限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第66回目)『国際人のグローバル・リテラシー・英語のテスト』

2010-07-29 23:35:46 | 日記
今年も、『国際人のグローバル・リテラシー』(Global Literacy for Cosmopolitans)のテストを実施した。昨年同様、問題は一問で、英語か漢文か選択できる。何故、英語のテストを課すか、については、昨年のテストに関するブログで述べたので、それを参照のこと。以下、今年の英語のテストについて述べる。

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【問題】

数年前(2004年)イラクに日本の自衛隊が駐在していた。外務省では、治安が悪いのでイラクに入国しないよう、国内外の邦人に警告した。ある若者が警告を無視して入国し、テログループに捕まった。テログループは自衛隊が48時間以内に撤退しない場合は、若者を殺害する旨、テレビなどを通じて全世界へ報道した。日本政府(小泉首相)は彼らの要求を拒絶した。テログループは若者をテレビカメラの前に座らせ、日本政府への嘆願を強制した。若者はおどおど、めそめそしていたので、途中でテログループに背後から殴られ、その姿が全世界へ放映された。数日後の早朝、若者の死体がバグダード市内で発見された。

若者のこの行動はテログループから低い評価を受けたことはあきらかである。結果はどうであれ、彼はどのように振舞えばよかったのだろうか? また、それは如何なる理由によるか? 根拠も含め、文化的・グローバルリテラシー的観点から論ぜよ。

  * 回答は英語に限る。(それ以外の言語による回答は無効)
  * 採点は、論旨はもちろんのこと、比喩の適用など、修辞テクニックの上手/下手も考慮される。
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この事件は当時、その残虐な死刑シーン(首切り)が放映されるなど、非常なセンセーションを巻き起こした。そのようなテーマを敢えて取り上げたのは、一つには、アラブのテロリストの考え方と、我々日本人の感情や思考を対比して考えてもらいたかったからである。もう一つは、自分の命が懸かっている時、どこまでいろいろと知恵を絞って脱出する方策を考え付くか、という思考実験をしてもらいたかったからである。従って、亡くなられた香田証生さんの行動そのものを、今さら蒸し返して批判するつもりも、貶める意図も全くないことは強調しておきたい。



さて、私の回答は次の通りである。

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若者は、外務省や国連機関の制止を無視して危険地帯に侵入したのであるから、当然テロリストもこの若者がひとかどの人物であると予測したものと思われる。そして、どのように使えば一番自分達にとって有利になるかということを仲間内で議論したに違いない。つまり、生かすとか殺すとか予め決まっていた訳でなく、日本政府、それよりも最終ターゲットである、アメリカ政府との取引の道具として一番得する使い方をしたかったに過ぎない。当然そのような隠れた意図をもって、この若者の冒険の真意を探り出しに来たに違いないのであるから、次のように怖じけずにテロリストに言うべきであった。

自分は、日本国民として、果たして日本国政府のしていることがイラク国民にプラスとなっているのかマイナスとなっているのかをこの目で確かめたかった。そして国に帰ってからこの現状を伝えることで、日本国として正しい方策をとるようしたいと思って、敢えて生命の危険を犯して侵入したのだ。

なぜこのような態度が望ましいかというと、中近東を含め、地中海世界では勇者は立場を越えて尊敬される、という伝統があるのは、以前『敵ながらあっぱれな勇者よ!』でも述べた。虚勢でもいいから、毅然たる態度を取ってこそ初めて、人間(男)として認めてもらえるのだ。過酷な気候に生きる砂漠の民にとって女々しいことは、たとえ味方でも唾棄すべき低い価値しか認めてもらえない。

一方、戦後の日本では、『人権の尊重』や『人の命は地球より重い』などという実体のない修飾句があたかも真理であるかの如く教え込まれている。それを真に受けて育った若い世代は、めったなことでは殺されないはずだ、法が自分を守ってくれるはず、だという甘い考えが蔓延している。つまり、自分の身を自分自身が守る必要がなく、だれかが保護してくれるはずだ、という勝手な思い込みがある。一歩日本の外に出てみれば分かるが、このイラクのような危険地帯や発展途上国だけでなく、欧米のような先進国でさえ、日本とは比較にならない危険が多く待ち構えている。そのような状況にあっては、自分の身は自分で、それこそ命がけで守る必要がある。そのような真剣な態度をみせてこそ初めて、テロリストと対等な人間として、話を聞いてもらえる。

当時の軍事情勢やイラク国内の混乱状態から、どのような態度をとっても最終的には、この若者は殺される運命にあった、と考えられるが、それでも、人間と認められて殺されるのと、そうでないのとでは、やはり日本というものに対するアラブのテロリストの認識が変わったはず、と私は考える。
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かなりの学生がこのような趣旨の回答をしていた。つまり、『毅然とした態度をとるべし』という結論を述べ、その理由として、イスラムの戒律の厳しさや、テロリスト達自身も命がけの闘争をしている、というポイントを指摘していた。これ以外の回答も当然考えられ、一応の論理が通っているものは、OKとした。

さて、私は実はもう一つ別の回答も期待していたのであった。それは、テロリストに対して、自分を殺すことの愚策なることを説得することである。つまり、自分を殺すことによってテロリスト達には、日本国民にマイナスの印象しか与えず、全く得にならないことを強く主張するのだ。

その時につかう文句に、『百年前に日本はロシアと戦い、勝利した。君達と同じアジア人である我々日本人が白人を倒したのだ。また 50年前の第二次大戦では日本は、アジア人でありながら、白人の連合軍に対して立ち向かっていった。敗北はしたものの、それ以降、アジア・アフリカの植民地が独立したのは、この我々日本人の尊い犠牲にアジア・アフリカの人たちが、立ち上がる勇気を感じたお陰ではないのか。確かに現在、日本政府はアメリカの言いなりになって、イラクに自衛隊を派遣しているが、日本でも自衛隊駐留に反対している人は数多くいる。私を殺すことで、その反対している人達も駐留に賛成するだろう。これは、君達にとっては、マイナスになりこそすれ、得することは全くなにもない。』

今日か明日かに殺されるという、恐怖の中で果たしてテロリストに対して、このような論理を堂々と展開できるか、確かに私自身に問われても自信はない。しかし、少なくとも、想定問答の範疇では、このような作戦を考えついて欲しいと思っている。

私は以前から、現代中国と付き合うには、漢文を読むべし、と言っているが、漢文には、このようなトピックがふんだんに盛り込まれている本がある。それは、韓非子、戦国策、淮南子、説苑、などであり、これらを下敷きとした史記である。『弁論上達の極意は落語家を見習うにあり』にも取り上げた張儀などは、楚の懐王をたきつけて、楚と斉の国交を断交させた。そして断交したら割譲すると約束した地を600里の代わりにわずか6里と騙したことで、懐王をかんかんに怒らせた。しかし、その懐王にわざと捕まりに行ったが、殺されるどころか、大いに歓待されて、無事に秦に帰国したのであった。(史記・巻70・張儀列伝)

張儀までとは行かなくても、せめて自分が知っているだけの知識・知恵を総動員して、何らかの説得材料を集め、それらをどのように言えば相手の琴線に触れるかを常日頃から考える癖をつけることが、今後のグローバル化された世界で文化背景の異なる人達と対等に付き合っていくためには必須要件だと私は考える。

今回のテストを機会に、こういった切羽詰った場合に役立ちそうな、多少の胡散臭さは否めないものの、『大人の説得術』の必要性を認識して欲しいと思っている。
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1 コメント

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考えの狭さ (りん)
2010-07-31 10:04:49
私も英語のほうのテストをうけました。回答はもちろん前半にあげられたものです。相手に、自分を殺さないように説得を試みるとは、考えもしませんでした。こうゆう考え方ができず、相手の言うとおりにすべきであると考えていること自体が、やはり日本でそだってきた私のでまい考え方なのでしょうか。
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