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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

竹の中のアモーレは見出される

2025-04-07 11:45:09 | 文学


いつなんどきでも、人々のうしろにつきまとっているのです。劇場の大きなシャンデリアの中にすわりこんで、あかあかと燃えていることもあります。人々は当たりまえのランプだと思っているのですが、あとになって、それが思い違いだったことに気がつくのです。また、時には、お城の遊園地の散歩道を歩きまわっていることもあります。いえ、そればかりではありません。あなたのお父さんやお母さんだって、一度は、胸のまん中を射られたのですからね! まあ、お父さんやお母さんに、聞いてごらんなさい。きっと、お話が聞かれますよ。ほんとに、このアモールという子は、いたずらっ子です。あなたは、けっして、この子にかまってはいけませんよ。

いつもアモーレがいる。いすぎるので、かまってはいられない。そんなことをしなくても、つねにかまわれるからである。しかし、我々の世界において、アモーレは隠れながらある場所にいるようだから、一生懸命見出さなければならない。

ユーチューブに「ノブロックTV」というのがあるが、テレビから出奔したプロデューサーの番組である。が、新人発掘番組という意味で、テレビへの公開オーディションと化してる気がする。そういう素人が半分入ったオーディションみたいなもので「面白い奴がいた」局面が一番面白く感じる、これもテレビのどこかで発明されたやつなのか、源氏物語で有名な垣間見の一種なのか。このクリシェは、いつもこういう面白い奴、美しい奴は、どこかに隠れていて発掘される、いや精確には隠れてさえおらず、見えなかっただけだ、という結構である。最近では、福留光帆みたいな才人が、AKB、しかし最下層で芽立たず引退してニートに、ノブロックで発掘されて一年間目立って、再度、病休。そして数ヶ月で復活して出てきた。竹の中から何回もチョロチョロでているかんじである。


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