LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

母の昇天祭

2011-12-12 01:29:25 | 


母の追悼特集にブログをしようと思いつつブログ放置して早1カ月・・・いやー、早かったです。

前回葬儀のことをブログに書いて、内心ドキドキでした。不謹慎と思われるかな?とか個人的すぎることブログに書いてどうすんの?とか。
でも、たあくさんの個メールやお手紙をいただいて、予想外でびっくりでした。音信不通だった人や懐かしい人たちからも。特に中高時代の同級生からは、私が忘れていたエピソードや思い出を書いてくれていて、1~2回しか母に会ってない人たちからも、お決まりの文句ではない、母との個人的な思い出を書きつづってくれていたのがとっても嬉しかった

普通の人が「ま、いっか」と手抜きをするところを、母は逆に“もうひと手間”かける人だったんだよ、と父。庭からつんだ花を添えたりね。
小さなことかもしれないけれど、これがなかなかできない。それが一人一人の中で母の印象を大きくしていたんですね。一回しか会ったことがないのにこと細かに母との思い出を覚えていてくれている、あらためて母はいろんな人の人生にじわじわっと影響を及ぼしていたのだなあ、としみじみしてしまいました。
専業主婦だったのに。外で活動していたわけではなく、ただ「日常を丁寧に、輝いて生きる」、それが全てだったのに。その母の大事にしていたことが、みなさんの心の中に残っていたことが、すごく嬉しかった。ありがとうございました。

今日はそんな母の昇天祭でした。
昇天祭とは、仏教でいう四十九日のようなもの。特に決まった形式はないので、今度は自宅でまたまた音楽葬。母の希望でもあったのでね。前回の葬儀の話がとても参考になったというご感想を多数いただいたので、昇天祭についても書かせていただきますね。自分の記録、記憶としても・・・。

不思議なことに、1ヶ月後が昇天祭と知らない人たちから、まるでこの日に合わせるかのように続々とお花が届きました。
これまた別途書くつもりですが、今回母の死に関してはいろんなことが母の思惑通りに進むというか、母の手のひらで回されれるというか・・・すっかり母のペース。不思議なことがいっぱい。肉体の終わりは魂の終わりではないんだな。

さて、自宅での式。
たくさんのお花に囲まれてほほ笑む母の写真の前にみなで座り、母の指定していたヘンデルのラルゴでまず黙祷。
迷ったけれど、今回も讃美歌を2曲歌いました。私のつたない演奏で。ピアノ習ってよかったと初めて思いました。娘が自分の葬儀や昇天祭で伴奏するなんていかしてるじゃないか(←自分で言うなって!?)だけど、だって私も自分のときは長男に弾いてもらいたい~

今回の讃美歌は「主我を愛す」という有名な曲で、この曲と葬儀のときに歌った「いつくしみ深き」は、実は私の中で2大キライな曲・・・というか「え~、また?」的な飽き飽きした曲だったのですが、不思議とこの2曲は私が本当にまだ幼くて母の庇護下にあった懐かしい時代が蘇ってくるのです。歌の力って不思議・・・。母にとって母と子の関係が蜜月で黄金時代だった、母が一番愛しんでいたあの時代。私が二児の母になったいまでも、きっと母の中の私や兄は、いつまでたってもあの讃美歌の頃の小さな子供たちのままだったんだろうなあ。そんな気がしてなりません。

話を式に戻してっと。
聖書朗読はピンと来る箇所がなかったので、しませんでした。自分たちがピンと来ないものはやめようと父と意見一致して。

葬儀のとき普通は弔電というのがありますが、母の場合は全て手紙で事後報告で送ったので、電報ではなく、たくさんの心のこもった直筆の長いお手紙が届きました。これは感動ものです。小学校、中高、社会人時代の友達、手紙を読めば母の人生が分かると父が言っていました。
その中から代表で2通だけ、私と兄嫁さんで読みました。1通目は母の親友。母がクリスチャンとなったきっかけを作った人でもあります。もう1通は母が教会で一番尊敬していた人からのもの。個人的なお手紙を読むのはどうだろうという不安も少しあったけれど、親戚たちがみなすすり泣いているのを見て、みなの心に響いてくれたんだなあ、感じてくれる人たちなんだなあ、としみじみ嬉しかった。

音楽葬ですからね、今回も外せませんよ。母の姪っこ(私のいとこ)による独唱は、アメイジンググレイス。時々つっかえるところがまたご愛敬。彼女の澄んだ歌声、大好きです。
(葬儀のときは会食時に夏川りみの『童神』を歌ってくれました)

代表者によるお祈りはなし。最後は、それぞれが心の中で母と対話してほしいと、今度はシューベルトのアヴェマリアで長い黙祷。

母らしい昇天祭になったと思います。信仰は深かったけれど、形式ばらないというか心にピンと来ないことはしない母でしたからね。もちろん今回も牧師は呼ばないし、聖書朗読お祈りもしませんでした。
親戚はキリスト教形式の葬儀は初めてだし、色々型破りで面食らったようですが、それでも「いままでこんなに感動したお葬式はなかった」と言ってくれました。昇天祭もみなの心に残るものになってくれたら嬉しいなあ、と父と式次第を練った身としては願っています。

あ、ちなみに式の後に「千の風になって」も流しましたよ~。この歌詞はまさに母の思いを代弁してくれてますからね。父いわく、
「よ~し、これでおばさんたちも喪中だけど旅に出ること理解してくれるだろう」
ですって
父は年末年始は旅に出るそうです。出会いや楽しいことを求めて、ではなく、母とじっくり向き合い、これからの人生を考えるために。母の遺影を持って、母の一番好きだった沖縄の海眺めながら・・・。春にはお遍路さんを考えてるそうです。父らしいなあ。


※ 写真:多くの人が印象に残っていると言ってくれた母のミモザケーキ。両家顔合わせのときに登場したのもこのケーキでした。割るとね、中にはレモン色のババロアが入ってるんです。私の雑な性格では作れない幻のケーキ


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