私が小学1年に入った年の二学期の初めにこの「戊申詔書」が書かれて、いよいよ学校に来たのが10月。そして校長がそれを朗読ではなく、奉読といったんです、昔は。読み奉ると。生徒を全部講堂に集めて、校長がその「戊申詔書」を奉読して、「天皇陛下は、国民に勤倹節約をせよと仰せられている。国民はその誓旨(せいし)を奉戴(ほうたい)し、天皇の御心(みこころ)を捧持(ほうじ)奉って、倹約貯蓄に励まなければならない」と。その内容説明をしたんですね。
私、大和の田舎生まれですからその頃は農家のいちばん末っ子として、もう学校から帰ると農業を手伝ってました。だからそういう中で、それ以上どのように倹約できるのか、天皇はまちがっている、と思いました。(中略)
私、子ども心に天皇はまちがっていると思いましたね。なぜ、私たちにそれくらいの勤倹貯蓄を強(し)いなければいけなくなったのかというと、日露戦争の疲弊(ひへい)のためです。日露戦争は勝った、あのロシア大国を負かした、日本は大勝利だ、明治大帝の下に日本は世界的な強国になったんだ、と言ってるけれども、裏へまわれば、米英に20億の借金を背負ったんです。イギリスとアメリカから20億の借金をしなければ、日露戦争は到底勝ち目がなかったんです。戦(いくさ)に勝つか勝たないかは、結局、軍資金が続くか続かないかですからね。
日露戦争に勝つための20億の借金。その当時はまだ朝鮮は合併していませんでしたから、日本の人口は5,000万人といったんです。同胞すべて5,000万人。20億の借金を5,000万人の肩に割り振ってみると、赤ん坊にいたるまで、40円の借金になるわけです。だから、米英に向けて利子を付けてそれを返さなくちゃならない。また、戦死した家には補償しなければならない。日露戦争の後、どれだけ日本は疲弊したか、戦(いくさ)に勝ってもそれだけの借金が残る。それが戦争ですね。(中略)
戦争とギャンブルというのは、これはもう同じものですね。どこが同じか。何年間やってもそれは浪費であって、一本の大根も人参も生えてこないということです。生産に全然つながらない。戦争もギャンブルも全部が浪費であるということで、これは同じものなんです。
(住井すゑ「さよなら天皇制」かもがわブックレット23、かもがわ出版、1989年)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
(参考)日露戦争直前の国家予算は一般会計歳出合計が約2億7000万円(1901〜03年平均)。一方、日露戦争臨時軍事費は15億円余であった(石井寬治『日本経済史(第2版)』東京大学出版会、1991年)。