限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・118】『志不可満、楽不可極』

2019-05-05 19:20:30 | 日記
中国の2大思想といえば、儒教と道教の2つが挙がる。一般的には儒教は厳格な礼を実践し、体制支持派であり、老荘をベースとした道教は人間の自由精神を発揮し、政治などの制約はむしろ害があると考える、と言われる。

しかし、儒教思想の代表的な書物である『論語』を読んでみると一面では老荘に近い面も見えることに驚くだろう。例えば、巻9の《微子》に「長沮、桀溺、耦して耕す。孔子、これを過ぐ。。。」という文では、聖人・孔子が逆に隠者(市井の老人)である長沮や桀溺に逆に諭されているとも読める文章が見える。確かに、孔子はそれに対して人倫重視の立場から反論を加えているものの、一節全体の調子はむしろ、二人の隠者の方に軍配を上げているように私には思える。

春秋時代からの儒教的精神は前漢の武帝の時代に初めて確立したものとなった。その際、主導的役割を果たしたのが鴻儒・董仲舒であった。董仲舒の発案で五経博士がおかれ、経学(儒教)の各分野における専門的教授が始まった。経学の中心は「礼」であった。後に宋代になると《十三経》と称する13種類の経書が確定されたが、その中には礼と名のつく書が、実に3冊(『周礼』『儀礼』『礼記』)も入っている。つまり、儒学の1/4は礼についての議論であるということになる。

その一つ、『礼記』の《曲礼》には
「敖不可長、欲不可従、志不可満、楽不可極」
(敖は長ずべからず、欲は従うべからず、志は満すべからず、楽は極むべからず)
という句が見える。

「不可」という字は「。。。できない」という意味(can not)と「。。。すべきでない」という意味(should not)の両方の意味があるが、ここでは後者(should not)であると解釈できよう。そうすると前の2句「敖不可長、欲不可従」(驕り高ぶってはいけない、我がまま言ってはいけない)は「その通り」と首肯できるものの、その次の句「志不可満」は「志は満たしてはならない」と解釈しなければならないが、普通に考えれば志(目的)は達成したいものだから、達成することを否定するのは道理に合わないのではないか、と考えるだろう。

この句「志不可満」は私は次のように解釈したい。

目的達成のために努力することは結構だが、目的を達成したあともはや何物に対しても意欲が無くなることは望ましいことではない。常に何かまだ未達成の目標があり、日々努力するような環境に身を置くことのほうが望ましいのではないかと、いうことだ。

「不完全なものの方が望ましい」というのは徒然草の82段にも次のように言っている。
 「すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。


普通は「何不自由なく満足に暮らす」が目指すべき理想と思われているが、逆説的ではあるが「満ち足りないことがよい」とは幸せを感じるためには必要な条件かもしれない。

未確認ではあるが、中国の兵法書の『六韜』の逸文に「器満則傾、志満則覆」(器満つれば則ち傾き、志満つれば則ち覆がえる)との句が見えるという。



礼記の4つの句の最後「楽不可極」について述べよう。

漢の武帝の詩・《秋風辞》がある。
秋風起兮白雲飛   秋風 起こりて 白雲 飛び
草木黄落兮雁南帰  草木 黄落して 雁 南に帰る
蘭有秀兮菊有芳   蘭に秀有り 菊に芳有り
懐佳人兮不能忘   佳人を懐(おも)ひて忘る能はず
泛楼船兮済汾河   楼船を泛(うか)べて 汾河(ふんが)を済(わた)り
横中流兮揚素波   中流に横(よこた)はりて 素波を揚ぐ
簫鼓鳴兮発棹歌   簫鼓 鳴りて 棹歌を発す
歓楽極兮哀情多   歓楽 極まりて 哀情 多し
少壮幾時兮奈老何  少壮 幾時(いくとき)ぞ 老いを奈何(いかん)せん


武帝は、歴史的な評価としては前漢の全盛期の絶対君主であるので、不満足な点など少ないように思えるが、帝王としては息子の戻太子・劉拠と不本意な内戦で失うという哀しい出来事があった。しかし、一人の男として老境に入って人生を返りみると、「歓楽極兮哀情多」(歓楽は極まるが、哀情は多い)という心境であったようだ。

このようにみると、礼記の「志不可満、楽不可極」の句のいう心は「志も、楽しみも満たされない時が至福」と言えそうだ。卑俗な言い方になるが「宝くじは当たるまでがわくわくする」というのが近い感じなのかも。。。
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