西東三鬼は、昭和23年一月の「天狼」創刊号【現代俳句の大道であり、又それを向上推進せしめる力ー三鬼】に評論『酷烈なる精神』を書いた。
「今日の俳句は如何にあるべきか」という問題の答えは、俳句というものに対する俳人の態度にある。俳句否定論に返答するためには、従来の【甘い態度】を反省しなければならない。一は詩型への甘え、二は技術への甘え、三は季節への甘え、四は分野への甘えである。俳句は、もともと、酷烈・冷厳な現実表現の場であって、甘えを拒否するものである。冷徹に酷烈に現実に切り込むのが俳句に志す者の宿命である。そして、辛うじて現実の中枢に触れ表現得た時、それが初めて慰楽となるのである。俳句精神の酷烈とは、万象に立ち向かう作家の態度として真実に観入しなければ止まずとする、執拗に食い下がって放さない精神である。
おおむね以上のことを三鬼は述べたが、俳句はなぜ酷烈・冷厳な現実表現の場なのか、あるいはまた、現実に触れるとはどういうことか、こういう肝心の点が曖昧であることがわかる。三鬼の言う甘えを拒否することはどういうことかを丁寧にみてみる。・・・《続く》
野路由紀子 『アカシアの雨がやむとき』 カバー 1970年代版
https://www.youtube.com/watch?v=aqp0yw_zuSs&feature=player_embedded#t=4