まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

きのこの方舟/雑句雑感Ⅲ~プロローグ3の終わり(その187)

2014-10-23 13:12:16 | 雑句雑感Ⅲ
アンチエイジングの秘薬を求めきのこ山  汝の敵を愛せよ毒きのこ盛んなり  空揺れてきのこがことば発しをり(福島椎茸農家に風評被害続く) 紅茶きのこの効用魂の飢え始む  マタンゴとは絶海の孤島のきのこの名  人生とはきのことはただ火を打てり  行方不明の母好きだったきのこ汁  きのこが好き山崎ハコのひとり唄  恍惚のブルース雨ときのこが合唱す  きのこにはきのこの方舟出帆す  

一茶忌の空/2020東京五輪に向けて思う~プロローグ3の終わり(その186)

2014-10-23 00:28:34 | 日記
0時を回ってやっと帰宅できた。半年ぶりの銭湯、好物のとんかつ、秋の雨と三者三様にマイナスの存在感をこの日の私に示したようだ。出かける前に空腹状態で少量づつ呼吸器の薬や強力な健康食品を飲み残しのビールと濃い目の緑茶で流し込んだのがいけなかったようだ。その結果大判のとんかつの消化が悪かったのと秋雨の冷えが原因であろう。帰路何度も胃液を吐きながらひたすら家路を辿る惨状であった。唯一つ助かったのは雨が小降りになっていったことと秋冷の一歩手前で踏み止まっていたことである。途中延々と公園が続き中央に秋の鮮やかな花壇が並んでいるが私にとっては詮無きものである。こんなものに風流ぶって一喜一憂しても所詮人間社会に取り込まれ改竄された自然の残像に手振り身振りでエールを送るようなもので実に身勝手な行為でしかない。季語というものも大半が近代になって虚子らが勝手に決め付けたもので21世紀の今も尻尾を振る醜態は避けたいものだ。芭蕉・蕪村・一茶が現代に生きていたら金子兜太など及びもつかない最先端芸術家であったことだろう。今日有季といえば《季》の更新でなければならず、定型といえば《定型批判》でなければならないはずだ。そんなことはまた別の機会に考察することにして食後の胸焼けと雨を避けるため書店でエンタメ誌MとさらにBOOK OFF(100円コーナー)に寄って有用な3冊を購入した。それぞれ当ブログの主要トピックに直結するものであらためて書き止めて置きたい。 花鳥風月滅びて一茶忌の空つのる  まほろば