長閑さの師は踏切を浮遊せり 地獄とはこの世の何処かのどけしや のどけしやモラトリアム出たばかり キリストも知らぬ長閑さ句に詠めり 東大のオタク学講座長閑なり 発句から俳句へ長閑極まれり 長閑とはジグザグ道を行くごとく 亀鳴かぬことの確かさのどかなり 究極の長閑さ浅草の人力車(募集はイケメンに限る) 芭蕉とは敗者の呼び名長閑なり ストリート・ミュージシャンどこまで下手か長閑なり 盲人に余計なお世話長閑なり 救世軍なぜ銃持たぬ長閑なり
仲春やポイント10倍デー終はる 仲春や前に進めず立ち竦む 仲春の庭無き家に四十年 ヨガ真似て背筋を伸ばす春なかば ゴォーゴォーとスケボー走る春なかば まだ続くゴッホとゴーギャン春の闇 ウインズで老いの一喝春なかば 戦争と呼べぬ儚なさ春の闇 鴨引かぬ虚空の深さ知らずゐる ネット俳句の白さつのりし春なかば ハイソックスの紺の食い込む春の闇 エレベータどーんと着地す春なかば
凍て戻る1980年の厚い壁 まほろば
1960年代の末に全世界に吹き荒れた新左翼(反帝国主義・反スターリン主義)とベトナム反戦運動、そして「Vサイン」として現在も残っている【ラブ&ピ-ス】のカウンター・カルチャー運動への憧れは青春の全てであった。中学から高校にかけて地方に身を置きながら、一日も早く上京し、これらの運動に飛び込むことを望み、悶々とした日々を送っていた。そして、念願かなって上京すると、そこには無惨な敗北の残滓が横たわっていた。ニューエイジなどの空々しさに耐えながら、70年安保の残り火に震えながら手を翳し続けるのと同時に、時代の静かだがとてつもなく巨大な流れに耳をそばだてていた。私は真っ二つに引き裂かれていた。1970年代とは何なのかなどと考える余裕はまるで無く、いつしか70年代半ばに突入し、後半の文字通り何も無いただ巨大化した【空虚】の渦中で、突然、海の向こうからやって来た【パンク・ニューウェイブ】という闘う標的を喪った、ただひたすら毒々しいだけの《徒花》が視界に入って来た。しかし、それはわずか5年ほどしか離れていない新世代によって、少数だが計り知れない深度をもって担われていた。私はまさか今になってと躊躇しながら一歩踏み込もうと試みたが、アッサリと撥ね返された。彼らは《新世代》ではなく、前時代へのアンチテーゼとしての【空虚】そのものだったのだ。1979年のいつだったか、東京青山のベルコモンズというファッションビルの一角で日本のニューウェイブの女性ボーカルを連れた坂本龍一さんを階段の踊り場で見かけたことがある。その頃、坂本さんはYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を率いて世界を席巻していた。坂本さん以下のメンバーは全員70年安保世代だが、運動の破綻後は安倍薫とユニットを組んで【フリージャズ】に取り組んでいたようだが、この音楽はその後の【パンク・ニューウェイブ】にもろに影響を受けていた。この時の女性アーチストは小柄でひ弱な印象で、すぐにミュージック・シーンから消え去ったように記憶している。私が出遭ったパンクの若者たちも80年代に入ってどのような活動を続けたか全く聞かない。海外では毒々しい《パンク》の文字を削ぎ落とした【ニューウェイブ】として、80年代前半に実に多様な音楽表現として続いて行った。それでは、私自身のその後はどうなったのだろうか。・・・《続く》
青き踏むなぜか心の痛みだす 青き踏むニート暮らしは過去のこと 結社など辞めてしまえと青き踏む 青き踏む七十年安保間に合はず タワーよりツリーの高さ青き踏む 青き踏む新宿西口地下広場(現在は通路) 江ノ島の橋ながきこと青き踏む さびしんぼいつまで続く青き踏む スニーカー踵は踏まず青き踏む 青き踏むとは故郷を出でしとき 三内丸山テーマパークに青き踏む 晩年を信じられずに青き踏む エヴァンゲリオン私はどれか青き踏む 「モーロクのすすめ」を拒否す青き踏む(坪内稔典最新刊) 杖つけば老人の空青き踏む 両面コピー洩れ裏紙に青き踏む 戦争デマ流す愚かさ青き踏む 村上春樹のノルウェーの森青き踏む
涅槃会の巨大な空虚頓挫せり まほろば
1980年を前にして、私の新時代への参入は頓挫した。70年代後半の変化は凄まじく、70年前後の余波を一掃しようと躍起になっているかのように見えるほどであった。あの時代は一時の夢であり、一日も早くそれを払拭しないと先へ進めないといった風潮が世界を蔽い尽していた。70年代後半のとば口にあって、突然巻き起こった【パンク・ニューウェイブ】旋風は60年代末の世界的ムーブメントの残滓を指の先ほども受け入れようとしなかった。私自身に対しても、まだやってるの、暗い、勝てなかったじゃない・・などと嘲笑の的になるだけだった。決して私自身がやったわけでもないのにである。私たちはやりたくても、もうどこにもやる場所は無かった。それを説明してもおなじことだった。もう何もかもが遅すぎたのだ。追い討ちを駆けるように、そんな私には、わずか5歳ほどの違いしかない彼らの目指すものが理解出来なかった。と言うより、彼らには目標というものは最初から何も無く、ただ身近に迫りつつあった得体の知れない《空虚》が許せなかったのに違いない。そして、その等身大の《空虚》は次第に巨大化し、個々人にはどうにも手の施しようのないものに変貌し、彼らもまたその渦中に呑み込まれて行った。彼らは、現在50歳代後半になっているはずである。その後、彼らがどこで何をしていたのか全くわからない。もちろん、同世代の我々ポスト70年安保世代【キリギリス】【モラトリアム】たちも雲散霧消していった。・・・《続く》