく、おれの幼稚園受験の失敗のせいで………
『また、受験に失敗したら………』
もう失敗しない。失敗できない。
そう思えば思うほど、動悸が激しくなっていく。
(………慶。助けて)
おれは必死に記憶の中の慶にしがみついて、何度も何度も深呼吸をする。そして、落ち着いたのを見計らって、問題を解く。でも、何かの拍子に、雑念が混じる。慶を思い出す。ひたすらその繰り返し……。こんなことでは良い結果なんか得られるわけがない。
***
時間が惜しくて、自転車通学をやめた。
うちからバス停までの徒歩時間と、バスに乗ってから慶と落ちあうまでの時間で、単語の復習、年号の記憶………と、とにかく必死だった。
でも、そんなおれとは違い、慶はまったく変わらない。いつも、明るくて、爽やかで……。
また模試で失敗した翌日、慶に甘えたくて触れたくて我慢できなくて、適当な理由をつけて、その温かい手をギューギュー握りながら登校していたら………、慶のクラスメートの安倍康彦が慶に声をかけてきた。
「明日の帰りさ、オレ塾ないから、プール行かね?」
「おー、いいな」
………………え。
慶の即答に、がーん……となる。
(明日って、12月22日なのに………付き合って一周年記念日の前日なのに……)
3年生になって、おれとはクラスが離れて、会える時間減ってるのに。安倍とは同じクラスでたくさん一緒にいられるのに。それなのに放課後まで遊ぶんだ………?
「浩介、お前も……」
ついで、みたいな誘い……。黒い感情がますます渦巻いてくる。
安倍は中学時代水泳部だったそうで、競争とかできて面白い、と以前言っていた。
(どうせおれは泳ぐの苦手だし。しかも受験生なんだからそんな時間ないし)
明日も家庭教師がくる。遊びにいってる暇はない。
「おれはいいよ」
繋いでいた手を離すと、繋がっていた心まで離れたような気がした。
「楽しんできて」
「え、あ」
「じゃ」
背を向けて、歩き出す。
「浩介! おれ今日、アルバム委員の集まり……」
「うん。先帰ってるね」
一瞬振り返って、ヒラヒラと手を振る。なんとか笑顔を作ったつもりだけど、上手く誤魔化せただろうか。この醜い独占欲を見られていないだろうか。
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お読みくださりありがとうございました!
長くなったので、分けることにしました。本当は年明けの話まで書きたかったけど、それは次回に……。
暗い真面目なお話にお付き合いくださいまして本当にありがとうございました!!
次回は火曜日に更新の予定です。よろしければどうぞお願いいたします。
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高校生活もあと少し……お見守りいただけますと有り難いです。どうぞよろしくお願いいたします。
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