今夜はNHKの夏の定番【想い出のメロディー】である。帰宅直後、鶴岡雅義&東京ロマンチカの「君は心の妻だから」・・三条正人のいつもながらのたましいの語りへ昇華した唱声から入った。続いてつい最近米ビルボードの4週連続1位(「夜明けのスキャット」)を果たした由紀さおりの「手紙」である。 何が悪いのか 今もわからない/誰のせいなのか 今もわからない/涙で綴りかけた お別れの手紙(詞 なかにし礼)今日は長崎への原爆投下の日。原爆の悲惨と戦後の希望を突き抜けた透明感で1億国民に知らしめた故藤山一郎さんの「長崎の鐘」を氷川きよしが明るく大らかに謳い上げた。《続く》
今日は九州四国に接近している台風の影響で関東も小雨模様である。おそらく明日には山陰を抜けて日本海に抜けるのであろうが、こちらでは本格的な雨になるとのことだ。その明日仕事が入った。ただの仕事ではなく前日は何もしないことにしているので今日は句会への出席は見送った。 だれかが死んでだれかが生きた夏野かな(再録) この句を主催者の句集の読後として贈りたかったがかなわなかった。日々威厳状態でやむを得なかった。いつも通り今日土曜日も仕事をしていれば何も問題はなかったのだろう。いくつかやるべきことを片付けたい。 夜蝉鳴く再臨の日を知らないか(2014・8・9) まほろば
明日急遽句会に出ることになった。夜に入って9時頃には雨がパラついたがすぐに止んだ。九州か四国に上陸したはずの台風はどうなったのだろうか。ブログだから下手でも書き込めるが他人を前に句を披露するなど不可能に近い。ただ半年以上封を切らずに手許にあり続けている主催者の句集の代金がまだ未納であり、それを口実に一応出ることにしている。この主催者(結社支部長)も私とほぼ同年齢であり、あの時代を知っている。ただし決定的に遅れてであるが今にして思えば知っていることに変わりはない。つい先ほどNHKEテレで【新宿サブカルチャー史】が放送された。当時新宿の若者文化は決してサブカルチャーではなかったが・・今さら似たようなことを再現しても仕方がない(出来ない)という意味でサブカルチャーと位置づけられていたのであろう。この句会主催者が句集で表現していることはごくごく地味でささいなことである。喪失感の極小化ということである。60~70年代の激動を身近に見てきた世代として、それ以後の現在に至る時代を小声でささやき合いながら歴史の断片としてひと時共有してみることもアリかもしれない。われわれに続いた新人類各世代の失笑を買いながらあくまでも小声でである。現在のツイッター文化への相乗りも一興かもしれない。 だれかが死んでだれかが生きた夏野かな まほろば
昨日は終日猛暑の中にも風の強い一日であった。明けて今日の週末は1~2度低いのかどこか清清しい。通常なら土日は仕事であるが今回は夏休みということで止めておく。ただ日曜日はわからない。明日は所属(非同人)結社の一つの句会に出たいのだがどこもやっていない。いや一つだけ東京23区内でやっているが南端(私は北端)のかなり遠隔地になる。ただよく知っている若手も出るようで・・場所も公園内の集会場で3次会まである。何やら私の一人吟行のイメージがダブって来る。特に最後はビールを煽りながらのもののようなのでますます気持ちが傾いている。昨日7日は立秋だったが本格的な暑さはまだまだ続く。真夏の台風で少しトーンダウンしたが、酷暑の激しさは8.15あたりがピークと思われる。その前に明日は8.9長崎の原爆投下の日である。 この夏の儚さファットマンを想起せよ まほろば
今日も猛暑が続く。昨日は2週ぶりで検査結果と新たな検査項目の確認のため新宿に赴いた。暑さは連日の35度の中で、ネット右翼の嫌韓デモで知られる新大久保から歩いた。呼吸器の検査結果は睡眠時無呼吸は免れた。左鼻の蓄膿症の確認のみで一応済んだ。投薬は相変わらずである。それからが本番である。大腸の内視鏡検査の予約を入れた。例のカメラを下から入れてリアルタイムに切除するやつである。前後2~3日間は通常の食事は控えなければならない。元々食は細いのでそれは問題ないが、ビールは最低2日間はダメである。まだ2週あるので少しづつこの両者を調整したい。何事も健康第一である。婚活、就活、死活・・全て生活(=生きて活かす)のかがやきを取り戻すためである。この一瞬一瞬を出発点とし、少しでもより良いものに改変していく努力が【日常】ということであろう。決して焦らず・・とりあえずリラックスしていたい。 日の常と書く日常に秋立てり まほろば