限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第135回目)『平田篤胤の「古史徴開題記」読書メモ』

2011-03-30 22:57:57 | 日記
平田篤胤は江戸時代の国学者として有名だ。第二次世界大戦のさなかに国家神道のグルー(ご本尊)として持ち上げられたため、戦後全く省みられなくなってしまった。高校の日本史の教科書には、賀茂真淵、本居宣長などと共に国学者として載せられているため、名前だけは知られているようだが、さて、どのような思想の持ち主であったか分からない人が多いのではないか。実際、他人事ではなく、私自身もそうであった。

数年前に、国学のことを調べていて彼の本を探していた。平田篤胤の思想を知るにはどの本を読んだらよいのか、という点に関しては私は知らない。Wikipediaの平田篤胤の項目を見ても分かるように、著書が非常に多い。その大多数は専門家でない限り一生目にすることがあるまい。我々一般人は岩波文庫でまずは十分であろうと考え、とりあえず次の本を読んでみた。
 『古史徴開題記』(岩波文庫、山田孝雄校訂)

正直な所、この本『古史徴開題記』は本当に読みにくい本だったが、教えられる点が多かった。とりわけ感心したのは、彼は漢文を完全に制覇してから日本の古典に向かっていったことである。私は、彼が国学者を目指したのは、漢文ができないため、逆恨みや僻みで中国や漢文を敵視していたのだと思っていたが、全くの誤解であった。現代の基準で言っても中国哲学の教授が務まる位のレベルだと思わせる程の学力があるには、脱帽する。それを思うと、現代の国文学者達の漢文を読む力は疑問符がつくのではないかと感じる。

ところが、日本精神を発揚する本である『勅版日本書記』の前言(P.181)や天照大御神を称える文章(P.438)が、皮肉なことに全て漢文で書かれている。こういった文章を漢文で書くという行為が、国学の理念と矛盾するとは考えていなかった所に、国学者達の精神構造の複雑さを感じる。更には、漢心(からごころ)を散々非難しておきながら『尾大不掉』(P.295)や『隔靴掻痒』(P.321)という中国の成句を持ち出して説明しているのは、もはや滑稽を通り越して、度し難たい漢文癖だ。いわゆる『上知と下愚は移らず』というもの歟?

私の個人的感想としては、本居宣長や平田篤胤、そしてその後のエピゴーネンが熱心に言うほど、漢心(からごころ)や仏教を排除しなくても良いと考える。だって、私個人にとってベルギービールやコーヒーなどがない生活が耐えられないように、西洋や中国も物心両面で既に日本の生活の一部となっているからだ。



以下に私の読書メモを記載する。

『古史徴開題記』(岩波文庫、山田孝雄校訂)

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P.82・国史を修した、清人藤麻呂の官位がむげに低い。

P.124・(日本書紀の)漢文の部分だけをむやみに尊重して、祝詞のような部分をなおざりにするのは、正しい姿勢とは言えない。

P.140・古事記が貧相に見えたので、漢文の体裁にならって日本書紀を作った。

P.181・神道は儒仏より上。といいながら、その奏上文自体が漢文で記述されているのはなんとも滑稽だ。

P.182・日本人として生まれたのであれば、まず御紀(日本書紀)を読むべし。

P.242・(聖徳太子批判)この太子が漢風と仏法を日本に広めてからロクなことがなかった(種々の弊(ついえ)がおきた)。

P.254・中国は『もとより賢(さかし)だつ国柄』で代々、官僚体制を変更し、『ことごとしい名を付ける』

P.277・帰化人の増加に伴い、日本の風俗も穢れていった。

P.277・(聖徳太子批判)十七条憲法は日本を改善しようという意図ではなく、単なる中華かぶれだ。

P.282・仏教などというのは、異国の乞食道だ。

P.300・『惟神(かむながら)とは、神道に随いながら、おのずから神の道にあるをいう』(さかしらを用いずに天下を治めるということ)

P.306・(聖徳太子批判)漢風を好んだのはまだ理解できるとしても、仏教に執心したのは理解できない。

P.319・日本の法律は、唐令の中の用いがたき三分を損てて、七分を採り、それに皇朝の故例を合わせて制定した。

P.320・日本の律疏を読むには、まず唐律疏義を必ず読むべし。

P.324・中国の官吏登用の科挙の制批判。実力主義を採用し、賢人を登用したために、かえって世の中が乱れた。

P.331・天智天皇と藤原鎌足が漢風に染まり、皇国のこころを忘れた悪人だ。それなのに世の中では中興の祖ともてはやしている。

P.390・倭名類聚鈔は古学に緊要の書。

P.403-405・漢字もしっかりと勉強すべし。

P.417・『群書類従』=人は不要の書だと言って読まないが、貴重な古書の引用文が多い。読む人が少ないのは嘆かわしい。

P.441・漢学者達は日本の古書を読んでいない、と批判。

P.449・『阿波礼皇御国(あはれすめらみくに)は神国なれば、神祇を敬い祭りて、その恩頼(みたまのふゆ)を祈り給うが御政事の本にて。。。わが国は神国なり。』

P.461・中世以降、天皇をも火葬するようになった。後光明天皇の葬式のとき、魚売り・八兵衛が号泣して訴えたので、土葬に戻した。

P.462・源氏物語の類は浮華淫乱の書だ。

P.467・たとえ同時代人に理解されなくても書を残せば、500年後、あるいは千年後に理解してくれる人もいよう。孔子もそうして五経を残した。

P.472・師の説を守るより、真理を探求せよ。

P.477・国学の徒であるには、和魂漢才でなければならない。

以上
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1 コメント

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出雲安来のたたらで知った (越境する学び)
2024-02-09 22:09:21
文系の私にとっては材料物理数学再武装なんかも神様級の出会いでしたね。今流行りのChatGPTなんかの人工知能のアルゴリズムが数学の苦手な私にも理解できたので。ものづくりにも数学は重要でその方面にも興味が広がりました。内容も科学哲学というか多神教的内容。マルテンサイトって色々なところで役に立っているんですね。

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