★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

法味をなめざるか

2022-06-10 23:58:01 | 思想


又其の後やうやく世をとろへ人の智あさくなるほどに、天台の深義は習ひうしないぬ。他宗の執心は強盛になるほどに、やうやく六宗七宗に天台宗をとされて、よわりゆくかのゆへに、結句は六宗七宗等にもをよばず。いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて、始めは檀那やうやくかの邪宗にうつる。結句は、天台宗の碩徳と仰がる人々みなをちゆきて、彼の邪宗をたすく。さるほどに六宗八宗の田畠所領みなたをされ、正法失せはてぬ。天照太神・正八幡・山王等諸の守護の諸大善神も法味をなめざるか、国中を去り給ふかの故に、悪鬼便りを得て国すでに破れなんとす。


日蓮の攻撃の冴えは、こんなところにもある。世の中がおかしくなったのは法華経が勉強されなくなったためというのではなく、まずは「人の智あさくなるほどに」(お前らがあんぽんたんになるしがたって)と言い、おめえらの頭の悪いのがいけないんだと言っているところが、説教の戦術を知っていると言う他はない。学校の先生などが、けっこう使っている手である。勉強しないから頭が悪くなったのだといわれても、勉強すればいいのでは、と人々は油断する。頭が悪いから勉強しなくなったんだと言われた方が良い。

こう言われた後「天照太神・正八幡・山王等諸の守護の諸大善神も法味をなめざるか、国中を去り給ふ」なのだから、説教される(頭が悪い)我々は、このアマテラス以下の御仁たちも、もしかして法味をわすれたおれたちのせいで神さんがいなくなったのでは、と思うわけである。しかしあくまでも法味をわすれたのは御仁たちだ。御仁たちも主体的に勉強すべきであろうに。確かに神と仏の上下関係はいささかセンシティブであろう。しかし、最初の「人の智が浅くなってるんだ」というパンチが効いている。それが強いから、神の智が浅い、とはならない。

一体我輩のところへはあまり怜悧なものは来ぬ。
[…]時代の進運というものは冷酷極まるもので、自分と一緒に駈けるだけの力のないものをば容赦もなく振棄ててずんずん変転してゆく。見給え、一時は相当の声望信用あって世上に持囃された連中でもいつとはなく社会と遠ざかり、全然時勢後れの骨董物となりさがりて、辛くも過去の惰力によりて旧位置を維持している者や、その惰力さえ尽き果てて、生きながら社会より埋葬せらるる如き悲境に沈淪するものの多いのは、畢竟この時代の進運に伴うべき気力と智識とが欠乏しているからである。


――大隈重信「我輩の智識吸収法」


大隈の悪口も相当なもんで、その悪口が厭なので、鋭利な者が来ないのではないかと思うのであるが、仏教徒たちがしのぎを削っている日蓮の世界より、単に時勢に遅れないために本を読なまくなてはならない大衆社会とどっちが進歩しているといえるであろうか。本当に知恵が必要だと思っているのは、仏教信奉者の喧嘩の方で、法味が失われることに恐怖があったからである。しかし大隈でさえ、智を世に遅れないための必要な道具だ思っている。まず我々は、大隈のような輩を殲滅しなくてはならぬ。