【浩介視点】
おれは将来、父親の弁護士事務所を継ぐために、弁護士にならなくてはならない。
その話をしていた時に、
「それを蹴ってまでやりたいこと、だよ。ないのか?」
慶に問われて……
一瞬。ほんの一瞬だけ、頭の中に映像が駆け巡った。
『分かった!』
そう言って笑った慶の嬉しそうな顔。
『桜井君って教えるの上手だよね』
高2の時のクラスメート達の声。
『うちの子、桜井コーチのおかげで、みんなの仲間に入れてもらえたって………』
お母さんの隣でニコニコしていた加藤君……
『お前、先生、向いてるよな』
慶………
でも………でも。
母の鋭い声が、父の冷たい目が、それを覆っていく。
おれの将来はおれのものではない。
「そんなこと……」
そんなことを望む権利、おれには認められていないんだ。
***
夏休みは、あまり慶と遊べなかった。
予備校の帰りに慶が会いに来てくれて駅でおしゃべりをした、とか、運動不足解消のためのランニング、ということにして、慶のうちの方に行って、ほんの数分だけ会った、とかはあるけれど、遊べたのは2回だけ。一回は夏祭り。一回は海。
海に行けたのは、溝部が誘ってくれたおかげだった。
そして、庄司さんのおかげでもあった。
溝部が誘いの電話をくれた時、ちょうど庄司さんがうちにご飯を食べにきていて、
「気分転換に行ってくればいいよ。いいですよね? 桜井先生」
と、父に言ってくれたので、無事に行くことができたのだ。
おれより15歳年上の庄司さんは、父の事務所で働きはじめてもう10年近くになる。
学生時代ずっとサッカーをやっていて、今も当時の仲間達と趣味で続けているからか、色黒でがたいが良くて、あまり弁護士らしくない。体育会系ならではの大きな声と、朗らかな人柄で、庄司さんが来ると、うちの雰囲気がすごく明るくなる。
夏休み最終日の今日も、夕飯を一緒に取りながら、最近解決したという案件の話を面白おかしくしてくれて、母からも笑いがこぼれていた。
「桜井先生、本当にかっこよかったんですよ! 奥さんにもみせてあげたかった!」
「まあそうなの?」
「だから庄司、その話はもういいから」
………………。
父のちょっと困ったような嬉しそうな顔。おれの前では絶対にしない顔。
(庄司さんが息子だったら良かったのに……)
おれみたいに暗くて内向的な息子じゃなくて、庄司さんみたいに明るくて社交的な人が息子だったら………って、父も絶対にそう思っている。
庄司さんが来てくれるのは嬉しいけれど、自分と比較して落ち込んでしまう時がある……
でも、そんなことを知られるわけにはいかない。ニコニコと笑顔を作ってやり過ごす。
こうして食事も終わりに近づいた頃、
「浩介君は、やっぱり桜井先生と同じ大学志望?」
「あ……はい」
庄司さんの明るい問いかけにコクリと肯くと、庄司さんは二ッと笑った。
「ってことは、オレの後輩にもなるわけだ。早慶戦、一緒に観に行こうな?」
「………はい」
受かれば……だけど。という言葉は何とか飲みこんだ。そんなこと言おうものならば、母の怒涛の説教をくらうだけだ。受かるのが当たり前。受からないなんてありえない。そのプレッシャーに押しつぶされそうだ……
なるべく目立たないようにお腹を押さえながら、胃が痛いのをやりすごそうとしていたところ、続いた庄司さんのセリフに息が止まった。
「先生も良かったですね。子供と一緒に観に行きたいっておっしゃってましたもんね」
「………?!」
思わず父の方を思いきり振り返ってしまった。
(は?! 一緒に観に行きたい?!)
何言ってるんだ?! 家庭をまったく顧みないこの父がそんなこと言うわけないじゃないかっ。
「そ………」
「この出来損ないがうちの大学に受かるかどうかわからんがな」
「………………」
吐き捨てるように言って、すっと立ち上がり、リビングの方へいってしまった父……
「そちらでお飲みになりますか? 先日いただいたお酒が……」
母がイソイソと父の後をついていき……おれと庄司さんだけダイニングに取り残された。
(出来損ない……)
出来損ない……中学の時にも言われた。学校にちゃんと行けるようになった今でも、やっぱり父の中のおれは、ただの出来損ないなんだ………
(出来損ない……)
父の言葉が頭の中をぐるぐる回っている中、
「桜井先生って照れ屋で可愛いよな」
「…………っ」
庄司さんの呑気な言葉に、飲んでいたお茶を吹き出しそうになってしまった。可愛いって、どこをどうとったらそんな言葉が出てくるんだっ。
「弁護士の顔してるときの桜井先生は本当にクールでかっこいいんだけど」
「……………」
それは……知らないけど……
「オレもあんな弁護人になりたいけど………道は遠いなあ」
「え………」
庄司さん、ふっと遠い目になった。
「オレさあ……弁護士になりたくて、すげえ勉強して………」
「……………」
「でも、なれたらなれたで、自分の実力不足がもどかしかったりして……」
「…………」
意外だ。いつも明るい庄司さんがそんなこと思ってたなんて……
「30過ぎたオッサンが何言ってんだって思われるかもしれないけど……オレも早く、桜井先生みたいに依頼人の期待にこたえられる弁護士になりたいんだよなあ」
「…………」
庄司さんは、「なんてなっ」と、照れたような笑みを浮かべると、
「浩介君も受験頑張れよ~待ってるからな~」
ポンポンとおれの肩を叩いて、リビングに行ってしまった。
……………。
『弁護士になりたくて、すげえ勉強して………』
庄司さんは弁護士になるべくしてなった人だ。それに比べておれは………おれは。
(おれは、弁護士になりたいと思ったことは一度もない……)
そんなおれが弁護士を目指すなんて、本当になりたくてなっている人に対して失礼だ。
(それに、それに……おれは……おれは……っ)
叫び声が喉元まで出かかったけれど……
リビングから聞こえてきた両親と庄司さんの声に我に返って、ゴクン、と飲み込んだ。
***
翌日。9月1日2学期の始まり。
「教育相談を受けるので、今日、お弁当お願いします」
そんな嘘を母は疑いもせず信じて、いつもながらの栄養バランスの考えられた完璧なお弁当を作ってくれた。学校で教育相談があるのは嘘ではない。ただし、希望制だ。おれは別に相談したいこともないので希望は出さなかった。母は学校の予定表を読みこんでいて、その日が何時間授業で何時に帰って来るか、ということを熟知しているけれど、おれが教育相談の希望を出したかどうかまでは分からなかったようだ。
「慶のうち、遊びに行ってもいい?」
教育相談を受けない生徒は午前授業なので、慶に聞いてみると、
「もちろん! あ、英語で分からないところがあるから教えてくれー」
「うん」
明日は休み明けテストもある。予備校で受けた模試の結果は、まあまあだった。でも母は満足していない。この休み明けテストの結果についてもうるさく言ってくるだろう。胃が痛い。吐き気がする。家にいると頭痛もひどくて勉強どころではなくなる。
(それに比べて……)
慶の家はなんて居心地がいいんだろう。漂っている空気が清涼だ。癒される。
「お前、昼飯は?」
「あ……お弁当、持ってきた」
「そっかそっか。おれ、焼きそば作るけど、食う?」
「わ! 食べる食べる!」
慶は時々、自分でご飯を作る。すごいな、と思う。慶は何でもできる。それに比べておれは……
(って、人と比べてばかりだな……)
自分にないものを羨んで、下を向いて……。おれはそればかりだ。
(やめよう)
ぶるぶると首を振って、マイナス思考を振り落とす。せっかく慶と一緒にいるのに、そんな気持ちでいたくない。
台所に立った慶に問いかける。
「何か手伝えること、ある?」
「んー……、じゃ、玉ねぎの皮、剥いてくれ」
「うん」
人参を切っている慶の横で、玉ねぎの茶色い皮をむく。とん、とん、とん、とまな板に包丁が当たる音だけが響いてくる。
(大人になって一緒に住めるようになったら……)
こんな風に過ごせるかな……。そうしたらどんなに幸せだろう……
おれの将来はおれのものではないけれど……慶と一緒に過ごす未来だけは守りたい。
(それだけでいい)
それだけで、いい。それ以上は何も望まない。望まない。望まない。
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お読みくださりありがとうございました!
今日から仕事初め!なので、このブログも通常通り?!の安定の暗さの浩介視点でした。
次回は慶くん視点。このウジウジ君の悩みをズバッと解決してもらう予定です。
火曜日に更新の予定です。お時間ありましたらよろしくお願いいたします。
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