限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第284回目)『ブローデルの大著「物質文明」読書メモ・その2』

2017-03-05 21:31:03 | 日記
前回

【3】とうもろこし(1-1、P.213)
コロンブスがアメリカ大陸に到着して、ヨーロッパとアメリカ大陸の交通が盛んになって、南米からは各種の食物が旧大陸に紹介された。中でも、とうもろこし、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、ピーマンなどはその後の旧大陸の食生活を大幅に変えた。とりわけ、とうもろこしとジャガイモは旧大陸(特にヨーロッパ)の飢饉を救う、救荒作物として大きな役割を果たした。

それだけでなく、ヨーロッパの農民にとっては、とうもろこしは現金収入を得る手段となった点について、ブローデルは次のように記述する。

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…この穀物(とうもろこし)は収穫量が豊富だから、その割合が増大するにつれて商品となる小麦の生産が増大した。農民はとうもろこしを食べて小麦を売った。小麦の価格は(とうもろこしの)ほぼ二倍もしたからである。

…ローラゲー地方(Lauragais、ツールーズの南東40Km)においても、「十七世紀には、またとりわけ十八世紀には、とうもろこしが農民の食べ物の大部分を受け持ったので、小麦を海外通商向けの栽培に回すことができた。」
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ここで、ブローデルが述べているのは、小麦を生産している農民は、自分が作った小麦を食べずに、とうもろこしを食べて、小麦は換金作物として販売し、現金を得ていたという事実だ。



これと相似形の事実が日本が併合した当時の朝鮮にも見られた。(手元に本が無いので、以下、記憶を辿って述べる。)

現在の韓国の教育では、戦前の日韓併合時に日本が朝鮮から米を奪取したかのように、子供に教えているそうであるが、これは全くの事実誤認である。確かに日本の東北地方が冷害に遭って米不足のため、日本から強制的に(ただし、ちゃんと支払いをして)朝鮮から米を輸入したことが一時期はあった。しかし、36年間の併合の大半の期間では、日本でも米の生産量が消費量を上回っていたので、輸入する必要性は全くなかった。しかるに、朝鮮の農民は、現金を得たいので無理やり日本に輸出していたのが実態のようだ。もっとも、朝鮮では米以外の雑穀や豆類は豊富にとれたので朝鮮の人々は別段栄養が悪かったり、飢餓になったりしたわけではない。逆に、米を売ることで、現金を得た農民は生活が豊かになったと喜んでいたわけだ。

日本と朝鮮という二国間の米の輸出問題を考えるのではなく、ヨーロッパ諸国における、小麦ととうもろこしの関係を考えると、朝鮮の農民の米輸出はとりたてて問題にする点は全くないことが分かるだろう。

ところで、「遼東の豕」という語がある。中国の遼東のある村に白豚が生まれた。そのあたりの豚は灰色や黒色なので白豚は珍しい。それで、皇帝に捧げようと考え、白豚を連れて都に上る途中の村々で白豚をたくさん見るようになり引き返した。つまり、自分では珍しいものだと思っていたのは自分の知識が狭いせいで、世の中にはその程度のものなら数多く存在するという喩え話だ。(出典は『後漢書』朱浮伝)

私は従来から思っているのだが、リベラルアーツで必要なのは世界各国の過去の歴史をファクトベースでしっかりとつかみ、互いに比較することである。視点を広く持つ、つまりズームアウトすることで、そこまで見えなかった問題の本当の点が明らかになってくる。ズームインをしすぎて近距離から見ていると「遼東の豕」のように世間が見えなくなる。この意味で、ブローデルの描く、15世紀から18世紀のヨーロッパの惨めな生活実態を知ることは、観念的に「ヨーロッパは先進国」というありきたり(cliche)のヨーロッパ観を打ち砕くとともに、日本の過去の生活が必ずしもそれほど悪くはなかったことも分かる。

続く。。。
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1 コメント

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考察が面白い (小西)
2017-03-09 15:06:46
ブローデルの記載も興味深いですが、そこから転じて、

日本と朝鮮のコメの関係について比較検討した考察が面白

いです。
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