限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・113】『ουδε ρητορευσειν καλωσ』

2018-04-22 15:21:25 | 日記
以前のブログ
【2011年度授業】『ベンチャー魂の系譜 6.限りなき知の探検】
で、世の中の宗教・哲学は『励知派』と『却知派』の2つのグループに分けることができる、という私の持論を述べた。

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 励知派は知の積極的な追求を肯定し、却知派は知を持たないことが善なのだと主張する。世界の主な宗教・哲学をこの二つのグループに分けると、次のようになる。

 励知派・・・古代ギリシア、儒教、ユダヤ教
 却知派・・・仏教、キリスト教、イスラム教、老荘、道教

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最近、この却知派のリストに載せるを忘れていた思想家を思い出した。それは、ヘレニズム時代、およびその後のローマ時代に一世を風靡したエピクロスだ。

エピクロスとは聞きなれないかもしれないが、グルメや贅沢を表わす言葉の「エピキュリアン」なら聞いた人は多いであろう。「エピキュリアン」というと、現在ではかなり否定的、マイナスのイメージ、がついている言葉であるが、創立者のエピクロスその人は、至って質素な生活をした哲人であることはこのブログでも幾度か紹介した。(下記参照)

ディオゲネス・ラエルティオスによると、エピクロスは生活レベルを質素にするだけでなく、言葉遣いについても、飾り気を取り去ることを目指し、次のように述べたと言われる。

【原文】οὐδὲ ῥητορεύσειν καλῶς.
【私訳】[賢者は]雄弁をなさず。
【英訳】The wise man will not make fine speeches.
【独訳】Schönrednerei wird er[der Weise] nicht betreiben.

「賢者は雄弁をなさず」とは、当時、雄弁で多額の報酬を受け取っていたソフィスト達を批判したとも受け止めることもできる言い回しだ。



エピクロスのこの言葉を読んでいて、以前、このブログでも紹介した「コンサルタント自戒の句」と称した荘子の言葉(《徐無鬼篇》)を思い出した。
 『狗不以善吠為良、人不以善言為賢』(狗は善く吠ゆるをもって良となさず、人は善く言うをもって賢となさず)

荘子が言いたかったのは、「蝶々と上手にしゃべることからだけでは人の賢愚は判断できない」ということである。皮肉にも荘子自身は弁論の達人であるが、世の中にはどこかの財務官僚のように口先だけ達者な、いわゆる「口舌の徒」が多いと、嘆いたのがこの言葉なのかもしれない。

いずれにせよ、荘子もエピクロスもどちらも「却知派」に属するだけあって、地理的には東西に離れているものの、叡智の指し示す所は似ている。

【参照ブログ】
沂風詠録:(第39回目)『ストイック=禁欲主義、の誤解』
沂風詠録:(第136回目)『エピキュリアン=享楽主義、の誤解』
沂風詠録:(第140回目)『エピクロス派とストア派 - 類似と相違』
沂風詠録:(第159回目)『エピクロス派とストア派 とストア派- アタラクシアを巡って』
【座右之銘・66】『一狐裘三十年』
【座右之銘・98】『ανασκευη τησεπιθυμιασ』
コメント
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