畑倉山の忘備録

日々気ままに

米国による他国の選挙への干渉

2019年01月27日 | 国際情勢
ウールジー元CIA長官のテレビ発言にあるように、米国による他国の選挙への干渉は現在も絶え間なく続いています。

他国の民主化を支援するという名目で、年間1億7千万ドルを上回る資金が米国の国家予算から全米民主主義基金(NED)に提供され、共和党系の国際共和研究所(IRI)、民主党系の全国民主国際研究所(NDI)などが仲介して関連組織に分配され、他国の野党や反体制運動などの支援に使われています。

スティーブン・キンザーによれば、NEDの理事会には2014年のウクライナ政変で反体制デモを激励したビクトリア・ヌーランド国務次官補や、イラン・コントラ事件にかかわった外交官のエリオット・エイブラムズなどがいます。日本にも無関係な話ではないはずで、警戒が必要です。

このようにいまだに公然と他国への選挙干渉を繰り返す米国が、ロシアによる米国大統領選挙への干渉をヒステリックに非難してもぜんぜん説得力がありません。そもそもロシアがどんな干渉をしようが、米国の民主主義への脅威という点では国内機関のほうがずっとランクが上だとキンザーは指摘しています。(中野真紀子)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スティーブン・キンザー(Stephen Kinzer) :元ニューヨークタイムズ紙の海外特派員、現在はボストン・グローブ紙で国際問題のコラムを担当。『転覆~ハワイからイラクまで米国によるレジームチェンジの世紀』、『シャーの手下たち~米国による政権転覆と中東のテロの根源』、グアテマラのクーデターについての『苦い果実』など、著書多数。最新作『本当の旗~セオドア・ルーズベルト、マーク・トウェイン、米帝国の誕生』は最近ペーパーバック版が出版に。

http://democracynow.jp/video/20180312-3

民営化(Privatization)

2018年07月10日 | 国際情勢
ベクテル社という巨大企業の長い過去とその行状の恐ろしさ物凄さをご存じの方も少なくないと思います。私は民営化(Privatization)の恐ろしさについて語り始めているわけですが、ベクテル社のことを思うとこの民営化という言葉そのものが既に空しく、ベクテル社という企業体の存在自体がアメリカという巨大国家そのものの象徴のように思えて来るのを禁じ得ません。ベクテル社とアメリカ政府との人事面での関連をみると、両者の関係は全くの相互浸透であり、「天下り」などという悠長なものではありません。ネット上に Wikipedia の “Bechtel” の項目をはじめ、多数の情報源がありますので、ご覧になって下さい。このブログでは、前にも取り上げたことのある「ボリビアのコチャバンバの水騒動」の話を少し復習します。

1999年、財政困難に落ち入っていたボリビア政府は世界銀行から融資をうける条件の一つとして公営の水道事業の私営化を押し付けられます。ビル・クリントン大統領も民営化を強く求めました。その結果の一つがボリビア第3の都市コチャバンバの水道事業のベクテル社による乗っ取りでした。民営化入札は行われたのですが入札は Aguas del Tunari という名のベクテル社の手先会社一社だけでした。ボリビア政府から40年間のコチャバンバの上下水道事業を引き取ったベクテル社は直ちに大幅な水道料金の値上げを実行し、もともと収益の上がらない貧民地区や遠隔市街地へのサービスのカットを始めました。値上げのために料金を払えなくなった住民へはもちろん断水です。
 
2000年2月はじめ、労働組合指導者 Oscar Olivera などが先頭にたって,数千人の市民の抗議集会が市の広場で平和裡に始まりましたが、ベクテル社の要請を受けた警察機動隊が集会者に襲いかかり、2百人ほどが負傷し、2名が催涙ガスで盲目になりました。この騒ぎをきっかけに抗議デモの規模は爆発的に大きくなりコチャバンバだけではなくボリビア全体に広がり、ボリビア政府は国軍を出動させて紛争の鎮圧に努めますが、4月に入って17歳の少年が国軍将校によって射殺され、他にも数人の死者が出ました。紛争はますます激しさを増し、2001年8月には大統領 Hugo Banzer は病気を理由に辞職し、その後、政府は水道事業の民営化(Privatization)を規定した法律の破棄を余儀なくされました。事の成り行きに流石のベクテル社も撤退を強いられることになりましたが、もちろん、ただでは引き下がりません。契約違反だとして多額の賠償金の支払いを貧しい小国ボリビアに求めました。
 
このコチャバンバの水闘争が2005年の大統領選挙での、反米、反世界銀行、反民営化、反グローバリゼーションの先住民エボ・モラレスの当選とつながっているのは明らかです。モラレスはコチャバンバ地方を拠点とする農民運動の指導者でした。
 
水道事業の私営化についてのベクテル社の魔手はフィリッピンやインドやアフリカ諸国にも及び、ベクテル社は今や世界一の水道事業(もっと一般に水商売と言った方が適切ですが)請負会社です。ローカルな反対運動は各地で起きていますが、今までの所それが成功したのはコチャバンバだけのようです。水資源の争奪は、人類に取って、今までの石油資源の争奪戦争を継ぐものになると思われます。石油事業におけるベクテル社の活動の歴史については是非 ネットでお調べ下さい。アメリカの兵器産業といえば、質量ともに世界ダントツです。その最高の研究施設であるロスアラモスもリヴァモアも今や実質的にベクテル社の支配下にあります。
 
ベクテル社という巨大な魔物のような私企業の実態を見ていると,先ほども言いましたが、民営化(Privatization)という我々が日常的に馴染んでいる言葉が、実は、ミスノウマー(misnomer、 呼び誤り、誤称)であるとさえ思われてきます。

藤永 茂(2012年3月14日)

(私の闇の奥)

アメリカは日朝国交正常化を望まない

2018年05月05日 | 国際情勢
アメリカは日朝国交正常化を阻止するために、拉致問題も利用しています。拉致被害者たちがなぜホワイトハウスで歓迎されたのか。クリントンが日本に来たとき、なぜわざわざ横田滋・早紀江さん夫妻をアメリカ大使館に呼んで、「われわれも頑張ります」などといったのか。そんなことを口ではいっているけど、アメリカは拉致問題解決のために具体的に何かやってくれましたか。何もやっていません。ただ、アメリカがそういうと、拉致被害者の人たちもだんだん感情が昂ぶって、アメリカもやってくれるといっているのに日本政府は何をやっているのか、という気持ちになる。世論もマスコミもそういう論調になる。それで日本政府は北朝鮮との交渉がにっちもさっちもいかなくなる。それがアメリカの狙いです。

アメリカがなぜそこまでやるのかといえば、アメリカは米朝国交正常化前に、日朝が国交正常化することは何としても阻止したいのです。それはなぜかといえば、・・・第一に、マネーの問題です。通貨圏の問題です。(中略)

もし日本が先に日朝正常化をして日本から大量のお金がいくとなると、かつての韓国と同じです。1965年の日韓国交正常化、日韓基本条約が締結されたとき、韓国経済は最低でした。こんな状態では北朝鮮にやられてしまうと共産化することを恐れたアメリカは日本に韓国と国交正常化して金を出せ、と圧力をかけてきました。それで日本は無償3億ドル、有償2億ドル、それに民間借款として3億ドル出すことにした。1965年当時は、まだ1ドル360円の時代です。

当時の日本の外貨保有高は18億ドルぐらいしかなかったから、宮澤喜一さんだったか誰かが、「朴正熙(当時の韓国大統領)は日本の有り金を全部持っていくつもりか」と激怒したぐらいでした。その間、瀬島龍三さんなんかが裏で活動した。(中略)その結果、どういうことになったかというと、韓国経済はテイクオフすることができ、今日の基礎を築いたのです。

現在、韓国のGNPに占める輸出入の割合は40〜45%です。日本はわずか15%ぐらいですから貿易にかかる割合がものすごく高い。しかも韓国が輸出すればするほど対日貿易の赤字が累積していく。なぜかというと、輸出品の部品を日本から買わなければならないからです。一時は対中貿易で得た黒字と、対日貿易赤字が相殺(そうさい)されるぐらいだった。それで韓国の人たちが怒った。われわれは何のために働いているんだ、中国で儲けて、みんな日本に払うのか、われわれはただ働くだけか、と。

そこへきて日本が日朝国交正常化で、いまいわれている5兆円とか、それが高くなって10兆円とかの金が北朝鮮にいくとなると、北朝鮮は小さな国ですから、たちどころに日本経済の構造に取り込まれてしまう。またぞろ朝鮮半島全体が円の経済圏になってしまうのです。(中略)

この再来をアメリカはいちばん恐れている。何がなんでも朝鮮半島の日本経済圏化を阻止して、ドル圏にしなければならない。どう見てもアメリカの意図はそこにあるのです。

(菅沼光弘『この国の権力中枢を握る者は誰か』徳間書店、2011年)


クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説(その4)

2018年03月24日 | 国際情勢
ウクライナ国民に言いたい。私たちをわかって欲しい。あなたたちに損害を与えたくないし、民族感覚を侮辱したくない。いつもウクライナの領土一体性を尊重してきたし、私たちは、自分の政治的野心でウクライナの統一を犠牲にするような人たちとは違うのだ。

彼らは「偉大なウクライナ」とスローガンを掲げて装ってはいるが、国を分断するあらゆることをしてきた。今日の国民の対立は彼らが持ち込んだものだ。ロシアを利用してあなたたちを脅す人たちを信じないで欲しい。クリミアのあと別の地域だと叫んでいるような人たちのことだ。

ロシアはウクライナを分割したいのではない。それは必要ない。クリミアには今後もロシア人、ウクライナ人、タタール人がそのままの状態で残る。繰り返す。クリミアはこれまでもこれからも、あらゆる民族にとってのふるさとであり続ける。しかし、ファシストのものにはさせない!

クリミアは我々共通のものだ。地域安定に最も重要な要因だ。このような戦略的な場所は、強くて安定した主権のもとにあるべきだ。それは実際、今日においてはロシアだけだろう。

ウクライナやロシア人にも言いたい。我々はあなた方とともにいる。近い将来、歴史的な視点でみれば、(このままでは)クリミアを完全に失うかもしれないのだ。考えて欲しい。

キエフではウクライナがNATOに入るという話も出ている。クリミアとセバストポリにとってそれは何を意味するか?ロシアの偉大な軍事都市に、NATOの軍艦が出現することはロシア南部にとって脅威となるだろう。それはつかの間もことではなく、全く具体的な脅威なのだ。

もしクリミア人が今回のような選択しなければ、本当に(そうした脅威が)起こりうることだった。(クリミアの住民よ)ありがとう。

ところで、我々はNATOとの協力に反対しているわけではない。全く違う。我々が反対しているのは、軍事同盟としてのNATOが、軍事組織のあらゆる内部機能を伴って駐留することに反対なのだ。我々の塀の近くや我々の家の近所、歴史的な土地の近くで展開するのに反対なのだ。

セバストポリに行って、NATOの海軍兵の家に招待される光景は全くイメージできない。彼らはまったく違う人たちであり、私たちが彼らのもとに行くのではなく、私たちが彼らをセバストポリに客人として招待する方がいい。

今ウクライナで起きている事に私たちは心を痛めている。ウクライナでは今日、明日をどう生きればいいかかわからない状態だ。私たちの心配は理解されるはずだ。

我々は単に親しい間柄ではない。事実上、同じ民族なんだ。キエフは古代ルーシのロシアの母なる都市。そこから私たちはともに始まったのであり、お互いを抜きにしてはあり得ないのだ。

ウクライナには数百万人のロシア人,ロシア語話者が住んでいる。ロシアは常に彼らの利益を、政治的、外交的、法的な手段で守る。しかし、何よりもまず、ウクライナ自身が彼らの利益に関心を払い、保障しなければならない。そうしてこそウクライナ国家の安定と領土保全が保証される。

我々はウクライナと仲良くしたいし、強くて主権があって自主的に豊かなになれる国家になって欲しい。ロシアにとっては最も重要なパートナーの一つであり、多くの共同プロジェクトもあり、その成功を信じている。

最も重要なことは、ウクライナの領土に、平和と合意が訪れ、ロシアが望むのは、ほかの国々とともにウクライナ支援のために全面的な協力ができるようになることだ。しかし、繰り返しになるが、そのためには、ウクライナ国民自身が、適切に秩序を取り戻すしかないのだ。

クリミアとセバストポリの住民のみなさん。ロシアはあなた方の勇気、威厳、勇敢さが本当にうれしいです。あなた方自らクリミアの将来を決めたことがうれしいのです。決まるまでの間、我々は最も近づいたような気持ちになり、互いを支え合いました。心からの連帯でした。

このような、急展開した歴史的な瞬間においてこそ、成熟や民族の強い心が試されるのです。ロシア国民は成熟さを示したし、団結によって同胞(クリミア住民)を支えました。

ロシアの外交スタンスが強固なことは、数百万人の国民の統一的な意思、政界や市民団体のリーダーたちの支援に基づく。愛国的な雰囲気にお礼を言いたい。我々にとって重要なのはそのような結束だ。それはロシアに立ちはだかる課題を解決してくれる。

ロシアは外交的には反発を食らっている。しかし、それを解決し、首尾一貫して民族の利益を守るのか、あるいはそれをあきらめ、放棄してしまうのか。いくつかの西側の国はすでに我々を脅している。制裁だけでなく、ロシア内部で何か激しいことが起こるのではないかと。

いったい何を言おうとしているのか。異なる民族の裏切り?あるいはロシアの社会経済状態の悪化?人々の不満を挑発すること?無責任で攻撃的な発言だ。

我々は一度も西側と争おうとしたことはない。実際は逆で、文明的で友好的な関係を築くために必要なことをすべてやる。それが現代世界で決められたことだ。

皆さん。クリミア人は住民投票で直接、はっきりと質問した。クリミアはウクライナに残るのか、ロシアに入るのかと。クリミアとセバストポリの指導者、議員たちは、住民投票の質問を設定し、政治的な利害関係やグループを超えて、住民の根本的な利益を考えた。

住民投票以外の方法ではクリミアの問題は一時的にしか解決できず、将来的な対立の激化を招き、人々の人生を引き裂くことになっただろう。

クリミアの住民ははっきりと、妥協なしに、明らかに質問を設定した。投票はオープンでクリーンに行われ、住民たちははっきりと自分たちの意思を示した。つまり、彼らはロシアに編入したいのだ。

内外の要因を総合的に判断すれば、ロシアにとっても難しい決定だ。ロシア人の気持ちはどうか。どんな民主的な社会でも、違った考えを持つ人がいるのはつきものだ。しかし、この場合、立場は一つだ。強調したいのは、絶対的な多数のロシア国民の意見は明らかだということだ。

最近の世論調査の結果はご存じだろうか。95%のロシア国民が、ロシアはクリミアに住むロシア人とほかの民族の利益を守るべきだと考えている。95%だ。そして83%以上の国民が、たとえ別の国々との関係を損なったとしても、ロシアはそれをすべきだと考えている。

そして86%の国民が、クリミアは現時点までロシアの土地であると考えている。それはとても重要な数字であり、クリミアの住民投票で92%がロシア編入を望んでいることと相関関係にある。

このように、とても多くのクリミア住民とロシア国民の絶対的な多数がクリミアとセバストポリの編入を支持している。問題はロシア自身の政治決断にかかっている。それは国民の意思にのみ立脚している。なぜなら国民だけが、あらゆる権力の源であるからだ。

上院、下院のみなさん。ロシア国民、クリミアとセバストポリのみなさん。住民の意思をよりどころとしたクリミアの住民投票の結果に基づき、国会にクリミアとセバストポリを編入する法案を提出し、審議をお願いする。

クリミアとセバストポリでも同様に、編入に関する条約調印のための批准がなされるだろう。これについて、皆さんの支持があることを確信しています!(終わり)

(関根和弘)
http://togetter.com/li/644258

クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説(その3)

2018年03月24日 | 国際情勢
親愛なる皆さん。ウクライナを取り巻く環境は、まるで鏡のように今世界で起きていること、そしてかつて世界で起きたことを映し出している。地球上で2極化世界(冷戦)が終わった後も、世界は安定しなかった。カギとなる国際的な仕組みは強化されず、残念ながら頻繁に崩壊した。

米国率いる西側は、政策を実行するのに、国際法ではなく、「力の原則」に従う方を好んだ。彼らは自分たちが選ばれたもので、例外だと信じた。世界の運命を決めることができるのは常に彼らだけに与えられた権利だと。彼らはそのように振る舞っている。それが正しいと言わんばかりに。

国家の主権に対して武力を使い、同盟を組むのが常套手段だ。我々に賛同しないものは、我々の敵だとみなす。攻撃を合法だと装い、国際機関の必要な決議を破り、様々な理由で都合が悪くなれば、国連、安保理をすべて無視する。

ユーゴスラビアでもそうだった。1999年のことをよく覚えている。自分でも目の当たりにしたが、信じられなかった。欧州の偉大な都市の一つであるベオグラードが数週間のうちに空爆で破壊されたのだ。そしてその後、本当の武力介入が始まったのだ。

果たして安保理決議は、ユーゴスラビアのこの問題について、こんな風に解決しようという内容だったか?そんなわけはない。そしてアフガニスタン。イラク。リビアではあからさまに国連安保理決議に違反した。飛行禁止区域を守る代わりに空爆が始まったのだ。

一連の「カラー革命」(一部の旧ソ連諸国で起きた革命)もそうだ。それが起きた国では、圧政や貧困、展望のなさに人々が疲れ果てていた。それは理解できる。しかし、そのような感覚が皮肉なことに利用されたのだ。

利用した方の国(欧米)は、それがスタンダードだという。しかしそれは彼らの人生や伝統、文化には当てはまらなかった。結果は、民主主義や自由の代わりに、カオスだった。暴力の激突であり、政権転覆の応酬だった。「アラブの春」は「アラブの冬」へと変わった。

同じようなシナリオがウクライナでもあった。2004年の大統領選で必要な候補を押しつぶすため、法的には規定されていない3回目の決選投票が行われた(オレンジ革命のこと)。憲法に照らせば、ナンセンスであり、お笑いぐさだ。そして今、用意周到に武装した人たちが投入された。

いったい何が起きているのか、我々はよくわかっているし、それらの行動がウクライナやロシアに反発し、欧州で起きている統合政策に反対する動きであることもわかっている。

ロシアは誠実に欧州側と対話を目指してきた。常にかぎとなる問題については協力を呼びかけた。信頼レベルを強化したいし、私たちの関係を対等で開かれた、純粋なものにしたいと思っている。だが、相手方からの歩み寄りはなかった。

それどころか逆に、何度も我々はだまされてきた。我々の見えないところで事が決められ、実行された。例えばNATOの東方拡大やロシアの国境近くに軍事施設を設けることなどだ。彼らは同じことを繰り返してきた。「それはあなた方に向けたものではありません」。信じられない。

(欧州)ミサイル防衛システムの展開もそうだ。我々にとっては脅威にもかかわらず、施設や装置は設置されている。ビザ問題交渉もそうだ。グローバル市場における自由なアクセスと、純粋な競争についての約束もそうだ。

現在、我々は制裁に脅かされている。しかし、我々は(今でも)一連の制限下で生きており、国や経済において、それははっきり存在している。例えば冷戦時、米国や他の国もソ連に軍事技術・戦略物資を売ることを禁止した。ココムと言った。対共産圏輸出規制のリストだ。

形式的には今日廃止されているが、それは形式的なものだ。実際には多くのものがまだ禁止されている。

我々は根拠を持って次のように推察する。すなわちロシアを抑制しようとする悪名高い政策は、18世紀、19世紀、20世紀にわたって続いてきた。そして今も続いている。

我々は常に追い込まれている。その理由は、我々が独立した立場を取り、それを守り、率直に言い、偽善者ぶらないからだ。しかし、我々の我慢にも限度がある。ウクライナのケースでは、欧米は一線を越え、乱暴で無責任でプロ意識のないことをやった。

彼らだってよくわかっているはずだ。ウクライナやクリミアには数百万人のロシア人が住んでいるということを。(西側は)政治感覚や基準に対する感覚を失いすぎて、ウクライナで次にどんなことが起きるかということを予見できなかったのだ。

ロシアにとっては引き下がれなくなった。もしバネを限界まで押しつけたら、いつか力強く戻る。それを常に肝に銘じるべきだ。

今必要なのはヒステリーな対応をやめ、過度に冷戦などと言うことをやめ、はっきりしたことを認めることだ。すなわち、ロシアは自発的に、積極的に国際社会に参加するプレイヤーなのであり、他国と同様、考慮され、尊重されるべき国益を持っているということだ。

クリミアへの我々のアプローチを理解してくれた国々には感謝したい。まず中国だ。中国の政権は、ウクライナとクリミア周辺の歴史的、政治的な側面をすべて検討してくれた。そしてインドの自制と客観性の高く評価したい。

米国民に言いたい。独立宣言は彼らにとって何よりも重要で誇るべきものだ。クリミアの住民が自分たちの将来を自由に選びたいと思うことはその価値観にあわないとでも言うのか?我々を理解して欲しい。

私のことを欧州は理解してくれると信じている。とりわけドイツ人は理解してくれるはずだ。東西ドイツが統合するときの政治協議で、ドイツの同盟国のうち統合に賛成したのは少なかった。それに引き換え、我が国はまったく誠実に賛同した。

我々は統一を求めるドイツ人の抑えがたい希望を支持した。まさかドイツ人は忘れてないとは思うが。ドイツ国民も同様に、ロシア世界、歴史的なロシアの統一復興に対するロシア人の希望を支持していると考える。(続く)

(関根和弘)

http://togetter.com/li/644258

クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説(その2)

2018年03月24日 | 国際情勢
なぜウクライナの人たちが変化を求めたのか理解できる。ここ何年にもわたって、権力は奪うものだとされ、その権力が政治的独立、国家の独立を飽き飽きさせたのだ。大統領も首相も、議員もころころ変わるが、国や国民に対する彼らの態度は変わらない。

彼らはウクライナを搾取し、権力や活動分子、金を使って切り裂いた。権力者たちは人々の生活を考えず、数百万人いるウクライナ人はなぜ国の展望がもてないのか、海外に流出するのか、外国に出稼ぎに行かなければならないのか、ということにほとんど関心を払ってこなかった。

ここで指摘したいのは、シリコンバレーでさえウクライナ人は日雇い労働者として働いていた。ロシアだけでも昨年、300万人のウクライナ人が働いている。別の指標では、2013年、彼らはロシアで200億ドル稼いだとも。それはウクライナGDPの12%にあたる。

汚職や国の非効率的な仕事、貧困に反対し、平和的なスローガンを掲げてマイダン(キエフの集会場所となった広場)に集まった人の気持ちは理解できる。平和的な集会は権利であり、民主的なプロセスである。選挙は人々に役立たない権力を変えるために存在する。

しかし、ウクライナの一連の出来事の背景には、別の目的があった。すなわち、彼らは国家転覆を準備したのであり、権力奪取を計画した。しかも、それだけにとどまろうとしなかった。テロや殺人、略奪を始めた。

民族主義者、ネオナチ、ロシア嫌いの人たち、ユダヤ人排斥者が転覆の主要な実行者だった。彼らは今現在もウクライナにはっきりいるのだ。いわゆる新政権は、言語政策を見直す法案を提出し、少数民族の権利を制限した。

実際、このような政治家たちや権力の中枢にいる人たちを支援する外国スポンサーたちがそのようなもくろみを主導した。彼らは賢く、代償を払わなければならない。人種的に純粋なウクライナを作る試みがどういう結果を招くかは自明だ。

(言語規制の?)法案は延期され、お蔵入りになった。だが、人々はしっかり記憶している。すでに明らかになったのは、今後ウクライナの進歩的な人たちは、ナチスに協力したステパン・バンデーラの後継者ということだ。第2次大戦でヒトラーの手先となった男だ。

明らかなのは、ウクライナには現時点で、対話可能な合法的な政権はないということだ。多くの国家機関は名前を偽った人たちによって奪取され、国家機関は機能していない。強調したいのは、そのかわりにそれら国家機関は過激派にコントロールされているということだ。

いくつかの省庁に行くためには、「マイダン」の武装集団の許可が必要になっている。これは冗談ではなく、リアルな光景だ。反乱に参加した人によって、弾圧や懲罰的な脅威もすぐに起きた。もちろん、その最初の標的となったのが、ロシア語を話す人が多いクリミアだった。

それに関連してクリミアとセバストポリの住民はロシアに自分たちの人権と人生を守るよう要請した。キエフで起きたことをさせないよう要請した。それはウクライナ東部のドネツク、ハリコフでも起きている。

当然、我々はその要請を断ることはできなかった。クリミアとその住民を悲惨な状況に置き去りにすることはできなかった。何よりも、クリミアの人たちが、自分たちの将来を歴史上初めて自分たちで決める平和で自由な意見表明の条件づくりを助ける必要があった。

しかし、欧米が言ったことはなにか。我々は国際法に違反しているという批判だった。とはいえ、国際法というのが存在していることを彼らは知っていたようだ。ありがとう。知らないよりは、遅くても知っている方がまだましだ。

二つ目に、これが最も重要なのだが、我々は国際法に違反したのか?私は確かに上院からウクライナで軍事力を行使していいという権利を与えられた。しかし、まだ行使していない。ロシア軍はクリミアに派遣されていないのだ。クリミアの部隊は、国際条約に基づいて駐留する部隊だけだ。

確かに我々はクリミアの部隊を増強した。しかし、強調したいのだが、クリミア駐留部隊の上限要員を超えたわけではない。上限は2万5千人。これまでは、単にその上限までは必要なかったというだけだ。

独立を宣言と住民投票を発表した際、クリミア自治共和国議会は国連憲章を根拠とした。民族自決の原則だ。思い出してほしい。当のウクライナもソ連から脱退するときに同様の宣言をした。ウクライナは民族自決を使ったのに、クリミアの人たちはそれを拒否される。なぜなのか?

このほかにも、クリミア指導部は有名なコソボの先例を参考にした。それは西側が自ら作ったものだ。全くクリミアと同じケースであり、セルビアからコソボが分離することを認めたものだ。これも一方的な独立宣言だったが、そのときは中央政府の許可は何ら必要とされなかった。

国連の国際裁判所は国連憲章第1条2項の原則に同意し、2010年7月22日付の決定で次のように指摘した。文字どおり引用する。「安全保障理事会は一方的な独立宣言について、一律禁止にするような結論は出さない」

「国際法は、独立宣言について適切な禁止、というものを規定していない」。すでに明かだろう。引用を強調したいわけではないが、私は抑えることができないので、公的文書から抜粋をもう一つ紹介したい。それは2009年4月17日付の米国による覚書だ。

それはコソボの審理のときに国際裁判所に提出されたものだ。「独立宣言は国内法に違反することが度々起こる。しかし、それは国際法に違反していることを意味しない」。自分たちで書いて世界に向けて吹聴したのだ。すべてをねじ曲げ、そして今度は憤慨している。どういうことだ?

クリミアでの行動はすべてはっきりと、これ(コソボの例)と一致する。なぜかコソボのアルバニア人はよくて、クリミアのロシア人、ウクライナ人、タタール人は禁止されているのだ。なぜなのか?

そして欧米は今度は、コソボは特例だと言う。それは結局例外だったということか?コソボの紛争では多大な人的被害があったから?それは法的根拠になるのか?国際裁判所の決定はそんなことはまったく触れていない。二重基準どころではない。驚くべき原始的な直接的な皮肉だ。

昨日までは白と言っていたのに、明日には黒と言うようなものだ。あらゆる紛争は人的犠牲が出るところまで行かなければならないということか?

もしクリミアの地元自警団が事態を掌握しなかったら、同じように犠牲が出たかもしれない。幸いそれは起きなかった。ただの一つも武力衝突は起きなかったし人的犠牲もなかった。なぜか?答えは簡単だ。市民と彼らの意思に反する形で戦うのは難しいだけでなく実際には不可能だからだ。

これに関してはウクライナ軍に感謝したい。それは決して小さくない部隊だ。武装兵は2万2千人。武力に訴えなかったウクライナ兵士に感謝したい。もちろん、これに関しては別の見方も出てくる。クリミアにロシアが武力によって干渉したと。でもそれはおかしい。

一発も発砲せず、一人も犠牲者を出さない形で武力介入が行われたことが歴史上あっただろうか。私はそうした例を知らない。(続く)

(関根和弘)
http://togetter.com/li/644258

クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説(その1)

2018年03月24日 | 国際情勢
クリミアでは16日、住民投票が民主的な手続きで、国際法に完全に合致した形で行われた。有権者の82%が参加し、96%がロシア編入に賛成票を投じた。結果はまったくもって驚きだ。

なぜ投票が行われたのかを理解するには、クリミアの歴史、クリミアにとってのロシア、ロシアにとってのクリミアを知ることが必要だ。クリミアは文字どおり我々共通の歴史であり、誇りである。

クリミアの古代ギリシャの植民地ヘルソネスがあった地で、キエフ大公であり、キリスト教の聖人ウラジーミル1世が洗礼を受けた場所だ。彼の宗教的な偉業は、これは正教徒に対する話だが、それは共通の文化、価値観、文明的な基礎の条件となった。

そしてそれは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの国民を一つに結びつけるものだ。クリミアにはロシア人の墓がある。彼らは1783年、ロシア帝国のもと勇敢さを発揮した。クリミアといえばセバストポリだ。英雄都市であり、偉大な運命の都市だ。要塞であり、黒海艦隊のふるさとだ。

クリミアといえばバラクラバ、ケルチだ。それぞれが我々にとって聖地であり、ロシアの軍事力のシンボルだ。クリミアには異なる民族の素晴らしい文化と伝統の結晶がある。ロシアに似ている。

ロシア人もウクライナ人もタタール人も民族は異なるが、努力して近くで暮らし、それぞれの独自性と伝統、言語、宗教を守りながら暮らしてきた。ところで220万人のクリミア人口のうち、約55%がロシア人、35万人がウクライナ人で、ロシア語を母語と考えている。

29~30万人がタタール人だが、多くの人が住民投票においてやはりロシア編入の意思を示した。タタール人にとってはソ連時代、厳しい不正義があった。いや、これはタタール人だけではなかった。別の民族に対してもあった。

弾圧によって何百万人の様々な民族の人たちが苦しんだ。その中にはもちろん、ロシア人も入っていた。そしてタタール人は自らの土地に戻ったのだ。政治的、法的な必要な決定により、タタール人の復興、彼らの権利を復活させるのは当然なされなければならない。

私たちはクリミアのあらゆる民族に対して敬意を表する。そこは彼らの共通の家であり、ふるさとだ。クリミアには三つの平等な言語がある。ロシア語、ウクライナ語、タタール語だ。心や感覚の中には、クリミアは常に奪うことのできないロシアの一部だという意識がある。

それは真実と正義において大きな確信だ。それは揺るぎなく、世代で引き継がれてきた。そんな確信の前では、時間の経過も状況の変化も無力であり、20世紀に我々が経験したあらゆるドラマチックな変化も無力だ。

ボリシェビキの革命後、異なる意見と天命に従い、ロシア南部の歴史的な領土の多くがウクライナ共和国に編入された。住民の民族構成も考えず行われたのだ。それが現代のウクライナの東部、南部だ。1954年、クリミアをウクライナに移管する決定があった。

セバストポリも一緒に移管された。しかし、そのときはソ連の一部には変わりなかった。指導者フルシチョフ氏の個人的なイニシアチブで行われた。なぜそうなったのか。

ウクライナのノーメンクラツーラの支持を取り付ける必要があったからであり、1930年代にウクライナであった弾圧の償いの意味でもあった。そのようにして歴史が進んだのだ。だが、私たちにとっては重要ではない。その決定は憲法的なルールにも違反していた。決定は非公開だった。

内輪だけの決定だった。当然、全体主義国家という条件下で、クリミアとセバストポリの人たちは何も問うことはできなかった。当然、全体主義国家という条件下で、クリミアとセバストポリの人たちは何も問うことはできなかった。ただ事実の前に立ち尽くすほかなかった。

もちろん人々には疑問はあった。なぜ突然クリミアがウクライナになるのだと。最終的にはそれを直接言う必要があった。だが、我々はみんな知っている。その決定は、まるで形式主義のようにして決定されたのだと。一つの巨大国家の枠組みの中で。

そのときはただ単純に、ウクライナとロシアは一緒ではない、別々の国になるなんて思ってもみなかった。しかし、それは実際起きた。残念ながら信じられないことに、それは現実になった。つまり、ソ連が崩壊したのだ。

事態はどんどん急速に展開し、国民の中でもドラマティックに展開する出来事とその結果をすべて把握している人はほとんどいなかった。ロシアとウクライナのたいていの人は、ほかの旧ソ連諸国の人たちもそうだが、独立国家共同体が新しい共通の国家的な形になると思っていた。

すべて約束されたはずだった。共通の通貨、統一経済圏、共通の軍隊。しかし、すべては約束に終わった。巨大国家はできなかった。クリミアが突然別の国になることになったのだ。そのときロシア人は、クリミアは単に盗まれたのではなく、強奪されたのだと感じた。

はっきりと認めなければならないのは、ロシアは新生国家として誕生した際、パレードをやったが、ソ連崩壊の原因となったのだ。ソ連崩壊のとき、クリミアや黒海艦隊の基地、つまりセバストポリが忘れられていたのだ。

数百万のロシア人が同じ国に寝ていたのに、外国で目覚め、1時間のうちに前ソ連共和国で民族的な少数派になっていた。世界で最も分割された民族にロシア人はなっていた。だが今日、すでに多くの年月が流れた。

クリミア人同様、私も最近よく耳にするのは、91年にクリミアがまるで1袋のジャガイモのように手から手へと渡されたということだった。ロシアとは一体なんなのか?そうした屈辱について、頭を伏せておとなしくし、じっと我慢していた。

ロシアはそのとき困難な状態にあった。自国の利益を現実に守れなかった。人々は憤慨すべき歴史的な不正義に我慢できなかった。それ以降、人々も、市民団体も何度もこのテーマを問題提起した。クリミアは紛れもなくロシアの土地であり、セバストポリはロシアの都市だと話した。

我々はよくわかっているし、心や精神で共感もした。しかし、独立したウクライナとのいい関係をつくり、そうした困難な現実からスタートする必要があった。ウクライナとの関係、同胞ウクライナ人との関係は常に私たちにとって最も重要であり、カギを握ると言っても過言ではない。

2000年代に始まった交渉の内幕について明らかにしたい。当時ウクライナの大統領はクチマ氏。彼がロシアとウクライナの国境確定プロセスを急ごうと頼んできた。そのときまでこのプロセスは実質動いていなかった。ロシアは例えばクリミアについてはウクライナの一部と認めた。

しかし、国境確定交渉は行われなかった。交渉が難しいことは理解するが、しかし、私はすぐにロシアの関係機関に作業を活発にせよと指示を出した。作業とは国境整備の作業だ。すべての人にわかるように。

つまり、国境確定に同意しながら、我々は実質的にも法的にもクリミアをウクライナ領と認めていた、そして最終的にはその問題は解決した。私たちは逆にウクライナに対し、クリミアの問題だけでなく、同様の難しい問題についても提起した。アゾフ海の領海やケルチ湾などについて。

そのとき我々は何に立脚したのか?ウクライナとのいい関係だ。それは私たちにとって最も重要だ。そうした関係は息詰まった領土紛争の人質になるべきではないのだ。

その上、ウクライナは将来我々の優しい隣人であり、ウクライナの東南部、クリミアにいるロシア人とロシア語話者に対しては特に、友好的で民主的、文明的な国家のもとで暮らし、法的利益はしかるべき国際法で守られるべきだと考えた。

しかし、事態は別の方向へと展開した。ロシアの歴史的な記憶や母語をなくそうとしたり、同化を強制しようとしたりする試みがあった。ロシア人もウクライナ人も恒常的な政治国家的な危機に傷つき、20年以上もウクライナは揺れてきた。(続く)

(関根和弘)
http://togetter.com/li/644258

THAADの目的

2017年05月10日 | 国際情勢

THAADはヨーロッパに配備されたミサイル・システムと同じで、アメリカの支配システムを維持するために中国とロシアを恫喝することが目的。核戦争を仕掛ける準備だ。

アメリカやイスラエルの基本戦術は狂犬、あるいは凶人を装って相手を屈服させるというもの。脅せば屈すると信じ、大多数の国に対しては機能した。が、中国とロシアには通じない。通じない相手を核戦争で脅していると、どこかの時点で本当の核戦争になる。

そうした政策を推進しようとしていたのがヒラリー・クリントンだった。選挙戦の時点ではそうした事態を避けようとしていたトランプだが、大統領就任から100日も経たないうちに核戦争を望まない人びとはホワイトハウスから排除されてしまった。

(櫻井ジャーナル)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201705020000/


八百長だったミサイル実験

2017年04月30日 | 国際情勢

レーガンの「戦略防衛構想」が全面的に推進されるようになるのは85年になってのことだが、そのなかのいくつかの重要なプロジェクトについては、それより前から予算が追加されはじめ、まるでSFに出てくるような数々の兵器の開発に予算が与えられた。たとえば、飛来するICBMを撃ち落とすために宇宙空間に強力なレーザー光線兵器を配備する計画や、迎撃ミサイルが傘のような網を広げて、敵の弾道ミサイルを撃破するなどのアイデアだ。

そして、この“傘を広げる”迎撃ミサイルの開発を受け持ったのがロッキードだった。それが「誘導被覆実験」(HOE)と呼ばれるものだ。その概念そのものは、70年代のカーター政権時代からあったが、レーガンの“スターウォーズ計画”演説が行なわれた直後から急にはずみがついて予算がつき、1983年から84年にかけて優先的に研究開発が進められた。そしてその後、「戦略防衛構想」のプログラムの多くが実現性が乏しいことがわかって破棄されたあとも、HOEはミサイル防衛計画に予算を注ぎ込みつづける中心的な役割を果たした。

その大きな理由は、この迎撃ミサイルが標的の模擬弾頭の撃破に成功したからだ。

誘導被覆実験は、1983年に行なわれた実験が3回とも失敗し、実現可能性が疑われはじめた84年6月10日に初めて成功した。今日に至るまで、ロッキード・マーティンはこのときの成功を誇らしげに自慢している。たとえば2009年のパリ航空ショーでは「世界初の、弾頭をつけない迎撃ミサイルの直撃による、弾道ミサイル迎撃の成功25周年記念」と謳(うた)っている。

だがその主張には一つだけ問題があった。そのテストは八百長だったのだ。残念ながらそのいかさまは、会計監査院が10年後に突き止めるまでわからなかった。調査報告によれば、そのときのテストは、迎撃ミサイルが命中しやすいように標的に仕掛けがしてあったのだという。

当時のミサイル防衛計画にかかわっていた関係者の最初の証言によると、そのときのテストで標的に使われた模擬弾頭は、迎撃ミサイルが標的の位置をつかみやすくするために信号を発信していたという。だが、会計監査院が突き止めた事実はそれだけではなかった。調査報告には、「実験が失敗して予算を失うことを防ぐため、迎撃ミサイルのセンサーが標的を捉えやすくするように複数の手段が講じられていた」と書かれている。

その手段の一つは、標的の模擬弾頭を加熱する装置が付いていたことだ。超低温の宇宙空間をバックに横切る標的が熱を発していれば、迎撃ミサイルが標的の位置をつかみやすくなる(赤外線を追尾しやすくなる)。

この仕掛けの効果は、迎撃側のセンサーに標的が実際の2倍以上の大きさに映るのと同じほどあったという。その調査を要請した民主党の上院議員は「これを“効果を高める方法”と呼ぼうが“いかさま”と呼ぼうが、こんなことが行なわれていたことを、10年もの時が過ぎて350億ドルのカネが費やされるまで議会にわからなかったとは、とんでもない話だ」と激怒した。だが、その八百長のために陸軍に協力したロッキードは、追加の数十億ドルを手中に収めた。もしHOE実験が“成功”していなければ、そのカネはおそらく支払われなかっただろう。

だが信じられないことに、実はこれでもまだましだったのだ。ペンタゴンと陸軍はもっとひどいいかさまを考えていた。標的の模擬弾頭に爆発物を仕掛けておき、迎撃ミサイルが命中しなくてもそれを爆発させて命中したように見せかけようという計画があったというのだ。だが会計監査院の報告によれば、最初の3回の実験がニアミスすらしない大はずれの失敗に終わったため、その計画は実行されなかったという。

(ウィリアム・D. ハートゥング 『ロッキード・マーティン 巨大軍需企業の内幕』(玉置悟訳)草思社、2012年)


行方不明になって2カ月のMH370に搭乗していた電子戦の専門家やロスチャイルドなどの関係者

2014年05月24日 | 国際情勢
 239名の乗客を乗せたマレーシア航空370便(MH370)が消えてから2カ月以上が経過したが、杳として行方が知れない。インド洋に浮かぶディエゴ・ガルシア島へ降りたという推測もあるが、そこにはアメリカの重要な軍事基地があり、CIAの秘密刑務所が存在するとも言われ、調べることは困難だ。

 旅客機のパイロットと管制官との間で交わされた最後の会話が5月1日に公開された。長さは7分間。この録音で新たな謎が出てきた。音声を調べると、「編集」されているのである。当局はなぜ録音に手を加えたのか?

 別の疑問も浮上している。2453キログラムの貨物が積まれていたのだが、221キログラムのリチウム・バッテリーをのぞき、その内容が明らかにされていない。公表されていない2トン以上の貨物が旅客機の行方不明と関係があるかもしれないと疑う人もいる。

 この航空機には半導体の特許を持つ4名の中国人が乗っていたことから、この特許が関係しているという仮説も浮上している。この特許を保有しているのは中国宿州出身の中国人4名とアメリカのテキサス州にある「フリースケール半導体」なる会社。4名の中国人もこの会社で働いていて、特許の権利はそれぞれ20%だった。4名の中国人がいなくなれば特許の権利は100%、フリースケール半導体が握ることになる。この4名は同社の別の従業員16名と一緒にMH370に乗っていたとされている。

 ところで、フリースケール半導体は2004年にモトローラから分かれた会社で、電子戦やステルス技術が専門だという。ブラックストーン・グループのほか、ブッシュ家が関係しているカーライル・グループやイスラエル系アメリカ人の富豪デイビッド・ボンダーマンが会長を務めるTPGキャピタルが2006年に買収している。

 グレイストーン・グループはジェイコブ・ロスチャイルドの金融機関。密接な関係のある会社のひとつ、ブラックロックを経営しているラリー・フィンクはアメリカとイスラエルの2重国籍。そのほか、投機家のジョージ・ソロスやキッシンジャー・アソシエイツも仲間のようだ。

 言うまでもなく、ジェイコブ・ロスチャイルドはイギリスを拠点とする大富豪。2004年から05年にかけて「西側」がウクライナを乗っ取った「オレンジ革命」でスポンサーのひとりだったボリス・ベレゾフスキーと親しくしていた。

 ベレゾフスキーはロシア消滅後、ボリス・エリツィンの取り巻きと手を組んでロシア国民の資産を私物化して富豪の仲間入りをした「オルガルヒ」のひとりで、ウラジミール・プーチンと対立してイギリスへ亡命している。「オレンジ革命」ではジョージ・ソロスも協力している。

 そのほか、MH370にはアメリカ国防総省の20名も搭乗、いずれも電子戦の専門家で、レーダーの探知を回避する技術に精通していたという。しかも、そのうち少なくとも4名は不正なパスポートを使っていた疑いが持たれている。

(櫻井ジャーナル)http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201405090000/

クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説

2014年03月23日 | 国際情勢
ウクライナ南部クリミア半島のロシア編入について、ロシアのプーチン大統領が3月18日、大統領府があるモスクワ・クレムリンで正式に表明した。演説は30分以上にわたり、クリミアがロシア領になる正当性や混乱が続くウクライナの民族主義者への懸念を語ったほか、米国を始めとする西側諸国の国際問題に関与する姿勢を批判した。

ロシアのプーチン大統領は昨日、クリミア編入を公式に表明しました。クレムリンに閣僚、上下院議員、クリミア、セバストポリの代表者らを集め、なぜクリミアがロシアにとって重要か、編入のロシアなりの正当性などを主張しました。かなり長くなりますが、それを紹介したいと思います。

とても長くなりますので、あとでtogetterでまとめたいと思います。まとめで読む方が読みやすいかもしれません。まとめをつくるためにも、まずはあえてツイートしていきたいと思います。かぎかっこも付けずに発言だけを書いていきます。それでは参ります。

クリミアでは16日、住民投票が民主的な手続きで、国際法に完全に合致した形で行われた。有権者の82%が参加し、96%がロシア編入に賛成票を投じた。結果はまったくもって驚きだ。

なぜ投票が行われたのかを理解するには、クリミアの歴史、クリミアにとってのロシア、ロシアにとってのクリミアを知ることが必要だ。クリミアは文字どおり我々共通の歴史であり、誇りである。

クリミアの古代ギリシャの植民地ヘルソネスがあった地で、キエフ大公であり、キリスト教の聖人ウラジーミル1世が洗礼を受けた場所だ。彼の宗教的な偉業は、これは正教徒に対する話だが、それは共通の文化、価値観、文明的な基礎の条件となった。

そしてそれは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの国民を一つに結びつけるものだ。クリミアにはロシア人の墓がある。彼らは1783年、ロシア帝国のもと勇敢さを発揮した。クリミアといえばセバストポリだ。英雄都市であり、偉大な運命の都市だ。要塞であり、黒海艦隊のふるさとだ。

クリミアといえばバラクラバ、ケルチだ。それぞれが我々にとって聖地であり、ロシアの軍事力のシンボルだ。クリミアには異なる民族の素晴らしい文化と伝統の結晶がある。ロシアに似ている。

ロシア人もウクライナ人もタタール人も民族は異なるが、努力して近くで暮らし、それぞれの独自性と伝統、言語、宗教を守りながら暮らしてきた。ところで220万人のクリミア人口のうち、約55%がロシア人、35万人がウクライナ人で、ロシア語を母語と考えている。

29~30万人がタタール人だが、多くの人が住民投票においてやはりロシア編入の意思を示した。タタール人にとってはソ連時代、厳しい不正義があった。いや、これはタタール人だけではなかった。別の民族に対してもあった。

弾圧によって何百万人の様々な民族の人たちが苦しんだ。その中にはもちろん、ロシア人も入っていた。そしてタタール人は自らの土地に戻ったのだ。政治的、法的な必要な決定により、タタール人の復興、彼らの権利を復活させるのは当然なされなければならない。

私たちはクリミアのあらゆる民族に対して敬意を表する。そこは彼らの共通の家であり、ふるさとだ。クリミアには三つの平等な言語がある。ロシア語、ウクライナ語、タタール語だ。心や感覚の中には、クリミアは常に奪うことのできないロシアの一部だという意識がある。

それは真実と正義において大きな確信だ。それは揺るぎなく、世代で引き継がれてきた。そんな確信の前では、時間の経過も状況の変化も無力であり、20世紀に我々が経験したあらゆるドラマチックな変化も無力だ。

ボリシェビキの革命後、異なる意見と天命に従い、ロシア南部の歴史的な領土の多くがウクライナ共和国に編入された。住民の民族構成も考えず行われたのだ。それが現代のウクライナの東部、南部だ。1954年、クリミアをウクライナに移管する決定があった。

セバストポリも一緒に移管された。しかし、そのときはソ連の一部には変わりなかった。指導者フルシチョフ氏の個人的なイニシアチブで行われた。なぜそうなったのか。

ウクライナのノーメンクラツーラの支持を取り付ける必要があったからであり、1930年代にウクライナであった弾圧の償いの意味でもあった。そのようにして歴史が進んだのだ。だが、私たちにとっては重要ではない。その決定は憲法的なルールにも違反していた。決定は非公開だった。

内輪だけの決定だった。当然、全体主義国家という条件下で、クリミアとセバストポリの人たちは何も問うことはできなかった。当然、全体主義国家という条件下で、クリミアとセバストポリの人たちは何も問うことはできなかった。ただ事実の前に立ち尽くすほかなかった。

もちろん人々には疑問はあった。なぜ突然クリミアがウクライナになるのだと。最終的にはそれを直接言う必要があった。だが、我々はみんな知っている。その決定は、まるで形式主義のようにして決定されたのだと。一つの巨大国家の枠組みの中で。

そのときはただ単純に、ウクライナとロシアは一緒ではない、別々の国になるなんて思ってもみなかった。しかし、それは実際起きた。残念ながら信じられないことに、それは現実になった。つまり、ソ連が崩壊したのだ。

事態はどんどん急速に展開し、国民の中でもドラマティックに展開する出来事とその結果をすべて把握している人はほとんどいなかった。ロシアとウクライナのたいていの人は、ほかの旧ソ連諸国の人たちもそうだが、独立国家共同体が新しい共通の国家的な形になると思っていた。

すべて約束されたはずだった。共通の通貨、統一経済圏、共通の軍隊。しかし、すべては約束に終わった。巨大国家はできなかった。クリミアが突然別の国になることになったのだ。そのときロシア人は、クリミアは単に盗まれたのではなく、強奪されたのだと感じた。

はっきりと認めなければならないのは、ロシアは新生国家として誕生した際、パレードをやったが、ソ連崩壊の原因となったのだ。ソ連崩壊のとき、クリミアや黒海艦隊の基地、つまりセバストポリが忘れられていたのだ。

数百万のロシア人が同じ国に寝ていたのに、外国で目覚め、1時間のうちに前ソ連共和国で民族的な少数派になっていた。世界で最も分割された民族にロシア人はなっていた。だが今日、すでに多くの年月が流れた。

クリミア人同様、私も最近よく耳にするのは、91年にクリミアがまるで1袋のジャガイモのように手から手へと渡されたということだった。ロシアとは一体なんなのか?そうした屈辱について、頭を伏せておとなしくし、じっと我慢していた。

ロシアはそのとき困難な状態にあった。自国の利益を現実に守れなかった。人々は憤慨すべき歴史的な不正義に我慢できなかった。それ以降、人々も、市民団体も何度もこのテーマを問題提起した。クリミアは紛れもなくロシアの土地であり、セバストポリはロシアの都市だと話した。

我々はよくわかっているし、心や精神で共感もした。しかし、独立したウクライナとのいい関係をつくり、そうした困難な現実からスタートする必要があった。ウクライナとの関係、同胞ウクライナ人との関係は常に私たちにとって最も重要であり、カギを握ると言っても過言ではない。

2000年代に始まった交渉の内幕について明らかにしたい。当時ウクライナの大統領はクチマ氏。彼がロシアとウクライナの国境確定プロセスを急ごうと頼んできた。そのときまでこのプロセスは実質動いていなかった。ロシアは例えばクリミアについてはウクライナの一部と認めた。

しかし、国境確定交渉は行われなかった。交渉が難しいことは理解するが、しかし、私はすぐにロシアの関係機関に作業を活発にせよと指示を出した。作業とは国境整備の作業だ。すべての人にわかるように。

つまり、国境確定に同意しながら、我々は実質的にも法的にもクリミアをウクライナ領と認めていた、そして最終的にはその問題は解決した。私たちは逆にウクライナに対し、クリミアの問題だけでなく、同様の難しい問題についても提起した。アゾフ海の領海やケルチ湾などについて。

そのとき我々は何に立脚したのか?ウクライナとのいい関係だ。それは私たちにとって最も重要だ。そうした関係は息詰まった領土紛争の人質になるべきではないのだ。

その上、ウクライナは将来我々の優しい隣人であり、ウクライナの東南部、クリミアにいるロシア人とロシア語話者に対しては特に、友好的で民主的、文明的な国家のもとで暮らし、法的利益はしかるべき国際法で守られるべきだと考えた。

しかし、事態は別の方向へと展開した。ロシアの歴史的な記憶や母語をなくそうとしたり、同化を強制しようとしたりする試みがあった。ロシア人もウクライナ人も恒常的な政治国家的な危機に傷つき、20年以上もウクライナは揺れてきた。

なぜウクライナの人たちが変化を求めたのか理解できる。ここ何年にもわたって、権力は奪うものだとされ、その権力が政治的独立、国家の独立を飽き飽きさせたのだ。大統領も首相も、議員もころころ変わるが、国や国民に対する彼らの態度は変わらない。

彼らはウクライナを搾取し、権力や活動分子、金を使って切り裂いた。権力者たちは人々の生活を考えず、数百万人いるウクライナ人はなぜ国の展望がもてないのか、海外に流出するのか、外国に出稼ぎに行かなければならないのか、ということにほとんど関心を払ってこなかった。

ここで指摘したいのは、シリコンバレーでさえウクライナ人は日雇い労働者として働いていた。ロシアだけでも昨年、300万人のウクライナ人が働いている。別の指標では、2013年、彼らはロシアで200億ドル稼いだとも。それはウクライナGDPの12%にあたる。

汚職や国の非効率的な仕事、貧困に反対し、平和的なスローガンを掲げてマイダン(キエフの集会場所となった広場)に集まった人の気持ちは理解できる。平和的な集会は権利であり、民主的なプロセスである。選挙は人々に役立たない権力を変えるために存在する。

しかし、ウクライナの一連の出来事の背景には、別の目的があった。すなわち、彼らは国家転覆を準備したのであり、権力奪取を計画した。しかも、それだけにとどまろうとしなかった。テロや殺人、略奪を始めた。

民族主義者、ネオナチ、ロシア嫌いの人たち、ユダヤ人排斥者が転覆の主要な実行者だった。彼らは今現在もウクライナにはっきりいるのだ。いわゆる新政権は、言語政策を見直す法案を提出し、少数民族の権利を制限した。

実際、このような政治家たちや権力の中枢にいる人たちを支援する外国スポンサーたちがそのようなもくろみを主導した。彼らは賢く、代償を払わなければならない。人種的に純粋なウクライナを作る試みがどういう結果を招くかは自明だ。

(言語規制の?)法案は延期され、お蔵入りになった。だが、人々はしっかり記憶している。すでに明らかになったのは、今後ウクライナの進歩的な人たちは、ナチスに協力したステパン・バンデーラの後継者ということだ。第2次大戦でヒトラーの手先となった男だ。

明らかなのは、ウクライナには現時点で、対話可能な合法的な政権はないということだ。多くの国家機関は名前を偽った人たちによって奪取され、国家機関は機能していない。強調したいのは、そのかわりにそれら国家機関は過激派にコントロールされているということだ。

いくつかの省庁に行くためには、「マイダン」の武装集団の許可が必要になっている。これは冗談ではなく、リアルな光景だ。反乱に参加した人によって、弾圧や懲罰的な脅威もすぐに起きた。もちろん、その最初の標的となったのが、ロシア語を話す人が多いクリミアだった。

それに関連してクリミアとセバストポリの住民はロシアに自分たちの人権と人生を守るよう要請した。キエフで起きたことをさせないよう要請した。それはウクライナ東部のドネツク、ハリコフでも起きている。

当然、我々はその要請を断ることはできなかった。クリミアとその住民を悲惨な状況に置き去りにすることはできなかった。何よりも、クリミアの人たちが、自分たちの将来を歴史上初めて自分たちで決める平和で自由な意見表明の条件づくりを助ける必要があった。

しかし、欧米が言ったことはなにか。我々は国際法に違反しているという批判だった。とはいえ、国際法というのが存在していることを彼らは知っていたようだ。ありがとう。知らないよりは、遅くても知っている方がまだましだ。

二つ目に、これが最も重要なのだが、我々は国際法に違反したのか?私は確かに上院からウクライナで軍事力を行使していいという権利を与えられた。しかし、まだ行使していない。ロシア軍はクリミアに派遣されていないのだ。クリミアの部隊は、国際条約に基づいて駐留する部隊だけだ。

確かに我々はクリミアの部隊を増強した。しかし、強調したいのだが、クリミア駐留部隊の上限要員を超えたわけではない。上限は2万5千人。これまでは、単にその上限までは必要なかったというだけだ。

独立を宣言と住民投票を発表した際、クリミア自治共和国議会は国連憲章を根拠とした。民族自決の原則だ。思い出してほしい。当のウクライナもソ連から脱退するときに同様の宣言をした。ウクライナは民族自決を使ったのに、クリミアの人たちはそれを拒否される。なぜなのか?

このほかにも、クリミア指導部は有名なコソボの先例を参考にした。それは西側が自ら作ったものだ。全くクリミアと同じケースであり、セルビアからコソボが分離することを認めたものだ。これも一方的な独立宣言だったが、そのときは中央政府の許可は何ら必要とされなかった。

国連の国際裁判所は国連憲章第1条2項の原則に同意し、2010年7月22日付の決定で次のように指摘した。文字どおり引用する。「安全保障理事会は一方的な独立宣言について、一律禁止にするような結論は出さない」

「国際法は、独立宣言について適切な禁止、というものを規定していない」。すでに明かだろう。引用を強調したいわけではないが、私は抑えることができないので、公的文書から抜粋をもう一つ紹介したい。それは2009年4月17日付の米国による覚書だ。

それはコソボの審理のときに国際裁判所に提出されたものだ。「独立宣言は国内法に違反することが度々起こる。しかし、それは国際法に違反していることを意味しない」。自分たちで書いて世界に向けて吹聴したのだ。すべてをねじ曲げ、そして今度は憤慨している。どういうことだ?

クリミアでの行動はすべてはっきりと、これ(コソボの例)と一致する。なぜかコソボのアルバニア人はよくて、クリミアのロシア人、ウクライナ人、タタール人は禁止されているのだ。なぜなのか?

そして欧米は今度は、コソボは特例だと言う。それは結局例外だったということか?コソボの紛争では多大な人的被害があったから?それは法的根拠になるのか?国際裁判所の決定はそんなことはまったく触れていない。二重基準どころではない。驚くべき原始的な直接的な皮肉だ。

昨日までは白と言っていたのに、明日には黒と言うようなものだ。あらゆる紛争は人的犠牲が出るところまで行かなければならないということか?

もしクリミアの地元自警団が事態を掌握しなかったら、同じように犠牲が出たかもしれない。幸いそれは起きなかった。ただの一つも武力衝突は起きなかったし人的犠牲もなかった。なぜか?答えは簡単だ。市民と彼らの意思に反する形で戦うのは難しいだけでなく実際には不可能だからだ。

これに関してはウクライナ軍に感謝したい。それは決して小さくない部隊だ。武装兵は2万2千人。武力に訴えなかったウクライナ兵士に感謝したい。もちろん、これに関しては別の見方も出てくる。クリミアにロシアが武力によって干渉したと。でもそれはおかしい。

一発も発砲せず、一人も犠牲者を出さない形で武力介入が行われたことが歴史上あっただろうか。私はそうした例を知らない。

親愛なる皆さん。ウクライナを取り巻く環境は、まるで鏡のように今世界で起きていること、そしてかつて世界で起きたことを映し出している。地球上で2極化世界(冷戦)が終わった後も、世界は安定しなかった。カギとなる国際的な仕組みは強化されず、残念ながら頻繁に崩壊した。

米国率いる西側は、政策を実行するのに、国際法ではなく、「力の原則」に従う方を好んだ。彼らは自分たちが選ばれたもので、例外だと信じた。世界の運命を決めることができるのは常に彼らだけに与えられた権利だと。彼らはそのように振る舞っている。それが正しいと言わんばかりに。

国家の主権に対して武力を使い、同盟を組むのが常套手段だ。我々に賛同しないものは、我々の敵だとみなす。攻撃を合法だと装い、国際機関の必要な決議を破り、様々な理由で都合が悪くなれば、国連、安保理をすべて無視する。

ユーゴスラビアでもそうだった。1999年のことをよく覚えている。自分でも目の当たりにしたが、信じられなかった。欧州の偉大な都市の一つであるベオグラードが数週間のうちに空爆で破壊されたのだ。そしてその後、本当の武力介入が始まったのだ。

果たして安保理決議は、ユーゴスラビアのこの問題について、こんな風に解決しようという内容だったか?そんなわけはない。そしてアフガニスタン。イラク。リビアではあからさまに国連安保理決議に違反した。飛行禁止区域を守る代わりに空爆が始まったのだ。

一連の「カラー革命」(一部の旧ソ連諸国で起きた革命)もそうだ。それが起きた国では、圧政や貧困、展望のなさに人々が疲れ果てていた。それは理解できる。しかし、そのような感覚が皮肉なことに利用されたのだ。

利用した方の国(欧米)は、それがスタンダードだという。しかしそれは彼らの人生や伝統、文化には当てはまらなかった。結果は、民主主義や自由の代わりに、カオスだった。暴力の激突であり、政権転覆の応酬だった。「アラブの春」は「アラブの冬」へと変わった。

同じようなシナリオがウクライナでもあった。2004年の大統領選で必要な候補を押しつぶすため、法的には規定されていない3回目の決選投票が行われた(オレンジ革命のこと)。憲法に照らせば、ナンセンスであり、お笑いぐさだ。そして今、用意周到に武装した人たちが投入された。

いったい何が起きているのか、我々はよくわかっているし、それらの行動がウクライナやロシアに反発し、欧州で起きている統合政策に反対する動きであることもわかっている。

ロシアは誠実に欧州側と対話を目指してきた。常にかぎとなる問題については協力を呼びかけた。信頼レベルを強化したいし、私たちの関係を対等で開かれた、純粋なものにしたいと思っている。だが、相手方からの歩み寄りはなかった。

それどころか逆に、何度も我々はだまされてきた。我々の見えないところで事が決められ、実行された。例えばNATOの東方拡大やロシアの国境近くに軍事施設を設けることなどだ。彼らは同じことを繰り返してきた。「それはあなた方に向けたものではありません」。信じられない。

(欧州)ミサイル防衛システムの展開もそうだ。我々にとっては脅威にもかかわらず、施設や装置は設置されている。ビザ問題交渉もそうだ。グローバル市場における自由なアクセスと、純粋な競争についての約束もそうだ。

現在、我々は制裁に脅かされている。しかし、我々は(今でも)一連の制限下で生きており、国や経済において、それははっきり存在している。例えば冷戦時、米国や他の国もソ連に軍事技術・戦略物資を売ることを禁止した。ココムと言った。対共産圏輸出規制のリストだ。

形式的には今日廃止されているが、それは形式的なものだ。実際には多くのものがまだ禁止されている。

我々は根拠を持って次のように推察する。すなわちロシアを抑制しようとする悪名高い政策は、18世紀、19世紀、20世紀にわたって続いてきた。そして今も続いている。

我々は常に追い込まれている。その理由は、我々が独立した立場を取り、それを守り、率直に言い、偽善者ぶらないからだ。しかし、我々の我慢にも限度がある。ウクライナのケースでは、欧米は一線を越え、乱暴で無責任でプロ意識のないことをやった。

彼らだってよくわかっているはずだ。ウクライナやクリミアには数百万人のロシア人が住んでいるということを。(西側は)政治感覚や基準に対する感覚を失いすぎて、ウクライナで次にどんなことが起きるかということを予見できなかったのだ。

ロシアにとっては引き下がれなくなった。もしバネを限界まで押しつけたら、いつか力強く戻る。それを常に肝に銘じるべきだ。

今必要なのはヒステリーな対応をやめ、過度に冷戦などと言うことをやめ、はっきりしたことを認めることだ。すなわち、ロシアは自発的に、積極的に国際社会に参加するプレイヤーなのであり、他国と同様、考慮され、尊重されるべき国益を持っているということだ。

クリミアへの我々のアプローチを理解してくれた国々には感謝したい。まず中国だ。中国の政権は、ウクライナとクリミア周辺の歴史的、政治的な側面をすべて検討してくれた。そしてインドの自制と客観性の高く評価したい。

米国民に言いたい。独立宣言は彼らにとって何よりも重要で誇るべきものだ。クリミアの住民が自分たちの将来を自由に選びたいと思うことはその価値観にあわないとでも言うのか?我々を理解して欲しい。

私のことを欧州は理解してくれると信じている。とりわけドイツ人は理解してくれるはずだ。東西ドイツが統合するときの政治協議で、ドイツの同盟国のうち統合に賛成したのは少なかった。それに引き換え、我が国はまったく誠実に賛同した。

我々は統一を求めるドイツ人の抑えがたい希望を支持した。まさかドイツ人は忘れてないとは思うが。ドイツ国民も同様に、ロシア世界、歴史的なロシアの統一復興に対するロシア人の希望を支持していると考える。

ウクライナ国民に言いたい。私たちをわかって欲しい。あなたたちに損害を与えたくないし、民族感覚を侮辱したくない。いつもウクライナの領土一体性を尊重してきたし、私たちは、自分の政治的野心でウクライナの統一を犠牲にするような人たちとは違うのだ。

彼らは「偉大なウクライナ」とスローガンを掲げて装ってはいるが、国を分断するあらゆることをしてきた。今日の国民の対立は彼らが持ち込んだものだ。ロシアを利用してあなたたちを脅す人たちを信じないで欲しい。クリミアのあと別の地域だと叫んでいるような人たちのことだ。

ロシアはウクライナを分割したいのではない。それは必要ない。クリミアには今後もロシア人、ウクライナ人、タタール人がそのままの状態で残る。繰り返す。クリミアはこれまでもこれからも、あらゆる民族にとってのふるさとであり続ける。しかし、ファシストのものにはさせない!

クリミアは我々共通のものだ。地域安定に最も重要な要因だ。このような戦略的な場所は、強くて安定した主権のもとにあるべきだ。それは実際、今日においてはロシアだけだろう。

ウクライナやロシア人にも言いたい。我々はあなた方とともにいる。近い将来、歴史的な視点でみれば、(このままでは)クリミアを完全に失うかもしれないのだ。考えて欲しい。

キエフではウクライナがNATOに入るという話も出ている。クリミアとセバストポリにとってそれは何を意味するか?ロシアの偉大な軍事都市に、NATOの軍艦が出現することはロシア南部にとって脅威となるだろう。それはつかの間もことではなく、全く具体的な脅威なのだ。

もしクリミア人が今回のような選択しなければ、本当に(そうした脅威が)起こりうることだった。(クリミアの住民よ)ありがとう。

ところで、我々はNATOとの協力に反対しているわけではない。全く違う。我々が反対しているのは、軍事同盟としてのNATOが、軍事組織のあらゆる内部機能を伴って駐留することに反対なのだ。我々の塀の近くや我々の家の近所、歴史的な土地の近くで展開するのに反対なのだ。

セバストポリに行って、NATOの海軍兵の家に招待される光景は全くイメージできない。彼らはまったく違う人たちであり、私たちが彼らのもとに行くのではなく、私たちが彼らをセバストポリに客人として招待する方がいい。

今ウクライナで起きている事に私たちは心を痛めている。ウクライナでは今日、明日をどう生きればいいかかわからない状態だ。私たちの心配は理解されるはずだ。

我々は単に親しい間柄ではない。事実上、同じ民族なんだ。キエフは古代ルーシのロシアの母なる都市。そこから私たちはともに始まったのであり、お互いを抜きにしてはあり得ないのだ。

ウクライナには数百万人のロシア人,ロシア語話者が住んでいる。ロシアは常に彼らの利益を、政治的、外交的、法的な手段で守る。しかし、何よりもまず、ウクライナ自身が彼らの利益に関心を払い、保障しなければならない。そうしてこそウクライナ国家の安定と領土保全が保証される。

我々はウクライナと仲良くしたいし、強くて主権があって自主的に豊かなになれる国家になって欲しい。ロシアにとっては最も重要なパートナーの一つであり、多くの共同プロジェクトもあり、その成功を信じている。

最も重要なことは、ウクライナの領土に、平和と合意が訪れ、ロシアが望むのは、ほかの国々とともにウクライナ支援のために全面的な協力ができるようになることだ。しかし、繰り返しになるが、そのためには、ウクライナ国民自身が、適切に秩序を取り戻すしかないのだ。

クリミアとセバストポリの住民のみなさん。ロシアはあなた方の勇気、威厳、勇敢さが本当にうれしいです。あなた方自らクリミアの将来を決めたことがうれしいのです。決まるまでの間、我々は最も近づいたような気持ちになり、互いを支え合いました。心からの連帯でした。

このような、急展開した歴史的な瞬間においてこそ、成熟や民族の強い心が試されるのです。ロシア国民は成熟さを示したし、団結によって同胞(クリミア住民)を支えました。

ロシアの外交スタンスが強固なことは、数百万人の国民の統一的な意思、政界や市民団体のリーダーたちの支援に基づく。愛国的な雰囲気にお礼を言いたい。我々にとって重要なのはそのような結束だ。それはロシアに立ちはだかる課題を解決してくれる。

ロシアは外交的には反発を食らっている。しかし、それを解決し、首尾一貫して民族の利益を守るのか、あるいはそれをあきらめ、放棄してしまうのか。いくつかの西側の国はすでに我々を脅している。制裁だけでなく、ロシア内部で何か激しいことが起こるのではないかと。

いったい何を言おうとしているのか。異なる民族の裏切り?あるいはロシアの社会経済状態の悪化?人々の不満を挑発すること?無責任で攻撃的な発言だ。

我々は一度も西側と争おうとしたことはない。実際は逆で、文明的で友好的な関係を築くために必要なことをすべてやる。それが現代世界で決められたことだ。

皆さん。クリミア人は住民投票で直接、はっきりと質問した。クリミアはウクライナに残るのか、ロシアに入るのかと。クリミアとセバストポリの指導者、議員たちは、住民投票の質問を設定し、政治的な利害関係やグループを超えて、住民の根本的な利益を考えた。

住民投票以外の方法ではクリミアの問題は一時的にしか解決できず、将来的な対立の激化を招き、人々の人生を引き裂くことになっただろう。

クリミアの住民ははっきりと、妥協なしに、明らかに質問を設定した。投票はオープンでクリーンに行われ、住民たちははっきりと自分たちの意思を示した。つまり、彼らはロシアに編入したいのだ。

内外の要因を総合的に判断すれば、ロシアにとっても難しい決定だ。ロシア人の気持ちはどうか。どんな民主的な社会でも、違った考えを持つ人がいるのはつきものだ。しかし、この場合、立場は一つだ。強調したいのは、絶対的な多数のロシア国民の意見は明らかだということだ。

最近の世論調査の結果はご存じだろうか。95%のロシア国民が、ロシアはクリミアに住むロシア人とほかの民族の利益を守るべきだと考えている。95%だ。そして83%以上の国民が、たとえ別の国々との関係を損なったとしても、ロシアはそれをすべきだと考えている。

そして86%の国民が、クリミアは現時点までロシアの土地であると考えている。それはとても重要な数字であり、クリミアの住民投票で92%がロシア編入を望んでいることと相関関係にある。

このように、とても多くのクリミア住民とロシア国民の絶対的な多数がクリミアとセバストポリの編入を支持している。問題はロシア自身の政治決断にかかっている。それは国民の意思にのみ立脚している。なぜなら国民だけが、あらゆる権力の源であるからだ。

上院、下院のみなさん。ロシア国民、クリミアとセバストポリのみなさん。住民の意思をよりどころとしたクリミアの住民投票の結果に基づき、国会にクリミアとセバストポリを編入する法案を提出し、審議をお願いする。

クリミアとセバストポリでも同様に、編入に関する条約調印のための批准がなされるだろう。これについて、皆さんの支持があることを確信しています!(終わり)

(関根和弘)http://togetter.com/li/644258

戦争の可能性が高いウクライナ情勢 - 反ロ感情の基底にあるもの

2014年03月22日 | 国際情勢
 プーチンとロシアからすれば、米国のネオコン財団から支援を受けた極右反ロのネオナチ勢力が、ウクライナの政権を牛耳り、ロシア解体の前線基地にして刃を向けることなど、とても容認できる現実ではないのだ。ロシアにとって、ウクライナは歴史的に結びつきの強い兄弟国であり、常に友好関係でなくてはならず、最低限、EUとの間の緩衝地帯であって、ここに強硬な反ロ政権ができてNATO入りする事態は許されない。

 日本と欧米のマスコミ報道が言うように、今回のクリミア編入の大胆な動きは、ロシアのナショナリズムの高揚として捉えられる。だが、その中味は、単に大国ロシアがソ連崩壊後の長い忍従と鬱屈と雌伏の段階から脱け出て、自らの本分を取り戻すべくエネルギーを噴出させている姿としてだけ見るべきではない。

 それ以上に、そこには繊細な防衛の動機があり、国民的な恐怖と危機感の内奥があるのだ。ロシア人の尋常でない防衛本能の強さや過敏さについては、あらためて多くを語る必要はないだろう。ロシアは歴史的に西から東から侵入と掠奪を受け続けた国であり、モンゴルの、ナポレオンの、ヒトラーの苛烈な侵略で国土を蹂躙された国である。

 特に西側の防壁(安全保障)に対しては、極度に神経質にならざるを得ない。大国でありながら、センシティブな恐がり屋であり、攻撃される前に脊髄反射的に武力で問題解決に出ようとする心性を持っている。この点は、遠い極東からロシア情勢を客観視し得る立場のわれわれは、多少は内在的に理解する姿勢が必要ではないか。

 また、プーチンが言うように、クリミアが1954年にウクライナの帰属になったのは、ソ連国内での(党中央の)決定事項であり、ウクライナ出身のフルシチョフの独断によるもので、主権を持った独立国間の交渉や合意によるものではなく、居住する住民の意思の反映でもなかった。その主張と弁解も、それが今回の編入を正当化できる根拠にはならないとしても、歴史的背景として斟酌して一分の理を認めてよいだろう。

 ウクライナはとても難しい国だ。歴史的なアイデンティティを遡り、キエフ大公国(キエフ・ルーシ)まで行き着くと、それはまぎれもなくモスクワ大公国の前史であり、ロシアにとって民族揺籃の地である。ロシアと切っても切り離せないアイデンティティを持ち、ポーランドとは事情が異なる。

 ウクライナの反ロ感情を理解しようとすれば、やはり、ソ連時代の悲劇と不幸に考えを及ぼさざるを得ない。第一に、ソ連時代、ウクライナは二度の大飢饉(1921-22、1932-33)に襲われ、400万人から1000万人が犠牲になったと言われている。この大飢饉は、レーニンやスターリンの農民敵視政策によって人為的に惹起されたもので、いわゆる共産主義の暗黒史の中でもひときわ凄惨で残酷な出来事(大虐殺)として記憶に刻まれている。

 第二は、ナチスによるバルバロッサ作戦(1940年)の侵攻と地獄で、ウクライナでは人口の5人に1人の約1000万人が犠牲になっている。犠牲を大きくしたのは、パルチザンによる徹底的な焦土作戦が敢行されたことも影響していて、それが故にナチスに抵抗して勝利することができたのだけれども、もし、ウクライナがソ連領の一部ではなく、ハンガリーやルーマニアと同じ境遇であれば、犠牲はこれほど大きくなかったのではと考えても不自然ではない。
 
 そして第三に、1986年のチェルノブイリ原発事故とその重荷がある。事故はウクライナに大きな傷跡を残し、28年後の今も脆弱な国家財政に過大な負担を強い、人々を不安に苛ませ続けている。20世紀、ウクライナはソ連とともに辛酸の運命の極にあった。

 ウクライナ人の反ロシア感情は、20世紀の社会主義の経験と直結しているように私には見える。現在の反ロシアの熱気と運動は、明らかに反共(反ソ)のイデオロギーに扇動されたものだ。20世紀の過酷な歴史を思うと、ウクライナ(西部)のロシアへの根深い不信と怨念もそれなりに理解できるし、そこに米ネオコン財団がつけ込んで画策し、首尾を得る理由も分からないではない。

 だが、ソ連時代のウクライナの版図を引き継ぎ、東に広大なロシア系住民の居住地域を包摂し、西にスターリンが切り取った第2次大戦前のポーランド領東部を抱え込み、20世紀のウクライナをベースに新国家建設を模索する以上、その国民国家が、EU加盟やNATO加盟などできるはずがなく、過激なロシア敵視政策(ロシア打倒政策)が有効に奏功するはずがない。

 現在のヤツェニクとトゥルチノフの強硬路線が、このまま暴走して平穏に着地できる条件はなく、最低でも東西分裂、最悪の場合は血みどろの内戦と対ロシア戦に発展せざるを得ない。ロシアには、一戦交えてもウクライナを「正常化する」という覚悟がある。EUにその度胸があるだろうか。

 私の提案は、EU(連合体)としてロシアに臨むのではなく、ドイツが単独でロシアと交渉し、中東欧の平和(安全保障)のスキームを作る動きに出たらどうかというものだ。メルケルとプーチンがトップ会談し、ウクライナの安定化を協議するのが望ましい。それが叶わない場合、現状のままウクライナ新政権の暴走を許すと、間違いなくロシア軍の介入を招く事態になるだろう。ドイツが責任的に動き、中東欧の新しい秩序の基盤を築くべきだ。

(世に倦む日日)http://critic20.exblog.jp/

プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動

2014年03月16日 | 国際情勢
 今回、BRICSの中でロシアが、米国が誘発したウクライナ危機によって、米国との敵対に追い込まれた。米国がロシアを経済制裁するほど、プーチンは中国など他のBRICSを誘ってドルを崩壊させる政治戦略をやりたいと思うだろう。他のBRICSが米国から親切にされているなら、プーチンがドルを崩壊させたくても中印などが乗ってこない。しかし実際は、中国もインドもブラジルも最近、米国から敵視や嫌がらせを受けている。

 米国は、2011年から中国包囲網策を開始し、南沙諸島紛争でフィリピンやベトナムをけしかけ、尖閣諸島紛争では日本を中国敵視に誘導(米国のヘリテージ財団が石原慎太郎に入れ知恵)し、中国を怒らせている。米国は、今回のロシアとの対決の延長として、いずれ中国との対決をせねばならなくなると、FTが示唆している。米中は協調でなく、対決に向かっている。中国の上層部で、いずれ米国に潰されるぐらいなら、先にプーチンと組んで米国(ドルや米国債)を金融面から潰した方が良いという考えが強まっていても不思議はない。

 ブラジルの近傍では、ベネズエラのマドゥロ政権が、米国に潰されそうになっている。マドゥロ大統領は、国際的な反米運動の急先鋒だった先代のチャベス大統領が選んだ後継者だが、チャベスより穏健で米国との関係改善をめざし、選挙にも勝って民主的な正統性を持っている。しかし米国はマドゥロの関係改善の希望を無視し、チャベス時代から米国が支援してきた野党勢力を動かして、経済難に不満を持つ市民を巻き込み、マドゥロ政権を倒すための大衆的な反政府運動をやらせている。

 マドゥロ政権を非難する米国と対照的に、ブラジルなど南米諸国で構成するメルコスールは、民主的に選ばれたマドゥロ政権を非民主的な政治運動で倒そうとするベネズエラ野党を非難する決議を採択している。中南米諸国と米国カナダで作る米州機構(OAS)も、ベネズエラの内紛が対話によって解決することを望む決議を行ったが、このとき米国と、米傀儡であるカナダとパナマだけがマドゥロ非難の意味で反対した。

 米国が敵視する国の反政府市民運動を支援し、政権転覆までもっていこうとするやり方は、ベネズエラとウクライナで共通している。政権転覆によってより良い国ができればまだ良いが、転覆後は米欧の大企業がその国の利権を吸い取る「民営化」が強要されるか、ひどい場合はイラクやリビアのように恒久的な内戦に陥らされる。隣国として、ベネズエラが政権転覆されると悪影響が大きいブラジルにとって、ウクライナ問題でロシアが直面している事態は、他人事でない。ブラジル政府のIMF代表は、ウクライナ新政権に、通常より甘い条件で支援融資が行われることに反対するなど、ブラジルは米国のやり方に懸念を表明している。

 国務省など米政府が、各地の反米的、あるいは地政学的に米国にとって邪魔な政権を、地元の野党系の反政府運動を支援することによって次々と政権転覆していく策は、前ブッシュ政権の後期に始まったもので、当時のライス国務長官が、今後の国務省の任務としてそれを宣言した。ベネズエラやウクライナでの政権転覆の誘発は、米国にとって気まぐれでなく、長期的な戦略に基づいている。米国のこの姿勢は、ブラジルやロシアや中国にとって脅威である。

 今後、ベネズエラが政権転覆に近づいた場合、ブラジルの上層部も中国と同様に、米国が政権転覆によって中南米に混乱を拡大する前に、ドルや米国債を崩壊させ、世界に対する米国の影響力を縮小させた方が良いと考え始めるかもしれない。ブラジルのルセフ政権はすでに、米国の諜報機関NSAが自国を含む世界の官民の機密情報をスパイしていることに関して米国を非難し、米国を経由しない国際インターネット網の構築を推進するなど「米国抜き」の世界を構想している。

 インドも、以前は親米の傾向が強かったが、最近は米国に対する怒りがあちこちで起きている。昨年末には、米国駐在の女性外交官が米当局から微罪で逮捕されて全裸捜査を受けた件で、国民的な反米感情が高まった。米政府は最終的にこの問題で譲歩したが、その前はことさら強硬な姿勢をとってみせ、ほとんど意図的(隠れ多極主義的)にインドの世論を反米に傾かせた。

(田中宇)http://tanakanews.com/140315russia.php

危うい米国のウクライナ地政学火遊び

2014年03月16日 | 国際情勢
 今回のウクライナ危機について米欧日のマスコミは「ロシアが悪い」と書いているが、実のところロシアは悪くない。民主的に選出されたヤヌコビッチの政権を、米国に支援されたウクライナ民族主義者が非民主的な反政府運動で倒し、今の極右政権を作った。7割のウクライナ系と2割のロシア系が共存してきたのに、新政権は、ロシア語を公用語から外すなどロシア系敵視策をやったのだから、悪いのは極右新政権と、その背後にいる米国の方だ。

 ソ連崩壊とともに、ロシア軍の基地がウクライナ領内のクリミアにあるという矛盾した状況が生まれ、次善の策としてロシアとウクライナは協定を結び、クリミアへのロシア軍駐留を合法化してきた。それを、ウクライナ新政権は2017年までにロシア軍を追い出すと宣言してロシアを怒らせ、ロシア系が過半数のクリミア自治共和国の議会がウクライナからの独立を宣言すると、米国はそれを違法だと非難し、対露経済制裁を検討している。

 米欧は「ロシアがウクライナの国家統合を破壊した」と非難するが、実際は、米国が政権転覆を支援してウクライナの国家統合を破壊し、それをロシアのせいにするロシア敵視策をやっている。ヤヌコビッチ政権が経済同盟の相手としてEUでなくロシアを選んだので、米国がヤヌコビッチ政権を転覆した。ロシアは、米国の敵視策の被害者といえる。ロシアをめぐる米欧日の報道は、冷戦時代から善悪が歪曲されている。

 とはいえ今回の米露の戦いでロシアは劣勢でない。むしろ、今後しだいに優勢になりそうだ。米露が相互に経済制裁を激化していくと、ロシアから石油ガスの輸出を止められたり、ロシアと貿易投資関係を絶たざるを得なくなって、まず欧州経済が大打撃を受ける。ドイツの財界はメルケル首相に対露関係を悪化させるなと嘆願しているし、イタリアではロシアとの関係が深い国営石油会社などが対露制裁に反対している。

(田中宇)http://tanakanews.com/140315russia.php

クリミアの分離独立

2014年03月10日 | 国際情勢
 米欧やウクライナ新政権は、クリミアの分離を認めていない。米欧は、東チモールがインドネシアから、南スーダンがスーダンから、コソボがセルビアから独立した時には、国内の一つの地域の住民の大半が分離独立を求めていることを「民主主義」と評価し、分離独立を支持・支援している。しかし今回は、クリミアという、すでにウクライナ国内で自治共和国になっている統一性のある地域が分離独立を求めているのに、認めないと言っている。

 米欧が、東チモールの独立を支持したのは、インドネシアというイスラム教徒が多い国を困らせるイスラム敵視策(のちの「テロ戦争」)だった。コソボの独立を支持したのは、セルビアというロシアと親しい国を困らせるためだった。南スーダンの独立を支持したのは、スーダンという反米的なイスラム主義の国を困らせるためだった。いずれも「民主主義」は詭弁で、米国の世界戦略に都合のいい分離独立だったので支持した。

 それらと対照的に今回は、ロシアという米国が敵視する国の傘下に入る分離独立なので、米国は、絶対認めないと言っている。しかも米国はウクライナで、自作自演の狙撃殺害行為を行い、テロを支援する極右ネオナチ勢力を、強い反ロシアであるというだけで支援し、政権転覆を引き起こしている。米国の、民主主義重視の姿勢は、ずるがしこいインチキである。日本や米欧の人々のほとんどが、そのインチキに気づかず、簡単に騙されている。

(田中宇)http://tanakanews.com/140309russia.htm