★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

Sports destroy happiness

2019-09-08 23:34:23 | 日記


スポーツは幸せを破壊するとイギリスの経済学者が証明
https://www.washingtonpost.com/business/2018/07/17/uk-economists-prove-it-sports-destroy-happiness/


上の記事によると、ファンがチームが勝った時に感じる幸福感量は、チームが負けた時の悲壮感量のたった半分だということである。統計学者が証明したことのようだが、確かに、贔屓のチームが勝った時の嬉しさはかなり短い時間で消滅する。せいぜい二日というところだ。わたくしもドラゴンズを気にしていた時期があったが、優勝しても日本一になってもあまり嬉しくなかった。というのは嘘であるが、すぐさま「このあと暗黒時代がやってくるに違いない」と考えてしまい、案の上暗黒が来たりするから――全体的にドラゴンズファンというのは、不幸な人生を送っていると思う。

巨人ファンは、まあよく分からんが、他のファンからみると発狂しているようにみえたこの多くのファンたちも、案外、王が三振するたびに地獄を味わっていたに違いなく、ときどきかなりの確率でステロイド投与のように優勝してくれるから、その中毒になっているだけなのである。そして、「堀内時代は地獄」「高橋時代も地獄」「たぶん松井監督時代も地獄」といったような認識で生きているのが巨人ファンであり、彼等が調子こいて見えるのは、ファン同士の社交でその不安感を払拭しようと躁的に喋っているからである。

スポーツ観戦は、つまり、負けていることを忘れようとする行為なのである。もちろん、オリンピックの狂騒というのはそれである。

というわけで、オリンピックなんかも、ガンバレ前畑さんがサンフランシスコで僅差で二位だったときに、国民のいくらかが恐ろしく絶望して、そんな絶望に陥れた前畑さんを批判したのは動物として自然だったのである。

わたくしが毎年、甲子園惨敗報告をし、万年五位に定着しつつあるドラゴンズを応援して――もはや、いないのは、そういう感情の仕組みに巻き込まれないためである。

蓬莱まで尋ねて、釵の限りを伝へて見たまひけむ帝は、なほ、いぶせかりけむ。「これは異人なれど、慰め所ありぬべきさまなり」とおぼゆるは、 この人に契りのおはしけるにやあらむ。

考えてみると、普通の人は恋でも失恋ばかりしているものである。坂口安吾は、「恋愛論」で、失恋と得恋の苦しみは同じだと、確か言っていたが、それは安吾が失恋を味わいすぎた結果、得恋に幻想を持っているからではないかと思うのである。浮舟を垣間見した薫君も唯一の恋を相手の死によって失い、普通に考えるよりも絶望していたのである。だから、玄宗皇帝のエピソードと比べて自分の方が幸福であるかのような錯覚に陥っている。

ここに、ジラールの「欲望の模倣」みたいなことが加わると、錯覚はものすごい勢いで燃え上がるのである。