畑倉山の忘備録

日々気ままに

民営化(Privatization)

2018年07月10日 | 国際情勢
ベクテル社という巨大企業の長い過去とその行状の恐ろしさ物凄さをご存じの方も少なくないと思います。私は民営化(Privatization)の恐ろしさについて語り始めているわけですが、ベクテル社のことを思うとこの民営化という言葉そのものが既に空しく、ベクテル社という企業体の存在自体がアメリカという巨大国家そのものの象徴のように思えて来るのを禁じ得ません。ベクテル社とアメリカ政府との人事面での関連をみると、両者の関係は全くの相互浸透であり、「天下り」などという悠長なものではありません。ネット上に Wikipedia の “Bechtel” の項目をはじめ、多数の情報源がありますので、ご覧になって下さい。このブログでは、前にも取り上げたことのある「ボリビアのコチャバンバの水騒動」の話を少し復習します。

1999年、財政困難に落ち入っていたボリビア政府は世界銀行から融資をうける条件の一つとして公営の水道事業の私営化を押し付けられます。ビル・クリントン大統領も民営化を強く求めました。その結果の一つがボリビア第3の都市コチャバンバの水道事業のベクテル社による乗っ取りでした。民営化入札は行われたのですが入札は Aguas del Tunari という名のベクテル社の手先会社一社だけでした。ボリビア政府から40年間のコチャバンバの上下水道事業を引き取ったベクテル社は直ちに大幅な水道料金の値上げを実行し、もともと収益の上がらない貧民地区や遠隔市街地へのサービスのカットを始めました。値上げのために料金を払えなくなった住民へはもちろん断水です。
 
2000年2月はじめ、労働組合指導者 Oscar Olivera などが先頭にたって,数千人の市民の抗議集会が市の広場で平和裡に始まりましたが、ベクテル社の要請を受けた警察機動隊が集会者に襲いかかり、2百人ほどが負傷し、2名が催涙ガスで盲目になりました。この騒ぎをきっかけに抗議デモの規模は爆発的に大きくなりコチャバンバだけではなくボリビア全体に広がり、ボリビア政府は国軍を出動させて紛争の鎮圧に努めますが、4月に入って17歳の少年が国軍将校によって射殺され、他にも数人の死者が出ました。紛争はますます激しさを増し、2001年8月には大統領 Hugo Banzer は病気を理由に辞職し、その後、政府は水道事業の民営化(Privatization)を規定した法律の破棄を余儀なくされました。事の成り行きに流石のベクテル社も撤退を強いられることになりましたが、もちろん、ただでは引き下がりません。契約違反だとして多額の賠償金の支払いを貧しい小国ボリビアに求めました。
 
このコチャバンバの水闘争が2005年の大統領選挙での、反米、反世界銀行、反民営化、反グローバリゼーションの先住民エボ・モラレスの当選とつながっているのは明らかです。モラレスはコチャバンバ地方を拠点とする農民運動の指導者でした。
 
水道事業の私営化についてのベクテル社の魔手はフィリッピンやインドやアフリカ諸国にも及び、ベクテル社は今や世界一の水道事業(もっと一般に水商売と言った方が適切ですが)請負会社です。ローカルな反対運動は各地で起きていますが、今までの所それが成功したのはコチャバンバだけのようです。水資源の争奪は、人類に取って、今までの石油資源の争奪戦争を継ぐものになると思われます。石油事業におけるベクテル社の活動の歴史については是非 ネットでお調べ下さい。アメリカの兵器産業といえば、質量ともに世界ダントツです。その最高の研究施設であるロスアラモスもリヴァモアも今や実質的にベクテル社の支配下にあります。
 
ベクテル社という巨大な魔物のような私企業の実態を見ていると,先ほども言いましたが、民営化(Privatization)という我々が日常的に馴染んでいる言葉が、実は、ミスノウマー(misnomer、 呼び誤り、誤称)であるとさえ思われてきます。

藤永 茂(2012年3月14日)

(私の闇の奥)