LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

夢ある手抜き☆

2012-01-11 07:43:15 | Cooking&Baking


基本手抜き・・・粗食・・・シンプル食(うん、これが一番響きがいい!?)の我が家。
友達が来るときはそれなりに料理するけれど、普段はほーんとシンプル。よく言えばハレとケをきちんと分けるとでも言いましょうか
いや、でもね、今の人たちって飽食過ぎるんですって。毎日ごちそう、毎日がクリスマスで子供にまで成人病が増える 作らなくてもお惣菜いくらでも買えちゃうから食卓に並ぶのは豪華というのが実現できるんだな~。たまに品数が増えるからありがたみも増す・・・と自己弁護してみたりして
でも、全然病気しないうちの子たち、このシンプル食でいいのかな、って思ってマス。

さて、そんな我が家の昨日のシンプル食。手抜きは手抜きでもひと工夫加えて夢ある手抜きに~
いつも頼んでいる宅配ナチュラルコープで珍しく1.5斤の食パンがあったのでおうちにしてみました~子供たちからは歓声があがりましたよ~
スープも手抜き。クリームコーンに豆乳、塩・胡椒だけのシンプルポタージュにブロッコリーを入れただけ。
でもね、おうちの形にするだけでなんか楽しいんです。パンとスープだけなのに

写真では見えないけれど、中には小人さんが入っていて、窓からのぞいているんですよ~

「え~(これだけ?)」から「わ~」へのひと工夫。
気分は森のレストランでした♪みなさまのひと工夫もぜひ教えてください。



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今年のテーマはアン!?

2012-01-08 01:43:55 | 
  

はい、とっくに明けちゃってますね
昨年は拙ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!

さてさて、年末は父と宮古島で過ごして来ました~。沖縄の海の色が一番好きと母が言っていたので遺影を持ってね。チビたちのせいで?おかげで?なんともにぎやかな明るい旅となりましたが、宮古島レポートはまた追い追い~。どこまでも続く色とりどりの碧い海、乳白色の砂浜、汚しちゃいけない!って思いました。

えー、今年の抱負。毎年個人的なことここで宣言してどうするんだという思いもありますが、宣言すると後には引けない効果がありまして昨年は、女優への道&裁かないこと、なーんて掲げてました。一昨年よりは宣言したことで常に意識し、少しは進歩できた気がします・・・家族以外に関しては 今年は、それをきちんと家庭内でもできるようにすることですね、ハイ。なんとも低レベルな目標。まずは足元の家族でしょーに。はい、心します

もうひとつ今年のテーマは 

「世の中を美しくすること」

これを日々意識していきたいと思います。あー、書いちゃった。ちょっと恥ずかしいけど、宣言しちゃった これ、どこから来ているかというと・・・バーバラ・クーニーの『ルピナスさん』という絵本、みなさん御存じでしょうか?チビもお気に入りです!

 

「世の中を美しくするために何かできることをしなさい」とおじいさんから教えられて育ってきたルピナスさん。おばあさんになってしたことは村中にルピナスの花の種をまいて、花でみなの心をあたたかくすることでした。絵本なので短いけれど、深い!
これを読んだとき、亡き母が生涯を通じて愛してやまなかった『赤毛のアン』シリーズのアンの生き方を思い出しました。シリーズ第二巻の中でギルバートが人類に恩返しするため医者になりたいと告白するのに対し、アンはこんなことを言うのです。

「あたしは人生の美しさを増したいと思うの」とアンは夢みるように、「人間の知識をもっと深めたいというのとは少しちがうわね・・・もっとも、それこそ一番気高い理想だということは知ってますけどね・・・でも、あたしは、自分がこの世に生きているために、ほかの人たちが、いっそうたのしく、暮せるようにしたいの・・・どんなに小さな喜びでも幸福な思いでも、もしあたしがなかったら味わえなかったろうというものを世の中へ贈りたいの」

これこそ母も目指していた生き方でした。そして、多くの私の友達も確かにそれを母から受け取ったと言ってくれています。母と私は性格も違うし、やり方も違うけれど、でも大きな枠で同じような生き方目指したいな、と。余談ですが、最後に母が読んでいた本、枕元にあった本はアンのシリーズでした・・・

あー、こうやってここで宣言しちゃうとまた家族から「そんなこと言って全然実践が伴ってない!」と言われちゃうんだろうな~よし、言わせなくってよ~。
母と違って、細やかさに欠け、雑な私なので“美しい”という表現にあてはまることはできないかもしれないけれど、でもひとつひとつの出会いを大事にして、相手が何かほわっとした気持ちになってくれたらいいなー、と思います

2012年、種まきの年。

今年もみなさまにとって、あたたかいものが心にいっぱい流れる一年になりますように


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楽しや遺品整理

2011-12-20 11:26:35 | 
  

父より母が先に逝ってしまった場合、遺品整理は往々にして娘の手にかかるのではないでしょうか?
私は別に頼まれたわけでもないけれど、この片付け下手な私が!!!何かにとりつかれたかのように猛烈整理に勤しみました~。うん、がんばったよ、私
今回のことで、我が家はボーイズ2人・・・本気で女の子がほしくなりました。整理のためだけじゃないけど!

がんばったとはいえ、母は残された人たちが困らないようにと色んなものを整理してくれてありました。それでも、こんなに大変なんだもの、何もしていなかったら・・・とつくづく準備の良い母に感謝で、ひと段落したら私も自分ち断捨離するぞーって燃えてます。膨大な写真も独身時代、新婚時代、家族編、旅行編と数冊にまとめあげてあったのはお見事。人生がシンプルにぎゅっと凝縮されていました。

さて、遺品整理。多分一番困るのは個人的な写真や日記でしょう。子供たちが読んで戸惑うであろう内容のもの(恋愛の話とか?)は元気なうちに全部自分でまとめ、処分してありました。私たちへのメッセージがいっぱいつまった子育て日記や手記だけ手許に残して。私もやろうと決意。少なくとも半生はもうまとめられるはず。あー、もうそんなに生きちゃったか(笑)。

かなり整理はしてありましたが、洋服類は手つかず。本人も生前「やらなきゃやらなきゃ」と口癖のように気にしていたけれど身体がだるくてできないと言っていたので、まずここから着手。呆れるほど(笑)、新品の服やらクリーニング済みの高級な服が出るわ出るわ。おしゃれだった母がこれらに腕を通すこともなく、おしゃれの気力もなくなっていたんだなあと思うとちょっとしんみり。
若い頃茶道をしていたので、着物類もいっぱい。私はサイズが合わないので、写真のように帯だけ数点インテリアとして残しました。海外ではOBIアートとしてオリエンタルなおしゃれとして楽しまれてるのですよー。まあ、このセンス、分からない人もいるみたいですが・・・私は好きです。

さて、山積みの洋服。まずは資源ゴミに出さざるをえないものを処分。残りは、日本ではそのまま着れないけど、海外なら十分通用するものは古着リサイクルシステム『フルクル』へ。こちらは国際協力NGO、ブリッジエアージャパンが運営しているもの。
新品同様のもの、高級服はWe21ジャパンに寄付しました。寄付されたものはそのままショップで売られ、住むまちでリユース・リサイクルを進めるとともに、その収益 で、アジアの女性たちが自立して暮らしていけるよう民際支援を展開するというもので、なかなかしっかりしたビジョンを持ってて素敵なところ。常にどこかに寄付して、恩送りをしていた母なので普通のリサイクルショップに売って自分が収益を得ても、その収益はきっと寄付に使うだろうと思い、最初からWe21さんみたいなところに持って行きました。少しでも活用されたら嬉しい。

あとは、母が溜め込んでいたのはきれいな箱類や包装紙などなど。クリスマスの時期になるとたくさんクッキーやマドレーヌを焼いて、きれいにラッピングしてお世話になった人たちに送ってたんですよねえ。
だから、今年は代わりに作りました。5種類!結構大変で、これ母一人でやってたのかあ、とびっくり。不器用な私に代わって、兄嫁さんがきれーーーにラッピングしてくれました!母と同じように。これで、溜め込んでいた包装類もほとんど使い切り!達成感!
母が送りたかったであろう、母の友人たちに送り、そのやりとりもほっこりしたものとなりました


遺品整理というとあまりいいイメージがなかったのだけれど、実際にやってみるとまるで母と対話をしているかのようでした。だから楽しかったー
「なんでそんなに急ぐの?」とちょっと情が薄いようにも思われたかもしれないけれど、遺品整理って故人と向き合う作業だと思うんです。そんなことを思っていたら、その思いを見とおしたかのような断捨離メールマガジンが届いて、そのタイミングにもびっくり。遺品整理は故人を忘れるためではなく、逆に発見する、前に進むための作業なんですよね。

さんざ遺品整理がんばった私とか書いていますが、実際には自分の荷物も多かったのは正直に打ち明けましょう。ええ、兄や私の結婚前の思い出の品や荷物もたんまり。す、すみません、自分たちがスッキリ暮らすために実家に溜め込んでました~。というわけで、こちらも猛烈処分。卒業アルバムもサヨナラ~。人によっては大切かもしれないけれど、私にとってはスナップ写真の数々のほうが思い出深いと判断したので。
タンスが二つ、物入れケースが三つ、勉強机一つがサヨナラできました。あとは色んなものがバザー行き~。あー、爽快!

自分のものだと大したものないし、バッサバッサとゴミに出してしまうのだけれど、モッタイナイ世代の母の意向をできるだけ汲みながらできるだけ活かす方向で進めたので時間かかってしまった。けれど、満足です。

さあー、自分ちの断捨離やりますよぉ~・・・4月になってチビチビが幼稚園に入ったら(←おいっ)。


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ぷぷっと生き方上手

2011-12-16 02:26:46 | 
 

重い話題が続いたので、ここいらでほっとブレイク~

母は子育て中の子供に対する思いなど手記で残してくれていて、そのほとんどがじーんとしたり、涙ぐんだりする内容なのですが・・・私との会話をメモした束を発見~
あー、忘れてた。こういう楽しかった自分。まじめで神経質だった母は、母の小言やヒステリー(?)にもユーモアでかわす娘が楽しかったようです。こうやってかわして人生楽しんでいたのにな。生き方上手だったのになー。

いつの間にか大人になって忘れていましたよ、この感覚。・・・忘れていたというより、大人になって中にはこういう反応を「失礼だ」と真面目にとらえる人もいることを知って封印していったんだな
内輪ネタ多いけれど、母との思い出だから、懐かしい自分も書き記しておこうっと。

さて、ここにメモされた会話のほとんどは小学校2、3年の頃のもの。しっかし、この頃から基本毒舌だったんだわ
ちょっと説明入れときましょう。当時私は自分のことを“主人公さま”と呼び、自分が主人公の素晴らしい物語(人生)を謳歌していました。だから、会話も役者風(笑)。文字では声の調子を伝えられないのが残念ですが・・・。仮で母を花子、私を桃子としましょう(年長のとき桃太郎演じたので~)。

まず、メモの最初の一文を読んで「ちょ、ちょ、母上~」とずっこけてしまいました
そこには『赤毛のアン』シリーズをこよなく愛し、娘が生まれたらアンの末っ子で秘蔵っ子の“リラ”という名を自分の子にも付けようと考えていた母の正直な思いが・・・

「リラ・マイ・リラ」からリラと名付けたかったけれど、私たちの子ゆゑ、ゴリラの可能性ありで止めることにした。ないものねだりで美しい娘が欲しかったけれど、今はユーモアのある想像、創造力のがる我娘で本当に良かった。楽しい日々です。

って!!!つっこみどころ満載なんですけど!?こう書かれて傷ついたりするようなヤワな娘じゃあありません。当時の私は自信たっぷりで幸せでしたからね~。どんなに素晴らしい娘を持ったのか認識せよ、と日々家族全員にその布教に努めておりました(笑)。こんな感じにね。

【私って素晴らしい編】

◆自分を指して「これ可愛い子ちゃん」
母を指して「これ、こわい子ちゃん」

◆まあー、お母さま。そんな瞳で私をじっとみつめてはいやよー。
マダム・ヤ~ン。私のこの美しさをそんなにうらやまないで。

◆(母):「桃ちゃん幸せ?」
(私):「あったり前よ!!じゃあ、何かい?第四主人公、お前は不幸とでも言いたいのかね。」

◆心の貧しき者は幸いなり。天国は彼らのものである。
この家の人は幸いなり。なぜなら主人公様がいるからである。(聖書のパロディー)


【母の怒りかわし編】

◆あら、お母さん、忙しいといっても怒る時間は別にあるんだね。一日のスケジュールに入っているわけか。

◆君ィー、主人公さまに怒るとは何ごとです。お姫様をおこらせるとたたりがあるぞ!!

◆そう、それでいいのです、花子さん。自分の罪がよくわかりましたか?桃さまを叱ってはいけないのです。

◆(母):「お母さんって大変。病気でもお料理しなくちゃならないなんて」

(私):「お母さんだって、子供のときは充分いい思いをしてきたではありませんか。
でも、私だったら何といっても“夫に全部させちゃうな、ルンルン”」

◆お母さんは少しおこりすぎるんですよ。過保護でなさすぎるんですよ。

◆(母):「そんなこと自分でお決め」

(私):「おかーあさま。私今はどうしてか自立ができませんの。教えてください。お母さま教えて下さい」

(母):「いいえ、自分でお決め」

(私):「なに!困っている子供をたったひとつでも手助けしてあげたいと思うのが親というものではありませんか。神はまたこうも言われた。汝の子を愛しなさい。手伝ってあげないさい」

◆分かっていますよ。春の海のようなおだやかな心になりなさいでしょ。
でも、桃は今荒れ狂う夏の台風の心なのです。

◆(私)「お母さんせっかく病気になれたんだから、桃が全部してあげるからご安心ご安心」

(母)「もう少しきれにに拭いてね」

(私)「たいした病気ではないようね。子供を叱る元気はいっぱいあるから」

◆お母さん!そんなにえばるけど、私たちがいなければ親になれなかったのよ。感謝しなさい子供に。

番外編
◆(兄):「桃、おもちゃが落ちてるぞ。片付けろ!!」

(桃):「お兄ちゃん、この頃、評判が落ちていますよ」


【母のシワいじめ編】

◆(母):「あ~あ、もう四十才かあ」
(私):「まだまだ人生これからですよ。子供をしごいて鬼ババアとなって、死んでゆく仕事があるじゃありませんか」

◆お母さんごめんなさい!!!許してください。桃を産んだばっかりにこんなにおばあさんになってしまって。

◆お母さん、そんなに怒ると小じわがふえますよ。

◆(母):「桃とお母さんはあんまり似てないわね」
(私)「目と鼻と口があるのは似てるけど、私には小じわがありませんことよ。オホホホホホホ」

◆(母):「ああ、一日の終わり一年の終わりの何と早いことか」
(私):「ああ、お母さんの小じわのふえるのもなんと早いことか}



【食べ物編】

◆ただいま~。お母さま。今日はまず初めに悲しみのご報告をせねばなるまい。
なんとなんと算数のテスト75点とは。
でも、母よ嘆くでない。もうすぐ喜びのおやつの時間じゃ。

◆ああ、私は夢を見ているのだろうか。いや、しかし、肉体はここにある。
どれ、フルーツでも食べて確かめてみようか。

◆(母):「おやつはもう終わり」

(私):「お願いもうひとつだけ。美しくて、優しくって、天才的で何でもハイと言うお母さま。今日は小ジワも一段と美しく見えるお母さま。ああ、奥さまこの貧しい娘にどうかひとつお恵みを」

◆(私):「(意地悪婆さんそっくりの口調で)ハ・ナ・コさん、私のお皿の肉がみなさんより少し少ないようですよ」

(母):「だってあなたは一番小さいんだから当たり前でしょ。」

(私):「家で一番大きい胃袋はこの私なんざんすよ。分かりましたか、ハ・ナ・コさん!」


【その他

◆ああ、家も貧しければよかった!そしたら、お兄ちゃんと桃はケンカばかりしないで協力しあって生きてゆけるのに

◆ああ、ああ、桃さまただいま退屈病よ

◆(父):「ああ、昨夜は蚊との格闘で眠れなかったよ」
(私):「まあ素敵。何と男らしいんでしょ。格闘だなんて!」

◆(母):「いけない!また失敗しちゃった」
(私):「あのー、失礼なことお伺いしますが?お母さんになるための試験ってあったのでしょうか?」

◆(母の後を虫メガネで見て追いながら)奥さん、ずいぶん大きなお尻ですなあ


聖書や本の中のセリフからのパロディーも多く、こんな感じで、毎日の会話が楽しい家庭でした。懐かしいなー。
私もイラっとしても子供にこういう風にかわされたいわん。日々“真剣”ではあっても“深刻”にはなりたくないなー。やっぱり人生笑いよねー

※写真:母の親友が訪ねてきたとき、母を真似て庭から摘んだ花飾ってみたけれど、やっぱりなんか洗練されてない~


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母の昇天祭

2011-12-12 01:29:25 | 


母の追悼特集にブログをしようと思いつつブログ放置して早1カ月・・・いやー、早かったです。

前回葬儀のことをブログに書いて、内心ドキドキでした。不謹慎と思われるかな?とか個人的すぎることブログに書いてどうすんの?とか。
でも、たあくさんの個メールやお手紙をいただいて、予想外でびっくりでした。音信不通だった人や懐かしい人たちからも。特に中高時代の同級生からは、私が忘れていたエピソードや思い出を書いてくれていて、1~2回しか母に会ってない人たちからも、お決まりの文句ではない、母との個人的な思い出を書きつづってくれていたのがとっても嬉しかった

普通の人が「ま、いっか」と手抜きをするところを、母は逆に“もうひと手間”かける人だったんだよ、と父。庭からつんだ花を添えたりね。
小さなことかもしれないけれど、これがなかなかできない。それが一人一人の中で母の印象を大きくしていたんですね。一回しか会ったことがないのにこと細かに母との思い出を覚えていてくれている、あらためて母はいろんな人の人生にじわじわっと影響を及ぼしていたのだなあ、としみじみしてしまいました。
専業主婦だったのに。外で活動していたわけではなく、ただ「日常を丁寧に、輝いて生きる」、それが全てだったのに。その母の大事にしていたことが、みなさんの心の中に残っていたことが、すごく嬉しかった。ありがとうございました。

今日はそんな母の昇天祭でした。
昇天祭とは、仏教でいう四十九日のようなもの。特に決まった形式はないので、今度は自宅でまたまた音楽葬。母の希望でもあったのでね。前回の葬儀の話がとても参考になったというご感想を多数いただいたので、昇天祭についても書かせていただきますね。自分の記録、記憶としても・・・。

不思議なことに、1ヶ月後が昇天祭と知らない人たちから、まるでこの日に合わせるかのように続々とお花が届きました。
これまた別途書くつもりですが、今回母の死に関してはいろんなことが母の思惑通りに進むというか、母の手のひらで回されれるというか・・・すっかり母のペース。不思議なことがいっぱい。肉体の終わりは魂の終わりではないんだな。

さて、自宅での式。
たくさんのお花に囲まれてほほ笑む母の写真の前にみなで座り、母の指定していたヘンデルのラルゴでまず黙祷。
迷ったけれど、今回も讃美歌を2曲歌いました。私のつたない演奏で。ピアノ習ってよかったと初めて思いました。娘が自分の葬儀や昇天祭で伴奏するなんていかしてるじゃないか(←自分で言うなって!?)だけど、だって私も自分のときは長男に弾いてもらいたい~

今回の讃美歌は「主我を愛す」という有名な曲で、この曲と葬儀のときに歌った「いつくしみ深き」は、実は私の中で2大キライな曲・・・というか「え~、また?」的な飽き飽きした曲だったのですが、不思議とこの2曲は私が本当にまだ幼くて母の庇護下にあった懐かしい時代が蘇ってくるのです。歌の力って不思議・・・。母にとって母と子の関係が蜜月で黄金時代だった、母が一番愛しんでいたあの時代。私が二児の母になったいまでも、きっと母の中の私や兄は、いつまでたってもあの讃美歌の頃の小さな子供たちのままだったんだろうなあ。そんな気がしてなりません。

話を式に戻してっと。
聖書朗読はピンと来る箇所がなかったので、しませんでした。自分たちがピンと来ないものはやめようと父と意見一致して。

葬儀のとき普通は弔電というのがありますが、母の場合は全て手紙で事後報告で送ったので、電報ではなく、たくさんの心のこもった直筆の長いお手紙が届きました。これは感動ものです。小学校、中高、社会人時代の友達、手紙を読めば母の人生が分かると父が言っていました。
その中から代表で2通だけ、私と兄嫁さんで読みました。1通目は母の親友。母がクリスチャンとなったきっかけを作った人でもあります。もう1通は母が教会で一番尊敬していた人からのもの。個人的なお手紙を読むのはどうだろうという不安も少しあったけれど、親戚たちがみなすすり泣いているのを見て、みなの心に響いてくれたんだなあ、感じてくれる人たちなんだなあ、としみじみ嬉しかった。

音楽葬ですからね、今回も外せませんよ。母の姪っこ(私のいとこ)による独唱は、アメイジンググレイス。時々つっかえるところがまたご愛敬。彼女の澄んだ歌声、大好きです。
(葬儀のときは会食時に夏川りみの『童神』を歌ってくれました)

代表者によるお祈りはなし。最後は、それぞれが心の中で母と対話してほしいと、今度はシューベルトのアヴェマリアで長い黙祷。

母らしい昇天祭になったと思います。信仰は深かったけれど、形式ばらないというか心にピンと来ないことはしない母でしたからね。もちろん今回も牧師は呼ばないし、聖書朗読お祈りもしませんでした。
親戚はキリスト教形式の葬儀は初めてだし、色々型破りで面食らったようですが、それでも「いままでこんなに感動したお葬式はなかった」と言ってくれました。昇天祭もみなの心に残るものになってくれたら嬉しいなあ、と父と式次第を練った身としては願っています。

あ、ちなみに式の後に「千の風になって」も流しましたよ~。この歌詞はまさに母の思いを代弁してくれてますからね。父いわく、
「よ~し、これでおばさんたちも喪中だけど旅に出ること理解してくれるだろう」
ですって
父は年末年始は旅に出るそうです。出会いや楽しいことを求めて、ではなく、母とじっくり向き合い、これからの人生を考えるために。母の遺影を持って、母の一番好きだった沖縄の海眺めながら・・・。春にはお遍路さんを考えてるそうです。父らしいなあ。


※ 写真:多くの人が印象に残っていると言ってくれた母のミモザケーキ。両家顔合わせのときに登場したのもこのケーキでした。割るとね、中にはレモン色のババロアが入ってるんです。私の雑な性格では作れない幻のケーキ


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母の葬儀を終えて

2011-11-18 20:30:49 | 徒然日記

母が旅立ちました。68歳でした。
世間的には決して早すぎるという年齢ではないけれど、私たちにとってはやっぱり早すぎました。

いくつになっても、母の存在というのは大きく、何とも言えない感情がぐるぐる渦巻きます。
子供がいることもあり、私はあまりにも普通に日常生活を送り、平然としているように見えるようで周りからは驚かれますが、それには訳があります。それはまた別途。今日は葬儀のことを書き綴りたいと思います。

母の葬儀のこと、こんなことブログに書くべきじゃないのかもしれません。
でも、ひそかにこのブログを応援してくれていた母、こんな葬儀の形もあるのよということを書いてね、と言われているような気がして。私が嫌がるので、母は一度もこのブログを読んだことはありませんでした。が、ことあるごとに「これ、ブログに書いてよ」なんて言っていたので・・・。

残された人々にできるだけ負担をかけたくない、そんな思いから数年前の元気なときから両親は遺言書を書いていました。葬儀のスタイルはもちろん、死後連絡してほしい友人のリストなどなど。これ、ホントに助かった!私も書かなきゃ~。
何か予感があったのでしょうか?旅立つ一週間前には葬儀で流してほしいBGMがMDに編集されていました。
我が家は自分の葬儀はこうしてほしい、ああしてほしいとオープンに楽しく話し合うような家庭だったので、母の希望は大体は把握していたけれど、一時期の友達も呼んで楽しくという希望は最後のほうにはなくなっていて、本当にごくごく内輪の家族だけ・・・となっていました。自分の血縁兄弟、夫、子供とその配偶者、孫、姪、甥のみのわずか13名の参列。受付なし、弔電読みもお香典も一切なし。見栄や価値観さえも、本当にいろんなことがそぎ落とされ、シンプルになっていました。

自宅でのお通夜も、心にじんわりと残る思い出深いものとなりました。
しめっぽくなく、父、兄夫婦、私たち家族だけで、子供たちがいることもあり、いつものようににぎやかに楽しく会食。夜だけれど、母が大事にしていたティータイムを、母が大好きだった日影茶屋の林檎のシブーストと紅茶で。
その後は、兄嫁、殿&子供たちには失礼してもらって、父、兄、私の“母の築いた家族”だけで、母のアルバムをめくりながら思い出をしみじみ語り合い・・・寝る前に母に言えなかった感謝や懺悔の気持ちをそれぞれが手紙にしたためてお棺に入れました。母とそれぞれが向き合う、静かでとても大切な時間を持てました。

母はクリスチャンだったので、葬儀はキリスト教式でしたが、牧師も呼ばないスタイルでした。
信仰深く、毎日の生活が祈りと共にあった母でしたが、教会の人間関係、教義に疑問を持ち、ここ数年は、「神は生活の中にあり」と教会に通うことはすっかりやめていたのです。

式場には母の切り絵をできるだけたくさん、飾りました。
母の姪と私(!)の伴奏で、讃美歌312番と320番を歌い、兄がリードして詩篇23篇をみんなで交読。母はプロテスタントでしたが、カトリックの姪がアッシジの聖フランシスの祈りを朗読してくれて、これがとってもよかった。自分の葬儀のときもこれを朗読してもらいたい!って思ってしまった。父も同感だったもよう。

お線香の代わりの献花は優雅な気品溢れる白バラを選びました。献花のときに流れていた母セレクトのBGMが心にぐっときてしまって・・・。『地球交響曲第六番』のサントラの中から鯨の歌とカッチーニのアヴェマリアでした。バッハでもグノーでもシューベルトでもなく、カッチーニ!なんて切なく胸に迫ってくるのでしょう・・・。

火葬場で、通常お坊さんがお経を唱える場面では、父のハーモニカの演奏で讃美歌405番を。
卒業式でよく歌われる讃美歌で、「神ともにいまして、ゆく道を守り・・・また会う日まで」と力強く送り出す曲です。
本当に本当にまた会う日までという気持ちになれて・・・これからも違う形で母は見守っててくれる、これからも母との関係は続いていく、と確信しました。


正直、参列したがっていた母の仲の良い友人たち、ご近所さん、父方の親戚をここまで頑なに断る必要があったのだろうか?来たい人は来てもよかったんじゃないか?そんな思いもよぎりました。ましてや、語弊があるかもしれませんが、とても素敵な葬儀だったので、もっと多くの人に見てもらいたかった、そんな思いも抱きました。祈りと賛美と花に満ち溢れたお別れのときでした。

でもね、前日にピアノの伴奏を何時間も練習したり、参列者に配る母伝授のお菓子を兄嫁さんと一緒に焼いたり、アルバムを何度も何度もめくって思い出を語り合ったり、母に手紙を書いたり・・・こんな余裕は受付や香典返し、挨拶に抜かりがないように、などなどで頭がいっぱいになってたらできませんでした。よく葬儀前後はバタバタで悲しむ余裕もないというけれど、余裕があったおかげで、悲しむというより母との思い出にじっくりと浸り、心からのお別れをすることができました。

何も葬儀に出席することだけが、故人を思うことじゃない。むしろ、出席したらそれだけで終わってしまうかもしれないけれど、母の元にはその後思い出をしたためた手紙がたくさん届きました。母の友人たちもそれぞれ、母の思い出としみじみ向き合う時間を持ってくれたんだな、と知れて嬉しかった。


伝えたかったことがたくさんあった母、でも表現する場のなかった専業主婦だった母。
このブログもしばらくは母追悼シリーズになりそうです。長くなりますが、よかったら、お付き合いください。




我が家の脱電生活

2011-11-09 13:59:21 | お気に入りのモノ
 

というタイトルから連想されるような大袈裟なことはしてませんが・・・

電気が自分の賛同しかねる方法で作られていて、その構造に疑問を持っているのなら、まずは自分たちの生活できるところから見直したいな、って。例えそうすることが構造自体を変えることに何ら影響を及ぼさないにせよ、そうしたいな、という私の思いを汲み(?)、ムリのない範囲でできるところから着々と進めている殿なのでした。
(↑口先だけの私と違って、実際に行動に移すのは殿のほうです、はい。)

さて、テレビなし、炊飯器なし、電子レンジなしの我が家。ヒーターはあるけど、薪ストーブ中心だし、掃除機もあるけど、箒&塵取でほとんど用が足りる。一般家庭に比べたら電化製品は少ないほうだけれど、我が家の欠かせない大型電化製品といえば・・・

 洗濯機、冷蔵庫、パソコン!!!

洗濯機に関しては、以前手回し洗濯機というのにチャレンジしましたが挫折
おとなしく、ありがたく謙虚に電気に頼らせていただきたいと存じます

冷蔵庫・・・調子が悪くなってもうダメか?となってから早1年・・・もっています
が、10年以上たっているので寿命は確実に来るんだろうなあ。これに関しては、あー、やっぱり非電化冷蔵庫がほしいっ!!!食べ物を保存するのに電気の力を借りないほうが自然な気がしてしまって・・・理想論ですが。

そして、パソコン。テレビなくてもネットからは離れられない我が家なので、殿が購入したのが・・・じゃーん!写真のソーラー式ポータブル発電器です。そんなに高くないです。1万5千円くらい?サンオーブンの半額!スーツケース型になっていて持ち運び可です(実際には重くて車以外では持ち運ぶ気にならないけど)。

さてさて、このソーラー式発電器なのですが、なかなか使い勝手が悪い(笑)。
まず、我が家は三方を山に囲まれていて日照時間が少ないこともあるのかフルに蓄電するまでに3日くらいかかります。で、冷蔵庫、除湿機のようなモーターを使うものへの使用は向いてないので、数少ない我が家の電化製品に使えない~。ブツブツ。

で、パソコンにつないだところ・・・むむむっ。なんだか、この雑音は!?モーターが周る音、かーなーりー気になります

と、最初は少々不満だったものに、ふと思いました。この気になるって大事だなー、って。使っているという実感がないから電気の無駄遣いしちゃうんじゃないかな、と気づいたのです
モーターがぶんぶんなっていると、「ちょっとネット見過ぎじゃないのー」と言われてる気がして、「はいはい、使ってますよー、あなたは今電気使ってますよー」とチクチク言われてる気分(笑)。
あ、パソコン消さなきゃっていう気になります。ネット中毒気味で離れたい身としては、いいね、いいね~

単なる自己満足です、はい。でも、いいんです。太陽の恵みにありがたや~、って思って暮らすほうが楽しいんですもん。殿は携帯充電用のソーラーチャージャーも購入
屋根には太陽熱温水器も取り付けています。
おひさま、ありがと~

室内照明に関しては・・・日が沈むと共に子供たちと共に早く寝れば解決デス
“自然のリズムに沿った暮らし”という名目のもとに殿が帰宅しても気づかず子供たちと寝てる日も少なくない・・・ということは内緒です
ってことで、早寝遅(←おいっ)起き万歳~


確かに、同じ電気を使うなら使ってることを実感しながら、ありがたや~と思いながらのほうがイイと思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓
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手許に置きたい本

2011-11-01 19:44:06 | 本・映画


週末は、MMちゃん宅に秋のアフタヌーンティーにお呼ばれしてきました。旦那さんがYouTubeでバグパイプの演奏をかけて、気分を盛り上げる(笑)。イングリッシュスコーンに、マクロビアップルパイ、天然酵母のサンドイッチに紅茶。メープルシュガー入れ忘れた~、と言っていたけれど塩味のスコーンが絶品。これにつけるMMちゃんのお母さま手作りのジャムがまた美味しくて。ルビー色の琥珀のようなリンゴジャムの色の美しさ。液体だけを集めて果肉が入っていない分、スムーズな上品な色合いのとりこになってしまいました。MMファミリーありがとう!

こういうお茶会といえば、思い出すのが、小さい頃大好きだった『赤毛のアンの手作り絵本』という赤毛のアンの料理本。そこに出てくる素敵なお茶会の数々・・・ため息ものです



もうもうイラストが素敵。添えられてる文章も素敵で、胸をときめかせて何百回めくったことでしょう。特にお気に入りの場面は白樺の雑木林の中でのピクニックお茶会。手許に置いておくだけで心が豊かになれる、空想をどこまでも広げてくれるような料理本を超えた私のバイブル。

思い返せば、赤毛のアンの大ファンでロマンチストの母に育てられた私。15時になるとウエジウッド、マイセン、ミントン、ロイヤルコペンハーゲンなどの中から、それぞれがその日の気分で、好きな器を選んで、母手作りのマドレーヌやシフォンケーキをいただくような家に育ちました。BGMはもちろんクラシックで。ケーキには必ず花やミントが飾られ・・・お客さまがいなくてもきちんとな毎日。なのに、ああ、どうして私はその血を引かなかったのか。そういうきちんとしたお茶会も自分もしたいと思う一方で、そのために食器を集めたりということにどうしても興味が持てないのです・・・。懐かしくなったら実家に行こう(笑)。

赤毛のアンも全巻読んで夢中になったけれど、正直ロマンチストな部分は私にはこそばゆいことも多く、より夢中になったのは『ハイジ』や『大草原の小さな家』シリーズ。アニメでいったら『ふしぎの島のフローネ』。文明社会から離れたものが好き(笑)。よりシンプル、原始的なものにひかれ、大学の卒論は文化人類学いっちゃったほどだものね。育った環境は関係ないなあ

 というわけで、いま手許にあるのはただいま絶賛ハマり中の上橋菜穂子さんの“守り人”シリーズから出た料理本『バルサの食卓』です。ファンタジーなので架空の国の料理だけれど、素朴なアジアンな料理にワクワク。手のこんだ手作りスイーツをいつも用意してくれ、あんなに丁寧に育ててくれたのに・・・違う方向にいってしまって、お母さん、なんかゴメンナサイ(笑)。

と自分の趣味は違うものの、やっぱり『赤毛のアンの手作り絵本』は私にとっては特別。幼少期の母との思い出とでも言うのかしら。あの美しい世界に触れていたくて、いまでも実家に帰るたびにめくってしまいます。
最近では、本も断捨離していて、図書館で借りればいいと思うようになったのだけれど、こういう本だけは、いつまでも手許に置いて何度も眺めたいなあと思うのです。心の潤いのために
みなさんの手許に置いて何度でも眺めたい本もぜひぜひ教えてください


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海辺のモテ男

2011-10-29 02:41:03 | Nature


うわさのあの人。見かけたことは何度もあって、でも人見知りの私には声をかけることはできませんでた・・・。が、ついに本日、連絡先交換!!!
この辺りでは有名な名物おじさん。子供たち&ママたちにモッテモテな理由は海の幸をくれるから(笑)。
頭は白髪交じりの角刈りで、前歯が二本かけているせいか、いつもゆるっと笑っている口元。いい感じでしわくちゃに日焼けした顔につぶらな瞳のおじさんは、御歳70歳。

海岸で子供たちと遊んでいたら、いつの間にかおじさんの周りにむらがる子供たち。遠目に眺めていたら何やら砂浜を手で掘っている。・・・と、取りだしたのは蟹。おじさんの手にかかると魔法のようにポンポンと、次々と蟹が現れるのです。手品みたい。わー、私も知りたーい、と駆け寄る母
なんでい、そんなことも知らんのとおじさんは半ば呆れ気味にも、実は都会っこな母たちにも捜し方を教えてくれました。

まず、細長い棒(茎のようなのがベスト)を見つける。砂浜に穴があいてたら、そこが蟹の穴の入口。穴の大きさでどのくらいの蟹かが分かる。その穴に棒を静かに突っ込むとたいていは斜めに入るので、入った長さ分離れた箇所の穴を掘ると蟹が発見できるというわけ。30cm~50cmくらい、結構掘ります。いとも簡単におじさんは百発百中でホイホイと蟹を取りだすけれど、初めての私にはやっぱり難しかったー
「ホラ、見てて。こうやって乾いた白い砂かけても見つかるよー」
と適当に掘った穴に白い砂をかけ、砂が白いまま残ってる箇所をどんどん掘り下げて行く。お・も・し・ろ・い!まさに砂浜ワンダーランド

それからおじさんは、「ホントになんも知らないんだなあ」と呆れながらも、濡れずにお手軽に取れる海の幸をいっぱい教えてくれました。

今日だったら10時頃、明日だったら11時頃にあの川辺に行けば水たまりができてるから、そこに鮎がいるよー。
えー?鮎なんていそうな川じゃないんです。そんなにキレイじゃない。蟹も季節によっては蟹汁にできる大きいのが取れるそう。うまいよー、とおじさん。

「ママさん、鰻は食べるかい?」
鰻の産卵期になると、本当になんてことのないコンクリートの壁のある、海に注ぐあそこの川で天然の鰻がとれるそう。
「天然だからね、うまいんだ、これが。9月の満月だよ。満月じゃないととれないんだ。今のママさんたちは自分で下せないからオレが下してからあげるんだよ」

「伊勢海老は好きかい?伊勢海老は、大潮のとき、あの辺(指さす)歩いてると急に深くなるところがあって、そうだなー、1m50cmくらいかな。そこに50匹くらいかたまっているよ。タコもいっぱいだね」

「ホラ、あの岩場に緑色の箇所見えるでしょ、あれが青海苔。三月にとるとうま味が増してるからね」

「ワカメは風が強い日の翌日打ち上げられてるのを拾う。ここのは味が違うよ」
確かに。おじさんからもらったというワカメを他のママ経由でもらったことがあるのだけれど、絶品でした

おじさんの話しはつきることなく続く。魚屋さんには絶対に並ばないけれど、聞いたこともないような名前の絶品の魚の話しが次々と。食べ方から茹で方のコツまで、さばけなかったらさばいてやるよ、と。一緒にいたママと興奮して聞いてしましました。鎌倉の海で、しかも家から歩いて10分のところで、こんなに海の幸がお手軽に取れるとは驚き!

「海だけじゃないよ~。いまの季節だとあの公園の山で自然薯が掘れるから、行こう」
え。自然薯?確かに鎌倉には里山が多いけれど、こんな人通りの多い、公園でとれると思ってなかった!

「春は木イチゴだ。けど、木イチゴは人気だからすぐなくなるよ」

とっては、ママたちにあげているというおじさん。あれとってー、これとってー、とリクエストも尽きないそう。ウニ、タコ、下手したら密漁の範囲内なのでおまわりさんに呼ばれたというウワサもあるけれど、めげない。本当に楽しそうに子供たちに教えてくれるのです。まさに海の学校!

「じゃあねえ、とれるとき教えてあげるから連絡先ここに登録してくれる?来るときは必ず子供も連れてくんだよ~」
とスマートに似つかわしくない携帯を取り出すおじさん(笑)。入ってる入ってる、30歳も40歳も年下のママたちの連絡先(笑)。あら、あの人もこの人も、と知り合いも既に結構登録されてて笑ったー

いままでもここの海が大好きだったけれど、ただきれいな風景として、そして子供たちの楽しい砂遊び場として、だったような気がする。おじさんの話しを聞いていたら、その同じ海が、急に生命あふれるキラキラした命のワンダーランドとして目に飛び込んできました。ああ、だからこそ・・・とワクワクと同時に切ない思いも胸にこみあげる。海を汚しちゃいけないよね。合成洗剤で、放射能で・・・。

気づけば夕方で、空は茜色に染まり、海には紅色の光の道筋が。まあるい夕陽がつり竿を持ったおじさんと寄り添う子供たちのシルエットを浮かび上がらせ、美しすぎて涙が出そうになりました。いいなあ、なんか、豊かだなあ、って

「じゃ、私はこれから夜の部にでかけますんで」

とこわれそうな自転車に乗って消えて行ったおじさん。おじさん、いや、師匠、これからもどうぞよろしくお願いします。



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絵本を読んで育つということ

2011-09-28 02:03:25 | 子育て


えー、本日は幼少期と絵本ということについて考察いたしたいと思います(まじめっ
基本いつも大声でにぎやかな我が家のチビモンスターたちですが、絵本を読んでるときの集中力だけは素晴らしい。存在感を消します(笑)。
お恥ずかしながら、我が家の兄弟喧嘩はすさまじい(というか長男が何でもすぐに怒って一方的に次男を突き飛ばす←おいおい)のですが、ごっこ遊びのときは別。
読んだ絵本がベースに空想が繰り広げられるため、なんだかんだいってやはり遊び相手としては兄弟がベストパートナーのようです。突如セリフが登場しても意味が通じるのは同じ絵本を同じときに読んでもらってる兄弟ならでは。そういう光景を見るとほっこりします

さて、そんな兄弟が最近はまっていた絵本が『さんねんごい』。
長男が選んだ本なのですが、古き良き昭和初期の風景になんだかぶわーっと懐かしい思いがこみあげてきました。いや、その時代の人じゃないですよ、私(笑)。
そういう田舎体験をしたわけでもないのに、こういうのを日本人の心の原風景とでもいうのでしょうか。絵には車もあるからそんな昔ではないはず。でも、まだアスファルトもなく、人間の暮らしが里山の中に溶け込んでいる・・・その光景がなんとも言えず素敵。夏の思い出の光景がキラキラまぶしすぎて、うるっとする内容もないのにうるっと来るのは・・・歳のせい!?
川で泳いで魚をつかまえるのが遊び、それが日常。うわ~、豊かな子供時代!私もこの時代にもぐりこみた~い
あれだけこの絵本に夢中になるということは、きっと子供たちも空想の中でこの絵本の中の子供たちと一緒に川に飛び込んで遊んでる気分になっているんだろうなあ。追体験できる、だから、絵本って好き

同じように原風景という絵本では、石井桃子さんの『やまのこどもたち』の世界も大好き。花びら集めて外でおままごとしたり・・・その光景があまりにも美しくて、ワクワクしてしまって、室内でプラスチックのガチャガチャした作られたおままごとセットばかりがどのうちにもあるのを見るとなんだかがっかりしてしまうのです
虫や魚を追っかけたり、葉っぱや花びらを集めたり、泥んこでごちそう作ったり・・・こういう遊びは空想が無限大に広がって見ているほうも面白い。でも、テレビのキャラクターグッズに囲まれていると子供の会話に発展性がなくて聞いていてツマラナイと思っちゃうのは私だけかな・・・?

時代が違うのだから、DSをはじめとするゲームも否定はしないのだけれど、公園にいてもみな友達を見ずに画面を見てる光景はやっぱり異様
なにごともバランスだと思うので、ちゃんと友達と向き合って会話して遊んだり、外を泥んこでかけずりまわったりするならゲームもいいと思うんです。でも、聞くと残りの時間は習いごとに忙しい・・・いいの、いいの~???って思っちゃうんです。“体験”がなくて頭に詰め込みばかりでいいの~?って

ところが。
これ、いつも殿と不思議だね、と話してるのですが、自然にいっぱい触れさせたいと思ってる私たちみたいな親に育ってる子よりも、テレビ&習い事オンパレードで育っている都会っ子のほうが素直で性格よかったりすることが多い(あくまでも当社比)。これ、なんでなんだろ?
豊かな自然の中での体験が重要かと言えば・・・考えてみれば今の経済至上主義も、そういう原風景の中で育ってきた子供たちが作り上げた世の中だし。適応力、応用力がありすぎたとでもいうのかしら?これまた分からないことの一つ。う~ん

と分からないこともあるのですが、ひとつ言えるかなと思うのは素敵な絵本、童話、児童文学を読んで育った子は基本的に性善説な子に育つ気がするのです。
この世と人に希望を失うことがない、なんだかんだいっても最終的には人生を悲観することがない、と。ツライことやいやなことが起こっても心の中の引き出しにある空想の世界に飛んでいけるから。そして、それが知らず知らずのうちに孤独を孤独とも思わない強さとなり、自分を信じる力となる。自分を大事に思えるから人の中の善も信じられる大人になる・・・そんな気がするのです。

昔見た古い古いフランス映画の中にこんな印象的な言葉がありました。

『幸せな幼少期を過ごさなければ、この世の善を信じられません。心に音楽がなければ』

大人になって、いろんな人と出会ってきたけれどその人が幼い頃ワクワクするような絵本や童話を読んで育ってきたかどうかなんとなく分かるのです。
殿もよく「あー、自分は読んでこなかった」とか言ってますが大丈夫。子供と一緒にいまから追体験できるから。絵本も心に音楽が流れているようなものなのだと思います。だから、自分はダメダメな母親だけれど、せめて素敵な絵本で子供たちの心を絵と言葉の音楽で満たしてあげたいな、って思います

余談ですが、私は小学一年生の頃、心に音楽があふれすぎてクラスメートが先生に怒られてる最中に鼻歌を歌ってしまい「友達が怒られてるときになんて不謹慎な!前に出なさいっ!!!」と一緒に怒られたことがあります。先生がクラスメートを叱ってる時間があまりにも長過ぎて空想の世界に飛んでいってしまっていたのです。忘れられない理不尽な思い出です(笑)。

幸せな幼少期考察シリーズ次回へ続く・・・ただでさえ長いのに続くんかい!?
気が向けば3回シリーズの予定です(笑)。


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