畑倉山の忘備録

日々気ままに

戦前の財閥(3)

2019年01月27日 | 天皇
ほとんどすべての財閥は、ーーそしてとくに四大財閥は紛れもなくーー戦争によって巨富を築きあげた。三菱の基礎は日本の台湾侵略によってかたまり、安田は日露戦争の利得で一流の事業家になった。

財閥の機関は日本の軍隊と歩調を揃えて、そしてしばしばその先頭に立って行進した。財閥の在外支店や出張所がしばしば経済的軍事的スパイ行為の中心になっていたことについては、豊富な証拠がある。満鉄の情報網は、軍部と財閥の共同経営のもとに全アジアをカヴァしていた。

上海で、新聞記者でありながら同時に満鉄のスパイの役割をもつとめていた一日本人を私は知っている。1937年、日本の軍隊が中国を攻撃しはじめたとき、その「新聞記者」は陸軍少佐の軍服を着て姿を現わした。しかし諜報行為は、金儲けに伴う副次的なものにすぎなかった。

財閥はあらゆるやり方で侵略を利用して金を儲けた。最近の15年間に、彼らは兵器製造で何十億ドルという金を儲けた。(戦前の相場で換算すれば、約1億8000万ドルの資本をもつ三菱重工業は、1944年には7億500万ドルの純益をあげた。)財閥の銀行は政府に金を貸しつけた。

日本の陸軍がアジアの地図の上にさらにもう一歩の前進を開始したとき、政府は時を移さず「開発」会社を創設したが、これには財閥がとてつもない巨額の投資をした。「開発」会社は、侵略地域の組織的掠奪に没頭した。

(マーク・ゲイン『ニッポン日記』ちくま学芸文庫、1998年)