★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

人生と人生みたいなもの

2022-06-27 23:05:03 | 思想


横道誠氏の『発達界隈通信』を読了した。ツイッター界隈――ツイッタランドなどというのは国に見えないけれども、本はなんとなく国に見える。少しちがった国を旅した気分である。ある種の権利獲得のために共同体が必要というのは本が必要だという意味に近い。

わたしは古びた木造建築で育ち学びはじめたが、道路も舗装されてない道も周りに沢山あった。これが小学校低学年までにおおかた違うものに切り替わった。もっとも、わたしに感覚として残っているのは変化ではなく破壊である。変化が激しい時代とか軽く言う人間はあとを絶たないが、大した変化を経験せず想像もしていないんだろうなと思うばかりだ。

小さい頃の時代や環境の変化は、破壊として認識されていることがある。発達障害も、環境とか受けた教育によってかなり違った様相をみせるものであると横道氏の本を読んでみても思う。

柳田國男が有名な「山の人生」で、「人生」という言葉を使った事の意味は大きい。柳田は空想よりも「隠れた現実の方が遙かに物深い」と言っている。隠れた現実とは破壊され忘れ去られた現実のことで、そういう次元に「人生」はある。これを逃すと、我々は空想じみた「人生みたいなもの」に突入してしまうのである。北村透谷の人生論の時代はまだ突入しかけだったので、芸術は人生に相渉るものでよかった。われわれの社会は、本格的に「人生みたいなもの」を強制する社会である。


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