★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

器の中の月

2022-06-22 23:41:31 | 思想


かうて・かへりみれば華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦・方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は・此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給うを・諸宗の学者等・近くは自宗に迷い遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想いをなし或は入つて取らんと・をもひ或は繩を・つけて・つなぎとどめんとす、天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云。

プラトンの「洞窟」のなかで映る影法師を引くまでもなく、われわれは屡々本体ではないものを視ているからイカンと言いがちであり、ここでも「華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦・方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経」などは月の姿が大小の器の水に映っているようなものだと言っている。

確かに本体ではないが、洞窟の影法師はなんか面白い動きをしてそうだし、器の月の歪みからは、なにか器と月の輪郭の関係が哲学的ななにかを感じさせる。

月影とは、月本体でもあれば月の光でもあり月が映し出すものであったりすることもあり、――月の光の弱さがそうさせるのか、月本体はそこそこの存在をやめることができない。

たりは、水を覗いた。お由利はだまって、帯の間から、ふた包みの薬を出して、右門へその一つを分けた。
「……毒?」
 右門の手はふるえた。お由利はにっと笑って、もう包を開いていた。そして、あっと思ううちに、嚥みくだしていた。
「さ。……右門様、御一緒に」
 思慮にただしてみる遑もなく、右門もあわてて毒を嚥んだ。ふたりは抱き合って、橋袂の崖のふちに立った。
「あっ、待て」
「右門ではないかっ」
 誰なのか、後ろから迅い跫音なのだった。その声に、かえって、右門は突きのめされたように、ざぶん――と河面の月影を砕いて自分を投げ入れてしまった。
 刹那――お由利は、片手を柳の枝につかまって、岸の上に身を残していた。そして飛沫と一緒に、ばたばたと逃げ走った。
 旅拵えの武士が二人、一足おくれに駈けつけて来た。十兵衛と又十郎の兄弟であった。
「右門は、わしが救い上げる。又十郎、お由利を追え、お由利を」
 十兵衛は、橋の下流に繋いであった小舟へ跳んだ。救い上げはしたものの、右門は水を嚥んでいた。しかし、かえってそれが僥倖であった。舟べりで兄の十兵衛に背を叩かれて、右門は、夥しい水と共に、毒もきれいに吐いてしまった。


――吉川英治「柳生月影抄」


どんな話だった忘れたが、――月影はざぶんと壊すことができ、それが月に対して何かしたように思わせることができるが、太陽はそうはいかない。太陽の光は我々をもともと包んでしまっているからである。