モンゴルの怪物逸ノ城九月尽 棒稲架たちまち暴徒に変身す 落花生の弾け飛ぶ音宇宙まで サウンド・オブ・サイレンス秋風鈴は無謬なり コスモスを来世と信じ踏み出せり
今日たったいま地獄の1丁目から帰還した。無事にとは決して言えない。台風が関東に近づいて来ている。その足音は私の身も心もビショ濡れにした。そんな中地獄の天使が2人眼前に現れた。一人はこの仕事のコーディネーターM氏と同地で新結社を主宰しているN氏からの電話である。前者はともかく後者によると昨日欠席投句(持参)を直接行った5句は前句点が入ったらしい。有難いことである。1点も入らない恐怖はこれで吹っ切れた。句会参加者は選りすぐりの新同人ばかりで句歴も平均20年以上であろう。何と歳時記を出している人もいる。この方は主宰の出身結社の同輩で句集もすでに3冊も出しているという。さらに松本たかしの笛という結社の結成同人でもあるそうだ。他も名人達人のオンパレードである。その人々の誰かが私の5句のどれかに点を入れてくれたとは素直に喜ばしいことである。明日選句表が届くので今度は私の選の番である。届いたらその日のうちに投函してくれとのことであった。大変楽しみである。今夜はこの後大河ドラマという楽しみがある。とりあえず最近お気に入りのK・SUGAなるピアニストの『枯葉』をリラックスして聴きたい。 どうしても言いたいこと台風は過ぎにけり まほろば
午前8時雨が降り続いている。もうすぐ出勤時刻だが気が重い。台風の本番は明日月曜らしく今日は一日この状態が続きそうだ。余計なことは何も考えず出勤即帰宅しか考えない。全く無意味な仕事日となる。この無意味さの圧倒的な迫力の前に俳句などというものはあり得ない。この点ただ時間の経過だけを念頭に時間を主体的に進めればよい。つまり俳句は人生の無駄の典型であり根本的な錯誤にすぎない。 雨まみれ泥まみれ人生のラブソング まほろば ※K・SUGA『枯葉』を聴きながら
台風到来原爆投下の前触れか 台風の目に収まりきれず巨大猫 台風やどうにもならず疾走す 台風一過心の傷を乱打せり 台風が過ぎても盲愛の時止まず 《続く》